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時の檻  作者: YAEpon
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第四章 ―運転手―

第四章 ―運転手―




「じゃあ、なぜあなたまで智弘を事件の場所まで連れて行ったの?あなたはお母さんが亡くなった過去を変えたいと思っていたんでしょう?」


響子の問いかけに俺は何も答えなかった。


数歩、足を進めて自分の家があった場所に歩み寄る。


父さんが亡くなったから処分したので、もう違う家族が、違う形の家を建てて住んでいる。


家の中からは暖かな光が漏れ、時たま子供の笑い声が聞こえる。


隣の生垣も、もうブロック塀に変えられて、子供の頃の風景とはすっかり変わってしまった。


振り返るとシゲさんと響子がこちらをじっと見ている。返事を待っているのだろう。


おれはまたタクシーの近くに戻り、話しを続けた。


俺をこの【時に忘れられた場所】に連れて来た三日後、運転手は胸を押さえ、倒れた。


運転手は荒い息をしながら、俺に微笑みかける。


「やっと逝ける…な。」


運転手の目には涙が浮かんでいた。


苦しいからなのか、それとも逝けることが嬉しかったのか…。


俺は逝けることが嬉しいからなのだろうと思った。


そして亡くなると同時に、その体は俺の前から霧の様に消えた。


ここは【時に忘れられた場所】。


他のどんな時代ともかけ離れている。


俺は(肉体の正しい時間の流れに戻ったのだろう。)そう漠然と思った。


この運転手は、その前に運転手をしていた人物をおくったのだろうか?今の俺のように…。


でも、それを聞く事はもう出来なかった。




それから俺はタクシー運転手として働いた。


車の運転は得意な方だし、大学時代に二種免許を取り、タクシー運転手のバイトをしていた事もあるので運転するのに問題はない。


ただ、この時代でその免許は有効ではないだろうから、事故を起こさぬよう、まきこまれぬよう。検問に近付かない様にと細心の注意を払って運転をしていた。


しかし、まだ時を移動する事はしていなかった。


「時を移動する時は気をつけろ。体に多大な影響があるからな。」


そう運転手に言われたのもあるし、何よりきっかけがつかめなかった。


それに、積極的に動かなくても、俺があの“母さんを殺害した時”へ記者時代の俺を連れて行かなければ、もうあのような事件が繰り返される事はないからだ。




いつものように夜の街を流して走る。


クリスマスのイルミネーションが街を飾り立て、人々が浮かれているのを俺はただ傍観していた。


イベントごとに興味はない。


ただこの時期は仕事が多い、そんな事を考えるだけだ。


二人連れの客が手をあげたのが見えたので車を停める。街を彷徨う他の人々とは違い、酔っている様子ではない。


「!」


桑野と藤野だ。


だが、気付いたのが車を停めてしまってからだったので、俺は目深に帽子を被り直し、気付かれないようにと心の中で祈った。


桑野が乗り込み、続いて藤野が乗ってくる。


桑野が目的地を二種類告げた。先に彼女を家に送り届け、自分もこのタクシーで自宅に戻るとの事だった。


「はい。」


俺はぼそっと返事をした。


声で気付かれるのではないか?


そんなことを恐れたからだ。


しばらく車内は静かだった。


ただ、ラジオからBGMが流れている。


「藤野君、元気を出して下さい。」


俯いたままの藤野に桑野が声をかける。


自分の部下にも丁寧な言葉遣いなんだな、とちょっと感心した。


「先生…。私、そんなに信用ないですか?」


自分自身の言葉がショックだったのか、藤野の語尾は震え、涙声になっていた。


「そんなことありませんよ。あなたが信用できる人間だからこそ、わたくしはあなたに仕事をお手伝いしてもらっているのですから。」


藤野の肩に手を置き、自分のハンカチを差し出す。


藤野はふるふると頭を振って自分のハンカチを取り出し、涙をぬぐった。


「でも…、それならなぜ、五辻さんは私に退院のちゃんとした時刻を教えてくれなかったんですか?私から逃げるように行ってしまったの…?」


最後は自問自答しているようだった。


「それがあなたのためだと、そう判断されたのだと思いますよ。」


桑野は優しく語り掛ける。


「私はもっと彼の力になりたかった。それだけなのに…」


また涙が溢れてきたのだろう。街灯が照らす彼女の顔が涙で光っていた。


「もう十分、お手伝いしましたよ。それに彼は自分の罪が許せなかった。だからあなたが力になって差し上げても、余計に罪の意識に苛まれるのではないですか?自分が幸せになってはいけないのではないかとそう感じて…。それはあの裁判を担当したあなたが一番良く分かっているでしょう?」


桑野はなだめるように話しかけている。


あの時…俺の裁判を担当した時、すでに桑野は俺の気持ちを理解していたのだろうか?


それなのに俺は裁判手法が気に入らなくて桑野を毛嫌いしていた。自分が勝ちたいためだけにあんな裁判を行っていると思っていたが、それは違っていたのだろうか?


「でもっ…、彼が本当に未来から来たのなら、被害者の息子さんなら。目の前でお母さんをなくされた悲しみ、幼くして母親のいない寂しさ、殺人を犯した苦悩、全てを味わった。他の犯罪者よりも多くの苦しみを抱えて、それでも許されないんですか?」


藤野の言葉が、重く俺にのしかかる。


そう、そんな思いを全て感じた。


だが、その全てのきっかけを生み出したのも俺自身だ。


「色々な苦しみを知っている。だからこそ、許せない。そういうこともあります。」


桑野が言い切る。


俺以外にもそんな気持ちを抱えた犯罪者がいて、その人物を知っているのかもしれない。


「そんな…、そんなの悲しすぎます。」


藤野はわっと泣き出し、両手で顔を完全に覆っていた。


「藤野君、あなたが依頼人に誠実に一生懸命あたるのは分かります。ですが、深く関わりすぎてはいけません。それが判断を鈍らせ、依頼人を不利にしてしまうこともあるのですから。」


車が彼女の家付近に着いた。


俺は声をかけるべきか悩んだが、静かにそこに車を停めた。


それに桑野が気付き、顔を上げ、こちらを見る。


「!」


顔を見られた。


桑野が驚いた顔で俺を見ている。


だが、桑野は隣の藤野がまだ顔を覆ったままで、俺に気付いていないと分かると人差し指で口を抑え「だまっているように」のポーズをした。


「ちょっと待ってていただけますか?」


桑野はそう言うと、藤野を抱え、彼女の家があるのであろう方へと歩いて行った。


(すぐには戻って来ないんじゃないか?)


俺はそう思った。


彼女の様子から、それを落ち着かせるためには時間がかかるのではないかと、そう思った。


(このまま行ってしまおうか?)


そうも思うが、桑野の荷物が座席に置かれたままなので、このまま桑野が戻るのを待たずに逃げてしまうことは出来ない。


そんな思いにとらわれていると、桑野はすぐに戻ってきた。


「すみません、桑野先生。」


桑野が乗り込んだのを確認し、ドアを閉めて俺は声をかけた。


色々な意味で誤解したことの謝罪をするべきだと思ったからだ。


「謝っていただくことなど、何もございませんよ。それに貴方様にはお会いしたいとも思っておりましたし。」


そう言い、桑野は自分のカバンから白い厚くなっている封筒を俺に差し出した。


「これは…俺が払った裁判費用?」


受け取った封筒には俺の字で俺の名前が書いてある。


お金がたまったので、以前、桑野にもらった名刺の住所を頼りに置いて来たのだ。


「こちらはお返しします。わたくしどもは国選弁護人としてお手伝いし、無罪で判決を終えたので、裁判費用は全て国から支払われておりますので。」


「でも、色々ご迷惑をお掛けしたので、気持ちとして…。」


俺はその封筒を桑野へ返そうとした。けれど、桑野は大きく横に顔を振った。


「いいえ、わたくしの事務所では不正を疑われる様なことは一切禁じています。しかし、理由はどうあれポストに大金を入れておくのはいかがなものかと思われますが。それに気持ち云々を言われるのでしたら、わたくしだけには連絡先を教えて下さっても良かったのではないですか?」


「すみません。」


桑野は断固として封筒を受け取らないので、俺はその封筒を助手席に置いた。


「藤野君に連絡先を知られることを恐れたのではないですか?」


カバンを脇によけ、風呂敷包みをその隣にきっちりと置く桑野。その様子をルームミラーで眺めていた。


「…はい。」


やっと言葉が出た。そんな感じだ。


「やはり、そうですか。」


桑野は深く腰掛け、背もたれに背中を預けると目を閉じた。


俺はそれを合図に車を走らせた。




「貴方様がいなくなられてから、藤野君はずっとあの調子です。仕事中は気が張っているので大丈夫なようですが、それ以外では…見ているわたくしでさえつらくなる。」


桑野は目を開き、ルームミラー越しに俺を見つめていた。


「そうですか…。」


(もう半年近く経ったのに…)


俺は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


けれど、迷惑がかかると分かっていて彼女に会うつもりにはなれない。


「貴方様の選択は、間違いではなかったと思いますよ。」


「ありがとうございます。」


俺の気持ちを察したのかそう声をかけられ、礼を言う。


弁護士として優秀な人物は人の心を読み取る洞察力にも優れているのかもしれないと思った。


「藤野君にもまだ時間が必要なようです。いろいろな意味で。ですが、貴方がたの出会いがこんなかたちでなかったら…」


「…」


何も言えなかった。


もし俺が犯罪者ではなかったら。記者として、弁護士の彼女を取材する、そんな出会いだったならば恋人になっていたかもしれない。


自分はそれを望んでいたのだと改めて気付かされる。


「藤野君のお父様とわたくしは同じ事務所で働く親友でした。」


桑野は俺から視線はずし、外を眺めた。それはここにある景色ではなく、もっと遠くを見ているようだった。


「地方都市でしたし、まだまだ新米でしたので、二人とも民事裁判ばかりを扱っておりました。けれど、わたくしたちがお手伝いする事で依頼主の方に喜んでいただける。それは誇りでした。しかし…」


桑野の視線は今度は自分の足元へとうつった。


「わたくしたちは自己破産の依頼を受け、その処理に奔走しておりました。ひとつひとつの金融関係者に会い、あと一件、大きな金額を借りている闇金業者を残すのみとなった時…。彼は殺されました。その闇金業者を牛耳っていた人間に」


「え?」


俺の声は聞こえなかったようで、桑野はそのまま話を続けた。


「わたくしは別の件で外に出ておりました。彼は事務所で電話の対応をされていて…。そのとき犯人が事務所に現れ、犯行を行ったそうです。」


ふっとため息をつく桑野。


「すぐに犯人は逮捕されましたが、わたくしは怖くなりました。自分も殺されるのではないかと。そして東京まで逃げてまいりました。けれど、こんな事はめったにあることではないのですがね。」


桑野は自嘲した。


「ですから、藤野君は幼くして親を亡くされる悲しみをよく知っております。」


俺は彼女の先ほどの泣き顔を思い出していた。


「その悲しみを貴方様からも感じたのかもしれませんね。」


桑野はまたミラー越しに俺を見ていた。


「藤野君が弁護士になりたいとわたくしの元を訪れたとき、わたくしは彼の変わりに彼女を立派な弁護士に育てて差し上げようと。それが、わたくしが彼にできる唯一の償いだと感じました。」


藤野の父親が亡くなった事は桑野のせいではないのに、そう思った。


「彼女の努力もあり、司法試験もすんなり合格いたしました。そんな時、貴方様から弁護士を変えてほしいとの申し出がございました。」


あの時のことを思い出す。


俺は桑野に対し不信感でいっぱいだった。


「わたくしは彼女に裁判で勝つ経験をさせてあげたかった。貴方様が有罪を望んでいるお気持ちはわかっておりましたが、この裁判は勝てると確信していましたので彼女を担当につかせました。」


今度は彼女と初めて会ったときのことを思い出した。


おびえていたかと思うと、急に心を許してきて、ユニークな女性だと思ったっけ。


「貴方様は彼女に危害を加えるような事はしないと、そう判断してのことでしたが。貴方様に惹かれるとは、思ってもみませんでした。」


桑野は自分の横に置いていたカバンを引き寄せた。そして中から紙とペンを取り出し、なにやらメモをする。


車はもう指定されていた桑野の家のあたりだ。


「ここで止めて下さい。あと、これはわたくしの自宅の電話番号です。もし、貴方様が自分の罪に対して納得のゆく結果が出て、彼女に会いたいと思う時が来ましたらご連絡ください。」


先ほど書いていたメモを俺へと差し出す。


「しかし…」


もう彼女と会うことはないと確信していた。


あの運転手も彼女と会った様子はなかったし、この確信はきっと間違えではないだろう。


「藤野君はお父様に似て頑固でしてね。なかなか意見を変えないのです。」


桑野がいたずらっぽく笑う。


桑野とは何度も会っていたのに、こんな表情ははじめて見た。


「あの、彼女のお父さんが亡くなられた事件の日にちと場所を教えていただけますか?」


「?」


桑野はなぜ俺がそんなことを知りたいのかと不思議に思ったようだが、正確な日時と場所を教えてくれた。


ここまで正確な時間を今でも記憶しているなんて、やはり今でも彼女の父親が亡くなったことを後悔しているのだろう。


「色々とありがとうございました。」


ずっと差し出されたままのメモを受け取る。


桑野は優しく微笑んだ。


「貴方様の気持ちの整理が早くつくことを祈っておりますよ。こればかりはご自分で解決しなければいけません。わたくしども弁護士でもそのお手伝いできませんからね。」


支払いを済ませると桑野はそう言い、車を降りて行った。




「ここが藤野が育った街か…」


俺は藤野の父親が亡くなったその日に来ていた。


もう春も終わる頃なのに、遠くに見える山には雪が残っていて、空気もまだまだ冷たい。


(彼女の肌の白さは北の出身だからなのかもしれない。)


そう思った。


事件は午後四時二十八分。今は午後二時を回ったところだ。


俺は桑野と藤野の父親が働いていた事務所の電話番号を調べ、電話をかけた。


「もしもし、藤野先生いらっしゃいますか?」


「はい、私が藤野です」


「藤野先生、直接お会いしてお話したいことがあるのですが…。」


「…分かりました。ご都合のよろしい時間を教えてください」


「今日の四時十分、駅前の喫茶店では?」


「はい、では伺います。」


弁護士事務所から待ち合わせ場所まで十五分。四時前には藤野の父親は事務所を出なければいけない。これで藤野の父親がちゃんと来てくれれば事件は回避できる。


俺は約束の時間まで駅前でタクシーを走らせた。


けれど今日に限ってまったく客は来なかった。


でも、今は時間つぶしで走っているだけ。客が見つからなくてもなんとも思わなかった。




約束の時間五分前。


俺は喫茶店の駐車場にタクシーを止め、藤野の父親を待った。


駅前なのに人が少ない、しかも駐車場完備というのが気に入ってこの場所を待ち合わせに選んだ。


外を眺める。


長身の男がすたすたとこちらに向かって歩いてくる。そして喫茶店の中へ入るとウェートレスに待ち合わせをしているのですがと声をかけた。


間違えない、この声。この人物が藤野の父親だ。


俺は席を立ち、その人物に向かって会釈する。


藤野の父親がこちらへ歩み寄ってきた。


「はじめまして、五辻と申します。」


「はじめまして、藤野です。お話というのは?」


お互い簡単に挨拶すると、席についた。


そこへウェートレスが水を持ってきた。藤野はコーヒーを注文する。


キビキビとした動作は藤野とはまるで違うなと感じたが、目元はよく似ていた。


「実は見てお分かりかと思いますが、私はタクシーの運転手でして。」


「はい。」


「この前乗せた客の会話に藤野先生のことがあったので、気になってご連絡したんです。」


ウェートレスがコーヒーを持ってきて、にっこりと笑顔を向けるとテーブルに置いた。そしてウェートレスはまた厨房のほうへと下がっていった。それを確かめてまた話を続ける。


「先生は今、債務処理をされてるとか。その客は、かなり怒っている様子で『ぶっ殺してやる』と。」


「なぜ、その話を私に?」


「知人が先生にとてもお世話なり、感謝していました。そんな知人の恩人が危険な目にあいそうだとわかったら黙っていられなくて…。ですから気をつけてほしいと思ったんです。」


そんな客を乗せたというのは、もちろん嘘だ。


だが俺のこの服装、そして話をするきっかけを考えれば、そこそこ理に適っているのではないかと思った。


「ご心配ありがとうございます。」


藤野は笑顔で答えた。笑顔は彼女とそっくりだ。


「ですが、大丈夫ですよ。まあ、脅しの電話くらいはあるかもしれませんが、殺人沙汰など起こせば向こうが不利になるだけですから。特に組織で動いているような所は自分たちに不利になるようなことは厳しく監視して、させないようにしているんですよ。」


「そうなんですか。じゃあ、わざわざお時間を割いていただいて、逆にご迷惑でしたね。」


「いいえ、お気持ち、うれしく思います。また何かありましたら、遠慮なさらずにご連絡ください。」


藤野は胸ポケットに手を入れ、名刺入れを取り出した。すると一枚の紙がすっと俺の前に落ちた。


写真だ。女性が女の子を抱いている。


「ご家族ですか?」


「はい、妻と娘です。」


「かわいい娘さんですね。お父様に似ていらっしゃる。」


俺はその写真を藤野へと返しながら言う。藤野はテレながら笑った。


これで彼女が父親を亡くす悲しみを回避できただろう。


俺は彼女を泣かせてばかりいたけれど、これで笑顔のきっかけを少しでも増やせたはずだ。


「どうされました?」


藤野は自分の名刺を差し出しながら聞く。


「いいえ、彼女のことを思い出して…」


名刺を受け取りつつ、正直に答える。


けれどその彼女というのが自分の娘の事だとは気付かないだろう。


「五辻さんなら、大丈夫ですよ。あなたのように知人思いで優しい方なら、きっと。」


藤野が彼女と同じ目で微笑む。


「ありがとうございます。」


俺たちはその後も少し雑談をした。


帰るときに『時間をとらせたお詫びにおごらせてほしい』と言ったが、頑なに断られた。さすが桑野の親友だ。


今、四時三十五分。事件の時間は過ぎた。




俺は元の時代に戻らず、この時代の夜を過ごした。


事件はすぐに解決したとの桑野の言葉から、ラジオか新聞で結果がどうなったのかを確認したかった。


すぐに解決した事件ならば朝の新聞に出ているはずだ。もし新聞に出ていなければ事件は完全に回避できたのだと安心できる。


駅前で車を走らせ、今度は客を何人か乗せた。


昼間にある程度ここら辺を転がしていたおかげで、大まかな道筋は覚えていたので困ることはなかった。


朝一番に売店が開くのを確認し、新聞を買う。


この手の事件が載っているページを開いた。


「!」


そこには桑野の死を伝える記事が出ていた。


犯人は藤野の変わりに桑野を殺した。


俺が藤野を外へと呼び出したから、桑野が事務所で仕事をしていたのだ。


桑野がメモを手渡してくれたときの笑顔を思い出す。


俺にとっては昨日の事だ。


『貴方様の気持ちの整理が早くつくことを祈っておりますよ。』


その言葉が頭の中で木霊する。


その桑野を、俺が過去を変えようとしたために消してしまった。


「ワアァァァァァァァ」


俺は思い切りアクセルを踏んだ。


外の景色が次々と変わる。


ガコン


そんな変な音がして、ブレーキを踏んだわけではないのに車が急に止まる。体が大きく前後に揺れた。


外を見ると【時に忘れられた場所】についていた。


俺はガンと両手でハンドルを殴りつけ、そこに頭を突っ伏した。




俺はその後、時間を移動する事はなかった。


桑野やその家族、桑野に関わった人々には申し訳ないが、下手に過去をいじって余計ひどい事になるのを恐れたからだ。


それに父親が生きている事で彼女が幸せならば、少しは報われる。


これがただ、俺のエゴイスティックな考えである事は理解していた。


でも彼女に少しでも笑っていてもらいたい。


その気持ちが強かった。


俺は普通のタクシー運転手として仕事を続けた。




「こりゃひどいな」


乗せた客が新聞を広げ、声を上げた。


「どうしたんですか?」


ルームミラー越しに客を見る


「いやね、ここのところ殺人事件とか多いけど、これはひどいと思ってね」


「どんな事件です?」


タクシーを運転する時間が長くなり、あまり新聞を読まなくなったので、すっかり話題に乗り遅れてしまっている。


「医療刑務所で女弁護士が殺された、だってさ。警察もお膝元でこんな事起こされるんじゃ面目丸つぶれだ。」


「怖いですね」


女弁護士という言葉でドキッとするが、この時代、もう女性の弁護士なんてたくさんいる。


「あ、被害にあった女弁護士、写真が出てるな。ほう、なかなか美人じゃないか。藤野あゆみ…ね」


「え!藤野が?」


急ブレーキを踏み、後ろを振り返る。


「危ないじゃないか!…って、え、運転手さんの知り合い?」


俺はただ頷いた。


きっと真っ青な顔をしているのだろう。客のほうがびっくりしている。


「ま、ここでいいや、そんな状態じゃあんたに運転してもらってるこっちが危ないよ。いくらだい?」


「いいえ、驚かせてしまったので、御代は結構です。」


機械のように抑揚のない言葉しか出ない。


「そうか、悪いね。あ、じゃあその代わりにこの新聞やるよ。」


俺は車を端に寄せ客を降ろした。


言葉とは裏腹に、怒っている様子で新聞を乱暴に投げつけ車を降りる客。


でも俺はそんな客の態度より記事の内容が気になった。


新聞を広げる。


《医療刑務所で女性弁護士絞殺される》


そんな見出しが目に入った。


《藤野あゆみさん(四十)は…》


《五辻智弘容疑者(二十七)に…》


《逃走の際、容疑者を止めようとした椚木律子さん(六十五)に重症を負わせ…》


所々に入っている、俺の知っている名前。


(俺が、藤野を殺し、椚木さんに大怪我をさせた?)


動揺のあまり、記事がちゃんと読めない。


(なぜ?)


震える手を握り締める。


(落ち着け!)


自分に言い聞かす。


震える手でもう一度、新聞を開く。


《医療刑務所で女性弁護士絞殺される。十二日午後二時三十分ごろ、入院患者の面会に訪れた弁護士・藤野あゆみさん(四十)が住所不定、無職の五辻智弘(二十七)に絞殺され死亡。犯行は面会を終えた藤野さんの帰りを待ち構えていた容疑者が空き病室に彼女を連れ込み絞殺。逃走の際、容疑者を止めようとした椚木律子さん(六十五)に重症を負わせ、玄関ロビーで身柄を確保された。被害者である藤野あゆみさんは先日、多重債務者救済をかたり、借り換えを勧めた上で闇金業者と相談者、両方から紹介料の名目で金銭を搾取した疑いで多数の逮捕者が出た暮之弁護事務所の弁護士であり、唯一事件には関係していないとされていた。加害者はその事件の被害者であり、彼女もこの件に関わったはずだと思い込んでの犯行だった。》


(桑野が死んだからだ。)


そう思った。


桑野が生きていれば藤野は桑野の事務所に入っていたはずだ。


彼は正当な弁護報酬しかもらわない誠実な仕事しかしなかった。桑野の事務所にいれば藤野にこんな疑いがかかることなんてなかったのに…。


(でも、俺が多重債務者?俺のほうには何があったんだ?)


記者時代の俺を過去に連れて行かなかったのだから、母さんは死ななかったはずだ。そうすればもっと幸せな未来になると思っていたのに…。


俺は新聞をひざの上に置くと、ただ前方を見つめていた。




ほかに大きな事件がなかったせいか、藤野が殺されたニュースは連日話題になっていた。


コンビニで食事と一緒に週刊誌を買う。買った週刊誌には藤野と容疑者である俺の経歴が事細かに書かれている。


《五辻智弘容疑者は幼いころ母親を交通事故で亡くした。母親の交通事故は容疑者をかばったためだということが分かっている。しかし交通事故犯は捕まっていない。その後、自暴自棄になった父親により虐待を受けていた。大学卒業後には西売新聞社の記者となる。しかし、父親の多額の借金を返済するため暮之弁護事務所に相談。弁護事務所の指示により社内情報をリーク。解雇となった。それが藤野弁護士殺害事件のきっかけとなる。また、西売新聞社の情報リーク事件が暮之弁護事務所の指示ということが判明したため、先日逮捕されていた弁護士グループが再逮捕されている。》


(母さんが亡くなった。それで父さんが借金漬けで、困った俺が新聞社の情報をリーク…ってことか?)


母さんが俺をかばって交通事故にあった?


父さんはその事実に耐えられなくて俺を虐待したのか。


父さんは堅実な人間だった。それなのに、多額の借金を抱えるような事になった。母さんを大切に思っていたから…。


俺が母さんを殺したときには、その怒りを犯人の俺にぶつけることができた。けれど交通事故は犯人が捕まってない。だからきっかけとなった子供の俺に怒りをぶつけた。


そういうことなのだろう。


《被害者である藤野あゆみさんは父親も弁護士であった。父親の藤野弁護士は自己破産処理を請け負っていた際、債権者に同僚の桑野弁護士が殺害され、その責任を感じ自殺。その後、母子家庭で育ちながらも、司法試験に合格。弁護士となる。》


(父親が自殺?)


俺が過去に行き、呼び出して殺害を回避したことには意味がなかったんだ。ただ桑野までが亡くなる結果を引き起こしただけ。


藤野の父親が亡くならなければ、母さんを殺した俺と出会うことがなければ…。


それが彼女のためになると思っていたのに、まさか、今度は俺自身が彼女を殺害なんてことになるとは。


ことごとく裏目に出ている。


彼女だけではなく、俺を心配してくれた人たちまで不幸にしているじゃないか。


元に戻そう、未来を…。こんな結果よりは、まだましだ。


俺は藤野の父親が殺害されるはずの時代へタクシーを走らせた。




俺は藤野の父親が亡くなったその日に来ていた。


今は午後二時を回ったところだ。


俺は藤野の父親からもらった名刺を取り出し、事務所へ電話をかけた。


「もしもし、藤野先生いらっしゃいますか?」


「はい、私が藤野です」


「藤野先生、お会いしてお話したいことがあるのですが…。」


「…分かりました。ご都合のよろしい時間を教えてください」


「今日の四時十分、先生の事務所にお伺いしたいのですが」


「はい、ではお待ちしております。」


ほぼ同じ会話だった。違うのは会う場所だけ。


俺は前回と同じように、駅前で車を走らせる。だが、今回も客は全然いなかった。




午後四時五分、俺はまた藤野の父親の事務所に電話を掛けた。


「もしもし、藤野先生はいらっしゃいますか。」


「はい、私が藤野ですが。」


「先ほどお電話したものです。実は仕事が長引いてしまいそうで、遅れてしまいそうなのですが、大丈夫ですか?」


「ええ、大丈夫ですよ。今日は七時まで事務所におりますので、御都合のよろしい時においで下さい。」


「ありがとうございます。では、後程」


俺は電話を置いた。


これでまた、時の流れが戻ったのだろうか?


笑顔が彼女にそっくりな、藤野の父親の顔が思い出される。


俺が直接、藤野の父親を殺害するわけではない。


だが、その事件が起こるように、こうして時間を戻してしまう事に心の葛藤があった。


しかし、前回、事件が起こらないように行動したことが、さらに悪い結果となったのを思い出すと、このまま元の流れに戻すしかないと思った。




朝を待ち、売店で新聞を買った。


新聞の記事には藤野の父親が殺害された事件が載っている。


(過去は戻ったんだ…。)


俺はまた車を走らせた。


今度は俺を母さんのいる時代へと連れて行かなければならない。


まず、きっかけとなったクラリオンホテルへの道…。


だが俺の未来はもう変わってしまった。


新聞記者時代にあのホテルへ行くことにはなっているだろうか?


記者をやっていたならクラリオンホテルへ行った可能性はある。


半信半疑ではあるが俺はクラリオンホテルへ行くために降りた新宿駅へと向かった。


 医療刑務所で一番初めにメモしたのがこの日時だ。


きっかけとなったこの件を忘れないようにメモしていた。


(お願いだ、来てくれ!)


新宿駅の前で待つ。


するとあわてた様子で駅を出てくる俺の姿が見えた。


俺はタクシーの後部座席の扉を開いた。


「運転手さん、七時までにクラリオンホテルに着かなければいけないんだが…」


 記者時代の俺がタクシーに乗り込みながらそう言った。


「お客さん、本当にいいんですか?」


俺はルームミラーを覗き、記者の俺の顔を見る。だが、帽子を目深にかぶって顔を見られないように細心の注意を払う。


「あ・ああ、お願いします」


記者の俺に言われ、大げさに手を動かした。時間移動の機械に気付けばこの機械の異様さが印象深く残る。


そしてもう一度ルームミラーで記者の俺の顔を見て、何も言わずにゆっくりと車を走らせた。


とりあえず成功だ。


次の休みの日。タクシーを捜しに来た俺の目の前に車を停めればそれで時の流れが戻るはずだ。




俺が過去へと行くことを決めた日。


クラリオンホテルへの道では成功している。これならばちゃんとこのタクシーを捜しに来るだろう。


じっと駅の出口を見る。あの日、買い物を済ませて来たこの出口だ。


しばらく待つと、きょろきょろとしながら階段を下りてくる俺が見えた。


駅を出た俺の目の前に、車を滑り込ませるように止まった。


「まだ手をあげていなかったのに、何で俺がタクシーに乗りたいなんて分かったんですか?」


記者の俺が乗り込みながらそう聞く。


「客商売ですから」


俺はそれだけ言うと料金メーターをセットした。


「二十年前の世田谷まで」


俺はルームミラーでチラッと記者の俺の顔を見た。


「本当にいいんですか?」


「お願いします」


俺は時間を移動する機械をセットし走り出した。




俺が母さんを殺した日。


あの時と同じ、隣の家の垣根の緑は元気がない。街路樹も葉を色づけて秋の容相をなしている。


育った家の前に記者の俺を降ろす。


ちょうど母さんがタクシーの横を歩いていった。


「ごめん、母さん…」


俺は車の中から謝った。もちろん母さんには聞こえていない。


母さんが殺されるのを見ることが絶えられなくて、俺は車を走らせた。


バックミラーを覗くと記者の俺が母さんに声をかけているところだ。


「本当にごめん」


もう一度謝る。


目の前からはランドセルを背負った子供の俺。


「ごめんな…」


子供の俺にも謝った。


聞こえたわけではないだろうが、子供の俺がこちらをじっと見ている。


俺はこの場から早く逃げたくて、アクセルをいっぱいに踏んだ。




「それで智弘を過去に連れて行ったのね。お母さんを殺させるために。」


響子の言葉に俺は頷いた。


シゲさんはまだ信じられないようだが、何も言わずに聞いていた。


「…じゃあ、私が止めるわ。そこへ連れて行って!」


「響子ちゃん。」


シゲさんがやっと口を開く。


「もし、今の話が本当だとして、それは危険すぎないか?響子ちゃんの未来まで変な風に変わってしまうかもしれない。」


「でも、分かっていて殺人を止めないなんて、おかしいです。」


「それはそうだが、過去のことだ」


シゲさんは母さんの事件知っている。若いころの自分が取材を担当したのだ。だから余計に混乱している。


「私を、連れて行って。智弘!」


響子は俺の腕を掴んだ。


「相変わらずだな」


俺は呆れて苦笑する。


昔、一緒に働いていた時の響子のままだ。まあ、響子からすれば、それは最近の出来事なのだが。


「それでこれが終わったら、あなたは藤野さんに会いに行くのよ!」


「え?」


「彼女を悲しませたくないなら、正面から受け入れて。彼女は一番それが嬉しいに決まってるでしょ!」


「だが…罪を犯した俺が弁護士の彼女と一緒にいるなんて、迷惑が掛かる」


「そういう変に気を使う所、全然変わらないわね。」


響子はそう言うと俺を運転席へと押し込んだ。


「本当に良いのかい?」


シゲさんが響子に聞いている。


「はい。シゲさんは待ってて下さい。」


響子は後部座席に乗り込んだ。


「いや、私も行こう。」


シゲさんも後部座席に乗り込んだ。


「じゃあ、行くぞ」


もうここまで来たら、行くしかない。


響子に言われたからではなく、もっと良い未来に変えたいとそう思ったからだ。


俺だって母さんが死ぬ過去が良いとは思っていない。


俺はエンジンをかけ、メーターをセットした。


アクセルを踏み込むと、ふっとエレベーターが下に行く時の感覚に襲われる。


場所の移動はなく、時間の移動だけだからこんな感じなのだ。


でもそれは体の感覚だけで、時間は上下軸で存在しているわけではない。


タクシーの位置はそのままで、窓の景色だけが次々と変わっていく。


「うっ…」


「大丈夫ですか?シゲさん」


シゲさんが真っ青な顔で口元を抑え、それを響子が介護していた。


「もうすぐ着きます。」


俺はシゲさんにそう声を掛けた。だがその言葉は耳に入っていないようだ。


タクシーはゆっくりとあの事件の時に到着した。

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