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  ***



 巨大な宮城を囲む赤壁の塀の中に入るのは、十数年ぶりだ。

 高い塀に囲まれた宮城には十二の門があり、その内の一つ、東にある卯門を通る。捕吏の縹色の制服を着た宇晨は、先を行く孟開の後を緊張した面持ちでついて行った。

 幼い頃は門をくぐるのに、ここまで緊張したことは無かった。ただ、特別な場所に入るという優越感と期待があっただけだ。あの頃は本当に何も知らない子供だったのだと、今頃になって自覚する。

 築地塀に挟まれた道を行く宇晨の傍らでは、孤星が相変わらずのすまし顔で悠然と足を進めている。彼の余裕が羨ましくもあり、頼もしくもあるのが少し腹立たしい。

 宇晨は強張った鳩尾を緩めるように、何度も深呼吸する。孤星はこちらの緊張に気づいているのだろうが、何も言ってこなかった。

 やがて、道の向こうに『麗景殿れいけいでん』と掲げられた門が見えてくる。門の前には警備の兵がいたが、中に入ると人の気配が無い。孟開が淡々と告げる。


「宴の晩から、誰も中には入っておらん」


 捜査のためだと孟開は言うが、皆が中に入りたがらないのは暁宇の幽鬼を恐れているのかもしれない。

 静まり返った前庭を突っ切り、建屋に入って広間に向かうと、そこはまだ宴の気配を残していた。

 数段高くなった部屋の奥に皇帝の席が設けられ、その下に客人達の席が配されている。さすがに料理は片付けられていたが、広間には卓や燭台が整然と並べられたままだ。


「……その幽鬼はどこに?」

「そこの……真ん中辺りだな」


 孟開は左右に並んだ卓に挟まれた、広い空間を示す。当日は、ここで踊り子が西方の舞を披露していたそうだ。

 宇晨は床に屈みこんで、何か痕跡は残っていないか探すが何もない。

 そもそも、幽鬼が何か跡を残すのかも分からない。孤星を見れば、片手は腰の後ろに回し、もう片方の手で扇を弄りながら卓や燭台の周りをゆったりと歩いていた。

 宇晨は床に膝を付いたまま孟開に尋ねる。


「どのような状況だったのですか?」

「宴の折、李将軍が暁宇の名を出してな。暁宇の話を陛下が口にした時、急に風が吹いて灯りが消え、幽鬼が現れたのだ」

「李将軍……もしや李希文リー・シーウェン殿ですか? 西戎との戦で父と共に戦ったと聞いています」

「ああ、その李将軍だ。彼も暁宇と戦った時のことを話し出して……」


 孟開の言葉の途中で、前庭の砂利を踏む複数の足音が聞こえてきた。


 宇晨達がそちらへ目を向けると、従者を引き連れた公子と、老年の男性が姿を現した。広間に入ってきた立派な身なりの公子に、孟開達は急いで拱手の礼を取って深く頭を下げる。

 現れた公子は第四皇子の楊凌(ヤン・リン)であった。皇族の登場に、その場の緊張が高まる。

 楊凌は宮中でも評判の美男であり、堂々たる長身に、秀でた額と黒々とした眉が凛々しい。身に纏う深い藍色の衣は上品で、金糸や銀糸の繊細な刺繍が施されており、彼の白い肌によく映える。文武に秀で、特に剣の腕前は武術を指導する将軍達も称賛している、才能溢れる皇子だ。


「殿下。こちらにお越しとは知りませんでした」


 孟開が頭を下げながら言うと、皇子らしい気品と風格を備えた彼は鷹揚に手を振った。


「孟府尹、顔を上げよ。そなたらに無理に捜査を命じた手前、私も協力できまいかと思い、こちらへ来た次第だ」

「殿下のご配慮に感謝いたします」


 孟開が礼を述べる中、楊凌の視線は彼の隣、宇晨の方へ向けられた。楊凌は目を軽く細めて、宇晨に声を掛ける。


「……久しいな、宇晨」

「殿下、ご無沙汰しております」


 頭を下げたままの宇晨に近づいた楊凌は、彼の腕を掴んで顔を上げさせる。


「殿下……」

「宇晨よ。我らの間でそのような礼は不要だと何度言えばわかる。まったく、昔は平気で私におんぶをねだっていたくせに」


 まだ宇晨が六つか七つの頃の話を持ち出され、宇晨は思わず顔を赤くした。

 宮中に出入りし始めたばかりの宇晨は、怖い物知らずもいいところだった。転んで大泣きしたときに楊凌に負ぶってもらったこともあるし、口喧嘩でむきになって思わず彼に手を出してしまったことだってある。

 今思えば礼儀がなっていないどころか、とんだ不敬を働いてばかりだった。過去を恥じて目を伏せる宇晨に、楊凌は「冗談だ」と笑い、宥めるように肩を叩かれた。


「お前の顔が見られて安心したぞ。ここしばらく忙しいようだったからな。元気そうでよかった」

「ご心配おかけして申し訳ございません。殿下も息災のようで何よりです」

「ああ。さて……こちらが例の仙人殿か」


 楊凌の視線が、宇晨の少し後ろにいた孤星に向けられる。孤星は臆した様子もなく、美しい拱手の礼を取った。


「お初にお目にかかります、殿下。私は、姓を白、名を孤星と申します。泰山(たいざん)に属し、東岳大帝に仕えておりました」


 東岳・泰山は『群山の祖、五岳の中心、天地の心霊の府』とあるように、道士達の中で最も神聖な霊山だ。その地を治めるのは東岳大帝と呼ばれる神で、泰山府君という名でも知られている。

そんな神聖な名を出した孤星に対し、楊凌は「はは、そうか。それはすごい」と軽く流しただけだった。


「そなたは宇晨と共に、奇怪な事件を解決したそうだな。宇晨のお父上の名誉を守るために、此度の事件も解決してくれまいか」

「はい。我が朋友のためにも、精一杯務めて参ります」

「ほお……」


 孤星が涼やかな笑みを浮かべて答えれば、楊凌の眉がわずかに動く。小さな動きだったためその場にいた者は気づかなかったが、それは不快さを表すものだった。だが、楊凌はすぐに余裕の笑みを浮かべると、後ろにいた老年の男性を呼んだ。

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