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(6)


 精華楼は、首都・耀天でも指折りの妓楼である。

 三階建ての大きな楼閣は瀟洒(しょうしゃ)な造りで、建物も調度品も洗練された美しさがある。また、美しく芸達者な妓女が揃い、歌や楽や踊り、そして明晰な彼女達との軽妙なやり取りを楽しめる店として知られていた。

 精華楼に調べに行くと告げたとき、景引や他の捕吏も一緒に行きたがったが却下した。遊びに行くわけではない。宇晨だけで精華楼に向かい、裏口の門番に捜査の旨を告げると、すぐに中に通された。

 宇晨は、何度かここに来たことがあった。

 もっとも、妓楼遊びではなく事件の捜査で聞き込みに来ただけだ。

 その際、偶々出くわした暴れる酔客を取り押さえたり、嫌がらせをする別の店の男衆を捕まえたりしていたら、女将にたいそう感謝され、なぜか気に入られてしまった。

 以来、精華楼は宇晨が担当する捜査に比較的協力的だ。そのために直接自分が来たわけが、今回はどうであろうか。

 妓楼での聞き込みでは、経営に関係することもあってか、上客の情報は言い渋られることも多いのだ。

 日が暮れる中、大抵の宴は盛りを過ぎ、ご機嫌な酔客達が帰る姿がちらほらと見られる。妓楼は昼過ぎに開店し、美味しい料理や酒、美しい妓女の歌や踊りを楽しむ宴が開かれ、日が暮れればお開きとなるのが常だ。

 夜に酒宴を行う場合は、高価な灯りを使用するため料金が通常の倍になる。あちらこちらに下げられた提灯に下女が火を灯しているということは、今日は夜の酒宴が行われるようだ。夜が更ければ、宵闇に浮かぶ赤い提灯が建物を幻想的に照らすことだろう。

 美しいとは思うが、自分がそこに入りたいと思わない。一枚の薄衣で隔たれたような光景に目をやっていれば――。


「……っ」


 ふと、うなじの産毛が逆立つ感覚がした。


 ――誰かに見られている。


 すばやく周囲に目線をやるが、怪しい人影は見つけられなかった。吹き抜けの回廊の二階部分に鮮やかな衣を纏った妓女達が数人おり、一人の客を囲んで何やら談笑しているのが見えただけだ。

 顔見知りの妓女が宇晨に手を振ってきたので、彼女達の視線だったのだろうと結論付けて、軽く目礼をして通り過ぎた。

 その時、鳥の囀りのような妓女の声の中に、男の低い声が混ざる。


「今のは誰だい?」


 甘やかに響く声の主は、きっと宇晨のことを尋ねたのだろう。

 仕方がない。捕吏の装束は、妓楼では良くも悪くも目立つものだ。日常からかけ離れた雅な桃源郷の如き世界に、自分のような捕吏が姿を見せるのは興ざめであろう。自覚してはいるが、これも仕事である。

 特に意に介すことなく、宇晨は下男の案内で女将の書室に入った。


「失礼する」

「ようこそお越しくださいました、黎捕吏」


 胸の下で両手を重ねて、しゃなりと礼をするのは年増の美女だった。金の刺繍が施された深緑色の衣装は白い肌に映え、儚げな風情の伏し目と泣き黒子、ふっくらとした蠱惑的な唇が印象的だ。

 彼女こそ、精華楼の女将である羅緋(ルオ・フェイ)だった。

 羅緋は、書室の中央に置かれた円卓と椅子を示す。


「どうぞ、そちらにお掛け下さい」

「時間を取らせてすまない。話を聞き終えたらすぐに帰るゆえ」

「そんな固いこと仰らずに、偶にはうちで遊んでいかれたらいいじゃありませんか」

「すまないが、持ち合わせがない」


 捕吏の手当は高くないうえ、ほとんどが黎家の邸の維持のために消えている。宇晨がきっぱりと断ると、羅緋は目を細めて可笑しそうに笑った。


「ふふ、黎捕吏は本当に面白い方ですこと。お気になさらないで、あなたには妓楼(うち)で二回遊べるくらいの恩がありますから。ああ、『職務をまっとうしただけで恩ではない』なんて無粋なことは仰らないでね。黎捕吏に助けられた妓女()達の中には、貴方が来るのを待ち焦がれている娘もいるくらいよ」

「……」


 先回りするように言われて、宇晨は開きかけた口を閉じた。羅緋は笑んだまま、椅子に座るよう再度促す。

 席に着いた宇晨はさっそく懐から例の華札を取り出した。


「これは精華楼の華札で間違いないか?」

「……」


 羅緋は無言で布の上の黒い板を取り、じっくりと見る。『精華楼』の文字が彫られた表側をひっくり返した時、わずかに彼女の表情が変わった。


「女将、何か気づいたことでも?」


 静かに尋ねて、しばし彼女の答えを待つ。はぐらかされれば追及する心構えではあるが、ここで焦って突いても何も出てこない。

 羅緋の表情の変化を見逃さぬように待っていれば、やがて赤い唇から小さな息が零れた。


「……精華楼(うち)の物ですわ。一体どこでこれを?」

「まずは誰の物か答えてくれないか」


 宇晨の問いかけに、羅緋は再びの溜息の後に答える。


「琵琶弾きの柳燕(リウ・エン)です」

「その者に話を聞きたい。貴女も同席してもらって構わないが……」

「無理ですわ」


 宇晨の言葉を遮るように羅緋は言った。愁いを帯びた眼差しで、手の中の華札を――柳と燕の絵を見つめた。


「……柳燕は、七日前に亡くなりました。部屋で首を吊って」


 羅緋は訥々と述べる。

 柳燕は、精華楼で琵琶の名手として知られていた。物静かで大人しい彼女は、精華楼では中の上くらいの人気といったところで、幽玄な楽を静かにじっくりと楽しみたい、落ち着いた風流人の客が多かったという。

 その柳燕が、部屋で首を吊って亡くなった。発見したのは下女で、開店前に支度を手伝うため、部屋に入った時に見つけたらしい。

 事件性が無いと判断されたのは、妓楼では特別おかしなことではないからだ。

 身を売る己の境遇を嘆いたり、本気で好いた客の男に振られたり、他の妓女から酷い苛めを受けたり……。

 理由は様々ではあるが、妓女が自死することは珍しくなかった。



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