11.苛立ちと葛藤
「アークヴィースト様、今日はどうかなさったのかしら……」
その日のレティシアの様子がおかしいことは、誰もがわかった。
心配する声が聞こえてくる中、廊下でついに
「レティシアさま……」
彼女と出会ってしまった。
その瞬間
「レティシ」
レスリーが止める間もなく、レティシアは彼女詰め寄っていた。
「どういうつもり?」
「落ち着いて、レティシア」
慌ててレスリーが止めに入る。
この状況は非常にまずい。
レティシアがアイリスをいじめているという噂は、まだ消えたわけではないのだから。
この現場を見た人たちから、噂はさらに広まっていくだろう。
それに、レスリーの雇い主は、アイリスが犯人ではない可能性も指摘していた。
しかし、そんなことなど知らないレティシアは、我慢の限界らしい。
「あなたのような人間が何をしようと、我が公爵家は安泰だわ。下手に手出しをして、痛い目を見るのはあなたの方よ」
「レティシア、レティシア」
いつも冷静な彼女からは考えられない、ものすごい剣幕。
「……?あの……なんのことですか……?」
アイリスはきょとんとしていた。
「……知らないの……?」
これには、レティシアも驚く声をする。
レスリーは、何も知らなければ、これもとぼけているだけだと思ったはずだ。
しかし、彼女が犯人ではない可能性もあると聞いている今。
この反応は、ウソではないと思った。
「コンラッド嬢、ごめんなさいね。レティシアは疲れてるみたい」
そう言って、レティシアを無理やりそこから遠ざける。
驚きに呆然としているレティシアは、簡単に持ち運べた。
「レティシア、大丈夫?」
カフェテリアに連れていき、飲み物を渡す。
するとレティシアは、
「……どういうことかしら」
と息を吐くようにつぶやいた。
「うそをついてるだけじゃないの?」
レスリーはそう言ってみた。
「そうは思えなかったわ。本当に何も知らないみたいに……」
あれだけ取り乱していても、その人の本性を見抜く力はあるのか。
何を言えばいいのか。
レスリーは戸惑った。
『秘密の協力者』だけが握っている情報は、レティシアであっても渡せない。
協力者のいない、ただの『レスリー』なら、どうするだろうか、と。
「……わたしは」
レスリーは、迷いながら声を出す。
「そうは、思えない」
きっと何も知らないレスリーなら、こんな判断をしただろう。
「とぼけてるように見えなかった?」
「……そう、なのかしら……」
レティシアの方も確証はない。
何とも言えない不確かな証だけが、レティシアを支配する。
ぽつりとこぼれた言葉だけが、誰もいないカフェテリアに響いた。
『キミは何も心配しなくていい。僕が守ってあげるから。だから、どうか落ち着いて。残り少ない学園生活を楽しむことだけを考えて』
翌日の手紙には、そんなことが書かれていた。
まるで前日の出来事を知っているかのような言葉。
学園でも噂になっているのだから、知っていてもおかしくはない。
ということは、この手紙の主は、学園の関係者なのだろうか。
レティシアは首をかしげる。
いったい誰が、こんなにも親切な手紙を送ってくれるのか。
この学園の中で、レティシアの味方と言える人物は少ない。
レスリーやサミュエル、そしてシャーロットというところだろう。
他の生徒たちは、レティシアが平民をいじめているという噂を聞いては、非難する。
表立って敵対することはできないのが、もどかしいところだ。
「レスリー」
「ん?」
レティシアの部屋でお茶を飲むレスリーに、レティシアが話しかける。
「どうかした?」
「あの……あのね、もしもだけど」
こんなことを言ってもいいのだろうか。
ここにはレスリーだけ。
だから、何を言ったところで罪に問われることはない。
しかし、自分に許される言葉だろうか。
王太子の許婚者である、レティシアに。
「どうしたの?レティシア」
レスリーは不思議そうに首をかしげた。
「わたしが、この手紙の差出人に会ってみたいと思ったら、それはダメなことかしら?」
「え、どうして?」
そんなわけがないと、レスリーは言った。
「自然なことでしょ?逆に気にならないのかなって思ってたよ」
「自然……」
「それにさ、前にも言ったけど、レティシアを放って他の女に気を取られてる許婚者のことなんて、気にする必要ないって」
そうはいっても、やっぱり気にならないはずがない。
しかし、これはレスリーだから。
大切な友人だから、言えることでもある。
「レスリー」
「なぁに?」
レティシアは覚悟を決めた。
「この手紙の差出人を、一緒に探してほしいの」
一息で、一気に吐き出した。
それに対し、レスリーは黙り込む。
やはりこれは、レスリーにとっても安全ではないらしい。
「ごめんなさい、レスリー。やっぱりなんでも」
「いいよ」
レティシアの言葉を遮って、レスリーはあっさりと答えた。
「気になるんでしょ?探すしかないじゃない」
「いいの……?」
「もちろん。友達のためよ」
レスリーの笑顔に、レティシアはホッと息を吐いた。
「さ、そうと決まれば、まずは情報集めね。サミュエル様とシャーロット嬢にも、協力してもらいましょう」
「あ、でも……」
できれば知られたくはない。
王太子の許婚者が怪しまれる行動をしてはいけないのだ。
「大丈夫。わたしに任せて」
しかし、レスリーはそう笑っただけだった。
「レティシア、これまでの手紙は全部取ってるのよね?」
「えぇ。ここに」
お気に入りの宝箱に隠した、たくさんの手紙。
今のレティシアを支えてくれるものたちだ。
「ここから読み解いていきましょ。レティシアは気になったところはある?」
「えっと……」
2人きりの時間は、レティシアも安心していられるのだった。
「サミュエル様!」
寮を出てすぐ、そこで待っていたサミュエルに声をかける。
「おはようございます、サミュエル様」
レティシアは丁寧に挨拶をする。
「レティシア嬢、おはようございます」
彼の方も堅く答えると、
「サミュエル様、お願いがあります!」
レスリーがさっそく切り出した。
「お願い、とは?」
「わたしたちのお手伝いをしてほしいのです」
「お手伝い……」
レスリーの言い方に、サミュエルが困惑する。
「ある人を探すお手伝いをしてほしいのです」
「自分にできることなら」
レティシアの簡単な言葉でのお願いに、サミュエルは快く引き受けてくれた。
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「アークヴィースト嬢が、あなたさまを調べ出したようです」
「そう」
従者の言葉に、彼は明るい窓の外を見ながら息を吐く。
その顔は、どこか嬉しそうに笑みをこぼす。
「まだ気づかれるわけにはいかないからね。対策をしないと」
しかしその言葉は、正反対のものだった。
「それでよろしいのですか?」
従者の声にはどこか呆れの色が混ざった。
「どういう意味?」
「アークヴィースト嬢がお気に入りでしたら、おそばにおけばよろしいのに」
「できないだろう?」
できるわけがないのだ。
彼にとって、レティシアはそれほど近い存在でもない。
「いつか正体を明かす時がくる。でもそれは、今じゃないんだ」
彼にも複雑な気持ちがある。
早く彼女の前に出ていって気持ちを伝えたい。
しかし、現状そうできないこともわかっている。
全て解決した時には、きっと。
そう願って、彼はレティシアに手紙を書く。
「レスリーに伝えて。おもしろがっていないで仕事をするように」
「……かしこまりました」
従者が答え、部屋を出ていく。
ひとり残された彼は、ふっと窓の外を見た。
金髪がさらりと揺れた。




