(10)
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「……黎捕吏、これは酷くないかい?」
耀天府には、下手人を勾留するための牢がある。
その一つに押し込まれた美麗な貴公子――孤星は、太い木組みの檻の向こうで憮然とした表情を見せた。
何しろ、精華楼で事件解決の協力を申し出た彼を『そうか、では耀天府まで来てくれ』と宇晨がここまで連れてきて、そのままの流れで牢に押し込めたのだから。
牢の中の孤星は白い袂で目元を抑え、よよよ、とわざとらしく泣き真似をしてみせる。
「聡明で公明正大、愚直で堅物の黎捕吏がこのような卑劣な手を使うとは! やれやれ、噂は当てにならないものだ。せっかくの厚意を無下にし、あまつさえ罪人扱いするとは、あまりにも酷い仕打ちではないか……」
「黙れ。戯言はいい」
宇晨は頭痛の残るこめかみを押さえつつ、溜息を吐いた。
――精華楼で彼を追った自分を殴りたい。あの思わせぶりな態度や妙な気配に、何かあるのではと勘繰った自分を恥じたい。
まさか、自称仙人という奇人を引っ掛けてしまうとは。
捜査に慣れ、捕吏としての自信もついてきていたが、己の思い違いだったようだ。もっと修練も経験も積まなくてはと反省する。
とはいえ、孤星が怪しいことには変わりない。彼は事件に関する何かを知っている。『奇怪な死体』と称したということは、首無し遺体の方だろう。
今朝起こった事件のことを知っていて、精華楼にも表れた。宇晨には華札の情報があったが、孤星は死体と精華楼をどう結びつけたのか。何か、宇晨の知らない情報を持っているのかもしれない。
宇晨は気を取り直して、牢の中の孤星――幼い子供のようにいじけて口を尖らせ、扇を弄っている――を見やった。
「なぜお前は事件のことを知っていた。精華楼に行った理由は?」
「簡単な事。漂っていた妖気を追ったまでさ」
「……ふざけるのも大概に――」
「では黎捕吏は、なぜ琵琶弾きの妓女の部屋を尋ねた?」
孤星は宇晨の言葉を遮るように扇をぱちりと閉じて、目線を上げる。
精華楼で見た折には星の輝きを湛えていた彼の切れ長の目は、薄暗い牢では蝋燭の火を反射して、怪しげに揺らめいていた。
「君は、あの死体の首が琵琶の弦で切られたと思ったのだろう? 弦を巻き付けて、首が落ちるまで縊られた、と」
言い当てられて、宇晨ははっと息を呑んだ。
羅緋の話の中で、柳燕が琵琶の弦で首を吊ったと聞いた時、それが凶器だと直感で思った。糸よりも丈夫で、皮膚に食い込めば肉を断つこともできるのでは、と。
まるで宇晨の考えを読み取っているかのように、孤星は言葉を続ける。
「琵琶弾きの妓女が弦で自害し、その得意客が弦のようなもので首を切られた。なるほどこれは妓女の死と関連しているのでは……といったところかな。とはいえ、弦で首を縊って骨まで切り落とすなぞ、人の力では難しい所業だ」
孤星の言う通りだった。
凶器は推測できたが、弦を使って人の首を縊って切り落とすのは、よほどの怪力の持ち主でも無理だろう。
何か道具を使ったか、あるいは仕掛けを施したのかとも考えたが、そのような痕跡は荒れ寺に無かった。
謎を解明するため、せめて凶器の出所をはっきりさせたいと柳燕の琵琶を探しに行ったが、結局琵琶は見つからなかった。
宇晨が考えを巡らせる中、孤星は扇を弄るのにも飽きたらしく、袂に扇をしまいながら口を開く。
「黎捕吏。犯人を捕まえたいのなら協力しよう。これは、只人には少しばかり荷が重い案件だ」
「……お前は何を知っている?」
「いろいろと。長く生きていれば見聞は広がるものさ」
孤星は曖昧に答えて、石床に敷いてあった薄っぺらい筵を拾う。軽く叩いて埃を落とした後、優雅な仕草で座った。
深衣と外衣の裾を軽く持ち上げて綺麗に座す姿は、檻の中でも粗末な筵の上でも高貴さを失わない。
そんな麗しい貴公子は、真顔で不吉な予言を告げる。
「まだ事件は終わっていないよ」
柔らかな笑みが消えると彼の美貌は冴え、ぞっとするほどの迫力があった。まるで神託を告げる巫のように、言葉を続ける。
「妖気は消えていないからね。それに――」
切れ長の目が、宇晨を見上げて細められる。
「黎捕吏、琵琶の弦は何本あったかな?」
白孤星を耀天府の牢に捕らえた翌朝、二人目の首無し遺体が発見された。




