昨今の日本は空前の猫ブーム。その理由は、この数年で日本人が猫に近づいたから。
つい先日、日本初の保護猫レンタルサブスクサービス『猫ホーダイ』がネット界隈を中心に炎上し、サービス開始前にして営業停止に追い込まれました。
まずはじめに、私個人の立場としては、猫は好きですが飼う気はゼロ。
私の様な人間に飼われる事が猫にとって幸せだとは思えないし、野良猫生活を余儀なくされる、最悪虐待されたり殺処分されてしまう事が、私に飼われる事より不幸だと考えたくはないからです。
ワイルド……いや、ニャイるどに生きて熱く燃え尽きる猫もいるかも知れませんからね。
そんな私ですが、『猫ホーダイ』サービスが始まる前に営業停止した事に関しては、正直良かったと考えています。
その理由は、彼等が営業を停止する決断の説明にありました。
彼等は営業停止の理由を、「利用者が多過ぎて適切なサービスが提供出来ないから」と答えました。
この説明に対して、彼等は炎上する程酷い人達ではなかったのかなと、私自身少し安堵した事を覚えています。
まず、彼等が猫の命も顧みずビジネス一直線で『猫ホーダイ』を立ち上げたのであれば、増え過ぎた顧客に対して
「保護猫が不足していて、お客様に派遣出来ません。早くて半年待ちの予約となりますが、よろしいでしょうか?」
といった説明を行い、『猫ホーダイ』を見切り発車したはずです。
つまり、彼等が顧客の多さにサービスを停止した背景には、
「ひとりひとりは猫への愛情があるのに、保護猫の現状に関して余りにも無知な顧客が余りにも多く、会社側の人間すら戦慄した」
という現実が隠されていたのだと思います。
今思えば、色々と誤解を招きかねない表現に対してネットが炎上していたにもかかわらず、その事に対して一切の説明や弁解をしなかったのは、会社側が炎上前に営業停止を決めていたからなのでしょう。
例えば、保護猫のレンタルサブスクサービスであるという現実を理解せず、
「○○の種類は何匹在庫があるんですか?」
「毎月サブスクしたいので、オプション料金追加で1年分キープ出来ますか?」
みたいな質問が来たら、絶望しませんか?
これは猫を愛しているとか、会社に資金援助したいとかという善意や倫理を超越した、根の深い暗闇です。
つまり、猫がメディアやイメージ戦略によって余りに身近になり過ぎ、そもそも彼等が生活習慣も行動様式も違う、「別の種族の動物」だと考えていない日本人が増えているという事ですね。
ちなみに私は、『猫ホーダイ』サービスを肯定してはいません。
一時的に殺処分される猫が減った所で、猫を飼いたい、見た目や○○の種類にこだわりたいという人間がいる限り、ひとりでも責任を取れないケースがあればすぐに野良猫は増えますし、無責任なビジネスを続ける悪徳ペット業者やブリーダーは無くならないでしょう。
究極の所、元来激しく好みが分かれるはずの『猫』という種族が、強制的に国民のアイドルにされてしまったこの数年の日本を振り返り、彼等の露出を抑える事も検討すべきなのかも知れませんね。
人類の2割は、猫を見るだけでも虫酸が走る程の猫嫌いだと言われています。
また、それは先天性のものであり、可愛い猫や自分に懐く猫を見て反応が変わるというものではありません。
ここが犬と違う所です。理解して下さい。
猫好きの一家の中にも、先天性の猫嫌いはいると思いますし、その人の価値感を認めずに差別したり見下したりすれば、いつか猫を虐待してしまうかも知れません。
猫大好き! と言う権利は確立されている日本ですから、猫大嫌い! と言える権利を数の力で抹殺しない世の中を作る事も重要です。
そして少しずつ、日本で目に見える猫は幸せになれる様にしていきましょう。
目に見えない野良猫は、地域猫として食べていけるものもいれば、殺伐としたその日暮らしをするものもいて、逃げても運が悪く捕獲され、殺処分されるものもいる……。
その現実を、人間の考える幸せ、不幸せの枠に押し込むべきではないと思うのです。
さて、タイトルでも示した様に、近年の日本に於ける空前の猫ブームは、猫好きの私から見ても異常だと感じます。
もはや可愛い猫を見て、「可愛いよね〜!」では猫好きとはカウントされない、一種の宗教になってしまった様にさえ思えます。
日本人が猫を偶像崇拝レベルにまで押し上げてしまった背景には、やはり近年の世相に加えて、日本人がこれまで義理やしがらみで我慢してきた不都合を、それなりに拒否出来る世の中になった事が挙げられると思いますね。
それが良い事ばかりとは言いにくいですが……。
猫は元来、群れで生活する動物ではありません。
しかしながら、自分の利益に関わる事、例えば毎日ご飯をくれる民家などには複数の猫が集まり、じゃれたり喧嘩したりする事も否定しません。
同じく日本人も、情報化社会の中で個人主義が広がり、学校生活以外では群れなくなりましたが、やっぱり美味しいラーメン屋さんとかに行列するのは拒否しません(笑)。
かつては私の様な怠け者の憧れだった、猫のライフスタイル(笑)。
今、そこに日本人全体が近づき、欧米やラテン系の方の様にぷちウザで他人に干渉する事もなく、日本人が猫を自分のアバターにしてしまいました。
猫の幸せを真剣に考えるなら、今の価値観では煩わしさが否めない「古い日本人らしさ」を少し取り戻し、猫をちゃんと違う種族にしてあげる必要があるのかも知れませんね。