(9)
景引と別れて天門観に戻ると、孤星が話を付けたらしく、彼と同室で寝泊りすることがすでに決まっていた。
室内に運び込まれた籐製の長椅子の上には、折り畳まれた厚い掛布数枚と枕が乗っている。宇晨が肩に掛けていた荷物をそれらの上に置くと、牀榻に腰掛けていた孤星が言う。
「そんな狭い椅子じゃなくて、牀榻を使えばいいのに。ほら、ここのは広いから二人で並んで寝られるよ」
「お前が椅子で寝るのなら使う」
「アイヨー、その椅子では私の足がはみ出てしまう」
「……」
いちいち腹の立つ奴だ。せいぜい自分と二寸程度(六センチ)しか違わないだろうに。宇晨が睨んでも、孤星はどこ吹く風で告げる。
「宋道長は、新しい仲間ができたことがよほど嬉しいらしい。今夜はささやかながら宴を開くそうだ」
孤星の言葉通り、その夜の天門観の夕餉は宇晨を歓待する宴となった。
もっとも、皆修行中の身であるため、卓に並ぶのは肉や魚や香辛料を使わない素菜だ。大根や菜っ葉を細かく刻んでとろけるほど煮込んだ羹や、大豆を使った肉に似た風味の揚げ物。野菜やきのこの細切りを湯葉で巻いて香ばしく焼いた物や、甘く煮た豆の汁などが並び、席に着いた道士達は嬉しそうに箸を取る。
道士の修行といえば、穀物を断ったり特殊な薬を飲んだりする厳しいものだと思っていたが、ここでは皆良く食べており、いかにも健康そうだ。
不思議に思う宇晨の内心を読み取ったかのように、上座に着いた宋道長が、修行にこそ『食』が大事だという。
「身体には気が巡っています。その気を増幅し安定させるために、食事から気を取り込むのです」
この世界には五つの気がある。『木』『火』『土』『金』『水』の五つの元素、五行のことだ。
五行は互いに生み出し合い、互いに打ち消し合う性質がある。宋道長がこの天門観で行っているのは、食事を通して五行を取り込み、修行で調和させることだった。
火を通した物を食べれば火の気が宿る。冷たい水を飲めば水の気が入る。木に成る実を食べれば木の気が、土から生える野菜やきのこには土の気が、金物の器を使えば金の気が……という具合に、五つの気を体内に取り込んで増幅させ、修行によって調和させるという。
「陰陽五行が互いに融合することで太極が成り立ち、万物の命が生まれます。同じように、私達の身体の中に、永遠の命の元となる太極を作り上げ……」
話の内容が難しくなってくると、宇晨はただ頷くだけに留めた。ぼろが出るといけない。
食事に集中するふりをしつつも、宇晨は極力、己の皿に取る量を少なくした。孤星も道士達も平気で食べているから毒は入っていないだろうが、何かしら薬物が含まれているかもしれない。
荷物には携帯できる平焼きの焼餅(薄いパンのようなもの)を多めに入れてあるから空腹時はそれを食べればいいし、宇晨自身、食事にあまりこだわりはない。
日が暮れて辺りがすっかり暗くなった頃、宴はようやくお開きとなった。部屋に戻ろうとする宇晨を呼び止めたのは宋道長だ。何かおかしな振る舞いをしたかと内心で焦る宇晨をよそに、宋道長は心配げな表情を見せる。
「小晨殿、あまり食が進んでいないように見受けられましたが、お身体の具合でも?」
「あ、いえ……」
まさか毒を警戒して食事の量を減らしたとは言えない宇晨に代わり、傍らの孤星が答える。
「師弟は小食なのですよ。宋道長もご存じでしょうが、神仙になるための修行について書かれた『抱朴子』では、飲食の量を減らし、火を通したものは避け、精神を清浄にしなければならないとあります。白月観もその倣いで、五穀を避け、薬草を主とした食事になっているため、こちらの食事が慣れなかったのでしょう」
「白道士、それは……」
「ああ、申し訳ない、言い方が悪かった。天門観の修行法を非難する気はまったくないのです。門派によって修行法が異なるのは当たり前。むしろ私は天門観の修行法の方が天の理に適っていると考えたゆえ、こちらでの修行を望んで来たのですから」
にこやかに言う孤星に、宋道長は強張りかけた表情を緩めた。
「歴史ある高名な白月観の方にそこまで言って頂けるとは、恐縮の至りです」
「ご謙遜なさらずに。天門観では幾人も登仙しているのですし、修行法が正しい何よりの証拠ではありませんか」
誉めそやしつつ、孤星は「それでは、これで失礼を」と礼をする。黙っていた宇晨も同じように頭を下げて孤星の後をついていった。




