遊園地のお化け屋敷から
これは、遊園地で働いている、ある若い男の話。
地方の小さな遊園地。
その遊園地の、従業員控え室。
そこに並べてあった椅子の上で、
その若い男は、目を覚ました。
「・・・う、う~ん。
控え室で、居眠りをしてしまったみたいだ。
今、何時だろう。」
目を擦りながら、
壁にかけてある時計を見て、ギョッとする。
「しまった。
もう、夜の営業時間が始まってる。
寝過ごしてしまった。
早く準備して行かないと。」
起きるのが遅くなったせいか、更衣室には他に誰もいない。
その若い男は、
手短に身支度を整えると、更衣室に向かった。
その遊園地の更衣室には、
様々な衣装や小道具が並んでいた。
その若い男は、自分が着るはずの衣装を探す。
探している衣装は、お化け屋敷の幽霊の衣装。
遊園地のお化け屋敷の幽霊。
それが、その若い男の配役だった。
しかし、目当ての衣装は見つからない。
「おかしいな。
僕の衣装が見当たらない。
遅刻したから、他の人が使ってるのかな。」
誰かに事情を聞こうと思っても、
控え室にも更衣室にも、他の人の姿は見当たらない。
「仕方がないな。
他の衣装で代用しよう。」
肩をすくめると、その若い男は、
更衣室の端にあった古い衣装箱を探る。
その古い衣装箱の中には、
幽霊の古い着包みが入っていた。
着包みとは、大きなぬいぐるみのようなもので、中に人が入って動くもの。
「これで、何とかなるかな。」
その若い男は、その幽霊の古い着包みを着て、更衣室を出た。
その若い男が、
持ち場である、お化け屋敷に向かう間。
他の従業員の姿は、ただのひとりも見当たらなかった。
普段なら、
忙しそうに動きまわる従業員がいるはずだった。
その若い男は、幽霊の着包みの中で首を傾げた。
「おかしいな。
今日は、他の従業員がいないみたいだ。
それに、来場者の姿も見当たらないような気がする。」
不審に思ったが、既に遅刻をしているので、
疑問は一先ず置いて、急いで持ち場に向かう。
やがて、お化け屋敷にたどり着くと、
通ってきた通路に繋がった裏口から、中に入った。
すると、突然。
目の前に、白い死装束が浮かび上がった。
白い死装束を着た男が、うつむき加減で立っていたのだ。
その若い男が、驚いて飛び上がる。
「うわっ、びっくりした!
僕は従業員ですよ。
脅かすなら、来場者にしてください。」
その若い男が、胸に手を当てて文句を言った。
文句が聞こえているのか、いないのか。
白い死装束を着た男は、虚ろな顔で、相変わらず黙っている。
その姿を見て、その若い男は思う。
そんなところに、人が立っていただろうか。
急いでいたので、気が付かなかっただけかもしれない。
・・・今は、そんなことを考えている時間は無いのだった。
とにかく、自分の持ち場に向かわなければ。
「遅れてすみません。
これから持ち場に向かいますので。」
その若い男は、
白い死装束の男に挨拶をして、横を通り抜けた。
通り過ぎていく、その若い男の後ろ姿を、
白い死装束の男は、恨めしそうに見つめていた。
その後、その若い男が、
お化け屋敷の中の従業員用通路を移動している間にも、
何人かの従業員を見かけた。
しかし、その誰もが、無口で虚ろな表情をしていた。
「今日は、無口な人が多いんだな。
みんな、
幽霊の役作りが、すごく良く出来ている。
僕も見習わなきゃ。」
そうしてお化け屋敷の中の通路を移動していって、
その若い男は、ようやく自分の持ち場にたどり着いた。
お化け屋敷の来場者用通路の脇にある深い茂み。
そこが、その若い男の持ち場だった。
幽霊役が、その茂みの中に身を隠し、
その前を来場者が通りがかると、
幽霊役が立ち上がって脅かす、という仕掛け。
その若い男が、自分の持ち場に到着した時、
そこに従業員は誰もいなかった。
「おかしいな。
更衣室に僕の衣装が無かったから、
誰かが代わりに幽霊役をやってくれているのかと思ったのに。
まあいい。
自分の役目を果たそう。」
あまり深く考えず、
その若い男は、幽霊の着包みの姿で、茂みに身を潜めた。
その若い男が、幽霊の着包みを着て、
お化け屋敷の茂みに身を潜めて。
それから、いくらも経たない内に、
人がやってくる気配がした。
近付いてくる人の気配が、
自分が身を潜めている茂みの前に来るのを待ってから、
その若い男は、勢いよく立ち上がって見せた。
「恨めしや~。」
目一杯おどろおどろしく、台詞を口にする。
こうすれば、大抵の来場者は、驚いて逃げていく。
そのはずだった。
しかし、今まさに目の前で脅かされた相手は、
恐怖で悲鳴を上げることもなく、何の反応も示さなかった。
「あれ?
驚いていないみたいだ。
口調に、凄みが足りなかったかな。」
その若い男は、幽霊の着包みの中で思わず反省していた。
それにしても、目の前の相手は、どんな顔をしているのだろう。
それを確かめようと、目の前を見るが、
そこには、誰の姿も見当たらない。
着包みに開けられた小さな穴から見える、狭い視界。
それを左右に動かし、それから上下に動かす。
そうしてやっと、目の前の相手の姿が見つかった。
その若い男の目の前にいたのは、小さな男の子だった。
小学校低学年くらいだろうか。
そのくらいの年格好の小さな男の子が、ひとりでそこに立っていた。
その小さな男の子は、
目の前に突然現れた幽霊の着包みにも動じず、
無表情にその若い男を見上げていた。
その若い男は、幽霊役の口調から、人間の口調に戻って話しかける。
「君、ひとりかい?
お父さんやお母さんは一緒じゃないの?」
それに対して、その小さな男の子は口を開かず、
黙って頭を横に振って応えた。
どうやら、大人が一緒ではないらしい。
その若い男は、迷子を見かけた時の対処を思い出した。
この遊園地では、
お化け屋敷の中で迷子を見かけた時は、
従業員呼び出し用のブザーで知らせることになっていた。
「君、もしかして迷子になったのかな。
ちょっと待っててね。
今、係の人を呼んであげるから。」
その若い男は、来場者からは見えない位置にある、
呼び出しボタンを押した。
そのボタンを押せば、他の従業員がやってくるはずだった。
しかし、待てど暮らせど、何度も呼び出しボタンを押しても、
他の従業員はやってこない。
「おかしいな。
ブザーが壊れちゃったかな。
仕方がないな。
僕は幽霊の着包みを着ているし、
本当は出歩いちゃいけないんだけど。
君みたいな小さな子供を、ひとりにはしておけないものね。」
その若い男は、
着包みから顔を覗かせて、その小さな男の子に見せた。
「僕が一緒に行ってあげるから、
このお化け屋敷の外の、迷子預かり所まで行こうね。
そこに行けば、きっとお父さんやお母さんが来てくれるから。」
相変わらず、その小さな男の子は口を開かない。
しかし、その小さな頭でコクリと頷いてみせた。
どうやら、言葉はちゃんと通じているようだ。
「じゃあ、行こうか。
あぶないから、手を繋いで行こうね。」
そうして、その若い男は、
その小さな男の子と手を繋いで、
お化け屋敷の出口に向かって歩き始めた。
その若い男とその小さな男の子が、手を繋いで、
お化け屋敷の中を歩いている間。
他の来場者には、一人も出会わなかった。
しかし、
幽霊役の従業員たちは、ちゃんと持ち場で待機しているようで、
しばしば幽霊が現れては、その若い男を驚かせようとしてきた。
今もまた、
井戸の模型の中から、着物姿の女が現れたところだった。
「一枚・・・二枚・・・」
その着物姿の女は、
手に皿を持っていて、その枚数を数えている。
その若い男は、
その着物姿の女に向かって、頭を下げた。
「お疲れ様です。
僕は従業員なので、演技はしなくても結構ですよ。
この男の子が迷子になったようでして。
従業員呼び出しブザーに反応が無かったので、
これから僕が、迷子待機所に連れていくところなんです。」
しかし、その若い男が事情を説明しても、
その着物姿の女は、何の反応も示さなかった。
相変わらず、物悲しい声で、皿の枚数を数え続けている。
それを見て、その若い男は感心していた。
「こんな時にも演技を続けているなんて、
まるで役者の鑑みたいな人だ。
僕も見習わなきゃいけないな。」
その若い男は、着物姿の女に会釈をして、その脇を抜けていった。
手を引かれている小さな男の子は、終始無反応だった。
そうして、
その若い男とその小さな男の子が、
お化け屋敷の中を進んでしばらく。
向かう先に、
お化け屋敷、出口。
という看板が見えてきた。
その若い男が、
繋いでいる手を軽く引いて、その小さな男の子に言う。
「あそこが出口だよ。」
その若い男が、お化け屋敷の出口を指差してみせると、
その小さな男の子は、
ずっと無表情だったその表情を崩して、ぱぁっと嬉しそうな顔になった。
その小さな男の子が、お化け屋敷の出口に向かって駆け出したので、
その若い男も、繋いだ手を離さないように、小走りでそれに続いた。
そうして、その若い男とその小さな男の子は、
お化け屋敷の出口にたどり着いた。
その若い男とその小さな男の子は、
お化け屋敷の出口から無事に外に出ることができた。
今は夜なので、
お化け屋敷の外に出ても、中と同じように真っ暗だった。
その若い男が、遊園地の園内を見渡す。
夜だからとは言うものの、今日は普段よりも暗い気がした。
「外も真っ暗だな。
いつもは、園内はこんなに暗かっただろうか。」
それから、手を引いている小さな男の子に向かって話しかける。
「向こうに、迷子待機所があるから、
そこまで一緒に行こうね。
そうしたら、お父さんとお母さんを呼び出してあげるから。
もしかしたら、もう先にいるかもしれないね。」
しかし、その小さな男の子は、首を左右に振る。
その若い男は、腰をかがめて、その小さな男の子の顔を覗き込んだ。
「どうしたの。
あそこで待ってたら、お父さんとお母さんに逢えるよ。」
そこで初めて、
その小さな男の子が口を開いた。
「ぼくのお父さんとお母さんは、あそこにはいないよ。」
初めて聞く、その小さな男の子の声。
その声は、どこか遠くから聞こえてくるような、そんな感じがした。
その若い男が、その小さな男の子の顔を覗き込んだままで話す。
「じゃあ、
君のお父さんとお母さんは、どこにいるの?」
その問いかけに、
その小さな男の子は、
一歩前に出ると、小さな指で空を指差して応えた。
「・・・空?」
つられて、その若い男は夜空を見上げる。
着包みに開けられた、小さな穴から覗く夜空は、狭くて深い黒だった。
しかし、その黒い夜空を、どこからか明るく照らす光がある。
着包みの狭い視界で、その光の源を探していく。
するとそれは、その若い男のすぐ目の前から発せられていた。
手を繋いで一歩前に立っている、小さな男の子。
その小さな男の子の体が、ぼんやりとやさしく発光していたのだった。
「君、体どうしたの。
光ってるけど、そういう服・・・じゃないよね。
大丈夫?」
その若い男は驚いて、繋いでいた手を離すと、
その小さな男の子の体を確かめようとした。
しかし、その小さな男の子の体は、すぐに調べられなくなった。
なぜなら、その小さな男の子の体が、
ふわふわと風船のように夜空に浮かんで、
手の届かないところまで上っていってしまったから。
「どういう仕掛けなんだ?
何にしろ、あんなに高いところに上がっては危ない。
早く下ろしてあげないと。」
その若い男は最初、風船か何かで浮かび上がったのだと思った。
しかしそれは違うと、すぐに気がついた。
その小さな男の子の体には、風船など繋がってはいなかったから。
浮き上がっている仕組みが分からず、為す術なく見つめる。
そうしていると、
その小さな男の子が、
その若い男の方を、ゆっくりと見下ろした。
穏やかに笑って、手を小さく振る。
それから、一際明るく輝いたかと思うと、
夜空に溶けるようにして、消えてしまった。
「ぼくを、外に連れ出してくれて、ありがとう。
おにいちゃん。」
その小さな男の子の、そんな声だけが残った。
「・・・どうなってるんだ?
お化け屋敷の、新しい仕掛けか?」
その若い男は、真っ黒に戻った夜空を見上げていた。
その手に残る、あの小さな男の子の感触。
しかしその感触も、すぐに消えてしまった。
その後、遊園地の営業時間が終わり、
その若い男は、従業員控え室に戻ってきた。
幽霊の着包みを脱いで、
額の汗を拭いながら、椅子に腰を下ろした。
「今日は、何だか変な感じだったな。
他の従業員は少ないし、
見かける人は、無口な人ばっかりで。
あんな人達、従業員の中にいたっけな。
それに・・・。」
あの小さな男の子の事を思い出して、ますます疑問は深くなる。
「あの男の子。
空に消えていったように見えたけど、まさかな。
きっと、照明に目がくらんで見間違えたんだろう。
お父さんやお母さんと、無事に再会できていればいいんだけど。」
そうして一休みしていると、
今日の疲れが押し寄せてきて、まぶたが重くなってきた。
「今日も・・・疲れたな。
なんだか、すごく眠くなってきた。
寝坊して遅刻をしたばかりなのに・・・」
その若い男は、うつらうつらと居眠りを始めると、
そのまま深い眠りに落ちてしまったのだった。
それから夜が明けて、次の日。
その遊園地の、従業員控え室。
従業員たち数人が、椅子に座って談笑していた。
従業員のひとりが、備品を調べながら、
談笑している従業員たちに向かって話しかけた。
「ねえ。
昨日の営業時間が終わってから、誰か控え室を使った?
今日の営業時間前に、誰かが使った形跡があったんだけど。」
言われた従業員たちが応える。
「昨日って、夜営業は無かったよね?
それなら、夕方に戸締まりをしてからは、誰も使うわけがないよ。
何かの間違いじゃないの。」
「う~ん、やっぱり気のせいなのかなぁ。」
「そういえば、
男子更衣室も、今日の営業時間前に使われた形跡があったような。」
「そうだった、そうだった。
古い衣装箱から、古い着包みが引っ張り出してあったよ。
あんなもの、今はもう使われていないはずなんだけど。」
そこに、年長の従業員が話に加わる。
「そうか、またあったか。
君たちは知らないかもしれないけど、
この遊園地では、たまにそういうことがあるんだよ。
夜営業が無い日のはずなのに、
営業時間が終わった後で、
控え室や更衣室が使われた形跡が見つかったりね。」
「それって、泥棒じゃないんですか。
対策しないのかしら。」
もっともな質問に、年長の従業員が応える。
「それが、いくら調べてみても、
外部から人が入った形跡が見つからないんだよ。
盗まれた物も無いので、本格的な調査は頼みにくくてね。
それでも気味が悪いからって、
一度、
古い着包みとかを処分しようとしたんだ。
そうしたら、事故が続けて起きるようになってしまって。
偶然だろうけど、縁起が悪いってことで、
以後、そのままなんだ。」
そんな話を聞いて、
その場の従業員たちが顔を近付けて、ひそひそ話になる。
「この辺りの土地って、
この遊園地が出来る前は、お寺だったんでしょう?
もしかして、何か関係があったりして。」
「まさか。」
「そんなことはないだろうけどな。」
話をしていた従業員たちは、一斉に笑い始めた。
それから、その日の夜。
その遊園地の、従業員控え室。
その若い男は、またそこで目を覚ました。
「・・・う、う~ん。
控え室で、居眠りをしてしまったみたいだ。
今、何時だろう。」
時計を確認してから、
急いで準備をしようとして、
そこで、その若い男の動きが止まった。
立ち止まって、顎に手を当てて考え込む。
「・・・僕、
どうして、控え室で眠っていたんだろう。
どうも記憶がはっきりしない。
そもそも、昨日は何をしていたんだったかな。
・・・それも思い出せない。」
何かが引っかかる。
忘れてはいけないことを、忘れている気がする。
思い出そうと思案しかけて、壁にかけてある時計が目に入った。
「いかんいかん。
そんなことを考えている時間は無いな。
遅刻だ。
急いで準備をしないと。」
その若い男は、
それ以上考えるのを止めて、控え室を出た。
更衣室に行って、自分が着るはずの衣装を探す。
しかし、やはりそこに自分の衣装は見当たらない。
更衣室の端にある古い衣装箱を探る。
そこには、あの幽霊の古い着包みが入っていた。
その若い男は、
いつもと同じように、その古い着包みの中に入る。
そして、
いつもと同じように、あのお化け屋敷に向かう。
その途中。
真っ黒な空から、あの小さな男の子の声が降り注ぐ。
「おにいちゃんも、
いつか、出口を見つけて、
こっちに来られるといいね。
ぼく、待ってるからね。」
その若い男は、
今はまだ、その声には気が付かなかった。
今日もまた、あのお化け屋敷に向かう。
それが何度目のことなのか、
いつまで続くのか、
その若い男は、知らない。
終わり。
もしもこの世に幽霊がいたとして。
自分が幽霊になったことに気が付かなければ、
生者と変わらないのかもしれない。
幽霊と生者が、お互いに関わることが出来ないけれど、
同じ世界に住んでいるとしたら、
それは平行世界に暮らすようなものかもしれない。
そのようなイメージで、この話を作りました。
お読み頂きありがとうございました。