酒場の大乱闘
これを言ったらシオに怒られるかもしれないけど、別に勝算があったから喧嘩を買ったわけじゃない。
導きの書の「旅路」を見たわけじゃないから、男の股間を蹴り上げるのが本筋かはわからない。
ただ、私に酒ビンを投げつけてびしょびしょにさせたのが苛ついたからだ。
ちなみに勿論酒の匂いはするけど、酔っているわけじゃない。
これ、全年齢のゲームですから。
「ひょら! ぶちのめしひゃってくらさい! るぷす!」
「酒に弱すぎだろ! お前!」
もちろん、酔っぱらっている演技だ。
今、ルプスは三人の男たちと相対している。
全員酒を飲んでいたのか、顔がやや紅潮しているものもいれば、足元が怪しい者もいる。武器はどこかに置いて来ているのか全員が素手だ。
ちなみに私はルプスの後ろで野次を飛ばしているだけだ。喧嘩を買ったけど、魔法使いである私に、格闘能力なんてあるわけがない。あとはまあ……ビブリオテーカ――正確には、ヒストリア?――での戦闘は未経験だから、経験者であるシオの戦いを見ておきたかったなんて打算もある。
「うおらっ! この獣やろーが!」
先に仕掛けてきたのは、三人の内、額にハートの刺青を入れた男だ。
空瓶を片手に持ち、それをルプスの頭に目掛けて振り下ろして来る。
「ったくよお! あんまり騒ぎは起こしたく、なかったんだけどなア!」
ルプスはハートの男が振り下ろした空瓶を、右手で受け止める。そして、ルプスは、動きが止まったハートの男の腹部に対し、強烈な蹴りを浴びせる。男の身体は後方へと吹っ飛び、他の客のテーブルに突っ込んで酒と料理を床に散らかしていく。ハートの男は起き上がり、「て、てめえ」と即座に立ち上がろうとしたが、突っ込んだ男たちに「お前! 俺たちの酒と食いもんを!」と怒声を飛ばされ、掴まっていた。何やらもめているらしいが、私の耳には彼らの会話内容は届かない。
どうやら敵の一人はこちらには帰って来れないらしい。
恐らく、そのままノックダウンだろう。
となれば、残りは二人だ。
残りの……えっと、右頬にスペードの刺青の男と、顎にクローバーの刺青の男だ。
ふたりは同時にルプスへと素手で殴りかかる。スペードの男がルプスから見て右側からルプスの腹部に対し、クローバーの男が左側からルプスの頭部に対しての同時攻撃だ。
「ちぃっ!」
ルプスはとっさに頭部を両腕で護ると、左膝を上げて丸まり、腹部の防御を固める。
二人の攻撃のクリーンヒットを免れることはできたが、同時に片足立ちという不安定な体勢になってしまった。それを、クローバーの男は見逃さなかった。すぐさま、ルプスの直立を支えている右脚を蹴り払い、ルプスはたまらず床へと転がる。
「うおっ……!!」
これは、マズイ。
ルプスは完全に仰向けで倒れ伏しており、立ち上がる前にスペードの男が、ルプスの上半身に乗り上げた。俗に言う、マウントを取られた状態だ。多分、ルプスもそして中の人であるシオも最も嫌う状態であろう。マウント取りたがるからなあ、取られるのは本当に嫌いだろう。
「ルプス!」
このままでは一方的だと判断した私は、たまらずルプスの助太刀に這入ろうとする。
そもそも、火種はあちらが用意したけど、私が着火させたようなものなので、ずっと傍観者というのも性に合わない。
さあ、フランちゃんのエントリーだ!
私は近くにある手頃な銀皿を手に取ると、ルプスに拳を振り下ろさんとするスペードの男の頭に対して、フルスイングで激突させる。
手ごたえとしては申し分ないが、何せ今私は貧弱な魔法使いのフランちゃん。
与えたダメージはわずかであるが、フルスイングの衝撃はあったのか、スペードの男が怯む。
「ナイスだ! 嬢ちゃん!」
ルプスは、マウントを取られたまま、右拳をスペードの男の顎にクリーンヒットさせる。威力は十全ではないが、脳を揺らし、意識を刈り取る一撃としては申し分なかったようだ。
スペードの男はゆらりと崩れ、ルプスの方へと倒れていく。
危うく、ルプスとスペードの濃厚な接吻となりそうだったが、ルプスが「うおおおおっ!!」と本日一番の悲鳴を挙げて、迫りくるスペードの顔を右拳で強打していた。
私がそれを哀れな目で見ていると、突如頭部に衝撃が走り、視界が歪む。
残りのクローバーの男が、私に対して空瓶を振り下ろしたらしい。
ゲームだから痛みはないけど、意識外の一撃と強い衝撃もあって、私の視界はひどくぼやける。
やばいやばい、助けてルプスと思ったけど、自分に圧し掛かっているスペードの男を退けるのに手間取っているようで、即座の助力は難しい。
じゃあ、私で何とかするしかない!
魔法使いだから、魔法で華麗に乗り切りたいところではあるんだけど、まだ魔法の使い方わからないし! 視界は歪んでいるけど、私の手にさっきの銀の皿が握られているのはわかる。まだ、私の手は勝負を投げ出しちゃいない。
「えいやっ!」
銀の皿を適当に放り投げる。適当にといっても、ある程度クローバーの男がいる場所にあたりをつけて、乱雑に投げる。
ジャランと、皿らしきものが床に落ちた音が確かに聞こえる。
まだ視界がぼやけていて、それが標的に当たったかどうか自信はない。これで、少しでも怯んでくれると助かるんだけど……どうやら、そう上手くはいかないらしい。
ぐっと、首元が絞められ、私の脚が床を離れるのを感じる。
視界が元通りになり、状況を整理すると、いや整理する余裕もあんまりないけど、どうやら私はスペードの男に首を掴まれ、持ち上げられているらしい。首が自重で締まり、呼吸が苦しくなる。いや、ゲームだから苦しくなっている気がするだけだ。気のせいだと言い聞かせたいけども、普通に苦しい!
「ぐ、こ、このおっ!」
クローバーの男の手首を叩くが、びくともしない。
すごい貧弱だあ。
次第に視界が再びぼやけ始める。頭がぼーっとして、抵抗する気力も起きなくなる。
やばっ。これ、死ぬやつ? 喧嘩買って返り討ちにあって死ぬとか、恥ずかしすぎる。
「うおらっ!」
ルプスの声とともに、私の身は宙に放り投げられ、床に転がる。
受け身なんて取れるわけもなく、私の右腕からひしひしと痛み……っぽい疼きを感じる。
視線をクローバーの男へと向ければ、ルプスがクローバーの男のわき腹を蹴り抜いたらしい。クローバーの男はわき腹を抑え、苦痛に顔を歪めている。
ルプスはクローバーの男に気を向けつつも、私にちらりと気を向けてきた。
「大丈夫かア、お嬢ちゃん」
「けほっ。大丈夫ですよ、ルプス。そちらこそ、殿方との接吻にはなりませんでしたか?」
「嫌なこと思い出させんなっての。んじゃ、ちょっと待ってろ」
その後は一撃だった。
悶絶して動けないクローバの男に対し、ルプスは上から下に向かって掌底を打ち抜き、男の意識を刈り取る。
そのまま男は動かなくなり、あたりに沈黙が訪れる。酒場の注目を集めていた乱闘が終わりを迎え、その場には勝利した一人の狼男が立っていた。観衆は、その男を称えるようにして、そして鬱憤を晴らすようにして、歓声が挙がる。中には面白くなさそうな顔をして、舌打ちする輩もいたが、まあ立ち上がらないところを見ると喧嘩を売るようなことはしないらしい。
「しかし、なんで歓声?」
「そりゃあまあ、面白いもん見られたからな、嬢ちゃん」
私の呟きに、近くに居た髭面の男が応える。
「あいつら、さっきから獣くせー獣くせーって、不満まき散らしてばかりでなあ。ここらへんじゃあ、『ストリム』の迫害は厳罰だってーのに」
「とにかく、酒をまずくする連中が、あいつらの嫌う『ストリム』にボロボロにされたんだ。少しは溜飲も下がるってもんよ。いやあ、面白かった!」
ストリム……というのが、ルプスの種族の名前なのかもしれない。
それで、なるほど。どうやら、周りの方々も彼らががストリムに対する不平、不満を垂れ流して面白くなかったらしい。
私たちがそれをぶっ飛ばしたから、まあスカッとした……ってところかな。
「嬢ちゃんの、最初の一撃も強烈だったなあ!」
「ああ、あれは痛そうだった。ひゅんとしたぜ」
「でもまあ、俺はあんな小さな子なら……別に……」
酔っ払い(なんかやばい人もいたけど)に絡まれて、愛想笑いを浮かべながらその場を離れると、ルプスと合流する。
ルプスは私の姿を認めると、頭をポリポリと掻いて、溜息を吐く。
「ったく、せっかく俺が我慢してたっつーのに。どうすんだよ、これ。めっちゃ目立ってるぞ」
「いいんじゃないですか? 楽しそうでしたよ。我慢するのは、あなたらしくない」
「うっせ、俺にも俺の立場とか考えがあったんだよ!」
しかし、少々悪目立ちしてしまったのは確かだ。
私たちは、自分たちの酒と食事代として、あわあわしていた店員に金貨を投げると、今度は男たちの懐から金貨袋を取り出して放って、「弁償代」と一言伝えて、店を後にした。
騒がしい酒場とは違い、夜の街の風は冷たく、静かで、どことなく落ち着く。
その心地よさに浸っていると、導きの書が鳴動する。
見れば、ルプスは導きの書を開いており、指でなぞっていた。恐らく、ルプス……いや、シオからのメッセージだろう。
ルプス:楽しかった!
フラン:だと思った。
ルプス:いやあ、自分のキャラ的には、不必要な争いは避けるんだけどね。
連れ添いがあんなことされちゃあ、黙ってるわけにはいかないでしょーに。
フラン:まあ、お疲れ様。それで、これからどうする?
ルプス:今、旅路を確認してた。そろそろ、追加でイベントが起きるはず。
私たちが酒場の前で佇んでいると、砂利を踏みしめる足音が後ろから聞こえる。
そちらをなんとなく振り返ると、乱闘前に注視していた、あのボロ布を被った女性と騎士らしき人が立っていた。
女性はボロ布を頭から除くと、月明かりにその顔が露わになる。
金色の髪が月の光を反射して煌めき、幻想的な雰囲気をつくりだす。気品を感じる凛とした瞳には、強い意思を感じる。年齢は私……というのは、つまり元野葉子と同じく、17歳あたりの、まだ大人とはいえない少女。口は一文字に閉じられ、その内に何を秘めているかはわからないが、覚悟を決めた顔つきであると伺える。
簡単にいえば、月と決意を背負った少女がそこにはいた。
「あなた方にお願いがあります。導き手殿」
少女は、そう口にした。胸元に手を当て、懇願するように声を絞り出す。
「どうか、私たちの村をお救い下さい」
ルプスを横目に見る。狼男は怪訝な瞳を少女に向けるが、中の人的には「王道だ! 王道って素晴らしい!」と騒いでいることだろう。
私も、王道は大好きだ。
それじゃあ、本格的に冒険を始めよう。
そして、物語を綴って行こう。