(23)
やがて、李希文が宇晨の方を向く。
「そなたに辛いことを思い出させてしまったな。私がしたことは、暁宇殿のためにも、そなたのためにもならないことだった」
痛ましげに宇晨を見ながら、李希文は続ける。
「今さらだが、本当に浅はかなことをしたものだ。暁宇殿の幻を見せるなど、ただ皆に恐怖を与え、騒がせるだけであったのに……暁宇殿がそのようなことを望むはずがない。私は暁宇殿の名誉まで傷つけるところであった。私の思い込みで大変なことを……」
項垂れる李希文の背後から、すっと茶杯が差し出された。
いつの間にか戻っていた孤星が、場の空気を察しているのかいないのか、いつもの飄々とした笑みを浮かべて「どうぞ」と勧める。
「そう気に病まない方が良い。これでも飲んで気を落ち着かせて下さい」
李希文は戸惑いつつも、杯を受け取って口を付けた。
「白殿、これは何の茶だ? 妙に、甘い、が……っ!」
言いかけた李希文が、急に口を押さえて噎せる。宇晨は慌てて李希文の手から茶杯を奪い取り、孤星を睨み上げた。
「孤星! 何を飲ませた!?」
「明礬を少し入れた茶だよ。大量に取らなければ身体に害は無い。疑うなら舐めてみるといいさ」
孤星があっさりと返してきて、宇晨は顔を顰めつつ、茶をわずかな量だけ口に含んでみる。強い渋みを感じ、すぐに吐き捨てた。
「お前、やはり何か怪しいものを……」
宇晨が詰め寄ろうとした矢先、咳き込んでいた李希文の口から何かが出てくる。かさりと音を立てて卓の上に落ちたのは、丸まった紙の玉だった。
宇晨も、そして吐き出した李希文自身も目を瞠り、転がった紙の玉を見下ろす。
「これは……」
「紙人さ」
驚いた様子もなく、孤星が紙の玉を拾って広げた。それは人の形に切られた紙片で、宇晨には読めない文字が書かれている。
「正確には『紙人蠱』。紙を人や馬の形に切って使役する妖術だ」
「妖術だと?」
「ああ。邪気を使って紙人を飛ばし、対象の人物の体内に入り込ませ、蠱毒を運んだり、相手を思うままに操ったりする。蠱術の一部だが、明礬を口に含ませることで術にかかっているかを見抜くことができるんだ。術にかかっていれば、本当は渋い味がする明礬が甘く感じる」
確かに、宇晨は渋いと感じたのに、李希文は「甘い」と言っていた。
李希文は顔を強張らせて、孤星が広げた人形の紙を見やる。
「一体誰が……いや、こんなものをいつの間に……」
李希文が狼狽えるのも当然だ。自分に妖術がかけられているなんて思いもしないだろう。
宇晨も困惑しつつ、孤星に尋ねる。
「孤星、李殿は大丈夫なのか? 蠱毒というのは毒なのか?」
「安心したまえ。この紙人は、ただ李殿の行動を操っていただけに過ぎない。蠱毒は正確には毒ではなく呪詛になるが、その気配は無い。紙人もこうして吐き出したことだし、体内に残っている様子も感じられない。もう問題はないよ」
それを聞いて少し安心するものの、まだ問題はある。
「待て、孤星。李殿を操っていたとは、どういう意味だ?」
「言葉通りさ。ねえ、宇晨。おかしいとは思わないかい? いくら君のお父上に恩義があって、義理堅く情に厚いとはいえ、皇帝の御前で幽鬼騒ぎを起こすような真似を李殿がするだろうか? 辺境の地で長年、忍耐強く戦い続けて国を守ってきた歴戦の大将軍がだよ? まさか一時の激情に駆られて、後先考えることなく、人を巻き込んでまで動くと思うかい? 李殿がいかに恨みを抱いていたとしても、まずは感情を押さえ、最善の方法を考えてから動くことだろう」
「……」
孤星の雄弁はもっともで、宇晨は口を閉じて李希文の方を見る。李希文もまた、孤星に言われるうちにだんだんと理解してきたようだ。
「……だが、私が暁宇殿のことで悔しい思いをしていたのは確かだ。暁宇殿が亡くなられてから、この十年、何か私にできることは無いかと考えていた。操られていたとは思えぬ。陛下や皆に、暁宇殿のことを思い出させてやりたいと……」
「幻覚を見せることで?」
「ああ」
「その案は、あなた一人で考えましたか? ひょっとして、幻覚を見せる蝋燭をくれた相手から、何か言われたのではありませんか?」
「っ!」
李希文がはっと目を見開いた。思い当たる節がある様子に、孤星は目を細める。
「おそらく案を最初に出したのは、その相手でしょう。『思い出させるために幻を見せるのはどうか』とでも言ってね。そして蠟燭を渡してきた時に、一緒に紙人もあなたに仕込んだ。あなたの恨みの心を増大し感情的にさせ、本来の思慮深さや忍耐強さを鈍らせるために。術自体はささいなものでも、抑圧してきた心には十分に効くものだ。長年、あなたが抑えてきた負の感情を上手く利用した」
「……」
李希文は表情を曇らせ、宇晨を横目で見た後、意を決したように話し出す。
「その者とは、少しの間だったが話をした。暁宇殿の名を出した時、彼は驚いていたようだった。かつて暁宇殿に助けられ、恩があると言っていたのだ。悪い者には見えなかったが……」
孤星はわずかに目を瞠った後、「ふむ」と頷いた。
「暁宇殿の話をして、味方であると李殿を油断させたかっただけかもしれないが……『蜃の脂』が含まれた蝋燭もこの紙人も、普通の者には用意できないものだ。術を掛けたのは、その『彼』で間違いないでしょう」
「……ああ、何ということだ」
李希文は小さく呻って額を押さえた。




