(22)
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「……っ!」
大蛇に飲み込まれる寸前、宇晨の腰が強く引っ張られた。
腰に縛り付けた細縄を孤星が勢いよく引っ張ったのだ。腹に縄が食い込んで息が止まる。ものすごい速さで、宇晨は今まさに閉じようとする大蛇の口の間をすり抜けた。
高く宙に浮いて落下する宇晨を、離れた場所にいた孤星がすかさず抱き止める。
「よっ、と……大丈夫かい?」
「くそっ……俺は釣りの餌か⁉」
着地した宇晨は咳き込みながら、孤星を睨み上げた。孤星はしれっとした顔で「なるほど、良いたとえだ」と返してくる。本当に腹が立つ奴だ。
「それより、釣り針の方は仕掛けてきたかな」
「……ああ。念を入れて、小刀で留めてきた」
宇晨が憮然としつつも答えると、「素晴らしい」と孤星は満足げに頷いた。
――宇晨が仕掛けてきた物。それは、天灯の袋の中に孤星が持っていた符と木札、宇晨が持っていた油や綿、火折子を入れた物だ。
準備をする際、孤星は言った。
『君、洞窟の中で胎息をしていただろう? 先ほどから気になっていたのだが、身体中に火の気が満ちている』
確かに胎息はしていたが、火の気とやらは自分ではよく分からない。だが、そう言えば、火折子に息を吹きかけた時、やけに大きく炎が上がったことを思い出す。あれはもしかしたら、その気とやらが作用したのかもしれない。
孤星は説明を続ける。
『気を全部移すつもりで、火折子に息を少しずつ吹きかけるんだ。ここで火に転じないように注意しながら、丹田に溜まった熱をすべてね』
まだ理解はできなかったが、腹の底から息を吐き切るようにして、火折子の中の火種に静かに長く息を吹きかけた。緩く蓋を閉めて調整した火折子を袋に入れ、口を縛って小刀の柄に結び付ける。
その袋を持って、宇晨は大蛇が狙いやすいよう一人で広い場所に移動した。腰には持ってきた捕縛用の細縄を縛りつけ、その縄の端は離れた場所にいる孤星が握った。
そうして大蛇が向かってきて、大きく開かれた口を宇晨は避けることなく待った。生臭い口腔の中、宇晨は前に進み大蛇の喉の奥、できるだけ奥の方に袋を結び付けた小刀を刺した。
その後は言わずもがな、大蛇の口が閉じきる寸前に孤星が縄を引っ張って宇晨を救出したわけだ。
宇晨を逃したことに大蛇は気づいたのか、あるいは喉に刺さった小刀に違和感を覚えたのか、戸惑ったように鎌首を動かしている。
大蛇の死角になった場所で孤星は右手の人差し指と中指を立てて剣印を結んだ。
彼の手にぐっと力が籠った瞬間、大蛇の喉元から大きな炎が一気に上がった。炎は勢いよく燃え盛って大蛇の頭を包み、さらに全身へと広がっていく。
「私の木の気は、君の火の気を増大させる」
袋に入れた木札と符には孤星の気が、火折子には宇晨の気が込められていた。木は単体であれば金に弱いが、火を生んで強くすることができる。孤星の木の気によって宇晨の火の気が強められ、小さな火種だったものが大きな炎となって大蛇を包む。
「相克は以前話したね。相克が度を過ぎて過剰になれば、『相乗』と呼ばれる。強過ぎる火は金を打ち負かして、完全に溶解するんだ。これを火乗金という。薬も過ぎれば毒になるのと同じさ」
孤星の言う通り、大蛇は溢れ出す炎を消すことができず、地面をのたうち回っている。孤星の剣印は強く結ばれ、目は鋭く光っていた。天灯の袋に入れた木札や符を操り、炎を調整しているのだろう。
大蛇の頭は轟々と燃え、青白い闇を赤々と照らす。苦しさで暴れまわるその巨体に潰されぬよう、孤星は宇晨を抱えてひときわ高く跳び、岩壁を思いきり蹴ってさらに上へと登った。
あっという間に、宇晨が転がり落ちた洞窟に辿り着く。空洞の底を見下ろせば、大蛇の身体の半分が赤い炎に包まれていた。
黒い煙と肉の焦げる臭いが立ち込めて、細い洞窟を抜けては外へ流れ出て行く。外から見れば岩山に空いた穴から黒い煙が溢れ、さながら黒い大蛇が空へ昇っていく様に見えたことだろう。
孤星が扇を振って周囲に立ち込める煙を煩わしそうに払う中、宇晨は大蛇の最期を見届けた。やがて動かなくなった大蛇の火が消えて、燻る煙も出なくなった頃、外から大勢の人の声が聞こえてくる。
振り返った宇晨の目に、夜明けの淡い光が見えた。




