(3)
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ふっと目が覚めた。
外から何か音がしたような気がしたのだ。
気のせいだと再び寝付くことはできず、宇晨は牀榻から降り、緊張した面持ちで戸口に向かった。
今夜、父は不在だ。いつも通り朝に宮殿に出仕したが、急な任務が入って今夜は戻れないと夕方頃に下男が伝えに来た。
もしも賊の類が侵入しているのなら、黎家の長子であり、唯一の男子である自分が、家族を守らなければならない。
――大丈夫。禁軍将軍の父に日頃から鍛えられているのだ。賊の一人や二人、どうってことない。
宇晨は己を鼓舞し、護身用の剣を手に外へ出た。
音は家の裏手からするようだ。建屋を繋ぐ回廊を、足音を立てないように進む。音がするのは、奥庭にある厩からのようだ。
黎家では二頭の馬を飼っていて、宇晨も時折彼らの世話をしていた。月明かりを頼りに厩に近づく中、ふと、厩の建屋に身を寄せるように、黒い塊があるのが見えた。
輪郭からして、人が蹲っているようだ。それほど大きくないことから、おそらくは子供だろう。
もしかしたら、物乞いの子供が勝手に入ってきたのだろうか。
とはいえ、黎家がある区画は都でも良い立地であり治安は良く、物乞いの姿もほとんど見かけない。それに、家は石塀に囲まれて戸締りもしているから、入り込むのは難しいはずだ。
少し不思議に思いながらも、相手が賊でもなく大人でもないことから、宇晨はわずかに肩の力を抜いた。
蹲る子供に近づくと、子供がはっと顔を上げた。
暗いからはっきりとは分からないが、自分と同じ年頃か、少し下くらいだろう。黒い外套に包まれた小さな身体がびくりと震える。随分と怯えた様子と、鼻を掠める血の臭いに宇晨ははっとした。
「どうしたんだ、怪我しているのか?」
「あ……」
目深に被った外套の下から覗くのはまだ幼い顔立ちで、恐怖に満ちていた。宇晨は「心配するな、何もしない」と言って、ゆっくりと身を屈める。子供は相手――宇晨が同じ子供であることに気づいたのか、表情からわずかに強張りは解けたものの、大きな目には怯えがあり、不安げに瞬く。
宇晨は安心させるように笑みを浮かべた。
「怪我の手当てをしよう、薬を持ってくるから……」
そう言って、子供に触れようとした時だった。
強い力で肩を掴まれて、後ろに引き戻される。咄嗟に持っていた剣を振ろうとしたが、止められた。素早い動きで剣を取り上げられ、声を上げようとした宇晨は目を見張った。
「……父上?」
父が、険しい顔で宇晨の後ろに立っていた。
外套の下には禁軍の鎧を付けたままだ。そして、そこからはより強い血の臭いがした。
「ち、父上……一体どうなされたのですか? 怪我を……?」
「宇晨、部屋に戻れ。お前は何も見なかった、知らなかったと答えるんだ」
冷たく固い声が、宇晨の耳朶を打つ。
今まで見たことも無いような父の表情に足が竦んでいる間に、部屋に戻るよう肩を押された。宇晨の横を通り過ぎた父は、持っていた荷を馬に括りつけた。さらに、蹲ったままの子供を抱き上げて馬の上に乗せる。
父上、どこに行くのですか。その子は誰なのですか。
問いかけることもできないまま宇晨が立ち尽くしている間に、父は手綱を引いて馬を進め、裏門から出て行ってしまう。
馬上の子供がこちらを振り返る。父は振り返らず、門はゆっくりと音もなく閉じられた――。
そして瞬きをした後には、今度は父の牀榻の前に立っていた。天蓋の帳の下がった向こうにいる父に、宇晨は話しかけている。
「父上、どうして、あのようなことをしたのですか。どうして逆賊を庇い、家族を苦境に追いやったのですか」
帳の暗闇の向こうにいる父はやけに小さく見え、「すまなかった」と謝る声だけが響く。
宇晨の憧れる強い父とかけ離れた姿が、悔しくて、悲しかった。
だから宇晨は残酷に問い詰めたのだ。
諸刃の剣のように、互いを傷付けるだけの言葉を、子供の宇晨は口にしたのだ。
「父上は、私よりもあの子供の方が大事だったのですか――」




