16.嫉妬
『守護』の花言葉を持つトリテレイアの花。
鍛錬場のベンチに腰掛けたレティシアは、押し花を手に考え込む。
この花の主は、いったい誰なのだろう。
あの時手紙を渡してくれた人なのだろうか。
『君は身体を鍛えた男が好きなのかい?やきもちを妬いてしまうね』
いつだったか、手紙に綴られた文章。
そこから、『秘密の協力者』はサミュエルではないとわかった。
そして彼が、サミュエルに嫉妬心を抱いていることも。
相変わらず友人として、そして護衛としてそばにいてくれるサミュエルには感謝している。
そのおかげか、襲撃と言える襲撃はないのだから。
「……ア、レティシア」
「え?」
すぐ隣からの声に、レティシアは顔を向けた。
「どうしたの?レティシア」
「レスリー、ごめんなさい。少し考え事を」
「それならいいけど」
レスリーの心配そうな顔に、レティシアは微笑んでみせる。
その時だった。
足元をふわりと舞う、一枚の紙。
「あ……」
レティシアはぱっとそれをつかむ。
「なにかしら」
それを見てみると、どうやら楽譜のようだった。
「すみません!」
そこへ、1人の男子生徒が駆け寄ってくる。
「練習中に飛んでいってしまって」
緑色の髪。
レスリーが眉を寄せているのなんて気づかずに、
「あなた、もしかしてこの前の……?」
レティシアは何も考えずにそう聞いていた。
「あぁ、お手紙を落としたご令嬢ですね」
「あの時は拾っていただいてありがとうございました」
「いえいえ」
人懐っこそうな笑顔に、レティシアは好感を覚える。
とっつきにくい人物ではなさそうだ。
「宮廷楽師のプロムダール男爵のご子息ですね」
「私をご存知とは……」
プロムダール男爵といえば、レティシアも幼い頃に城で遭遇したくらいの記憶しかない。
それでも気づけたのは、彼が持っていたヴァイオリンと、伝統楽器の家紋が彫られた懐中時計を持っていたからだ。
「アークヴィースト公爵家の長女レティシアといいます」
「あ、あのアークヴィースト公爵家の……!無礼をお許しください」
この学園でレティシアを知らない人間がいることに驚く。
「プロムダール男爵家のジェレミーと申します」
「レティシア」
後ろから呼ばれて振り返ると、レスリーとサミュエルが紹介を待っていた。
「ルノワール侯爵家のサミュエル様、そしてトラヴィス伯爵家のレスリーです」
「お初にお目にかかります」
ジェレミーは2人にも丁寧に頭を下げる。
「ヴァイオリンを弾かれていたのですね」
「はい。父からの課題がありまして。お邪魔にならないように、音は消していたのですが……」
「聞こえていませんでしたわ」
魔法を使えば、楽器から出る音が周囲に聞こえないようにすることはできる。
音が漏れていたかと心配するジェレミーに、レティシアは笑顔で答えた。
「よかったら、一曲奏でていただけませんか?」
レティシアの提案は自然なものだった。
「い、いえ!まだ練習中の身ですから!」
「無理にとは言いませんわ。ただ、あなたの音を聴きたくなったので」
ジェレミーに断られて、残念そうにするレティシア。
その後ろから、レスリーが口を挟む。
「筆頭公爵家のご令嬢の頼みを断るだなんて、勇気のある方ね」
「……!」
これにはジェレミーもハッと目を見張った。
「れ、レスリー!そんな失礼なことを……!」
レティシアはそれに気づかず、慌てて友人をいさめる。
「かまいませんよ。トラヴィス伯爵令嬢の言葉も、あながち間違ってはいませんから」
ジェレミーは笑顔で
「では、一曲だけ……」
と引き受けた。
ヴァイオリンをかまえ、ゆっくりと弓を引く。
そこから音が溢れだしてきた。
広い鍛錬場に、豊かに広がる音。
宮廷楽師の息子の名は伊達ではない。
光を受けて輝く音たちに、レティシアは目を閉じて聞き惚れる。
優しい音色たちが自然の中に溶けて消えていくと、
「ありがとうございます」
レティシアは心からの賞賛の拍手を送った。
「とても素敵な音楽でしたわ」
「温かいお言葉、痛み入ります」
綺麗なお辞儀に、レティシアは目を細めた。
「練習の邪魔をしてすみません。どうぞ、お戻りになって」
「失礼いたします」
ジェレミーがうやうやしく頭を下げて立ち去る。
「素敵な音楽だったわ。ねぇ、レスリー?」
「そうね」
なぜかレスリーの態度が冷たい。
「どうかしたの?」
と聞いても
「いいえ」
と首を振るばかりだ。
レティシアは首を傾げながら、サミュエルを見る。
「サミュエル様も、鍛錬の邪魔になってしまいましたね」
「いえ、別に」
そう言って、サミュエルは鍛錬に戻っていった。
「こんにちは、アークヴィースト公爵令嬢、トラヴィス伯爵令嬢」
廊下を歩いていた2人に、後ろから声を掛けられる。
「こんにちは、プロムダール男爵令息」
「ジェレミーとお呼びください」
わざとらしくお辞儀をしてみせる彼に、レティシアは笑顔を向ける。
「お綺麗なご令嬢方にはご機嫌うるわしく」
「ジェレミーさん」
楽しむように挨拶をするジェレミーに、レスリーが冷たい声を向けた。
「なにかご用でしょうか」
「これは失礼いたしました。美しいご令嬢につい声をかけてしまっただけなのです」
ジェレミーはわざとらしく頭を下げ、去っていった。
「レスリー、どうしたの?」
「なに?」
「どうしてジェレミーさんを毛嫌いしているのかわからなくて」
レティシアの疑問に、レスリーはごく自然に答える。
「うさんくさくない?」
「そんなことないと思うけど?」
しかし、やっぱりかみ合わない。
レスリーが知る彼と、レティシアが知る彼では、違いすぎるからだ。
「レティシアは、ジェレミーさんが手紙の差出人だと思ってるの?」
「……いいえ、彼は違うわ」
「意外ね。どうしてそう言えるの?」
「なんとなく。お手紙をくれる方は、ジェレミーさんのように軽い方ではないわ」
ジェレミーが言うようなくさい言葉が、手紙にも書いてあるのに。
レスリーはその言葉を飲み込み、
「意外。レティシア、ちゃんと冷静に見てるのね」
「当然でしょう?」
最近は我を失うことも多いが、普段は真面目で冷静な性格を心がけている。
そうだ。レティシアは元来、とても頭がいいのだ。
冷静でいれば、いろんなことに気づけるはずなのに。
レスリーのことを全く疑っていないのだろう。
「さ、行きましょうか」
レティシアが歩きだしたことで、レスリーもその後を追った。
「レティシア様~!」
「あら、こんにちは、ジェレミーさん」
それから、ジェレミーがレティシアに話しかけてくる頻度が増えた。
徐々に親しくなっていく様子を、レスリーは忌々しそうに見守る。
「今日も練習ですか?」
ジェレミーの手に握られた楽器ケースに気づく。
「父からの課題あるので」
「頑張ってくださいね」
レスリーとサミュエルの冷たい視線を受けながらそんな話をしていると、
「レティシア!」
耳なじみのない声が聞こえてきた。
いや、違う意味では聞き慣れている。
しかし、その声がその名前を呼ぶところを、それほど聞いたことがない。
ただそれだけだ。
レティシアはゆっくりと振り返り、その場でお辞儀をする。
「王太子殿下」
それにならって、レスリーとサミュエル、そしてジェレミーも頭を下げた。
「最近の貴様の行動は目に余るぞ!」
「……どういうことでございましょうか」
レティシアは冷静だった。
・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
「……これは、事実かい?」
雇い主から問われたジェレミーが答える。
「はい」
レティシアの前とは違い、与えられた仕事を淡々とこなす姿。
雇い主の手にあるのは、学園内でレティシアに関する悪質な噂を流している大元。
よせられた調査資料によると、それは、アイリスの周囲。
というよりも、そのそばにいる王太子ロードリックの周囲から流れているもの。
理由は簡単。
この噂は、ロードリックによってつくられたものらしい。
「……あのバカは、なぜこんなことを……」
「動機については調査中です」
それは資料にも書いてある。
「まぁ、おおかた、側近でもある騎士団長の息子とやらにそそのかされたのでしょうが」
「わからないよ。彼にも、彼女を傷つける動機がない」
「いじめの理由なんて、ないことが大半ですよ」
確かに従者の言うことも一理ある。
しかし、彼は何かが引っかかっていた。
なにか、なにかあるはずなのだ。




