(16)
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天門観の裏手。大きな岩山の中腹よりも上の方に、試練を行うための洞窟があった。
剥き出しになった西側の岩肌の急斜面に、人一人入れるくらいの大きさの横穴が十個、不規則に並んでいる。自然にできたものらしく、八年ほど前にこの横穴を見つけた宋道長が、いい修行場になるのではと頂上から縄を下ろして中に入り、修行を始めたのが最初だ。
その後、横穴に入りやすくするため岩壁に杭を打ち込んで鎖を張り、岩肌を削って何とか一人進むことができる足場が作られた。
日没間近、その鎖と小さな足場を頼りに、道士達がそれぞれ横穴へと入っていく。彼らの後ろを、宇晨と孤星もついていった。
岩山に登る途中で横穴を仰ぎ見たが、皆大体同じ大きさのようだ。点在する黒い穴を、星座を描くように鎖と足場で結んである。
最初の鎖がある所には見守り役の道士がおり、穴から出て鎖を辿って引き返せば、必ず彼に会うことになる。なるほど、これなら確かに洞窟に人の出入りがあったか分かる。斜面に空いた穴の下は断崖絶壁で、鎖と足場を辿らなければ下へ真っ逆さまだ。そして落ちれば、遺体となって見つかることだろう。
試練の洞窟は、誰がどの穴に入るかまでは決まっていなかった。並んだ順で、一番手前にある横穴から入っていく。
人攫いが目的なら、目当ての人物を決まった場所の洞窟に入らせ、抜け道などを使って攫うのではと考えていたが、この方法では無理そうだ。
黄昏で相手の顔もはっきり見えず、誰がどの穴に入ったかも確認できない。ならば無作為に選んでいるのか。
しかし宇晨の脳裏に過ぎったのは、先日景引と会った時に言われたことだ。
『なあ、宇晨。お前も確か、二十五歳で丙の年の生まれだったよな。失踪者と共通点があるって、何かやばくないか? まさかお前まで、仙人様になって失踪したりしないよな?』
冗談交じりに言いながらも、景引の目には不安の色があった。
さらには、孤星が言った言葉も引っ掛かる。
『君に本当に資質があるからだよ。宋道長に選ばれる資質がね』
……まさか本当に、自分が狙われているというのか。急遽行われることになった試練を受けることになったのはそのせいか。
孤星の意味ありげな笑みを今さら思い出し、宇晨は顔を顰める。
……どちらにしろ、自分が行うことは変わらない。試練の洞窟を調べ、謎を突き止めることだ。
考えていると、前を行く道士達は皆いなくなっていた。最後尾だった宇晨と孤星は、一番奥とその手前の穴に入ることになる。
「隣同士であれば、すぐに駆けつけられる。何かあったら助けを呼びなさい」
そう言って、孤星は手前の穴に入っていった。宇晨は鎖を伝って滑りそうな小さな足場を慎重に進み、一番奥の穴にようやく辿り着く。振り返った西の空は薄暮も終わりに近づき、辺りは闇に沈もうとしている。
その闇よりも暗く見える穴に、宇晨は意を決して踏み込んだ。
宇晨は懐に忍ばせておいた火折子(竹筒に可燃物や燐、硫黄などを入れて燃やし、穴の開いた蓋をして空気調整して保管した燃えさし)を取り出し、火種に息を吹きかけて火を起こす。そうして小さな蝋燭に火を点けて辺りを照らした。外が真っ暗になる前に洞窟内を詳しく調べるためだ。
洞窟はほぼ真円の形をしており、高さは宇晨の身長よりやや低い。表面は滑らかで人工的に削ったような跡はなく、自然にできた物なのだと分かった。
少し傾斜があり、頭を打たないように気を付けながら二十歩ほど進んだところで奥に突き当たる。自分の歩幅が二尺強なので、奥行きはおよそ四丈(十二メートル)と少しといったところか。
蝋燭の灯りを頼りに岩壁をくまなく調べたが、抜け道も仕掛けも見つけられなかった。突き当りの壁は他の岩肌よりも滑らかな手触りで、湿っているせいか冷たい。地下水が滲んでいるのだろうか。
入口の方を振り返ると、外はすっかり暗くなっていた。万が一蝋燭の灯りが外に漏れれば、見張りの道士に不審に思われる。一番遠い場所だから大丈夫だろうが、念のため蝋燭を吹き消した。
途端、視界が闇に覆われる。
火折子と蝋燭を懐にしまった宇晨は手探りで洞窟の壁を探り、入口ぎりぎりまで近づいて外を見る。今日は朔の日。当然ながら空に月はなく、遥か彼方に瞬く星は地上まで光を届けてはくれない。
せめて洞窟が東側にあれば、眼下には闇でも煌々と明るい都の姿が広がっていただろう。しかし西側を向いた洞窟から見えるのは、都城の外にある里や望楼の小さな灯りだけだ。
周りの気配を探るが、隣の洞窟までは距離があり、人の気配を感じ取ることは難しい。岩山には草木も無く動物もいないため、静かすぎるほどだ。洞窟の半分まで入ってしまえば、完全に音も気配も遮断される。




