第一話:追い出された少女
質素な食事にありついて、くたくたになって部屋に戻ったのは、深夜を回っていた。
部屋だけは、昔のままだ。
そう・・・母が生きていたころの、昔のまま。
ため息をついて、ベッドに座り込む。
子供用の妙に豪華な、古びたベッド。
母が生きていたころから使っている。
だけど、きらきらしていたリボンは古びてぼろぼろになって、ついていた無駄な宝石は剥ぎ取られ、白いペンキはあちこちはげて、豪華だっただけに、悲しい様相になっている。
取れかけの天蓋の布がぶらぶらとゆれていた。
変な男に出会ってしまった。
質素に見せているけど、上等な服。
綺麗に整えられた髪をわざとぐしゃぐしゃにしたような髪型。
肌だって、手だって、きちんと手入れされていて。
見ればわかるのに、どうして貴族だと思った、なんて馬鹿な質問をしていた。
大体、あんな上等な馬に乗れる人間が貴族じゃないわけがない。
あの馬を思うと、うっとりしてしまう。
しなやかな体躯。
つややかな毛並みに、しっかりとしたたてがみ。
目がつぶらできらきらしているのに、どこか気の強さをうかがわせた。
立派な牡馬。
「カッコいい馬だったなぁ・・・」
あんな馬が、ほしかった。
もう、自分用の馬はお金がかかるから、と売られていってしまった。
だけど、馬に乗るのは、爽快で、楽しくて。
かなうことなら、もう一度馬には乗りたい。
思い切り走らせて、風を感じたい。
かなわない願いとわかっていても、そう願ってしまう自分を振り切るように頭を振る。
「・・・・・・寝よう」
明日も朝早いのだ。
水汲み、巻き割り、桶や瓶を洗って、外の掃除をして、馬の世話をして・・・。
そういえば、自分の部屋の掃除なんていつ以来やってないだろう。
誰も入らないこの部屋は、昔のまま豪華なものだけがあって、けれど古びてぼろぼろだった。
かつて、この家のたった一人の娘のために用意されていた、部屋。
だけど、あの頃からもうお父様には違う妻と、娘がいた。
「ちょっと」
「・・・はい」
ノックもなしだが、さすがにドアを無造作にあけることはためらわれるのか、入りたくもないのか、ぶっきらぼうな女中頭の声が外から聞こえた。
「旦那様がお呼びだよ。早くしな!」
珍しい。
そう思った。
顔をみることも嫌がる父に呼び出されるなど、実に久しぶりだった。
「今、行きます」
久しぶりに訪れた書斎には、これまた久しぶりに見る父がいた。
「薄汚い格好だな。少しは考えたらどうだ」
「・・・・・・・・・・・・・」
させているのは、あなたでしょう。
そんな言葉を飲み込む。
開口一番、嫌いぬいているとはっきりわかる言葉に、ため息が漏れる。
仕方ない。
可愛げのある性格の娘じゃなくてごめんなさい、なんていやみにしかきこえない。
「ご用件は?お父様」
わざと嫌がる呼び方をする。
案の定、父は思い切り顔をしかめた。
「・・・今日の午後、なにをしていた」
「水汲みを」
桶を投げつけられたんだもの。
「それだけか?」
「庭の手入れと・・・庭の彫像を磨きました」
「それだけではないだろう」
にやりというその笑いに、嫌な予感がした。
「男と、会っていたそうだな?」
「それは!」
しまった。
「あの方は道を尋ねられただけです」
「それにしては随分長い間話し込んでいたと聞いたが」
唇をかみ締める。
油断していた。こんな付け入る隙を与えてしまうなんて。
ここを出て行くわけにはいかないのに。
「でていけ」
じつに、うれしそうにその言葉を告げた。
「おとうさま!!」
それだけは、それだけは許してほしかった。
「お願いです!どうか!!どうか家においてください!!」
おいだされては、なにもできない。
した働きであろうと、みすぼらしいドレスであろうと、食事がほとんど取れなくても、関係ない。
ここを追い出されれば、のたれ死ぬか、娼婦になるかのどちらかだ。
「結婚もしないうちから男と浮名をながすような女がうちにいると大事なうちの娘たちまでそうだと思われる」
お前など、娘ではない。
そういわれたような気がした。
「さすがにあの女の娘だな。性根まで同じか」
ぎゅっと、手を握り締める。
かけた爪が手のひらに食い込んだ。
決して、良い人ではなかった。
だけど、それでも、私の、たったひとりの母親だった。
たった一人、私をあいしてくれた人だった!
「お母様を悪く言わないで!あなたの、妻だった人でしょう?」
返事は、冷たかった。
「あの女を、妻だと思ったことなど、一度もない」
足元が崩れ去るような気分というのはこんなことをいうのだろうか。
わかっていたはずなのに、どうしてこんなにショックを受けるんだろう。
「どこへとも行き、勝手にのたれ死ね」
それきり、二度と、その目は向けられなかった。
ただ、合図された従者たちが、私の両腕をつかんで、担ぎ上げる。
「お父様!」
暴れて、引っかいて。
叫ぶ。
なりふりなんてかまってられなかった。
「お願い!お父様!!」
声も何もかもさえぎるように、その扉が無常に閉じた。