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(3)


 中原を支配する大国・(こう)国には、東西南北に四京と称される四つの大きな都市がある。

 その一つ、東にある『耀天(ようてん)』は大運河沿いにあり交通の要衝として発達し、前王朝時代の将軍によって開発されて大都市となった。その後、二つの王朝と七つの小国を統治して、大国・昊を成して即位した新帝がここを首都と定めたのは、今から百年以上前のことである。

 以来、耀天には多くの人々が集まり、数々の文化や芸術が栄えて、名の如く天のように輝ける都となった。

 その都の治安を守るために存在するのが、『耀天府』である。耀天府は都で起こる事件を捜査する行政機関だ。

 黎宇晨は十五の歳に耀天府に入り、見習いの期間を終えた後、捕吏(ほり)――事件を捜査し、罪人を捕まえる役人として働いていた。

 元々武芸も学問も嗜んでいた宇晨は逮捕術や捜査術をすぐに身に付け、数年で頭角を現した。そうして、二十五歳という若さながら、事件の捜査に当たる班長を任されていた。




「――これはこれは黎捕吏。ずいぶんと遅いお越しで」


 耀天府に到着し、報告するために上官の部屋を訪れた宇晨を、皮肉な声が出迎えた。上官の一人で、法を司り、耀天府の長官を補佐する推官の徐明哲シュ・ミンツァだ。


「徐推官。遅くなり申し訳ございません」


 両手を前に出して重ね、拱手の礼を取る宇晨に、徐推官はふんと鼻を鳴らした。

 宇晨よりも一回りは年上の彼は、二年前に耀天府に配属されてからというもの、何かと宇晨への当たりがきつい。


「下手人を捕縛しておきながら他の者に任せて、己は民草と仲良く後片付けとは、気楽なものだな。たかが一介の捕吏とはいえ、本来の役目を放り出すのはさすがに無責任というものではないか?」

「……国に仕える身として、国を支える民の不遇は見過ごせません。下手人の護送も、被害に遭った民への助力も、どちらも変わらず大事なお役目かと存じます」


 徐推官の皮肉に、宇晨は拱手の形を取ったまま淡々と答えた。

 そもそも下手人を見つけて追っていたのは他の班だ。たとえ宇晨が捕縛したとしても、それまでの彼らの手柄を横取りしない意味もあって、護送をその班の者に任せたのだ。だが、彼らはどうやら宇晨が捕縛したことを律義に伝えたようである。

 困ったことになった、と内心で考えながらも淡々と答える宇晨の態度は、徐推官の癇に障ったらしい。細い目の縁をぴくりと震わせた後、眉尻を上げ、口元に嘲るような笑みを浮かべた。


「……黎捕吏。貴様は本当に上官に対して生意気な物言いしかせぬな。卑しい身分のただの使い走りのくせに、ずいぶんと偉そうなことだ。さすがは黎将軍の息子と言うべきか?」

「……」


 宇晨は拱手した指先をわずかに震わせた。

 無言の宇晨に、徐推官は大げさに首と手を振ってみせる。


「ああ、元・将軍であったな。これは失敬。いやはや、父親のくだらぬ偽善のせいで黎家もとことん落ちぶれたものだ。黎暁宇(リー・シャオユー)が勅命に逆らわずにいれば、黎捕吏も今頃は王宮で大いに活躍していたことだろう。そう考えると、貴様もずいぶんと哀れな……」

「話は済んだか、徐推官」


 徐推官の声を遮ったのは、部屋の戸口に立った壮年の男性だった。赤い袍を纏った髭面の偉丈夫は、この耀天府の長官――府尹(ふいん)である孟開(モン・カイ)だ。


「も、孟府尹……!」


 徐推官は慌てて拱手し、宇晨も一歩下がって頭を下げた。孟開は後ろで手を組んだまま、閻魔のようだと称される厳めしい顔で二人を見やる。

 配下を侮蔑する場面を見られた徐推官の顔色はさすがに悪い。もっとも、理由はそれだけではないだろうが。

 孟開は、ぎょろりとした大きな目を徐推官へ向けた。


「例の事件について、黎捕吏の報告を聞きたい。そちらの報告が済んでいれば、彼を私の書室へ」

「は、はい、こちらはもう済んでおりますので……黎捕吏、捕縛の件は後で報告書を出しなさい」

「承知しました」


 宇晨は徐推官へ再度礼をした後、戸口にいる孟開の元へ向かう。孟開は無言で背を向けたが、思い出したように顔だけ振り向かせた。

 胸を撫で下ろしかけていた徐推官を、孟開の鋭い視線が突き刺す。


「死者への冒涜は恥ずべき行為だ。ましてや、我が師弟への侮辱は聞くに耐えん」

「っ……」


 今度こそ血の気を引かせた徐推官が平伏する姿を見ることなく、孟開は回廊を歩き出した。

 大柄なうえ、せっかちである孟開の歩みは早い。彼の斜め後ろを早足でついて行きながら、宇晨は小さく謝る。


「……孟府尹、申し訳ございません」

「何のことだ」

「父を庇って頂いたこと、感謝しております。ですが、あまり庇い立てをすれば貴殿のお立場が悪くなるかと……」


 宇晨が言い終わる前に辿り着いた書室の前で、孟開はわざとらしく溜息を吐く。


「ふん。まさかお前から、そのような小言を聞くことになるとはな。なるほど、たしかに生意気になったものだ」


 はっ、とつまらなそうに笑って扉を押し開き、孟開は書室に入る。続いて室内に入った宇晨の頭に、軽い衝撃が走った。

 孟開に頭を小突かれたのだ。


「まったく! お前の他人行儀な態度はむしょうに腹が立つな」

「孟府尹……」

「ああ、ああ、その呼び方もやめよ。孟伯父でいいと言っているだろう」

「ここは役所です。公私の区別はつけるべきかと」

「本当に堅物もいいところだな。……暁宇にそっくりだ」


 孟開はやれやれと首を振って、奥にある長椅子に乱暴に腰かける。机に置いていた茶器から二つの椀へ茶を注ぐと、長椅子の空いた隣側を示した。


「報告の前に少しは休め。府尹様の命令だぞ」


 不遜に言い放つ孟開に、宇晨は観念して隣に座った。


「宇晨、顔色が悪くないか? ちゃんと食事は取っているのか? お前は相変わらず細いな。ほら、これも食え。好物だろう」


 孟開は質問と共に、皿に盛られた干し棗や小ぶりの包子を差し出してくる。その様子はまさに親戚の伯父さんだ。

 朝から働きづめだった宇晨が素直に礼を言って干し棗を食べ、茶を飲んでいると、机に肘をついた孟開がしみじみと言う。


「それにしても……成長したものだな、宇晨。昔のお前であれば、今頃、徐推官は目も当てられぬ顔になっていただろうな」

「……」


 手に持った椀の水面に映る自分は、徐推官からの侮辱を受けても平静を保っていられる。内心は少なからず荒れているが、波立つ心の水面を鎮められるようになった。

 孟開の言葉の通り、昔の直情的で短気な自分であれば、今頃は徐推官の顔を原形が分からなくなるほど殴っていたに違いない。



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