第二話 洞天(1)
一面の暗闇に男はいた。
今夜は新月で、外は闇に覆われている。しかもここは、昼間の陽の光も届かぬ洞窟の奥であり、闇はいっそう深かった。
墨で塗りつぶしたような視界の中で、男はただ心を無にする。目を閉じて精神を集中し、恐怖を打ち払い、呼吸を整える。
仙人になるための修行を始めてまだ一年という未熟な身でありながら、今宵、男は大きな機会を得ることができた。
師父が登仙(天に登って仙になること)の試練の機会を与えてくれたのだ。もっとも、男の他にも九人の道士が同じ試練を受けている。だが師父は、登仙できるかどうかは修行の年数に関係ないと言った。しかも自分には仙の資質があるとまで言ってくれたのだ。
私利私欲を捨て、高い志を持ち続け、何事にも動じぬ精神を養う。そうすれば、やがて必ず登仙できる、と。
それが真実であることは、皆が知っている。現に、この道観から幾人も登仙しているのだ。この機会を逃すのは勿体ない。
そう、いつか永生を得て仙人となり、安楽の地――仙境に棲むのだ。己は仙になるべく選ばれた者なのだ。
だからこそ、家族を捨て置いてまで修行に来た。
男は高揚する心を鎮めつつ、ゆっくりと胎息を行って呼吸と気の流れを整える。
どのくらいの時が経っただろうか。閉じた瞼の向こうに光を感じた。
朝が来たのかと少し残念な気持ちで男が薄目を開ければ、光は洞窟の奥から発せられていた。背を向けている入口の方は、まだとっぷりと闇に沈んでいる。
男はそろりと立ち上がった。もしや、と胸に仄かな期待が浮かび上がる。
小さな洞窟で、奥には何も無いはずだ。だが、近づいていっても光は消えず、柔らかな光が周囲を照らしている。よくよく見れば、奥の行き止まりの石壁は消え失せ、そこから生温かい、白い雲のようなものが溢れてきていた。
幽谷にかかる霞のようなそれに、男は目を輝かせる。
間違いない。これは――。
男は恍惚の表情を浮かべ、白い霞に向かって進んだ。




