(19)
孤星は片腕で宇晨を支えたまま岩壁を蹴って跳び、大蛇の背後に回り込んで着地する。重さを感じさせない動きで地面へと下りた後、満身創痍の宇晨の姿に気づいたのか、眉を曇らせる。
「ああ、君を危険な目に遭わせたのは悪かった。何しろ、あれの目的は君だったから」
「分かっていて囮にしたわけだな」
「何度も言っただろう、小晨。君に資質があるから、あれほど気に入られて、選ばれたのだと」
「宋道長にか? ならば、彼がこの大蛇を飼っているのか。まさか大蛇の餌にするために人を集めて――」
宇晨の言葉を、チチチ…、と小さな舌打ちが遮る。人差し指を揺らした孤星が、勿体ぶるように頭を振った。
「そうじゃないよ、お馬鹿さん。君は勘がいいくせに時々ずれているな」
そう言って、指を大蛇へと向ける。大蛇は背後にいる宇晨達にまだ気づいていないようで、頭を骨の山に突っ込んで探していた。
「あの大蛇が、宋道長だ。先に言っておくけれど、冗談ではないよ」
宇晨は孤星と大蛇を交互に見た後、何とか言葉を絞り出す。
「……人間が、大蛇になったと言うのか?」
「それも違う。大蛇が人間に化けていただけだ」
孤星は当然のように答えて、少し離れた場所に転がっている物を示した。
それは飴色になった頭骨で所々欠けており、先ほど宇晨が見た物よりもずいぶんと古そうだ。頭骨の傍らには、汚れてぼろぼろになった道帽のようなものもある。
「あれがおそらく、本物の宋道長だ。修行場として上にある洞窟から入ってきた彼は、ここで大蛇に食われた。数百年、数千年生きた蛇は、巨大な肉体と下級の神仙に匹敵する神通力を持つようになる。その神通力と、力のある道士を食べたことで強い力を得て、人に変化できるようになったのだろう」
「それが宋道長……の偽物なのか」
「そう、彼は道長に成りすまして、天門観の道士達に洞窟での修行を勧めた。後はここで待っていれば、餌が勝手にやってくる。行方知れずになっても、元々が仙人になることを願っていた者ばかりだ。仙境に行ったと言えば、疑うどころか羨ましがられる」
そうして登仙できると噂を広め、一定の期間に少しずつ餌……もとい道士達を食べて行ったのだろう。頭骨の数からして、数十人以上は犠牲になっている。
孤星は感心したように頷き、小声で話を続ける。
「なかなか上手い方法だ。大蛇の多くは、南の温暖な地域の山や川、湖の中に隠れて棲んでいることが多い。いかに強大な力を持っていても、大勢の人間によって討伐されてはかなわないからね。彼らはそうした討伐を避けるために正体を隠して、神のふりをして生贄を取ることもある。
ある大蛇は、雲や霧に覆われた断崖絶壁の谷に棲んでいて、谷底を通る人を食べていた。道を歩いていた人が飛びあがって靄の中に消えて姿をくらましてしまう様子が、まるで仙人になって飛昇しているかのようで、『仙人の谷』と呼ばれるようになった。そして、仙人を目指す者が次々この谷に訪れては、仙人になったかのように飛び去り……もとい、大蛇に食べられていた。その後、知恵のある人によって妖魔の仕業だと分かり、大蛇は退治され、その棲み処には今まで食べた人や獣の骨が山積みになっていたそうだよ。
それに、もっと巧妙な手口で人間を餌にしていた大蛇もいた。かつて南の地方に、仙人になれるという洞窟があった。山の中の断崖絶壁の上に洞窟があり、神仙の棲み処だと言い伝えられ、毎年一回、中元の日に崖の下に集まった者のうち一人だけがそこへ昇って行くことができる。仙人を目指す者達は、崖の下に祭壇を作って修行に励んでいた。
そして中元の日、洞窟からは五色の雲が降りてきて、祭壇に立った者がこの雲を踏むと、徐々に上がって洞窟へと吸い込まれていく。ある年、選ばれた道士が、選別として硫黄を貰った。硫黄は仙薬の主な原料の一つだからね。道士は喜んで硫黄の袋を腰に付けて、雲に乗って洞窟へと吸い込まれていった。その十日後、山の上から何やら腐った臭いが漂ってくる。一人の猟師が崖をよじ登ってその洞窟に行くと、そこには道士ごと猛毒の硫黄を食べてしまった大蛇の死体と、人の骨が山のように積み上がっていたとさ」
「……」
まさにこの状況ではないか。
高く積まれた人骨の山を崩す大蛇の後ろ姿を、宇晨は苦い気持ちで見やる。
昔も今も人間は仙人になりたいと渇望し、大蛇はそれを利用して餌としていた。
「それにしても、都の近くにこれほどの大蛇が潜んでいたとは、さすがの私も驚きだ。岩山からずっと妙な気配はしていたが、なるほど、これが理由だったか」
孤星が大きな空洞を見渡す。
「ここが彼の棲み処だろう。君が落ちてきたあの小さな洞窟は、外に出る際に大蛇の通り道に使われていたのかな」
確かに、先ほどまでいた細い洞窟と蛇の胴体の大きさはほぼ同じだ。
見上げると、空洞の壁に沿って這わされていた蛇の胴体が外れていて、上に見えていた黒い穴の数が増えていた。穴の中からは人が顔を出しているのが見える。
「な、何なんだ、ここは……。仙境など無いではないか!」
「おい、あれは何だ? あの黒い巨大な物……」
「見て、蛇よ! 何て巨大な……」
「うわあああ! 化け物!」
戸惑いと恐怖の混じった声が上から響いてきた。今回の試練に選ばれた道士達のものだ。
試練の洞窟は空洞に通じ、その穴を大蛇は己の身体で塞いでいた。身体をずらすことで、洞窟は空洞に繋がる。そうして、狙った者だけを空洞へおびき出して食らっていたのだろう。
そう、洞窟の奥にあった壁は岩ではなく、穴を塞いた大蛇の身体。
水気を帯びた、冷たく滑らかな手触りを思い出し、宇晨は今さらだがぞっとした。




