(6)
「今すぐこの愚かな師弟を帰しますので、どうかご容赦いただきたい。宋道長には失礼を重ね重ねお詫び申し上げます。小晨、お前も黙っていないで、今すぐ非礼を詫びなさい」
平身低頭の孤星に対し、宋道長は鷹揚に手を振った。
「まあまあ、そんなに厳しく叱らずともよいではありませんか。お話を聞く限り、そちらのご師弟も仙になりたいと強く願っているのでしょう。ならば、我らと同じ志を持つ者。むしろ喜んで受け入れますよ」
「ああ、宋道長はなんと寛大なことでしょう。お気遣い頂き、心から感謝を申し上げます。……ほら、小晨。お前も礼を」
孤星に肩を叩かれて、宇晨は前に出る。何とか状況を把握し、孤星の作り話に合わせるため、宇晨は急いで地面に膝を付き、手と頭を地面に付ける叩頭の礼を取った。
「宋道長に感謝を……」
「ああ、そんなに畏まらずに」
宋道長は慌てて宇晨の腕を掴んで立たせる。彼の白い手の指は長く、どこかひんやりとしていながら、腕に纏わりついて離れないような感覚を布越しに与えた。ぞわりと腕が粟立つのを宇晨は感じた。
「小晨殿、長旅で疲れたことでしょう。休んでいかれるといい」
「ありがとうございます」
恐縮したような態度で頭を下げる宇晨の横で、孤星がやれやれと溜息を吐く。
「宋道長はこう言って下さっているが、まずは説教だ。小晨、こちらに来なさい。……宋道長、少しの間、宿坊の方に戻らせていただきます」
「ふふ、白道士は真面目なお方ですね。どうか、あまりひどく叱らないであげて下さい」
宋道長の言葉に孤星は苦笑した後、拱手の礼をしてその場を立ち去る。宇晨もそれに倣い、孤星の後をついていった。
天門観の広い敷地の奥、背後に険しい岩山がそびえる場所に、道士達が生活する宿坊はあった。
細長い平屋建ての質素な宿坊の一室に、孤星は勝手知った様子で入っていく。彼の後について部屋に入った宇晨は後ろ手に扉を閉めて、外に人の気配が無いことを確認してから口を開いた。
「誰がいつ、お前の師弟になったんだ?」
「おや、ならば耀天府の名高い黎捕吏だと紹介すればよかったかな?」
笑みを含んだ声で返されて、宇晨は溜息を吐きつつも拱手の礼を取る。
「白孤星。俺の素性を誤魔化してくれたことには感謝する。……だが、なぜお前がここにいる?」
「それはもちろん、妖気を追ってきたまで」
何度も聞いた言葉に宇晨は一瞬顔を顰めたものの、孤星に尋ねる。
「天門観の道士の失踪は、妖魔のせいなのか?」
「おやおや。黎捕吏、一体どうしたんだい? 私の話を素直に聞くなんて」
意外そうに目を見張る孤星を、宇晨はじろりと睨んだ。
「信じろと言っていたのはお前の方だろう。それとも嘘を言ったのか?」
宇晨がそう返せば、孤星はどこか楽しそうに目を細めた。部屋の中央に置かれた卓に着き、袂から瓢箪と小さな杯を二つ取り出す。
「ふむ。堅物一辺倒ながら、黎捕吏はやはり融通が利くな。私の目に狂いはなかった」
「おい」
「安心したまえ、私が今まで嘘を言ったことがあるかい? ふふ、君に信用されるのは何とも気分が良いものだ」
「お前を信用したわけじゃない。奇怪な事案も存在すると知ったから、考えの一つに入れたまでだ」
上機嫌の孤星に、宇晨は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべながら、卓の向かいの椅子に座る。
孤星は杯にそれぞれ酒を注ぐ。昼間から酒なんてと眉を顰めたものの、緊張から解放された後であり、妖異絡みかもしれない事案を前にげんなりしたこともあり、宇晨は杯を呷った。
それほど強くない、花のような香りのする酒は美味だったが、ろくに味わうことなく口を開く。
「……この道観で消息を絶った者がいると役所に訴えがあった。妖魔の仕業か人の仕業かどうかはともかく、知っていることがあったら教えてくれ」
「私も五日前にこちらに来たばかりで、あまり詳しくはないよ。この道観では今、七十名ほどの道士が修行している。皆の話では、ふた月に一度、新月の晩の試練で必ず一人は登仙……もとい、姿を消すそうだ。前回の試練は、二十日前の新月の晩。丁恩という男が登仙したと聞いた」
「試練の際に、洞窟に入ると聞いたが」
「何だ、知っているのか。そう、この宿坊の裏手にある大きな岩山の上に十個の小さな洞窟があって、『小十洞天』と呼ばれている」
「どうてん?」
「『洞天』というのは、神仙が住む洞窟の地だ」
洞天は神仙が住まう仙境の一つで、名山や秘境の奥深くにある。
深く濃い緑の樹木が生い茂り、清冽な滝が飛沫をあげ、幽谷には精気に満ちた霞が流れる名山勝地。世俗の雑音どころか、動物達の声も届かぬような神聖な洞窟の奥に広がる世界には、永遠の命を得た仙人たちが安楽に棲んでいる。
この国の全土に散在し、気脈を通じて繋がる洞天には、神々が仙人を派遣して治めさせているという。




