(18)
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宙に浮いた体を丸めて、なんとか受け身を取る。どんっ、と身体に強い衝撃が走った後は、急な斜面を勢いよく転がり落ちた。岩肌に身体を打ち付ける度に痛みが走り、突起にぶつかって跳ね上がる衝撃で頭が揺れては一瞬意識が飛ぶ。底に辿り着いた後も目の前がまだ回っていて、起き上がることができない。
「う……」
宇晨は仰向けのまま呻き、身体の具合を確かめた。手の先も足の先も、ちゃんと感覚がある。打ち身であちこちが痛み、擦り傷や切り傷からは血が滲んでいたが、幸いにも骨は折れていないようだ。眩暈も治まってきた頃、そろそろと身体を起こした。問題なく動けそうだ。
見あげれば、はるか上の方に自分がいた洞窟の穴が見える。あの高さから落ちて、よくもまあ無事だったものだと思いつつ、岩壁に近づく。ぼうっと淡い光を放つ岩壁に恐る恐る触れると、柔らかい感触があり、擦り付けた指先には植物……苔のようなものが付いていた。
よく見れば、岩壁を転がってきた自分の衣服にも苔がついていて、その部分だけ淡く光っている。このおかげで、衝撃が少しは和らいだのかもしれない。青白い光の正体は、岩壁に生える苔のようだ。ならば、ここは仙境でも何でもない。ただの広い洞窟だ。
宇晨がほっと息を吐いた時、周囲の白い靄が揺れた。かすかだった異臭が強くなる。宇晨が鼻と口元を押さえて顔を上げれば、光を背にした大きな黒い影がこちらに迫っていた。
咄嗟に横に跳ぶと、今までいた場所に黒い影が勢いよく当たる。宇晨は転がりつつ受け身を取って身を起こす。懐に入れていた火折子を取り出し、蓋を開けて息を吹きかけた。中で燻っていた火種が音を立てて燃え上がり、思っていたよりも勢いのある大きな火が起こる。
「っ!」
揺らめく赤い火の向こうで浮かび上がったものに、宇晨は息を呑んだ。
橙色の火の光を反射するのは、ずらりと並んだ黒い鱗。人の手のひらよりも大きな鱗が、光を受けててらてらと輝いた。
鱗が包むのは巨大な胴で、その胴の太さは宇晨の背よりも大きい。体長は優に三十……いや四十丈(百二十メートル)は超えているだろう。空洞の岩壁を覆うように這わされていた。
鎌首をもたげて見下ろしてくるのは、巨大な蛇だった。
赤く細い舌を覗かせる大蛇の口からは、白い靄が吐き出される。靄の正体は蛇の息だったのだ。靄は漂い、宇晨の身体に纏わりついてはひやりとした感触を伝えてきた。
大蛇のあまりの大きさに、驚きと恐怖で足が竦み、動くことができない。
しかし同時に、大蛇も宇晨になかなか近づいてこなかった。先ほどは襲って来たのに、なぜだろう。ふと、宇晨は自分が握る火折子に気づく。
動物はたいてい火が苦手だ。同じように大蛇も火が苦手なのかもしれない。火折子を盾にするように前に出せば、大蛇はわずかに身を引いた。やはり火が苦手なのだ。
だが、火攻めしようにも、手元にあるのは火種と少量の油と蝋燭くらいだ。どうするかと考えながら、宇晨は蛇から距離を取るために壁沿いに横に動く。
すり足で動かした踵に、何かが当たった。石かと思ったが、石よりも軽いそれはころりと不規則な動きで転がる。
灯りに照らされたのは、白く丸い球体――人の頭骨だった。
その時、唐突に宇晨は理解した。
天門観で行方が知れなくなった者達は、仙境に行ったわけでも、人攫いにあったわけでもない。
この大蛇に食われたのだ。
仙人になるために修行してきた者達は不老不死どころか、大蛇の餌となったのだ――。
動揺して手が震えたせいか、火折子の火が揺れて細くなる。その隙を突くように、大蛇が襲いかかってきた。
「くっ……」
なんとか避けたが、避けた先にあったのは人の骨の山だ。太い骨に足を取られて転倒し、持っていた火折子の火が消える。散らばる骨が邪魔をして身動きの取れない宇晨に、大蛇が好機とばかりに迫ってきた。
「っ……白孤星‼」
宇晨は叫んだ。
助けを呼べと言ったのはあの男だ。
仙人だと言うのなら、人の手に負えぬ妖魔を退治すると言うのなら。
「さっさと来い、孤星!」
やけくそ気味に怒鳴りながら、宇晨は手元にある骨を大蛇に投げつける。この際、死者への礼儀は後回しだ。生きて戻らねば彼らの弔いもできない。
もっとも、人を丸呑みできる大きさの蛇がそれしきの攻撃で怯むはずもない。開かれた口が今まさに宇晨を飲み込もうとした時、大蛇の巨体がどんと大きく揺れた。
岩壁に這っていた大蛇の胴体がずれて、小さな穴が見える。穴から白い道士服を着た男が扇を片手に飛び出してきて、軽やかに底へと降り立った。そして大蛇には目もくれず、宇晨に向かってくる。
「小晨、呼ぶのが遅いぞ。待ちくたびれてしまったではないか」
常と変わらぬ孤星の態度に、宇晨は呆れて脱力する。同時に怒りが沸いて、恐怖が吹き飛んだ。
「お前が来るのが遅いんだろうが!」
「おや、せっかく助けに来てやったというのに何という言い草だ」
「助けだと? 人の仕業であれば俺が対処する。だが、妖魔退治は自分の役割だと言ったのはお前だ。手を抜くな!」
「ほお、堅物の君がなかなか言うように……」
言いかけた孤星が、地面を蹴って瞬く間に宇晨の目の前まで来たかと思えば、攫うように胴体を抱えて引き上げた。気づいた時には大蛇の尾がしなって骨の山を叩き砕き、宇晨は孤星に抱えられた状態で宙を飛んでいた。




