ビブリオテーカ
学校へと向かう足取りは重かった。
久しぶりに長時間の睡眠を得られたせいか、慢性的な頭痛と眠気は無くなっていたが、気分は憂鬱だった。
その理由は決まっている。詩織に、私の書いた作品を読まれたからだ。
はっず。めっちゃ、はずい。小学校からのつき合いで、気を許せる仲ではあるんだけど、それとこれとは話が別なんだろう。あの作品には、私の頭と心の中の妄想が、想像が、書き綴られているわけで、それを他人に読ませる、なんだこの……羞恥プレイは!
しかし、すでに読まれてしまっていることは確定だし、ここは覚悟を決めるしかないのだろう。
学校へと到着し、私が席についたころを見はからかったのように、扉を開け放ち、彼女は現れた。
陽気な春の気候が彼女にとっては暑いのか、学校指定のブレザーを着用せず、ワイシャツのみの上半身。相変わらず防御力が低いスカートだけども、その下にはハーフパンツが着用済みである。短く刈った髪に、整った顔立ちであるが、目の下に隈があるせいか、不健康そうな雰囲気がある。まあ、毎日が元気すぎるせいで、相対的に気分が悪く見えるのかもしれないけども。
ロミオが似合う女子生徒全校ナンバーワン。
見た目は良いのに中身が残念な女子生徒全校ナンバーワン。
愛すべき馬鹿。保健室の番犬。
犬童詩織その人だ。
「おっはよー! 葉子。元気してるー? 私は絶不調! 理由は貫徹だから! いやあ、なんであんな夜遅くに面白そうなもの送って来るかなあ! ひとまず、私は保健室でサボタージュするから、昼休みにね! じゃ!」
そう言って、詩織は教室を去っていく。恐らく、そのまま本当に保健室へと向かうのだろう。
詩織が絶不調なのは本当かもしれない。ああ見えて、彼女は本当に身体が貧弱なのだ。
詩織の体調のことは、詩織自身が一番よくわかっているし、私は再三「読むな! 寝ろ!」と言ったのだから、それでも読んだのであれば自己責任だろう。……私のせい、とかじゃない。うん。
まあ、今わかったことは、詩織は、「昼休みにはお前の作品をレビューするから、首洗って待ってろ」ということだった。ええい、くそ。何も考えずに、ただただ物語に没頭していたい。私もサボタージュして、図書館に籠って「図書館の令嬢」とか呼ばれたい。いや、ごめん。令嬢は無理だわ。
とにもかくにも、授業に集中すれば、昼休みまであっという間なわけだった。
購買で自分と詩織の分のパンと飲み物を買うと、迷うことなく保健室へと向かう。
保健室のドアをノックすれば、中からは保健室の先生ではなく、「はーい」と元気そうな幼馴染の声が聞こえてきた。
「葉子、お腹減った! 早く飯くれ!」
詩織の言動に溜息を吐いて、私は保健室へと這入る。
「あんたねえ、私以外だったらどうすんのよ。本当に気分が悪い子がいて、その人にそんなこと言っちゃまずいでしょ」
「え、いや、葉子じゃないかくらい、匂いでわかるし」
「あんた本当に犬だったの?」
軽口を交わした後に、詩織はベッドから降りて保健室の中心にあるテーブルの定位置へと移動し、私もいつもの位置へと腰掛ける。ちなみに、養護教諭である小野先生は、昼休みは大抵外食している。本当は駄目なんだけど、ヤニ成分を補充するには仕方がないらしい。子供にゃ、わからない世界だった。
「はい。好きなもの取りな」
「はいはい。んじゃ、これで」
詩織はホットドッグを手に取る。ホットドッグとは、本当に犬の立場を狙ってんじゃないかと勘繰るが、まあ考え過ぎだろう。
私は必然的に残り物である質素な菓子パンを手に取り、むしゃむしゃと食べ始める。
「体調はどんな感じ?」
「んー、まあぼちぼち。絶好調の5割程度ってとこかな。ホットドッグ食べれば8割まで回復する」
「ホットドッグはHPを回復するアイテムだったのね」
「空腹の状態異常回復も付与されてるよん」
「へ、へえ……」
元気そうにホットドッグを頬張る詩織を前に、そわそわとする私。
ほら、来い! 受け止めてやる! どんなに酷評であったって、受け止めて、そのまま私もサボタージュしてやる! だから、さっさと、さっさと楽にして欲しいんだよね。
そんな私の挙動不審さに勘づいたのか、詩織はホットドッグを片手に口角を釣り上がらせた。
「そういえばさー、昨日のあれだけどさ」
「ひょえっ!? あ、あれって、あー妹が送ったって言った奴? ごめんね、本当、あんな深夜にさ! 困ったもんだよねえ。忘れていいから、忘れて、ね?」
「普通に面白くなかった」
「ごはっ」
私は机に突っ伏し、詩織はまたホットドッグをもぐもぐと食べ始める。
ぐぬ、くふう、いや、まあ……私自身も面白くないと思ったものだから、他人から同じような評価をもらったとするならば、やはり面白くなかったのだろう。だとすると、ギャル妹も実は面白くなかったのかもしれない。それを「わからない」と評価したのは、ギャル妹の優しさだったのだろうか。
私が顔を上げると、詩織はホットドッグを食べ終わったのか、口元と指先をティッシュで拭っていた。そして食後のジュースを流し込むと、「んっとね」と話し始めた。
「私もそこまで本読むわけじゃないから、あくまで素人の感想だけど、世界観とかは『ああ、葉子が好きそうなファンタジーだ』と思った。文章も誤字脱字は無かったし、ちょっと回りくどい表現とかはあったけど、まあ読みやすいテンポだったよ。だけどね、なんか登場人物が、活き活きしていないっていうのかな? 台本に沿ったことを淡々と進めてるだけど、そこに意思とか感情とか……そういうのが感じられなかった。キャラが、死んでるっていうのかな……。うん、こんな感じ」
「……思ったより、ちゃんと読んでくれたんだ」
「思ったより、ってどういうこと? そりゃあ、読むよ。読む読む。だって、読んで欲しかったんでしょ?」
「ん……別に――そんなことは思ってない」
「素直じゃないなあ」
そう言って、ケタケタと笑う詩織。私はそれを横目に、残りの菓子パンを飲み込んだ。
しかし、キャラが死んでいる、かあ。
確かに、私は物語をつくる上で、キャラをストーリーのための舞台装置として配置してしまったかもしれない。最初から最後まで、キャラの台詞もすべて計算して、キャラの内面とか、感情とか、そういうのを蔑ろにしてしまったかもしれない。
じゃあ、キャラを重視して作品を作り直せば……と思うが、そう簡単には閃かない。
このキャラが何を思って動いているんだ? 何を考えて戦っているんだ? 使命? 感情に従って? それともただ何となく? 最強を目指して? 守りたいものがあるから? そもそも、なんで戦う? なんでこの世界に生きている? なんで……なんで、私はこのキャラで作品をつくろうと思った?
私が缶コーヒーを口元にあてたまま、思案に耽っていた。でも答えが出てこない。どうやら、私は壊滅的にキャラの内面とかを設定をつくるのが苦手らしい。なるほど、詩織の指摘どおり、キャラに深みや厚みが無いわけだ。
「ん、お困りかい、葉子」
「……思い返せば、詩織の言う通り、たしかにキャラが死んでるんだなあってわかったよ。んじゃ、それからどうしようかなって思ったけど、頭の中でまとまらなくって。はあ、やっぱり、私は読み手に専念した方がいいのかな」
「私は、遅かれ早かれ、葉子が自分で創作するだろうとは思ってたけどね。それに、一旦書き手から離れたとしても、きっとまた葉子は書き出すよ」
「根拠は?」
「……他人に自分の作品を読ませることの、恥ずかしさと快感を知ったから……かな」
「なにそれ。たしかに、恥ずかしかったけど、快感って別に――」
「そう? 私には……私が読んだって言った時の葉子、すっごい嬉しそうに見えたけどなあ」
「………………」
この話題で、きっと私は詩織に口では勝てないだろう。
そうそうに白旗を振って、私は缶コーヒーを飲み干した。
詩織は鼻で笑うと、私の弱点について触れ始めた。
「……まあ、キャラのことがわかんないっていうなら、キャラになるのが一番かもね」
「はあ? どういうことよ、それ。自分の作品のキャラになりきれってこと?」
「あ、惜しい。てか、それでも良いかもしれないけど、もっといい方法あるよ」
もっといい方法がある。
いい方法と聞くと、楽したい人間代表の私としては、その餌に食いつきたくて仕方ない。
というより、食い気味で食いついた。
「何それ、どういう方法?」
「いやあ、前々から誘おうとは思ってたんだけど、良い機会だったよ。……これ、きっと葉子も好きになるかなって思って。一緒に遊べないかなって思ってはいたんだ」
詩織がスマートフォンに表示したのは、ゲームの公式ホームページだった。
ゲームタイトルは「ビブリオテーカ」。最近……といっても、三か月前からサービス開始したVRMMOのようだ。どんなゲームか……ゲーム概要を読もうとリンクを踏もうとしたが、すっと詩織にスマートフォンを取り上げられる。
「ゲーム内容については、秘密」
「……いや、ゲーム内容とか知らないと、詩織がこのゲームを勧めた理由がわかんないんだけど」
「いいから、百聞は一見に如かず……じゃなくて、百見は一遊に如かず、だよ! やってみれば、私が勧めた理由もわかるから! ね? だから、一緒にやろ!」
詩織からの圧がすごい。
しかし……VRMMOかあ。VRに抵抗はないけど、MMORPGはやっぱり好みではないジャンルだ。けど、まあ、久しぶりに詩織とゲームで遊ぶのも悪くないかもしれない。それに、このゲームにキャラ作成のヒントが本当にあるなら、やってみて損はないだろう。……基本プレイは無料らしいしな!
「わかった。やるよ、ビブリオテーカ……だっけ? 始めてみる」
「オッケー、言質とったからね! じゃあ、ダウンロード終わったら連絡して! 深夜じゃなきゃ速攻反応するから! あ、あと、自分でゲーム内容調べるのは禁止だからね!」
「う、ういっす」
「うむ!」
満足そうな詩織は、腕を組んで頷く。満面の笑みを浮かべて、ご満悦といった感じだ。
よっぽど嬉しいんだろうなあ……。まあ、確かに詩織と一緒に最近ゲームしてなかったし、久しぶりに良いのかもしれない。問題は、ゲームをする時間は、他の物語に手がつけられないことだ。私の本棚には、手つかずの本たちが、リビングのテレビのHDDには未視聴のドラマとアニメが眠っているというのに……。
まあ、いっか!
睡眠時間削れば、何とかなるでしょ!
物語中毒者、甘くみんなよ!
昼休みが終了する予鈴が鳴り響き、私は席を立つ。詩織はどうやら体力は回復したらしいが、空腹以外の状態異常はまだ回復していないようで、あくびをしながらベッドの方へと歩いて行った。私が保健室を後にすると同時に、小野先生が帰って来た。見た目だけは清潔感がある好印象の男の人なんだけど……うーん……隠しきれない煙草の匂いだ。
私のしかめっ面したのに気づいたのか、小野先生は自分の二の腕辺りに鼻を近づける。
「……匂うか?」
「ばっちりです。……まあ、今更ですけど。まだ詩織は体調悪いみたいなんで寝てます。よろしくお願いします」
「ん。心得た。午後の授業も頑張りなさい」
「はーい」
私は早足で、自分の教室へと向かう。
その足取りは、まあ……学校へ向かうときに比べて、だいぶ軽くなったんじゃないかな、と思う。