ホット・スタート
私が夢から目を覚めたのは、馬車が跳ねたからだ。
車輪が小石でも砕いたのか、決して小さくない揺れが馬車を襲い、私の臀部を叩いた。心地よい夢……というわけではなかったけど、少なくとも怠惰な時間を邪魔されて少しだけムッとする。
「目が覚めたかい、お嬢さん」
私にそう話しかけてきたのは、狼を連想させる獣の耳を頭に生やした青年だった。
見かけは私と同じヒトではあるが、あたまには藍色の髪とそれと同化した毛皮? をまとった獣耳が見える。あとは、軽装だからこそ見える鍛え上げられた筋肉と、腕に装着している手甲から、彼が戦いを生業にしていることが伺える。あと、ふさふさな尻尾が揺れていた。凶悪な目つきしてるくせに、かわいいところあるじゃん。
私は、身体をぐっと伸ばすと、かわいい狼男に話しかける。
「ん……あとどのくらい?」
「御者の話じゃ、もうそろそろ着くそうだ。……随分とよく眠っていたようだが、依頼内容は覚えてるか?」
「まあ……概要は?」
実のところ、これまでの驚きが多すぎて、これから何をするのかと問われると……「あれでしょ? えっと、悪い魔物をぶっ倒しにいくんでしょ?」としか答えられない。
狼男……いや、ルプスは、溜息を吐くと、「しっかりしてくれよな、お嬢さん」と苦笑を浮かべる。
「お嬢さんじゃなくて、フラン。ちゃんと自己紹介をした記憶はあるわよ」
「こいつは失礼。まあ、今回の依頼で生き残ってたら、名前くらいは憶えておいてやるよ」
ルプスは、にやりと笑って私を挑発する。くっ……そういう演技だとわかっていても、腹が立つ。……待て待て落ち着け、私。私はフラン。私はフラン。こんな挑発に乗るような安い女じゃない。酒が入ってなきゃ……私は冷静だぞ。葉子やリーフならば、グーパンするかもしないけど、フランはそんな非生産的なことはしない。
「……本当に大丈夫か? なんかおかしいぞ、お前」
「だ、大丈夫。私は落ち着いているし、冷静だわ。それじゃ、ルプス。依頼の確認をしましょう? 愚鈍なあなたのために、私が教えてあげるわ」
「……すごいな、お前」
ルプスの呆れ声を無視して、私は――私がこの『ヒストリア』に足を踏み入れたころを思い出す。
それは、ゲーム内でいうと、昨日の夕方頃の話だ。
■ ■ ■
気づけば、私は騒がしい酒場の一角のテーブルに腰掛けていた。
周りを見れば、酒を片手に騒ぎ、踊り、歌い、そして笑う人たちが見える。野蛮そうな屈強な男もいれば、そんな輩と腕相撲で競っている女性もいる。この喧騒の中で、楽しそうに歌う吟遊詩人と、そのメロディとともに踊る踊り子がいる。私と同じ――たしかシオはヒトと呼んでたっけ?――が多いけど、中には獣耳が生えた人とか、翼が生えた人とか、なんか小さい人もいるし、まさに、これぞファンタジーの酒場という世界だった。
「うわ、うわあ、うわあ、すごい……」
私はそんなファンタジーの世界に本当に這入ったんだという驚きで呆けていると、私の正面に一人の青年がどかりと座り込んだ。片手には酒を持ち、もうすでに飲んでいるのか、やや顔が赤い。そして、藍色の毛皮をまとった狼のような耳が生え、鋭い目つきは私を値踏みするかのように向けられていた。
「よう、お嬢さん、飲んでるかい?」
「え? あ、ああっと……飲んでません」
「おいおい。ここは酒場だぜ。酒を飲まなきゃ、何を飲むってんだ」
「ご、ごめんなさい」
初対面の人にいきなり怒られて……いや、待て、私なんで怒られてんだ。
おかしくない? てか、何よ、この人。なんでいきなり絡んできてんの、面倒臭いんだけど。
理不尽なことに、だんだんと怒りが沸いてくると、いきなり正面の狼男が「ぷっ」と噴き出した。
なんでこいつ、いきなり笑ってんだ?
と、私が怪訝な目を向けると、目の前の青年は、いきなり腰元のベルトに繋がれていた本を手に取り、それを開く。にやにやと笑いながら、その男が本に指をなぞるかと思うと、急に私の腰元辺りが震えた。いきなりのことに「ひゃいっ!」と素っ頓狂な声を挙げると、周囲の何人かはこちらに目を向ける。羞恥に顔が熱くなるの感じながらぺこぺこと頭を下げると、いきなり震え出した原因を見る。
見れば、私の腰元のベルトにも、本が括り付けられていた。それが鳴動しているのだ。
明らかに正面のこいつが何かしたと思い、怪訝な目を向けると、男は早く取れよと言わんばかりに、顎を私の本の方へと向ける。
訳も分からず、腰元の本を手に取る。なんてことはない。ちょっと大きな手帳サイズの本だ。
私がそれを広げると、いきなりゲームっぽいUIが現れて、またちょっと慌てる。
そこには、明らかに「技能」とか「経歴」とか、ゲームのメニューらしきタブがちらほらと見えた。
タブを切り替えると、本のページが自動的にパラパラとめくられ、当該のページへと辿り着くようだ。
そして、激しく主張しているのが、タブのひとつである『チャット』だった。
私は、チャットのタブへと切り替えると、いくつかの文字が連投されていた。
ルプス:合流完了!
あ、今あなたの目の前にいるイケメン狼男のルプスくんが、私、シオでーす。
以後よろしくね!
ルプス:何か「シオ」に言いたいことがあるときは、このチャットで発言してね?
キャラクターのメタ発言は、この世界じゃご法度だから。
ついつい、フランの口から「えええええええええっ!?」と叫びそうになったが、後述のチャット文章が何とか速やかに脳と身体にいきわたり、寸前で叫び声を抑えることができた。
改めて、目の前の酔っ払い狼男を見るが……明らかに男だ。いや、私――フランは体感的に私よりも身長が頭一個分低い。チビなのだ、この子。――よりも遥かに背が高く、大人くらいの身長差はある。これがシオ……もとい、詩織だとは思えない。
私はもどかしさを感じながら、チャット欄にて発言する。
フラン:え、なんで男なの?
ルプス:カク婆さんが、私に男キャラを渡すのが悪い。
フラン:あ、性別はプレイヤーの性別固定じゃないんだ。
ルプス:そこを含めて、ぜーんぶランダム。
ちなみに、私、伴侶がいる設定だから、あんまり誑し込むムーブしないでね。
フラン:……………………。
ルプス:チャット欄でだまんなや。
本当に、言葉にできないんだけど。
うぇー……。旦那……おっと、男性キャラだから、奥さんか……。ゲーム内で奥さんいる設定なんかこいつ。いや、まあ、多分、それもランダムだったんだから、シオが望んだものではないと思うけど、そんな設定が付与される可能性があったのかと思うと、怖いなあ、ランダム作成。
シオ……じゃなくて、ルプスは、近くに通ったウェイトレスに「酒お代わり! 俺とこいつの分! あとつまみもじゃんじゃん持ってきて!」と笑顔で注文する。さらりと、私の分の酒も頼んだけど、いやいらないんだけど。
……フランもいらないんじゃないかな。
ちょっとこそばゆいけど、シオがルプスとしての言動を貫いているのであれば、私もフランとしての言動を求められているのだろう。めちゃくちゃ、めちゃくちゃ恥ずかしいけど、もう十年来の遊び仲間なのだ。これくらいは、黒歴史にもなりゃしない。
「あの……ルプス、私、お酒はちょっと……」
「んだよ。いっぱい喰って、いっぱい飲まないと、大きくなんねーぞ」
ルプス:ちなみに、この酒飲んでも酔わないから。ただ、酔った演技してるだけだから!
フラン:キャラで話すのとチャットで話すの交互にしないで、全然追いつけない。
き、器用だなあ。それとも、ビブリオテーカを遊ぶ人は誰でもできる技なのだろうか。
しかし、渾身の演技も流されるし、あんなに気負ったことが、もう恥ずかしい。
フラン:しかし、よく私がここにいるって、わかったね。
こんなに人がいっぱいいる酒場なのに。
ルプス:滅多なことが無い限り、プレイヤーは物語開始直後は近くにいることが多いんだ。
それに、物語を読む限り、ルプスの旅仲間が酒場の片隅に居るってあったから。
フラン:物語を読む? とは。
ルプス:今、手元で開いている本は「導きの書」っていうもの。
まあ、ゲームのメニュー画面みたいなものだね。
それで、導きの書に「旅路」タブがあって、そこに今回の物語が自動執筆されていくんだ。
執筆って言うけど、今より、ちょっと先のことが大体書かれてる。
まあ、冒険でこれから何をすればいい? ってときの指針だね。
ほうほう。
ルプスは運んできた酒を呑み、料理に豪快に頬張っている。関係ないけど、よく食べるなあ、こいつ。
私は、ひとまずルプスが酒と飯を堪能している間に、「旅路」タブを開く。
――あなたは、旅の仲間と今日の冒険を語らい合う。失敗したのか、成功したのか、それは個人の測量によるものだ。それにより、今宵の酒の味も変わるだろう。
――あなたの旅仲間は、陽気にその料理を平らげていく。どうやら、よほど良いことがあったらしい。彼はあなたに酒を勧めて来るが、酒精は魔法使いの思考を鈍らせる。例え、あなたが、精霊術に秀でているとしても、それは抗えないものだ。師匠から酒精に注意するように言い聞かされていたあなたは、酒を口にすることはなかった。
……すっげー、色々と脚色されてる。
そこまで考えていたわけじゃないんだけど。なんか、良い感じに、酒を断った理由が書かれてる。
自分の言動が、ここまでキャラらしい理由付けされていると、面白いな。
とくに、魔法使いだから、って感じの理由が実に良い。
私は、わくわくしつつ、次のページをめぐると、その半分は真っ白だった。そして、その次のページもまだ白紙のようだ。
……ああ、シオが、ちょっと先の未来までしか書かれないって言ってたっけ。まあ、最初から全部わかっているのは面白くないし、これから何をすれば良いのかわかる程度が丁度良いのかもしれない。
さてさて、じゃあ、これから何が起こるか――読ませてもらいましょうか。
――あなたの視界に、ふと見慣れない女性が目に入る。
――数日、この酒場にいたあなたは、大体の客の顔を覚えていたが、その女性は初めて見る。あなたの才覚と記憶を疑わなければ、女性の身なりは上等のものであり、少なくとも旅人としてはらしくないと感じるだろう。
旅路の予告文を読み、私は周囲にそれらしい人がいないか探す。
そして、確かに、明らかに異質な二人がいた。
テーブルに、大剣を傍においた騎士と、頭からボロ布を被った女性だ。
予告文がこの二人の内の、女性のことを指しているのか注視していると、「旅路」の文字が書き換わることに気付いた。
――ボロ布を被ってはいるが、その隙間から見える服は平民の賃金ではそう簡単に買えない上等の品だ。少なくとも裕福な商人、あるいは権力者の娘と見るべきだろう。
どうやら、二人を観察したことで、より詳しい情報が開示されたらしい。
まあ、ここで旅路が私に二人を観るように誘導しているのであれば、きっと二人は物語の鍵を握るキャラクターなのだろう。
さてさて、じゃあ、この後の展開はっと――。
――突如、あなたに向かって酒ビンが飛来する。
「はえ?」
と、私がフランの口から間抜けな声を出すと同時に、頭上でパリンと何かが割れる音がして、事情から液体が降り注ぐ。目を瞑って驚くが、匂いですぐに液体の正体がわかる。これ、酒だ。
何が起こったか事態を把握する前に、本が自動的に閉じられ、私の腰元へと戻って行く。正面のシオ……じゃなくて、ルプスを見ると、口から骨つき肉の骨を咥えながら、酒場の中心を見ている。
今言うことじゃないけどさあ! やっぱり、お前犬だったんだなあ! 骨を咥えるとか、完璧な犬ムーブだろ!
ルプスは口に咥えていた骨を皿に吐き出すと、ゆっくりと立ち上がる。
酒が入って緩みきっていた表情は消え、真剣そのものだ。
「おい、誰だ? 今、このチビに酒ビン投げた奴は」
「待ちなさい。誰が、チビだって?」
「もっと背が縮んだら、どうするんだよ、ああん!!」
「おいコラ」
はっ。いけないいけない。ついつい、中の人が出てしまった。
ルプスの声に、哄笑していた集団の一人、軽装の男が立ち上がる。
顔は紅潮し、蕩けたような目をしていることから、かなり酒が回っていると伺える。
リアルでもゲームでも、極力関わり合いたくない人だ。
男はケタケタと笑いながら、私……ではなくて、ルプスを指差す。
「わりーな嬢ちゃん。あんたじゃなくて、そっちの犬っころを狙ったんだわ。いや、だって獣くせーからよ、せめて酒の匂いで駄犬の匂いを誤魔化してやろうと思ってな。ま、そんな犬と連れ合いのあんたも、獣くせーんだから、ちょうどいいよな!」
世界観がまだ掴めてない私としては、断言できない。
けどきっと、ルプスの種族は……冷遇されているのだろう。それか、ヒトと対立した歴史があるとか、少なくとも良好な関係とは言いづらい深い溝があるのだろう。
周囲のヒトの目を観察すると、同じようににやにやと笑う者もいれば、呆れて酒を呷る者もいる。そればかりか冷たい目線を送るヒトもいるため、ヒト全体の共通の価値観というわけではなさそうだ。
ルプスは「んだと……?」と額に青筋を立てているが、一歩も動かない。
チャットが出来れば、シオにこれからどうするのか訊きたいのだけど、どうやら戦闘状態――この場合は、戦闘準備状態だけど――のときは、導きの書は開いてくれないらしい。
だとすれば、フランの口から訊くしかない。
「ルプス……どうするつもりですか?」
「……腹立たしいが、手は出さねえよ。ここで騒がしくしちゃア、相手の思う壺だからな」
「わかりました。あなたはそうするんですね」
「ああ、気分わりーが、ここはひとまず――おい待て。今、あなたはって言ったか?」
私はルプスの言葉に返事はせず、酒の匂いを纏いながら、その男の近くまで歩く。
私の足音が酒場の中心に近づくにつれ、次第に喧騒が止んでいく。
周りの目が、こちらに集まっていく。
告白しよう。すっごいドキドキしてる。
普段……葉子でもリーフでも絶対にしない行動だ。
でもフランなら? フランならこういうときどうするだろう? 私はまだこの子のことをよく知らない。経歴は知っているけど、こんなときにどんな反応するかまでは、知れっこない。
だから、これから知ろうと思う。私自身が、フランとして動くことで、フランの行動の指針を……信念をつくっていけば良いのだと思う。
……という建前で、好きなことやります。
私も小説を書く上でひとつ学んだことがある。
それは、「設定は後から生えて来る」ということだ。
私が、その男の前に辿り着くと、やはり身長差は歴然だった。
フランちゃんはマジ小さい。やっぱり子供だ。こんなに身長差がある男の前に立つのに、恐怖を感じてる。でも、ここで臆したら、それこそチビじゃないか。
「……なんてこと、するんですか」
「あん?」
「なんて、ことを、するんれすか! 私は、お酒飲めないのに、師匠からも飲なって言われへてるのに、約束、破っちゃたじゃあ、にゃいですかああ!!」
このまま!! このままのテンションで、一気に行くぞおお!!
私はとっさにルプスに目線を送り、そのまま呆然としている男の股間めがけて足を振り上げた。
リアルでもゲームでも味わいたくない柔らかな感触の後に、致命の一撃だったのか、男は悶絶して股間を抑えながら前のめりに倒れていく。
男の一人が倒れたことに反応し、その仲間たちも立ち上がる。
その目線は、明らかに私に対する敵意だった。
「おい! せっかく俺が我慢したってのに!!」
すぐに私の横……いや、前に立つルプス。
彼の言葉の端には怒りを滲ませているけど、今は楽しそうに笑ってる。
予測できない、けど決して嫌いじゃない話の展開に、心躍ってる!
やっぱり、冒険の始まりとしては、大乱闘がお決まりでしょ!