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(4)


 宇晨の父、黎暁宇はかつて禁軍の将軍であった。


 黎家は代々武人を輩出する名家であり、一族に倣い、若くして軍に入った暁宇は、持ち前の才能と努力で位を上げていった。

 異民族の西戎(せいじゅう)との大きな戦では、小隊を引き連れて夜通し荒野を駆け抜け、危機にあった国境の砦への援軍に一番に駆け付けた。夜明けに白剣を掲げて地平から現れた暁宇は、まさに黎明の化身のようであり、砦にいた兵士達の心を大いに震わせて勝利を導いたという。

 そんな数々の武勲もさながら、実直で裏表のない性格の暁宇は帝にたいそう目を掛けられていた。帝の直轄にある禁軍の中でも、帝の傍で直接護衛する近衛四霊軍の将軍に早々に抜擢されたくらいだ。

 そんな暁宇の息子である宇晨は、父に連れられて宮城に出入りすることが度々あった。暁宇の母(宇晨にとっては祖母にあたる)が先帝の縁戚ということもあり、特別に出入りを許された宇晨は、同年代の皇子達の遊び相手になることもあったくらいだ。

 宇晨もまた、いずれは父のように軍に入り、父のような立派な将軍になるのだと、宇晨だけでなく、誰もが思っていた。


 それが一変したのが、宇晨が十三歳の時に起こった事件だ。

 謀反の疑いのある一族を掃討する勅命を受けた暁宇が、一族の子供を救い逃がしたのである。

 一族郎党すべてを抹殺する勅命に背いた暁宇は、将軍の地位を剥奪のうえ、投獄された。

 もっとも、これは処罰としてはかなり甘い方だ。本来ならば暁宇は処刑され、黎一族も九族皆殺で処刑されていたことだろう。良くても男は辺境で厳しい兵役を課せられ、女子供は奴婢(ぬひ)となるのが普通だ。

 そうならなかったのは、ひとえに、暁宇の人柄が良くも悪くも知られていたからだ。

 本人に謀反の意思は無く、ただ子供への憐れみがあり、罪なき者を見過ごすことのできない義侠心によるものだと帝も分かっていた。さらには、暁宇を慕っていた将軍や兵達の多くの嘆願もあって、投獄と拷問だけで済んだのだ。

 一年と半年を過ぎた頃、暁宇は恩赦によって牢獄生活から解放されて家に戻ることになった。しかし、刑罰によって負った怪我の後遺症で衰弱していた暁宇は、それからふた月も経たずに亡くなった。

 暁宇亡き後、黎家は没落した。(やしき)や財産は恩赦で手元に残ったものの、家の主人がいなければ、次第に生活も立ち行かなくなる。そのうえ、禁軍将軍でありながら勅命に背いた話は都中に広まっており、多くの好奇の目にも晒された。

 宇晨の祖母や母は気丈な人で、苦境にも毅然と耐えていたが、宇晨の年の離れた妹である幼い娘の行く末が案じられた。そして、母と妹は都を離れて、景州にある親戚の元へ身を寄せることになったのだ。

 しかし宇晨は、先祖代々の祠堂がある黎家の邸を守るため、都に残ることを決めた。


 そんな宇晨を助けたのが、孟開だった。

 孟開と暁宇は、同じ師の下で学んだ師兄弟の間柄であった。

 二人は実の兄弟のように仲が良く、孟開は耀天府、暁宇は軍に入った後も、家族ぐるみの付き合いは続いていた。宇晨も幼い頃は孟開を「孟伯父」と呼んで懐き、よく遊んでもらったものだ。


 暁宇の事件により、宇晨の士官の道は断たれていた。

 恩赦を与えられたとはいえ、罪人の息子である宇晨は、軍に入ることも、官吏を目指すための科挙を受けることも許されなかったのだ。訳ありの宇晨を、孟開は『捕吏』として耀天府に雇ってくれた。

 捕吏は都の役所にこそ属するが、実質は正式に認められた役人ではなく、その地位は高くない。府尹や推官などの正式に任命された役人の命令で動く下っ端のような存在で、むしろ低い身分の賤しい職業とされている。

 手当は低く、これだけでは家族を養えないと庶民を恐喝したり、賄賂をとる捕吏もいて、まるでゴロツキのようだと周囲からよく思われないこともあった。

 さらに、捕吏の職に就いた者の子孫は、たとえ先代が職を辞していたとしても科挙を受けることができない等、厳しく規定されていた。

 とはいえ、宇晨はそもそも科挙を受けることができない。捕吏になることに躊躇いはまったく無かったとは言わないが、父から教わった武芸を活かせる職だったから、孟開の誘いに二つ返事で了承した。


 もっとも、耀天府に入ってからも宇晨の苦難は続いた。

 宇晨の素性は当然周囲に知られており、孟開と親しい関係であることも隠されることは無かったため、当初はかなりやっかみを買った。「罪人の子」「落ちぶれた黎家」と陰でも表でも言われて、我慢がならなくなった宇晨が乱闘を起こしたことは、一度や二度ではない。

 幼い頃から父に鍛えられていた宇晨はそこらの大人よりも強く、そして子供だったため加減を知らなかった。いまだに当時の宇晨の恐ろしさを覚えていて、顔を見れば避ける者もいるくらいだ。

 宇晨が荒れる度に、一緒に都に残ってくれた祖母の林芳(リン・ファン)や孟開が宇晨を叱り、厳しく諭しながらも守ってくれた。

 やり場のない悔しさや怒りや悲しみを抱えて苦しむ若い宇晨を、二人は辛抱強く支え、導いてくれたのだった。


 昔を思い出す度に、宇晨は何とも苦い気持ちになる。

 それと同時に、目の前にいる孟開には、言葉で言い尽くせないほどの恩義を抱いてやまない。


「……これもすべて、孟伯父の教えの賜物です」


 わざとらしく畏まりながら昔の呼び方をした宇晨に、孟開はぎょろりとした目を見張った。


「なんと生意気な……小晨(シャオチェン)、お前はいつからそんなに可愛くなくなったのだ!」


 孟開もわざとらしく嘆いてみせながら、昔の呼び方をして豪快に笑った。



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