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  ***



 彼は、岩山に棲む小さな蛇だった。


 彼はごつごつとした冷たい岩の隙間で生まれた。親や兄弟がいたはずだったが、いつの間にか独りになっていた。腹が空いて外に出ると、自分よりも大きな獣や鳥に食べられそうになった。親兄弟はそうやっていなくなったのだと分かった。だから彼は、岩の中にいることにした。

 しばらくすると、腹が減ることは無くなっていた。岩の中にいれば、不思議と腹が膨れた。彼の身体は少しずつ大きくなり、岩よりも固くなった鱗は岩を削り、彼が棲む穴を広くしていった。

 岩の中に居続けた彼は、いつしか動くことが億劫になっていた。身体は凍ってしまったかのように冷たく、ひどく重たく感じた。岩山にできた大きな空洞よりも深く暗く、冷たい闇が己の中にあるような気がした。

 岩の外が暖かいことを蛇は知っていた。重い身体を何とか動かして外に出たら、空に煌々と輝くものがあった。

 途端、彼は全身を震わせ、得も知れぬ恐怖に襲われた。『あれ』に近づいてはならないと分かった。

 なのに、『あれ』を見た日から、『あれ』が欲しくて堪らなくなった。

 欲望に駆られて穴を這い出ては、やはり恐怖に襲われて逃げ戻った。


 駄目だ。 やはり『あれ』は恐ろしい。

 でも触れたい。

『あれ』を、己のものにしたい。


 相反する恐怖と欲を持て余しながら、数え切れないほどの年月が過ぎた頃だった。


 初めて『それ』が落ちてきた時、彼は驚き、そして歓喜した。


『それ』の気配は、彼が切望するものによく似ていた。まるで小さな欠片となって空から降ってきたかのように思えた。

 彼は欲望のまま、『それ』を飲み込んだ。

 冷たかった身体が、一気に温かくなった。腹の底にあった何かの塊を、氷を解かすようにじりじりと溶かしていった。溶けたものが全身に回って心地よく、重かった身体がとても軽くなった。

 こんなに満ちた気分になったのは、生まれて初めてだった。


 ――己の中の強すぎる陰の金の気が、陽の火の気によって調和されたのだ。


 そんな言葉が唐突に浮かんだ。

 彼が食べた『それ』……『宋金麟(ソン・ジンリン)』は多くの事を知っていた。宋金麟は、天門観で修行する人間の道士だった。


 宋金麟の知識により、彼は己が何者であるかを知った。

 彼は今や小さな蛇ではなく、岩山の陰の金の気を貯め込んだ、巨大な妖蛇となっていたのだ。

 彼は身体を作り替え、宋金麟となって外の世界に出た。

 不思議と『あれ』をそこまで恐ろしく感じなかった。『陽の火の気』を取り入れたからであった。


 人間の中には、宋金麟と同じように『陽の火の気』が強い者がいた。

 彼はあの時の満ち足りた感覚を思い出し、また食べたいと強く思うようになった。

 彼は、天門観に多くの人間を集めた。宋金麟は仙人になる修行をするため、岩山へやってきたのだ。ならば、同じような目的を持つ者に声を掛ければいい。人間は、面白いことに次々とやって来た。

 そうしてたくさんの人間を集めた。『あれ』に似た者を選んで、新月の晩に自分の巣へと呼び寄せた。食べる度に満ちた心地になって、また欲しくなった。力はどんどん増していった。人間は減る度に、次々とやってきて増えていった。

 人間をおいしくするために、彼らにもちゃんと、自分のように食事を取らせた。彼らの気が満ちれば、自分の気もまた満ちるのだから。


 その中で、見つけたのだ。

『あれ』に、最もよく似た人間を。

 昼間でも煌々と輝く様は、『あれ』が形を取ったようだった。


 ――あの人間を食べれば、きっと自分は満ち足りる。すべてが揃うのだ。


 幸いなことに、その人間……『小晨』も修行に来たようだ。

 思わず手を伸ばして触れたら、それだけで温かくて心地よかった。堪えきれず彼に何度も近づこうとしたが、妙な気配の人間が側にいて、なかなか近づけなかった。

 次の食事までひと月以上ある。ああ、待ち遠しい。

 だが、急に小晨が天門観を出て行くと言われた。これを逃すことはできない。だから彼は、試練の日を早めた。目論見通り洞窟まで呼び寄せ、己の巣の中へ落とすことができた。

 闇の中でも、小晨は『あれ』と同じように輝いて見えた。今までの人間は自分を見て泣き叫んでいたのに、小晨は怯えもせずに立ち向かってくる。その気質も好ましい。

 早く食べてしまおうとしたが、邪魔をされた。あの、妙な気配の人間だ。人間なのかも怪しい。そいつは自分の腹を吹き飛ばした。そのせいで他の穴を塞いでいた身体が底に落ちて、おまけの人間達にも自分のことを気づかれてしまった。


 だが、別に構わない。

 小晨を食べれば、彼は完全な存在になるのだから。


 なのに、そいつは小晨を連れて、ちょこまかと逃げた。腹が立つ。自分の獲物を奪うそいつは、彼よりも弱い気を持つというのに!

 怒りに身をくねらせ全身を使って追い詰めれば、ようやく観念したようだ。

 大人しくなった小晨を前に、彼は大きく口を開いた。

 大切なものだ。傷を付けることなく飲み込んで、ゆっくりゆっくり胎の底で溶かして、一体となるのだ。

 とうとう『あれ』を――空に輝いていた太陽を、手に入れることができるのだ。

 彼は愉悦に目を細めながら、小晨を飲み込んだ――。



  ***



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