19.犯人
レティシアは学園にデザイナーを呼び寄せた。卒業パーティーで着るドレスの注文をするためだ。
「色は白ね。生地は……、これがいいわ」
「かしこまりました」
慣れた様子でこなしていくレティシアを、レスリーがそばで見守る。
「レスリー」
そんな友人に声をかけた。
「よかったら、おそろいにしない?」
「え?」
レスリーの家は、裕福ではない。それを知っているはずなのに。公爵家と同じ金額のドレスを作れるはずがない。だからレスリーは、既製品で準備をしようと思っていた。
「費用はわたしが持つわ」
「そんなの悪いわ」
ドレスのオーダーメイドなんて、そう安くはない。友人とはいえ、レティシアに負担させてしまうのは、申し訳なかった。
「いいじゃない。お願い。わたしの最後のわがままだと思って」
卒業パーティーが終われば、レティシアは間もなく王室の人間となる。
レスリーとも頻繁に会えるかわからない。レスリーは実家のある地方に帰るだろうから。
これが別れになってもおかしくはないのだ。
「……わかった」
レスリーはそんな友人の心情を察して、頷いた。
「アクセントカラーはわたしに選ばせて」
「えぇ、もちろん」
子どものように満面の笑みを浮かべるレティシアに、レスリーも微笑んだ。
少し前、学園をある噂が巡った。
王太子が卒業パーティーで着るドレスをアイリスに送った、という話だ。
これは、ロードリックがパーティーのパートナーにアイリスを選んだこととなる。
暗黙的にパートナーになるはずだったレティシアを、ロードリックが拒んだ形だ。
幸いレティシアは、はなからドレスのプレゼントを期待していたわけではない。
兄に相談し、公爵家からドレスの予算をもらっている。だから特に困ってはいない。
友人とおそろいのドレスを着ることができることに、レティシアは喜んでいた。
翌日、レティシアは通信機からの呼び出し音で目が覚めた。
ひきだしから通信機を取り出し、机に置く。魔力をこめると、兄の姿が出てきた。
『レティ、おはよう。起こしたかな』
「いえ……」
そうはいっても、寝間着姿に整えてもいない髪では、今起きたばかりなのは明らかだ。
『この前言っていた話、調べ終えたから、報告書を転送するよ』
「あ……、ありがとうございます、お兄様。こんなに早くに……」
まだレティシアが起きる時間よりも早い。緊急で送ってくれたのだろう。
『大切な内容だったからね。父上も急いだみたいだ』
「お忙しいところお手間をおかけして申し訳ございませんとお伝えください」
『わかった。じゃあ、今日もがんばって』
バタバタと通信は途切れてしまった。きっと忙しいのだろう。最低限の用事だけしかなかった。それを少し寂しく思うことに、少し自嘲的に笑う。
「……忙しそうね」
公爵家に何かあったのだろうか。レティシアが関わることなら、きっと連絡を入れてくれるはずだ。
忙しい中、わざわざ通信までして、報告書を魔法で転送してくれるとは。
通信機の上に現れた報告書を手に取り、ゆっくりと捲る。
そして、ハッと目を見張った。
コンコン
「……っ!」
肩がビクリと跳ねる。
大丈夫。ここは女子寮だ。そう言い聞かせ、扉を開ける。
「レティシア、また置いてあったわよ」
レスリーは、手紙、というよりも報告書のような大きな書類を差し出してきた。
添えられた花は、相変わらずトリテレイア。いつもの手紙だとわかる。
「レスリー、中に入って。話があるの」
「え?えぇ……」
レスリーを部屋に引き入れ、レティシアは『秘密の協力者』からの手紙も開ける。
『噂を流していたのは、ロードリック王太子殿下だったよ』
要約すれば、そんな感じの内容。
そして、兄から送られて来た報告書も、
『脅迫状を送っていたのは、どうやら王太子殿下らしい』
といった内容だった。
どうして。
どうして、どうして。
彼に嫌われることなんてしていないのに。
「レティシア?」
後ろからレスリーが声をかけてくる。
「顔色が悪いわ。座って」
椅子に座らせて、その隣に座ったレスリーが、レティシアの手を握った。
「……王太子殿下が」
「え?」
「脅迫状……それに、学園での噂も……王太子殿下が……」
許婚者がどうしてそんなことをする必要があるのだろう。
「報告書、わたしも見ていい?」
「えぇ……」
動揺を隠せないレティシアから許可を得て、レスリーは書類に目を通す。
「……なるほどね」
どちらも証拠を提示していくばかりで、動機については触れていない。
なぜ許婚者から嫌がらせをされなければいけなかったのか。何もわからないレティシアが戸惑うのも無理はない。
「……アイリスは被害者だったわけね」
公爵家からの報告書に目を通し、レスリーはそうつぶやいた。
ロードリックが『許婚者への謝罪の手紙』だとか嘘をついて、アイリスに手紙をたくした。
ロードリックの言葉を信じたアイリスは、それをレティシアに届けただけにすぎない。
ロードリックが罪に問われれば、アイリスは共犯者。しかしその裏の事情を知れば、必ずしもそうとは言えなくなった。
「レティシア、アイリスを味方にしましょう」
「……え?」
レスリーの言っている言葉の意味が、レティシアはわからなかった。
「アイリスをこっち側につけるのよ。殿下側の人間を減らせるし、レティシアといない間の殿下の言動の証拠になるわ」
「そんな証拠を集めて、どうするの……」
「決まってるわ。糾弾するのよ。廃嫡とまではいかなくても、婚約破棄くらいは狙えるかもしれないじゃない」
婚約破棄。許婚者という関係を解消するには、婚約破棄と同じ手続きが必要。それくらいの知識はある。
もし婚約破棄ができたら。そう考えたことがないとは言えない。
「……でも……」
そんなことができるのか。王室と公爵家の関係は複雑だ。それがわかっているからこそ、レティシアは迷った。
これで父や兄の立場が危うくなってしまった時、きっとレティシアは悔やんでも悔やみきれない。
「廃嫡なんておそろしいこと言わないで。それは」
「わかってる。言わなくていいから」
王太子の廃嫡。それこそ大きな政治問題だ。
「……レスリー」
「ん?」
「アイリスさんと話がしたいわ」
レティシアはまだ答えを出せなかった。
「わかった」
友人の言葉に、レスリーはすぐに頷く。
「で、でも、殿下は、わたしがアイリスさんと話すのを確実に妨害すると思うの」
「そうね」
「それに、アイリスさんだって、もし既に殿下の……」
ロードリックがアイリスを言いくるめていたら。レティシアが近づくこと自体が、危険なことかもしれない。
「大丈夫だから。わたしに任せて」
レスリーはそう言って、レティシアの手を引いた。
制服に着替えた2人は、そのままアイリスの部屋を訪ねた。
「はい」
ノックで出てきたアイリスは、2人を見て驚く。
確かに女子寮で部屋を訪ねれば、アイリスの主な交友関係である男子生徒たちもいない。誰にも邪魔されない空間ができあがる。
「ちょっといいかしら」
レスリーはひるんではいなかった。アイリスは頷いて部屋に入れてくれた。
「レティシアにいやがらせをしていたのは、王太子殿下だったのね」
「……え……?」
レスリーの言葉に、アイリスが小さな声を漏らした。
「レティシアはね、手紙でずっと脅迫されていたの。王太子殿下にね」
「ま……っ、待ってください、そんなはず……!」
それはとても嘘をついているようには見えない。
「なにか」
レティシアが口を開いていた。
「何か、知っているの?」
レティシアの問いに、アイリスは戸惑いながら口を開く。
「リックは、レティシア様のことをすごく大切にしていたんです」
「……どうして、そう言えるの?」
「毎日レティシア様のことを心配していたし、本当なら毎日会いたかったって。でも、お茶に誘ってもほとんど断られるって……」
アイリスにそんなことを言って同情を引いていたのか。
「それは……っ!」
反論しようとするレスリーを、レティシアが止める。そして、落ち着いて息を吐いた。
「わたしは、殿下にお茶に誘われたことは、一度しかないわ」
「え……」
「それも、わたしには断ることなんてできなかった。丁重にお受けしたわ」
たった一度誘われたお茶会も断っていない。それだけで、アイリスの言葉を否定できた。
「殿下は、毎日脅迫状を送ってきては、レティシアにさんざんなことを言ってくれたわ」
レスリーが怒りに震える。
「レティシアの努力、人格、人生、家族、全てを否定し、あげく殺害予告まで」
「それをリックがやったっていう証拠はあるんですか?」
「えぇ。アークヴィースト公爵家が調査をして、しっかりと証拠をつかんでいるわ」
そう聞いて、アイリスはぐっと黙り込む。
「……それで、わたしにどうしろと……」
「わたしたちの側について」
レスリーは率直に頼んだ。その言葉に、アイリスの顔色が変わる。
「リックを裏切れって言うの?だいいち、リックはこの国の王子様なんでしょ?そんなことして」
「あなたには、殿下と共謀してレティシアを脅迫した嫌疑がかかっているの」
それでも反論するアイリスを、レスリーが追いつめていく。
「主導権はこちらが握っているのよ。忘れないで」
レティシアにはできないことだ。
愛すべき国民を非難するなど。
「……選択肢は2つ。殿下の側について犯罪者として捕まるか、わたしたちの側について協力者として名をあげるか。選ばせてあげるのよ」
アイリスはショックを受けていた。
「レスリー、もう……」
これ以上彼女のショックを受けた姿は見たくなかった。
どんなにレティシアを傷つけたとしても、彼女はレティシアが愛するべき国民の一人なのだから。
「ゆっくり考えて。時間はたくさんあるから」
レティシアはそれだけ伝えて、レスリーを連れて出た。
「レティシア!なんで」
「いいの」
反論する友人を、一言で止める。
「もう、いいのよ」
「いいって……、レティシアは被害者なのよ。泣き寝入りなんて」
「しないわ」
レティシアの目は、据わっていた。
「彼は、国民を傷つけた。わたしたちが絶対にやってはいけない罪を犯したの」
「……アイリスのこと?」
「えぇ。彼女は本当に何も知らなかったみたい。彼女を騙して犯罪に加担させるなんて、許せないの」
覚悟は決まった。
「どうするの?」
「卒業パーティーがいいわ」
「え?」
「国王陛下、王妃殿下、そして社交界の多くの貴族たち。全員が一堂に会する直近の場でしょう?」
そこで王太子の罪を暴く。それがどれだけ危険なことか。
「……でも、まだ決定はしない」
レティシアは震えていた。
「最後に、お父様に確認させて」
「……確認って……。公爵様がダメだっていったら?」
「何もしないわ」
それこそ泣き寝入りだ。レティシアは傷つけられたまま、傷つけた犯人と一生を添い遂げる。
「王室が殿下を庇い、筆頭公爵家の主であるお父様も庇うなら、わたしだけでたちうちできる問題ではなくなるもの」
レティシアの言う通りだ。
レティシアが王太子を糾弾できるとしたら、それは彼女が公爵家の人間であるからこそ。
その後ろ盾がなくなれば、ただの少女なのだから。
「わかった。相談してみて」
大丈夫。レスリーはわかっていた。
本当に握りつぶす気なら、レティシアに情報を渡したりはしないだろう。きっと公爵も同じ気持ちだ。
そしてなにより、こちらには強いカードがいるのだから。
「お父様、お兄様」
その日の夜、レティシアは通信機の前に立った。
「殿下の件で」
『レティ、大丈夫だよ』
震える声を感じ取ったのか、兄が優しい声をかけてくれる。
『怖がらないで。何も怖くないから』
そばにいるから。そう言って慰められた、幼少時代を思い出す。
「卒業パーティーで、王太子殿下が犯した罪を告発したいと思っております」
その言葉に支えられて、レティシアはそう言っていた。
『……わかった』
父から返ってきた言葉は、たったそれだけ。
『僕たちはレティの家族だ。レティの意見を尊重するよ』
言葉が少ない父の代わりに、兄がその言葉の裏に隠された言葉を代弁する。
「それでは……」
『レティののぞむままに』
兄がいつも通りの口調で言う。
『彼には痛い目を見てもらおう』




