6.におい
レティシアは、ドアの前に置かれる手紙を楽しみにするようになった。
いつも手紙と一緒に置かれる花は、綺麗なトリテレイア。紫色の花びらが落ちる度に魔法で押し花にして栞を作る。
レティシアの日常に新たな日課が加わった。
「またかわいらしい栞ね」
好んで本に挟むようになった栞に、レスリーが呆れる。
「そうかしら」
レティシアの顔が綻ぶ。毎日一生懸命作っている栞を褒められると嬉しい。この花の送り主にも、ぜひ見てほしいところだ。なんて、叶わない願いを抱いてみたりもする。
「不敬罪にならないようにね」
「あなたには言われたくないわ」
2人きりの時のみではあるが、レスリーはかなり破天荒だ。公であれば王太子への不敬罪で逮捕されかねないと思う。もちろんその時は、レティシアが家の力を使ってでも、友人としてレスリーを庇うつもりではいるが。
「きゃ……っ」
びゅーっと吹いてきた強い風に、ふわりと舞い上がる栞。風に乗った栞は、すぐそばに落ちた。
それを拾ったのは、とある人物。
捲り上げた袖からは逞しい筋肉が覗き、汗だくになりながら服の乱れすらない胸元も隆起した筋肉がうかがえる、がっしりとした体格の男性。目の色と同じ炎のような真っ赤な髪色が印象的だ。
手元をじっと見つめていた彼は、視線をあげてレティシアたち2人を視界に入れる。
レティシアが声をかける前に、彼は歩み寄ると、その場に膝をついた。
「どうぞ」
洗練された騎士のようなしぐさだ。
「ありがとうございます」
レティシアは、お礼を伝えてそれを受け取る。
柔らかい芝生に落ちたおかげで、汚れてはいないようだ。
「サミュエル様、また鍛錬を?」
隣からレスリーが親し気に声をかける。
「まぁ……」
それに答える男はぶっきらぼうだ。どこか寡黙な父を想起させる。
サミュエルという名前をキーワードに、頭の中で辞書を開く。
あった。ルノワール侯爵家の次男サミュエル。
「レスリー、この方は?」
一応貴族の礼儀のため、紹介の手順を踏む。
「ルノワール侯爵家のサミュエル様よ」
彼はその場に膝をつき、騎士の礼を示す。
「サミュエル様、こちらはレティシア。わたしの一番のお友達ですわ」
公爵家の名前を出さないところがレスリーらしい。サミュエルに気を遣わせたくないのだろう。
しかし、レティシアはアカデミーでも有名だ。いろんな意味で。
「アークヴィースト公爵令嬢、名乗りもせずに失礼いたしました」
騎士らしい完璧な姿勢を保つサミュエルは、
「サミュエル・ド・ルノワールと申します」
と続ける。
「ルノワール卿……とお呼びした方がいいのでしょうか?」
彼も騎士を目指すのだろう。ルノワール侯爵家は騎士の家系だ。
「自分は正式な騎士ではありませんので」
丁寧に断られてしまった。
「では、ルノワール様とお呼びしましょうか」
「レティシアもサミュエル様でいいんじゃないかしら?」
レスリーが言葉を重ねてきた。彼の方も反論はないのか口をつぐんでいる
「……では、サミュエル様で」
レティシアが折れることにした。レスリーには敵わない。
「ところで、レスリーはサミュエル様とお知り合い?」
「幼馴染のようなものよ。サミュエル様のお父様と、わたしのお父様がお友達なの」
正統な騎士の家系であるルノワール侯爵家と没落寸前のトラヴィス伯爵家では格が違いすぎると思ったが、当主同士の仲が良ければ不思議ではない。アカデミーで同期だった、などと共通点があったのだろう。
レティシアとレスリーも、筆頭公爵家の令嬢と伯爵家の令嬢という格の違いはあるのだから。
「サミュエル様はよく鍛錬をされるのですか?」
「騎士を志す者として、当然の務めでございます」
「サミュエル様は相変わらずお堅いわね」
クスクスと笑うレスリーに、サミュエルはじとっと恨めしい目を向ける。からかうな、ということだろう。
さすがにこれはサミュエルがかわいそうだ。レティシアが空気を読んであげる。
「幼馴染ということは、サミュエル様はレスリーの幼い頃をご存知なのでしょうか?」
「ちょ、レティシア!」
「あら、いいじゃない。気になるわ」
慌てたレスリーに止められたが、レティシアは笑いながら続ける。
「レスリー嬢は……」
サミュエルが語り出そうとして、
「サミュエル様!やめてください!」
レスリーが慌てて止める。
楽しいひと時だった。
それからは、サミュエルと遭遇することが増えた。
レスリーが、サミュエルが鍛錬する場所にレティシアを連れて行ったりもした。
「サミュエル様~!」
鍛錬の合間に休憩するサミュエルに、レスリーが駆け寄っていく。
レティシアは、その背中を歩いて追いかけた。
「今日は終わりですか?」
「……いえ、まだ」
相変わらず不愛想な彼は、ただ寡黙な性格だ。きっと不機嫌なわけではない。
汗をぬぐったサミュエルから、汗のにおいとともに優しい匂いが突き抜ける。
思わずレティシアはハッと息を呑んだ。
その匂いを、彼女は知っていた。あの手紙から香るムスク。それと同じ匂いがした。
特別な香りというわけではないし、偶然同じものを使っていてもおかしくはない。
しかし、もし彼があの手紙の主、『秘密の協力者』だったら?
それもまた、ありえなくはない。なにせレティシアは、『秘密の協力者』に対する情報を何も持たないのだ。手がかりとなるのは、いつも贈ってくれる花と手紙の筆跡だけ。
そういえば、ルノワール家の家紋も守護を意味する花の模様だった。カランコエだったか。
騎士の家門だから不思議はないが、同じ意味を持つ花を贈ったのだとしたら。
何よりも彼サミュエルは、アカデミーで悪い噂ばかりが立つレティシアにも、親切に接してくれる特異な人物だ。
「レティシア嬢」
その時、サミュエルから声をかけられた。
「お具合でも?」
どうやら話を聞いていなかったことに気づかれたらしい。
「いいえ。少し考え事を」
レティシアはすぐに笑顔で取り繕う。
聞いたところで教えてくれるはずはない。それなら、証拠を集める方が先だ。
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「本日のアークヴィースト嬢は」
「言わなくてもいいよ」
彼は珍しく女性の言葉を遮った。
「もう五度目だ」
「そうですか」
女性は茶色の瞳を楽しそうに細める。
「キミだけは従順だと思ったんだけど」
「従順ですよ。反抗したことはないでしょう?」
濃い茶色の長い髪が風に揺れる。赤い唇が緩い弧を描いた。
「反抗はないけど、主で遊ぶのはどうかと思うぞ。キミも、あいつも」
「遊び甲斐があるので」
悪びれる様子がない女性に、男は呆れる。
「彼女を彼の元に誘導しているのはキミじゃないのか?」
「それもおもしろいかと思いまして」
窓から風が吹き込み、カーテンを揺らした。
「くだらない報告を受ける身にもなってくれ」
「あら、彼女の細かい言動を報告するように言ったのは、貴方様では?」
カーテンが膨らみ、差し込んだ光が、男の金髪と女の姿を照らし出す。
「彼女に危害が及ばないよう、頼むよ」
男の金髪が風に揺れた。
「レスリー」
金色に反射した光に照らし出されたその姿は、レティシアの一番の友人、レスリー・フォン・トラヴィスだった。