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岩山の洞窟にどう入るかを模索する中、宇晨の元へ耀天府から報告が届いた。
前もって景引に伝えておいた連絡方法で、参拝する信者に扮した耀天府の者が、天門観の回廊に掛けられた灯篭の一つに文を入れておくのだ。回廊を掃除する際に、宇晨がその文を回収する流れである。
もちろん、他の者に見つかっても大丈夫なように、文は耀天府で使われている簡単な暗号で書かれている。一見すると、字が下手な者が練習書きをしたような文面だ。数字と線が並ぶそれを、宇晨は人目に付かぬように回収する。
灯籠の周りを乾いた布で拭きつつ、折り畳まれた文を袂に入れた直後、背後から声を掛けられた。
「小晨」
驚いて振り返ると、そこにいたのは宋道長だった。
宇晨は内心で舌打ちをする。一日に数回はこうだ。朝の掃除や畑の手入れ、孤星との修行中、食事の時、気づいたら宋道長は宇晨の近くにいることが多く、彼の視線を度々感じる。最初こそ、怪しまれているのかと警戒していたが、その割には宇晨を疑う素振りが無いのが奇妙だった。
耀天府の捕吏を長年務めてきた宇晨は、捜査の際に相手の表情や視線、動作をよく見るようにしている。目は口程に物を言うものだ。たとえ実際に事件とは関わりなくとも、後ろめたい事や隠したい事がある者は、多少なりとも変化が現れる。目線、唇や頬の強張り、唾を飲む動作、手の不自然な動き、こちらとの距離の取り方……。警戒する者にはそれなりの特徴が出てくる。
それなのに、宋道長はいつもにこやかで「食事は口に合いますか?」「なにか困ったことは?」と親しげに近づいてくる。親切にしてこちらの油断を招くためかは分からないが、その近い距離に宇晨はなかなか慣れなかった。
今もまた、穏やかな表情でこちらを見つめてくる彼に、文のことがばれていなかと冷や冷やしながらも宇晨は拱手して挨拶する。
「宋道長」
「ああ、そんなに畏まらずに。小晨、こちらでの生活は慣れましたか?」
「はい、まあ……」
孤星が側にいない時は特にぼろが出ないよう、宇晨は言葉少なに答えるようにしていた。これは他の道士達に対してもだ。孤星の弟弟子である『小晨』は、大人しく内気で、あまり愛想が無いと皆から思われていた。
宋道長は気にせずに構うものだから、一部の道士達からはすでに少し不満が出ている。つい今朝方も「丁恩の時みたいだな」とこそこそ話す者がいた。もっとも、まだ天門観に入ったばかりで不慣れな宇晨を気に掛けているのだと言われてしまえばそれで終わりだ。
潜入捜査をしている以上、目立ちたくはない。だが、宋道長の動向も気になるため、相手から近づいてくるのは好都合ではある。
それでも、宇晨はなるべく宋道長に近づきたくなかった。何というか、彼が側にいたり触れられたりすると、妙に背筋が粟立つのだ。元々人との接触が不慣れなこともあるが、宋道長の手はやけにひんやりとして、触れた箇所から熱が奪われていくような感覚がした。
宇晨は拱手したまま、少し後ずさりする。
「まだ掃除の途中なので、これで失礼を……っ」
手首をふいに掴まれて、宇晨は小さく息を呑んだ。文を隠した方の手だ。気づかれたのかと内心で焦りながらも、困り笑顔を作ってみせる。
「な……何か?」
宋道長は黒い目を瞬かせて、首を横に振った。
「……いいえ、突然すみませんでした」
宋道長はそう言って手を離す。白く滑らかな頰をわずかに強張らせながら、さっと身を翻して去っていった。
宇晨はその背を見送り、はぁっと息を吐き出す。焦りのせいか、彼に握られた手首が妙に冷たく感じた。
***
掃除を終えた後、宇晨は宿坊の部屋に戻って届いた文を確認した。内容は、景引に頼んでおいた調査の結果のようだ。
天門観での失踪者の共通点だ。耀天府にあった資料や家族への聞き込みから、失踪者に関する情報を調べてまとめたのだろう。短い期間なので全員分ではないが、それでも興味深い結果が出ていた。
一つは、失踪したのは全員男だということ。道士は女性もなることができ、もちろん天門観にも女道士がいて、洞窟の試練に選ばれる者もいた。しかし、今まで昇仙したのはすべて男性のようだ。
そしてもう一つ。年齢はばらばらだったが、その多くが丙の年の生まれだったということ。前回行方が知れなくなった丁恩は三十五歳で、丙申の年の生まれだった。
その結果を聞いた孤星は、ぱちりと白扇を鳴らして開いた。
「……洞窟に入る、良い方法を思いついたよ」




