24.幸せの時
テオドリックの立太子の儀式と結婚式は同日に行われることになった。
本来なら婚約式が先になるが、テオドリックがどうしてもと言い張ったらしい。
レティシアもそれを受け入れ、結婚式の準備をした。
その間、テオドリックに会えない日もあったが、彼は何か理由をつけては公爵邸を訪れてくれた。
レティシアが準備のために王宮を訪れれば、必ず会いに来てくれた。
愛されているという実感が、レティシアにも自信をくれる。
今まで以上に輝くレティシアは、世の令嬢たちの憧れの的であった。
国民の関心と祝いのムードが集まる中、2人の式は盛大に行われた。
新たな王太子となったテオドリックと、予定通り王太子妃となったレティシア。
1組の夫婦の誕生を、王国の全てが祝福した。
「テオドリック様」
部屋の中央でワイングラスを片手に窓の外を見る夫に、そっと声をかける。
「レティシア様」
振り返ったその顔は、嬉しそうで。愛おしくなって、そっと抱きしめる手は、力強くて。
「テオドリック様」
もう一度その名を呼ぶ。
「テオ、とは、呼んでくれないのですか?」
何度となく言われた言葉に、レティシアは気恥ずかしそうに微笑む。
「……テオドリック様も、呼んでくれないではないですか?」
そっと視線を逸らしたレティシアの頬を、テオドリックの両手が包む。
2人の視線が絡み合い、
「……レティ?」
彼の声で、その名前が呼ばれた。
「レティ」
慈しむように名前を呼ばれて、レティシアはくすぐったそうに笑う。
「レティも呼んで」
柔らかい、甘ったるい声で、そう言われ、レティシアはゆっくりと口を開く。
ゆっくりと、ゆっくりと。その時間を丁寧に撫でるように。
酸素の薄くなった2人の間の空気を吸い、
「……テオ」
口の中で転がすように、そっと告げた。
少年のように嬉しそうに笑う彼の顔が、妙にくすぐったくて
「様」
慌ててつけたす。それでも、彼の笑顔は変わらなかった。
優しく抱きしめられ、レティもその大きな背中に手を回す。
「やっと……」
耳元で聞こえる、低い声。
「やっと、君を……抱きしめることが、できた」
まるで、何年も、何十年も待っていたかのような言葉。
「最初のお手紙をいただいてから、1年も経っていませんよ」
レティシアはその肩に手を添え、ふっと笑った。
「私の初恋は、もっと昔に芽生えたものです」
「幼い頃、ですか?」
前に聞いたことがある。
レティシアの記憶にもない幼い頃に会っていたのだと。
「それよりも、もっと前」
「……え?」
レティシアがきょとんと顔を上げると、彼は慈しむような目で見降ろしていた。
「レティは、前世とか生まれ変わりって信じる?」
「……?は、い……?」
はい、と答えていいものか。
どういう答えが正解かわからなかった。
それに対し、テオドリックはにっこり笑い、レティシアを離した。
「こっちへ」
優しく手を引かれ、2人並んでベッドに座る。
「夢のような、でも確かに現実にあった話だ」
テオドリックは、レティシアに話して聞かせてくれた。
彼の身に起こった、何十年という時間のことを。
前世のテオドリックは、ただの公爵家の一人息子だった。
従弟であり、王太子だったロードリックは、許婚者だった少女の命を奪ったとして、廃嫡された。それにより、彼は小公爵から王太子、そして国王になった。
しかし彼は、生涯を通して妻をめとることはなかった。
それは、かつて目にした、ひとりの少女の存在があったから。
従弟の許婚者であり、婚約者となる直前に命を絶った人物。レティシアだ。
幼い頃から彼女に心を奪われていたテオドリックは、彼女の訃報を聞いた時、ショックを受けた。彼女の後を追ってしまいたいとさえ思った。しかし、それはできなかった。
そして王太子になって国王として即位してから、王妃を望む周りの言葉を断り、彼女だけを愛し続けた。
妻を持たない代わりに、王太子には優秀な者を指名し、後継者として教育して、ただ国のために全てをささげた。
彼女のように未来を憂いて命を絶つ若者がいなくなるように。ただそれだけを願っていた。そのための制度を作った。
愛する人もなく、ただ淡々と生きていく人生は、つらかった。愛する人を失ってなお生を欲するこの身体を、何度捨ててしまいたいと思ったか。それは彼女が望まないと、何度思いとどまったか。
彼女が愛したこの国を、次の世代へつなげるために。ただそのためだけに、彼は生きた。
そして、たった一人で老い、彼女が迎えに来てくれると信じて生涯を閉じた。
「……」
レティシアは何も言えなかった。
「……これが、レティシアを助けたいと動き出した、きっかけだよ」
「……それが、前世、ですか?」
言葉を絞り出すように、つぶやく。
「王宮の書物を読み漁ってね。時折、過去に戻ることができるという文献を見つけた。回帰という現象らしい」
一度にたくさんの情報を聞いたレティシアの頭は、混乱していた。
いや、混乱とはまた違うのかもしれない。
ただ、愕然としていた。その現象を、レティシアも知っていたから。
「……回帰……」
ポツリと呟く。
「レティ?」
レティシアは夢だと思っていた。
剣で胸を突いた時の痛み。あの痛みだけは、夢の中の出来事だとは思えなかった。
あの時間は確かに存在していて。
「……テオ様」
「ん?」
レティシアは震えながらテオドリックの目を見つめた。
「わたしは……、一度、死んだ……?」
「ごめんね。突然こんなことを言われて、混乱するよね」
違う。混乱じゃない。
今まで守ってくれた人を、拒絶しようという気は起きなかった。
「わたしも、たぶん……」
「え?」
「前の人生の記憶があるんです」
テオドリックの目が丸く見開かれる。
「あの時……卒業パーティーの時、殿下に……ロードリック様に婚約破棄を言い渡されて、目の前が真っ暗になって……。この先の人生の全てが崩れていくような感覚になったんです。だから、わたし……命を……」
震える手を、テオドリックに握られた。
「確かに、痛かったし、苦しかった。やっと楽になれる。そう思って目を閉じた瞬間、ほんの一瞬だけ、願ったんです。巻き戻して、って……。そして、目を覚ましたら……卒業パーティーの半年前に……」
まさか、自分の中に起きた現象が、名前のつくものだったとは。
自分と同じ現象を知っている者がいるとは。
「テオ様」
「落ち着いて、レティ」
震える声でその名を呼べば、両頬を包まれた。
「レティも、私と同じことを願っていたんだ」
「え……?」
「巻き戻して、と。私も願った」
テオドリックも一度目の人生で死ぬ時、巻き戻してほしいと願った。
もし彼女が生きている世界に戻れたら。きっと同じことにはしない。
彼女を助けてみせると、そう誓った。
「天か神か。それを叶えてくれたものがいたんだ」
たった一言の願いが、何者かに通じた。
そうして2人は、巻き戻り、結ばれることができた。
「今は、その神に感謝するよ。レティを助けるチャンスをくれたんだ」
「わたしも、感謝いたします」
命を助けてくれたこと。
この人と出会わせてくれたこと。
こんなにも幸せな瞬間を与えてくれたこと。
どんなに感謝してもしきれないくらい。
「今度、神殿にいこう」
「はい」
窓の外から差し込む月明かりの下で、2人は互いの手を取り、見つめ合った。
しだいに重なる2つの影を、月だけが見つめていた。




