18.証拠
「レティシア」
レスリーに呼ばれ、レティシアは振り向く。その顔は、満面の笑みだった。
「なぁに?」
「……なんだか今日は楽しそうね。いいことでもあったの?」
「なんでもないわ」
そう言って笑うレティシアに、レスリーも笑みを浮かべる。
「あのね」
レティシアはそっとレスリーの耳に口を寄せる。
「あの方が、もうすぐ会いに来てくださるんですって」
まるで初恋を知った少女だ。無邪気な子どものように喜ぶレティシア。レスリーは、久しぶりに元気な友人の姿を見られて嬉しかった。
「ねぇ、いったいどんな方かしら。レスリーの予想は?」
「さぁね。案外田舎の弱小貴族のご令息かもしれないわよ」
きっともしそうでも、彼女は何の差別も偏見もなく愛することができるのだろう。
田舎の没落寸前の伯爵家の出身であるレスリーとも、こんなにも親しくしてくれるのだから。
「なんだっていいわ。あんなにも素敵な文章を書かれる方だもの。きっと心が綺麗な素敵な方よね」
そんな夢見る少女の前に、校門が映った。
「お客様かしら」
校門を後ろに馬車が止まっている。見慣れない風景だ。
「レスリー、紋章は見える?」
馬車の側面には家紋などの紋章が描かれているはず。
残念ながら、馬車は前を見ていて、紋章までは見えない。
「遠すぎて見えないわ」
レスリーは知っていた。しかし、知らないふりをした。
「そう……」
レスリーの答えに、レティシアは残念そうに、それでも気になると馬車を見た。
「どこかの親が子どもに会いに来ただけでしょ。ほら、早く行かないと、次遅刻するよ」
「そうね」
レスリーに急かされて、レティシアは馬車から目をそらして廊下を歩いた。
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ほんの数時間前のこと。
その日、彼の姿は馬車の中にあった。その顔には笑みが浮かぶ。
当然だ。今彼が持っているのは便箋。明日、彼女に届けさせる手紙の内容を考えている。この時間が彼は好きだった。彼女のことを考えていられる時間。彼女の喜ぶこと、楽しませられることを考えられるのだから。
今から行く場所は学園。偶然、彼女の姿が見られれば。そんな意味もないことを期待して胸を躍らせながら、馬車からの車窓を楽しむ。
「……いい加減認めたらどうですか?」
そんな主に、ジェレミーが呆れながら言う。
「認めるって?」
「アークヴィースト嬢がお好きなんでしょう」
率直な言葉に、彼は一瞬深い青の瞳を見開く。しかし次には、その目を柔らかく細めた。
「認めてるよ」
「え?」
今度はジェレミーが驚く番だ。
「キミに隠したって意味がないだろう?ちゃんと認めてるよ。僕は彼女が好きだ」
「だったら、どうして……」
そんなに好きなら、思いを伝えればいいのに。どうしてそうしないのか。ジェレミーは不思議だった。
「仮にも彼女は、王太子殿下の許婚者、ゆくゆくは婚約し、結婚することも約束されているんだ」
確かに、そこで彼が、王位継承権を持つ者が名乗りをあげれば、それこそ反逆を疑われるだろう。
「いつかは彼女に想いを伝えたいんだ」
「……すぐにでも伝えればよろしいのに」
「そのために、準備が必要なんだよ。最高の場がね」
まるでロマンチストな王子様だ。しかし、主人なりに考えているのだということに、安堵する。
そうしているうちに馬車が止まった。
「これは……っ」
紋章を見た門番が恐縮して最敬礼する中を、彼は馬車を降りてゆうゆうと歩いていく。
そこは、レティシアも在籍する王立アカデミー。その足は迷うことなく寮へ向かった。
「すみません。従弟と面会したいのですが」
男子寮の受付に声をかけると、
「まだお戻りになられていませんが……」
と困惑した声が返ってくる。当然だ。まだ授業中の時間、従弟がいない時間を狙ったのだから。
「では、部屋で待たせていただきますね」
彼が柔らかく微笑むだけで、受付の衛兵は頬を染めた。
侵入はたやすかった。アカデミー内とはいえ、王太子がいる場所の警備が、こんなにも手薄でいいのか。
あとで王に進言しておこうと思う。
従弟の部屋。一応綺麗にしてあるのは、そのための人を雇っているから。
ぐるりと部屋を見回す。
今回の目的は決まっていた。従弟の悪事を暴くため。
これは最終手段だ。彼が来たことは、おそらく今すぐにでも従弟に知らされるだろう。従弟が戻ってくるまでに、目的のものを見つけなければ。
ベッドの枕元にものをためるのは幼い頃からの癖。
机の上は綺麗になっている。これも雇った人が優秀なのだろう。ひきだしに手をかけると、簡単に開いた。鍵もかけないのか。危機管理がなっていない。
ひきだしの中は乱雑にものがしきつめられている。その中で、彼は見逃さなかった。封蝋印の1つ。レティシアに宛てられた脅迫状にはりつけられたものと同じ型のもの。
間違いない。あの脅迫状の犯人は従弟だ。証拠は見つかった。
でも、なぜ?動機がない。アークヴィースト公爵家を敵に回してまで彼女を貶めたことで、従弟に何の利益があるのだろう。
思考はそちらにシフトする。本棚に近づいてみる。一見なんの変哲もない、ただの本棚。
真剣に国について学んでいる?違う。その本たちは薄く埃をかぶっている。ほとんど使われていないようだ。
しかし、その中で1つ。分厚い革の表紙の本が目に入った。それだけ埃をかぶっていなかったから。何気なく手にとり、それを開く。
日記だった。そこにつづられた、従弟の感情たち。なるほど、と思った。これが全て。
彼なりに理由があったとはいえ、それは絶対に許されないもの。決定的ともいえる証拠だった。
持ってきておいた複写機で全て複写すると、
「何をしている?」
声がした。
「やぁ、久しぶりだね」
彼は穏やかな顔で振り返る。その瞳に映った人物。彼女の許婚者であり、卒業パーティーと同時に婚約が発表される、ロードリック。
「俺は王太子だ。礼を示せ」
「はいはい、失礼しました」
「……っ」
わざとらしくお辞儀をしてあげるだけで、簡単に顔を赤くする。
彼女は、ほんの少しの動揺も見せないほど、感情コントロールに長けているのに。
彼女に落ち度はない。彼女がロードリックに不釣り合いなのではない。ロードリックが彼女に不釣り合いなのだ。
「で、何の用だ?」
「従弟に会いにくるのに、理由がいるかい?卒業前だけど、おめでとうと伝えに来ただけだよ」
「ふざけるな!」
沸点も低い。本当に、どこを取っても彼女とは不釣り合いだ。
「じゃあ、用事も済んだことだし、今日はこれで帰るね」
そう言って、彼は部屋を出ていく。扉が閉まる直前、
「今すぐ部屋中を掃除しろ!」
という従弟の荒い声が聞こえた。
「……やれやれ」
彼はわざとらしく深いため息を吐いて、馬車に戻った。
「おかえりなさいませ」
ジェレミーが馬車の前で待っていた。
「ごくろうさま」
一言声をかけて、馬車に乗り込む。
「何か見つかりましたか?」
「見つかったよ。いろいろとね」
彼は楽しそうに微笑み、手に握った封蝋を見る。
「明日の手紙の内容が決まったね。いいプレゼントになりそうだ」
「……よかったですね」
ジェレミーは子どものように楽しそうな主に、呆れの視線を向けた。




