プロローグ:灰かぶりは泣かない
「さぼってんじゃないよッ」
罵声とともに飛んできた桶がみすぼらしい格好の少女に当たる。
ばしゃっという水音とともに、あたまのてっぺんからつま先まで、見事にぬれねずみになった少女は、のったりと立ち上がり、自分の頭にあたった桶を拾い上げた。
深いため息をついて、なにかを思い切るようにぐい、と身体を上げる。そのまま、きつい視線であたりを見渡せば、傍にいた誰もがさっと視線をそらして足早に立ち去った。
「・・・・・・・・・・・・・ふん」
見かけはみすぼらしい召使だが、気位は高い、としのび笑いを漏らして、男は少女に近寄った。
「だいじょうぶか?」
意外そうな顔をして振り返ったその顔は、驚くほど整っていた。
くっきりとした少し釣り気味の目はぱっちりしている、綺麗な青だし、唇は小さくて赤いし、鼻はすらりと通って高い。それらが適当なバランスで配置されていて、はっきり言って美少女だった。
優しげな、とか穏やかなではなく、ずけずけと物を言いそうな、きつめの美少女。
「だいじょうぶよ。いつものことだもの」
ばさっと髪のしずくを払って、桶を抱えた少女は井戸の桶に手をかけた。
「この家のものか?」
「ええ」
「この家は羽振りがよいようだが・・・」
じっくりと少女の格好を観察する。
女性としての礼儀であるモスリンどころか、ほっかむりの布さえなく、髪をまとめる紐もなく、背中に流しっぱなしのほつれた髪。
腕も胸元もむき出しになるドレス。
みっともなくひざから下の足がにょっきり出るスカート。
靴下さえなく、みすぼらしい、つま先が破れ、かかとの擦り切れたボロ靴。
あまり、年頃の少女の格好ではない。
最下層の召使だとしても、だ。
主がもう少しましな格好をさせるだろう。
こういった最下層の召使がどのような扱いを受けているかで、その家の格というものが知れるからだ。
「なにかおもしろい身の上でもあるのか?」
「なあんにもないわ。なんにもね」
あっさりした答えだった。
恨みも、悲しみも、なにもない。いっそあっけらかんとしたぐらいの。
「ならば若い娘がその格好なのは普通なのか?」
「まさか!あなたどこの世間知らず?」
誰だって一目でわかる。
どんな貧しい家だって、娘にこんな格好させやしない。
カーテン、シーツを裂いたって、娘にほっかむりぐらいさせるしスカートは足首まで隠れるぐらいの長さにする。
そう少女が言うと、男は剣をはずしてその場においてあった薪の上に座り込んだ。
「俺に話してみないか?退屈なんだ」
「あらそう。わたしはお忍び貴族のおぼっちゃまに退屈しのぎに身の上話をしなければならないの」
そう意地悪く言うと男は快活な笑い声を上げた。
「そうしてくれると嬉しいな」
「はいはい。わかりましたとも」
そんなに面白い話じゃない。
わたしの身の上は昔から伝わるお話と同じ。
幸運にも王子様に迎えに来てもらえたシンデレラ!
わたしにそんなものはきやしない。
だって。
シンデレラには優しい父親がいた。
わたしの父は、母と結婚する前からお妾さんがいて、母が死ぬとすぐに二人の姉と継母がやってきた。
シンデレラには心優しい母親がいた。
わたしの母は気位ばかり高い貴族の娘。妾にだってつらく当たってわたしにも父にも恨み言ばかり。使用人にだって厳しく当り散らしてた。
子供心にも醜いと思ったもの。愛情が離れたって文句も言えない。
シンデレラの継母はシンデレラをいじめてばかりの意地悪ばばあ。
わたしの継母は誰にだって心優しい。使用人たちだって尊敬してる。
シンデレラの姉たちはたいして美人でもなかったし、心が醜かった。
わたしの姉たちはとっても美人!それにお母さんににて優しく穏やか。
それにそれに。シンデレラは美人で心優しく清らかだった。
わたしは美人かもしれないけれど、心優しくも清らかでもない。
気位ばかり高かった母ににて、つんとした鼻、つりあがった目、薄い唇、きつい眉にとがった顎。
確かにぱっと見は美人だけど、姉たちは父の穏やかで優しいアーモンドみたいな目や継母のふっくらしたやわらかそうな唇や、ちょっと丸くて愛嬌のある鼻や、優しそうに丸い弓型の眉や、卵形の丸い顔。
どれを取ったって、姉さんたちのほうが良いに決まってる。
その上、その前妻の遺した可愛げのない娘にまで優しいというのだから、文句のつけようがない。
そして、シンデレラのお父さんは、娘が好きだったし、大切だった。
わたしの父は、前妻そっくりの娘が、大嫌い。顔も見たくないみたい。
だからわたしは『ここ』にいる。
「なるほど。お前の顔を見るとみんなその気位ばかり高かった奥様を思い出すわけか」
「ええ!その通り!誰もがわたしと母は同じ人間だって思うのよ!」
まったく忌々しい顔!
どうしてもっとお父さんに似せて産んでくれなかったのかしら。
「お前は今の暮らしがつらいのか?」
「つらくないわけないでしょう。毎日朝から晩まで働いて。お給金ももらえなくて。ご飯もろくろく食べさせてもらえないんだから」
そういうと、さすがに男の顔に嫌悪感が浮かんだ。
「・・・それは、お前の母がさせているのか?」
「まさか。奥様は優しいのよ。そんな酷いことするわけないじゃない。わたしはちゃんと食べてることになってるし、服は意地を張っていらないって言ってることになってるのよ」
何度も新しい服をくれようとしたし、モスリンだってわたしの古いので悪いけれど、とまだ2回も使っていないような自分用のをくれようとしたり。
こっそり口紅をくれたりもした。
でも、いつだってお父様や使用人たちが取り上げてしまうのよ。
お前にそんなものは必要ないって。
全く、お話とはぜんぜん逆だわ。
「朝から晩まで働くのは嫌じゃないわ。何もしてないよりずっと楽しいもの」
昔から刺繍も歌も楽器も、自慢話ばかりのお茶会も大嫌いなの。
でなくて済んで清々してるわ。
「悲しいのは乗馬が出来なくなったことぐらいよ」
あれだけは好きだったのに。
でも、今でも馬の世話はさせてもらえるし、本当に時々は馬の背に乗ることだって出来る。
「乗るか?」
ぽんぽん、と自分の隣に待っている馬の頭を叩く男に呆れて返事を返した。
「結構よ。何年乗ってないと思ってるの。それに、そんな大きい馬になんて乗れないわ」
確かに、と男は傍らの馬を見やって、その首を腕を伸ばして叩いてやった。
ねえ、と少女が腰に手をあてて男を見下ろす。
「貴族ってそんなに暇なの?わたしはもう働きにいかないといけないのよ。あなたの酔狂に付き合ってる暇はないの。じゃあね」
「なぜ貴族だと思った?」
「そんなの、見ればわかるわよ。馬鹿じゃないの?」
さっさと桶を振り回すように家に入っていった少女を見送って、男は面白そうにくつくつと笑った。