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 だが、精華楼は身を売るより芸を売る者が多く、羅緋が上手く管理しているため苛めも比較的少ない。柳燕には、特別好いた男や身請けの約束もなかった。

 彼女が自死する理由が誰も分からず、羅緋は念のため役所へ届け出たものの、やはりただの自死と判断されて終わったそうだ。


「……」


 話を聞き終えた宇晨は、軽く目を伏せて考える。

 首無し遺体の身元と消息を調べるためにここに来たはずが、関与する人間がすでに死んでいたとは。

 偶然か、それとも因果関係があるのか。

 羅緋は華札を布の上に置き、やや厳しい目つきで宇晨を見てきた。


「それで、お聞きしてもよろしいかしら? 黎捕吏、どうして貴方がこれをお持ちなのか」

「……この華札を持った男の遺体が見つかった」


 ここで情報を出し渋っても仕方がないと、宇晨は詳細を伏せて答えた。羅緋が今度ははっきりと驚きに目を見張る。


「まあ! そんな……」

「柳燕の得意客に『郭』という姓の者はいなかったか? 他にも華札を渡した者が分かれば知りたい」

「……少々お待ちください」


 羅緋は書机の後ろにある棚に向かい、重ねられた冊子の下から薄い帳簿を取り出した。


「精華楼では、華札は決められた二十人の妓女(むすめ)が配れるようになっております。一人につき三枚、それぞれ渡した上客の名を店に伝えるよう言い含めています」


 華札を他人に貸し借りすることの無いよう、相手の名と家柄、簡単な特徴を帳面に控えているらしい。帳簿をめくっていた羅緋は、ある頁で手を止め、わずかに柳眉を顰める。


「柳燕は三枚とも渡しています。郭……郭子毅(グオ・ズーイー)という者がおりますわ」


 宇晨は筆を借りて、紙に名と特徴を書きつける。

 正四品の文官の息子、二十代の若者……と、ひとまずは遺体と同じ特徴だ。念のため、残りのもう二人の名、『高文新』と『張亮』についても書き留めておいた。

 紙を折り畳んで懐へしまう宇晨に、羅緋がぽつりと言う。


「今さらですが、少し妙に思えますわ。柳燕は、得意客を作りたがりませんでしたの。自分の琵琶を楽しみに訪れる客に優劣は無いと言って……愛想があるほうでは無かったし、口数も少なくて、でも琵琶を持たせれば、それはそれは雄弁で情感に溢れ、心に染み入る音を奏でたものです。本当に、琵琶が好きな娘でした。それなのに――」


 羅緋はいったん言葉を途切れさせて、掠れた声を出す。


「柳燕は、愛用の琵琶の弦を使って首を吊っていました。あんなに琵琶を大切にしていたのに……弦で首が半分切れて……」


 羅緋は袖で口元を押さえる。よほど無惨な状態だったのだろう。

 だが、宇晨は『首が切れて』という言葉が引っかかった。


「……女将、柳燕の部屋を見せてもらえるか? 確認したいことがある」



 ***



 羅緋に案内されたのは、二階の端の部屋だった。

 扉を封じている白い紙を剥がして、中に入る。部屋の手前には食事や楽を楽しむための円卓と椅子が数脚あり、奥には化粧台や天蓋のついた牀榻(しんだい)、衣装をしまう箪笥などがある。

 瀟洒な拵えの室内には調度品も私物も置かれたままで、かつての住人の気配を十分に残していた。


「あの子が死んで間もないですし、まだ喪も明けておりませんから」


 とはいえ、喪が明ければ私物は綺麗に片付けられて、調度品も変えられ、他の妓女の部屋となるのだろう。

 当然ながら遺体は片付けられていたが、床の木板に染みがあった。牀榻の傍に広がるそれは遺体から流れ出た体液か、あるいは血の跡だろう。

 宇晨は薄暗い部屋の中を見回し、羅緋に尋ねる。


「女将、柳燕の琵琶はどこに?」

「そちらの棚に……あら……」


 壁際に置かれた低い棚の上を示した羅緋が首を傾げる。古びた艶のある木製の置き台はあるが、そこに琵琶は無い。


「おかしいわ。部屋を封じる前、確かにそこに置いてありました」

「誰かが持って行ったか、あるいは盗まれたのでは?」

「……柳燕の形見を盗るような者は、この妓楼にはおりません。もし居たら、私が許しませんわ」


 羅緋は眉を顰め、「部屋を掃除した者に聞いて参ります。少しお待ちになって」と早足で部屋を出て行った。

 残された宇晨は、首無し遺体の男との関係が分かるものがないか室内を調べる。

 何か手紙か日記のようなものがあればと探してみたが、目ぼしいものは見つからない。代わりに見つけたのは、擦り切れた楽譜や琵琶の指南書だ。琵琶弾きであった彼女がいかに愛用し、そして努力していたかを物語っている。

 書棚には、他にも書院で子供が使うような学習用の文字の本があった。本の下には誰かが練習したであろう、手習いの紙が束ねられている。見習いや下働きの子供に文字を教えていたのだろうか。面倒見の良い、優しい人だったのだろう。

 そして、牀榻の近くに広がる染みと、牀榻を囲う天蓋の頭側、木の枠についた細い傷。彼女が木枠に弦を結び付けて、座った状態で首を吊る方法を取ったのだと推測できた。

 低い位置での首吊りは、天井の梁や天蓋の上部の横木に紐を掛けるよりも準備はしやすいが、その分、死ぬまでの苦しみに耐えなければならない。しかも幅広の布や太い紐ではなく、細い弦では圧迫される部分が少なく、窒息するまでにかなりの痛みと苦しみを伴ったに違いない。


 ――首に巻いた弦に少しずつ体重をかける。細い弦は彼女の首に次第に食い込んでいき、皮膚を破って血を溢れさせる。息が止まった後もなお、弦は皮膚を、肉を、ぶつりぶつりと断ち切って――。


 想像しただけで、息が詰まるようだった。

 決して引き返すことはせずに、苦しみ抜いた先の死を選んだ柳燕。

 自死を望む気持ちは、かつて宇晨も抱いたことがある。

 父の事件後、宇晨を取り巻く環境は変わった。嘲りと憐みの視線。浴びせられる非難と嘲笑の声。怒りに任せて力を振るったところで、悔しさも悲しみも消えない。

 もっとも、実行に移すことはなかった。

 そこまでの覚悟は無かったし、自分が死ねば黎家を守る者がいなくなってしまう。何より、宇晨には孟開や祖母がいた。彼らが支えて守ってくれたことで、宇晨は立ち直ることができた。


「……」


 宇晨が牀榻の傍らに膝を付き、目を閉じて黙とうしていた時だ。


「――何をしているんだい?」

「っ⁉」


 背後から声がして、宇晨ははっと目を開いた。


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