(14)
最初は、ただの遊びだった。
妓楼の華札が流行している昨今、妓楼遊びに興じる男達にとって華札を手に入れることは、一種の競争になっていた。
特に、有名な妓楼や人気の妓女、そして華札を客に配ることが滅多に無い妓女など、希少で価値があり、難攻不落なものほど燃えるものだ。
その中で張亮達が目を付けたのは、『精華楼の柳燕』だ。
大人気というわけではないが、琵琶の名手としてそこそこ知られている彼女は、誰にも華札を渡したことが無い。ならば、最初に手に入れれば自慢できるのではないか――と。
張亮を含む三人は柳燕の元に通ったが、彼女はなかなか華札を渡さなかった。その理由は女将である羅緋が言っていた通りで、それとなく華札を強請る張亮達に『私の琵琶を聞きに来てくれる方に、優劣をつけることなどできません』と言って断っていた。
それが、張亮達は面白くない。そもそも、他の愛想良く話題豊富な妓女達に比べて、控えめで口数も少ない柳燕と話しても、さして楽しくもない。そんな奥ゆかしさが良いのだと世慣れた風流人は言うが、張亮達のような若者には彼女の良さが分からなかった。
大金をはたいて精華楼に通い詰めていると言うのに、いつまでも華札を出そうとしない彼女に、『面白みもない妓女風情が俺達を手玉に取る気か』と三人は次第に腹を立てていった。
そして、三人はある計画を立てた。
張亮が店で扱っている薬種をくすねて調合した、女性にだけ効果のある催淫薬――いわゆる媚薬を柳燕にこっそりと飲ませたのだ。それはとても強力なもので、酒に混ぜて飲ませれば、たった一杯で酩酊し、前後不覚になる効能があった。
計画通り飲ませて、意識が朦朧になった柳燕を無理に牀榻へ連れ込み、彼らは事に及んだ。そして翌朝、意識を取り戻した柳燕に三人は口々に言ったのだ。
『いやあ、柳燕。随分と酔っていたな』
『まさかこんなに甘えてくるとは、いつもよりも饒舌で何とも愛らしかったぞ』
『ははは、琵琶よりもいい声を奏でるではないか。普段からそうしていればいいものを』
衣を剥がされた身体の違和感と張亮達の嘲る言動に、己が何をされたのか理解した柳燕は青ざめた。身体を売らず芸を売ることを身上としていた柳燕の衝撃は、計り知れなかったことだろう。
あの柳燕と床を共にした――。そう周囲に言いふらそうとする張亮達に、柳燕は黙っていることと引き換えに華札を渡した。
本来であれば、薬を使うことも妓女の意に添わぬ行為に至ることも、精華楼では禁止されている。柳燕が女将の羅緋にすぐ相談していれば、おそらく件の三人を出入り禁止にするくらいの措置は取ったことだろう。
だが、柳燕は羅緋に相談しなかった。そもそも薬を使われたことに気づいておらず、酔った自分の失態を誰にも知られたくないと、彼女の矜持が勝ったからだ。
だが、華札を渡したことで状況はますます悪化した。調子に乗った張亮達は度々精華楼を訪れては、華札をかざして柳燕を独占し、琵琶を弾かせることもせずに床だけを共にした。
琵琶の音を楽しみにする者ではなく、ただ女遊びをしたい者を相手にしなくてはならない苦痛。
柳燕は、芸妓としての矜持を折られ続けた。そしてついに、己の命を絶ったのだ――。
張亮の話を聞いた宇晨も景引も、怒りに震えた。遊戯感覚で一人の女性を死に追いやった張亮に、景引は足音荒く詰め寄る。
「貴様……何て奴だ! 卑怯な真似で女性を苦しめ、死に追いやるなんて……!」
「ひっ……」
張亮の胸倉を掴み拳を振り上げる景引の肩を、宇晨は咄嗟に押さえる。
「落ち着け! 景引、俺が無茶しないようにお前が見張るんじゃなかったのか?」
「……」
景引はぐっと口を引き結び、拳を下ろした。納得がいかない様子ながらも、張亮の胸倉を乱暴に離して後ろに下がる。
宇晨が景引を止めたのは、捕吏としての立場があったからだ。気持ちはよく分かるが、むやみに暴力を振るって相手から訴えられれば、景引が理不尽な目に遭う。それは避けたかった。
怒りを堪える二人から睨み下ろされた張亮は身を竦めるだけだ。さすがに己の行いが褒められるもので無いことは自覚しているのだろう。
宇晨は一つ息を吐いて怒りを抑えながら、話を続ける。
「昨晩、幽鬼が出たと聞いたが……まさか柳燕だったとは言うまいな?」
「なっ……」
驚く張亮の反応からして、どうやら当たりのようだ。宇晨の脳裏に一瞬浮かんだのは、あの自称仙人――孤星の顔だ。
『これは、只人には少しばかり荷が重い案件だ』
妖気などとふざけたことを抜かしていたが、まさかここで幽鬼が出てくるとは。
溜息を吐きたくなるのを堪えて張亮を見やれば、震える声で答える。
「さ……昨晩、外から琵琶の音がして……窓の向こうに、女の影が……」
「見間違いではないのか?」
「い、いいえ! たしかに女の影が見えました。それに、あの琵琶の音……柳燕の琵琶は、他の者が弾く琵琶と少し違うのです。彼女のものに違いありません!」
「楽に詳しくないのに、なぜ分かる」
「た、たしかにそうですが……でも、通い詰めて何度も聞かされたから分かるのです。き、きっと柳燕は幽鬼となって、私を祟り殺そうとしているんだ!」
「……」
張亮の思い込みだろう。柳燕への罪悪感か恐怖のためか、窓に映った影に怯えるあまり、琵琶の音の幻聴を聞いたに違いない。
そもそも、下手人の検討もついている。とはいえ、気に掛かるのはその殺害方法だった。
『弦で首を縊って骨まで切り落とすなぞ、人の力では難しい所業だ』
またもや孤星の言葉が蘇って嫌気がさす。宇晨は軽く頭を振って、「とにかく」と話を切り替えた。
「下手人が幽鬼でも人間でも、これは亡き柳燕のための復讐だろう。お前が狙われていることは間違いない」
「う……」
現実を突き付けられて力なく項垂れる張亮を横目に、宇晨は景引を振り返った。
「これから張亮の警護に当たる。皆に伝えろ」
「……かしこまりました」
堅い表情で拱手する景引の肩を、宇晨は軽く小突く。
楽天家に見える景引は実のところ熱血漢で正義感が強いため、堅物である宇晨と長く付き合えているところもあった。
「こいつの悪事は、いずれ必ず裁かれる。罪を償わせて、柳燕を弔うためにも警護するんだ」
「……ああ、分かっている」
景引は大きく息を吐いて、唇の端に苦い笑みをのせる。ようやくいつもの様子に戻った景引に、宇晨は計画を告げた。




