第三話 幽鬼(1)
昊国の首都・耀天の中央には、皇帝がおわす宮城がある。
耀天を首都と定めたのは、昊国の初代皇帝である真武帝だ。元は楊豪という名の将軍であり、本人は皇帝になる気は無かったが、乱れた国の平定のためにと腹心らに説得され、皇帝の座に就いた。
真武帝は長く続いていた戦乱の世を憂い、軍人による武断主義から、学識のある文人達の文治主義への転換を目指した。
その真武帝の時代から百年。五代にわたる地道な改革と法と組織の整備により、五代目にあたる楊威が皇帝となってからは大きな戦も起きず、平和な世が続いている。
もっとも、周辺国との戦は二十年ほど前まで続いており、先帝の代で起きた国境での西戎との大戦を制した後、ようやく休戦条約が結ばれたものだ。
その大戦の折に活躍した一人の将軍がいる。彼の名を李希文。若くして西の国境の砦を守り切り、西戎との大戦で武神のごとき活躍を見せた。その後も昊国の西端にある夏州において国境を護っていたが、その任を終えて都に帰還した。
李将軍の長年の国への忠誠と貢献を労うための宴は宮殿で開かれることとなった。皇帝自ら、第四皇子の楊凌に宴を取り仕切るよう命じたくらいだ。
彼の親しい武官や友人の高官達を招いての宴は通常よりは控えめながらも、帝が出席するともあって豪勢なものとなっていた。
そんな宴の末席に、耀天府尹である孟開の姿があった。孟開もまた、李将軍と交友がある一人だったのだ。
府尹になって以来、宮殿に訪れることも久しい。長らく顔を合わせていなかった友人達との語らいを楽しんでいた。
「今宵は西域風の趣向なのだな」
誰かが言うように、広間の中央で艶やかな舞を披露する踊り子の衣装は、西の国境の、さらに砂漠を越えた先にあるという異国の物だ。細い肩はむき出しで、薄い布地の下袴からは肉感的な脚の線が透けて見える。高く結い上げられた長い髪は軽やかになびき、すんなりとした腕につけられた装飾品がしゃらしゃらと音を鳴らす。
食事もまた異国風で、宴の間に炊かれている香も嗅ぎなれない物だった。
孟開達にとっては物珍しく楽しい余興であるが、長く西方にいた李将軍にとっては慣れた物のはずだ。せっかく故郷に帰ってきたのだから、もっと都らしい趣向にすればいいものをと、孟開はお節介ながらも頭の隅で思う。
宴が盛り上がる中、日が暮れてきて辺りは薄暗くなった。すぐに広間のあちこちに置かれた燭台に火が灯されて、幽玄な雰囲気が高まる。空に浮かぶ満月が、白石の敷き詰められた庭を皓々と照らす様は美しい。
食事が済んで酒が振舞われるようになれば、皆の口も軽くなる。
「いやあ、懐かしいですな。李将軍には幾度も助けられました」
かつて国境での戦を共にした武官の一人が、李将軍の席に来て酌をしながら口を開く。
「もう二十年以上前のことですが、いまだに覚えておりますよ。馬上で大剣をふるい、敵の大群を蹴散らす勇猛果敢なお姿を」
「いや、私は大したことはしておりません」
杯を受けながら、李将軍は首を横に振った。
五十歳を過ぎて白髪や皺は目立つものの、厳しい土地で戦の前線にいた彼の体躯は若い武官達に負けず劣らず逞しい。くぼんだ眼窩から覗く目は鋭く、長年厳しい風雪に晒された岩のような風貌は、勇猛な将軍に相応しいものだった。
「私などより、もっと素晴らしい功績を残した者がおります」
「ご謙遜を。西戎との戦を幾度も制し、国境を護ってきた我らが李将軍よりも素晴らしい者など……」
「その戦の折に、私は一度、敗北を覚悟したことがありました。……そう、あれは二十三年前の大戦の時のことです」
李将軍がまだ三十歳と言う若さで、国境の砦の一つを任されて間もない頃のことであった。
その年、国境に潜ませていた斥候により西から大軍が向かってきているとの情報を得た李将軍達は、都へ援軍を頼んでいた。
援軍を頼んだ数日後には、西戎の小部隊が攻めてきた。それから数度小競り合いが続き、天幕からは負傷兵の呻き声が聞こえ、離れた場所には命を落とした者達の死体が並べられた。
状況は悪かった。ただでさえ、その年は飢饉によって軍備が満足に整っていなかったのだ。西戎もそれを見越して攻めてきたのだろう。小規模の戦で少しずつ兵力は削がれていき、食糧や水も減っていく。疲労と憔悴で兵の士気が下がる中、今までよりも多い軍勢が攻めてきた際に、別部隊の指揮をとっていた味方の将軍が討ち取られた。
追い詰められた李将軍達の部隊だったが、援軍の到着まで後二日はかかる。砦に籠城して援軍を待つ彼らだったが、見張りの者が、まだ暗い地平からこちらに向かってくる影を確認した。
西戎の大軍が、とうとうやってきたのだ。




