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時の檻  作者: YAEpon
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第二章 ―響子―

第二章 ―響子―




 「智弘の行方、まだ分からないんですか?」


 私は編集長の机にバンと手を付き問いただす。


編集長は団子鼻にひっかけたメガネを直すと、ちょっと意味深な笑顔を見せた。私が恋愛感情で智弘の行方を気にしてるんだろうと言わんばかりの表情だ。


 「警察から連絡はない」


「そうですか」


つっけんどんに返事をして、自分の机に戻る。


(何を勘違いしてるの!)


 本当なら編集長に『仕事のパートナーとして心配しているだけだ』とビシッと言ってやりたかったが、ムキになるほど相手が喜ぶと分かっているのでやめた。


 もう智弘が出社しなくなって一ヶ月が過ぎた。


 社内でも彼の話題はなくなり、明日、新しい人材が入る予定だ。


 彼のご両親はもう亡くなられているとの事で会社が警察に捜索願を出したのだが、何の連絡も来ない。


 警察から連絡がないと云う事は、事件や事故に巻き込まれた訳ではないのだろう。そう思いたい。


 でも、それなら何故、いなくなってしまったのか?


 特に悩んでいる様子もなかったし、仕事も順調だった。


 私は自分のパソコンの電源を入れた。


 今は噂話でも情報がほしいと思ったからだ。


 智弘は一年先輩の記者。


相手を問わずにズケズケ言ってしまう私を、そんなの気にならないという態度で接してくれる珍しい先輩だった。


そのせいかいつもコンビを組まされた。


それに自分が撮りたい写真と文がぴったりと合う感じがして、仕事がやりやすかった。


【五辻智弘】


ネットで検索をかけてみる。


ありきたりな名前ではないので、もしかしたらと期待を込めて。


………


《世田谷通り魔殺人事件。五辻智弘(二十六)(自称)を殺人の容疑で逮捕。》


「!」


思わず立ち上がってしまった。


派手に立ち上がったせいでデスクワークをしていた部署内の人間がちらっとこちらを見たが、また何事も無かったように手元の仕事を始めた。


この部署だけなのかもしれないが、まわりを気にしない人間が多い。


私は、記事の日付を見てホッとし、座り直す。


(これって、二十年前の記事じゃない)


でもビックリした。名前も年齢も同じ。でも自称って…どういうこと?


記事を読み進めていく。


《九日午後四時二十分ごろ、東京・世田谷の路上で、女性が首を絞められ死亡。被害者は現場近くに住む五辻孝子さん(三十三)。駆けつけた警官により現場にいた男を殺人の容疑で現行犯逮捕した。 (西売新聞)》


《九日の通り魔事件の容疑者、五辻智弘(二十六)(自称)は『母を殺してしまった。母が自分に気付いてくれなかったから』との言葉を繰り返している。しかし容疑者の年齢からその女性が母親ではありえない事、そして五辻容疑者の身元が現段階で不明である事から弁護士は精神鑑定を依頼する模様。(西売新聞)》


「うちの新聞社の記事…。シゲさんなら知ってるかも」


私はパソコンの電源を切り、社会部のある三階へと向かった。




「おや、響子ちゃん。暗い顔してどうしたんだい?」


階段でバッタリと会いたい人物に遭遇。


ロマンスグレーの柔和な笑顔で声をかけられ、無意識に微笑みを返してしまった。


「シゲさんにお伺いしたい事があって…」


言いよどんだ私に、シゲさんはチラッと自分の腕時計を見ると


「五分くらいなら良いよ」


と返事をくれた。




社内の自販機の前にある簡単な椅子に腰掛ける。


シゲさんの貴重な時間を分けてもらったのだから、率直に聞く事にした。


「シゲさん、二十年前の事件の事で聞きたいんです。世田谷で起こった通り魔事件で、主婦の方が亡くなられています。」


聞いているシゲさんの眉間のシワが急に深くなった。


「智弘君のお母さんの事件じゃないのかい?」


「智弘の…お母さん?彼のお母様はご病気で亡くなられたんじゃ」


以外な言葉に私は戸惑った。


そういえば被害者の苗字も五辻だったっけ。


でも、それが智弘のお母さんだとは思いもしなかった。


「ああ、本人がそう言っていたのを私も聞いている。だが、彼のお母さんは二十年前、通り魔に絞殺された。それが事実だ。」


シゲさんの眉間のシワは更に深くなり、苦しそうにさえ見える。


「でも彼が事件の事を隠していると言う感じはしなかった。あまりのショックで脳の防御本能が働いたのかもしれない。彼の目の前で事件は起こったのだから」


「えっ?」


「私も取材に行ったが、あの頃の彼は放心状態に見えた。お父さんも気にされて、取材を断っていたしね。まあ犯人が現行犯逮捕されていたこともあって、報道陣はお父さんの意向に沿って取材はあまり集中しなかったが」


「そう、なんですか…」


二十年前と言えば幼稚園か小学生くらいだろうか。そんな頃に目の前で母親が殺されていたら、やっぱりショックは大きいだろう。子供じゃなくたって身内が被害者になるのは辛い。


「犯人はどうなったんですか?」


身内を殺害された怒り。その感情が犯人への関心に向かう。


「精神鑑定で無罪になったよ。ただ警察でも犯人の身元はとうとう調べられなかったけどね」


「身元不明のまま裁判があって、無罪ですか?」


「身元不明は納得いかないが、自分の名として智弘君の名を一貫して言い続けていたからね。精神鑑定で争われるのは予想ができたよ。でも…」


シゲさんは言葉に詰まった。なにか思うところがある様だが、それが何に対してであるかはさっぱり分からない。


「そう云えば智弘君は?最近見かけないけど」


明らかに話題を変えたのが気になった。


「あ、シゲさんは社会部だからご存じなかったんですね。一ヶ月前から行方不明なんです。うちの部では最初の一週間ぐらいは大騒ぎだったんですよ。」


今はもう、無かったことの様に静かだが…。


「………」


シゲさんは更に深刻な顔になる。


もう何事も無かったように振舞う同じ部の人間に見せたいくらいだ。


「そうか、じゃあこっちでも智弘君の行方を聞いてみるよ。政治部よりはうちの方が人探しの情報は入りやすい」


「お願いします」


私はその場でシゲさんを見送った。


でも、シゲさんがを何か隠しているのが気になる。


シゲさんこと重本裕史さんは表情こそ柔和だが、一本筋が通っている。


偉い人だろうが悪には厳しいし、立場が弱い人でも正しいことには誠実にあたる。そのせいか定年間近のはずなのに役職にはつかず、未だ現場を貫いている。


自分の将来もこんな感じなのだろうと思うが、シゲさんのようになるなら、それはそれで良いとさえ感じられる。


そんなシゲさんが誤魔化そうとするなんて、信じられない。


(とりあえず、その犯人を探してみよう)


私は犯人・五辻智弘を調べることにした。




(精神鑑定で無罪…か。でも裁判回数、少ないのね)


私は過去の裁判記録を調べていた。


裁判に明るいほうではないが、普通の裁判よりもかなり早い段階で終わっているなと感じた。


二十年前の事件、その頃起きた事件だったらまだ裁判中のものもいくつかある。特に精神鑑定を絡める裁判なんて、弁護士が判決を長引かせる常套手段だ。


でも、この事件の場合は精神鑑定で無罪しかありえなかったからなのか、被害者の夫が控訴しない方向を伝えて終わったらしい。


最終判決は十二年前だ。


(何で控訴しなかったの?)


疑問ではあったが、八年間すべての裁判に顔を出していたんだ。大変だったろうと思う。


それに事件や裁判のことは智弘に知られないようにしていた。


もう智弘に隠したまま裁判を続けることが不可能だと思ったのかもしれない。


十二年前といったら智弘は中学生くらいか。


その年齢ならニュースとか新聞を見てもおかしくないだろうから、早く終わらせたいと思ったのかもしれない。


(本人に話が聞ければ…)


でも智弘のお父さんは昨年亡くなった。


相棒ということで、私もお通夜に顔を出したのだから間違いない。


(犯人の五辻智弘を探してみよう)


もしかしたら、智弘もこの事件を思い出したか、偶然知ったのかで調べているのかもしれない。


私は資料を片付け、医療刑務所へと向かった。




都内の駅近くに医療刑務所はあった。かすかに電車の通る音は聞こえるが、高い塀の内側には多くの木々が植えられて落ち着いた感じだ。刑務所というよりは学校のように感じてしまう。


だが、そこが学校と違うのは入り口の門に警官が両脇を固めるように立っていることだ。


もう十一月で外は寒いというのにご苦労なことだ。


門の脇には小さな受付。


そこに声をかける。


「すみません」


小さなガラス越しに声をかけると、書類を整理していた受付の女性が顔を上げた。


「何でしょうか?」


小さな窓を開けてくれた。だが声はとても冷たい。


「こちらに入所していた方のことでお伺いしたいのですが。」


「そういったことにはお答えできません」


即座に言われる。


だが、ここしかもう調べる場所が思いつかないので、そう簡単には引き下がれない。


「お願いします。二十年前に起こった事件を調べているんです。」


私は新聞社の社員証と免許証を提示した。


「…分かりました。」


しぶしぶといった感じだが応じてくれた。


「五辻智弘さんを探しているのですが」


女性はメガネを直し、立ち上がった。


そして後ろの棚に置かれているたくさんのファイルの一つを抜き出し、パラパラとめくる。


「五辻さんでしたら十二年前に退院されましたよ」


受付の女性はメガネの奥から私を見る。


行方を聞くのに新聞社の社員証明書や免許書を提示したのに、まだ疑っているようだ。


まあ、最近は個人情報を扱うのに慎重だし、医療刑務所という場所、そして探している相手が殺人犯なのだから、この反応はしかたがない。


それにしても退院が十二年前といったら無罪になってすぐに退院したってことだ。


精神的異常があって責任を問えず無罪なのに、そんなにすぐに退院させてしまってよかったのだろうか?


それともここは刑務所の一種だから、無罪になったので他の病院へ移したというこのなのだろうか?


「その後の行方は…分かりませんか?」


先ほどの女性の様子から期待薄だと思いつつも聞いてみる。


「分かりません」


予想通りの返答だったが、ガッカリした。


慣れない人探し。


カメラを持って走り回るのとは違ってやっぱり疲れる。


特に神経的に…。


私は飲み物を買うため近くにある自販機へ向かった。




「お姉ちゃん、智君を探してるのかい?」


医療刑務所の壁に寄りかかり、少しでも体を温めようと熱いコーヒーの缶で両手を温めていると声をかけられた。


「え?」


振り返ると掃除婦のおばさんだ。とても小柄で人好きしそうな笑顔で私を見上げていた。


「さっき、受付で話してたのが聞こえてね」


おばさんはちょっと言いよどんだ。


あの受付の位置だと所内にいる人には話が聞こえづらいから自信がなかったのかもしれない。


「あ、はい。そうです」


掃除婦のおばさんは受付を確認し、私を手招きして受付の陰になる所にあるイスへ腰掛けた。


私も隣に座る。


「お姉ちゃんは智君の娘さんかい?」


おばさんは手にしたほうきの柄を弄びながら聞いた。


「いいえ、違います」


私も缶コーヒーを握り締める。缶はもうだいぶ冷たくなってしまった。


言った後、(娘って事にしておいた方が情報を聞けたかな?)とも思ったが遅かった。元々嘘をつくのは苦手だ。


それに娘ということにしてボロが出た方が後々面倒だ。


「じゃあ、何で調べてるんだい?」


おばさんの口調は先ほどと変化はない。ただ好奇心で聞いているだけだという感じがした。


けれど、やっぱり警戒されてしまっただろうか?


「実は私、西売新聞でカメラマンをしているのですが、被害者の息子さんとは仕事上のパートナーで…」


おばさんは手にしたほうきの柄をぎゅっと握り締めた。


「あれは、きっと特別な理由があったんだよ!」


静かな、だけど力強い言葉。


ふと、パートナーの五辻智弘を思い出した。


彼もなんだか掃除婦さんやら警備員さんにかわいがられる。


保育士になったほうが良かったのではと思う容姿のせいもあるだろうが、顔を知っている人なら誰彼かまわず挨拶しまくっているからだろう。


ま、愛想が良いだけって気もするが、そう云う人達から特ダネ情報を聞き出してくるから人間関係は侮れない。


「いえ、入院していた五辻さんを弾劾するつもりで来たんじゃないんです。実はうちの記者の五辻が行方不明で、彼が五辻さんを探しにやって来たんじゃないかと思って」


同じ名前だというのは、ちょっとややこしい。


「そうかい、被害者の息子さんは新聞記者になったのかい。」


おばさんは感慨深そうにつぶやき、また口を開いた。


「でも智君を探しに来た人はいなかったよ。退院の日にお父さんらしい人が迎えに来たくらいさ」


「えっ?彼は身元不明だったんじゃないんですか?」


そう記事に書いてあったはずだ。シゲさんだってそう言っていた。


「そのはずなんだけどね。退院の日、外で待ってたんだ。顔がそっくりだったから間違いないよ」


大きく頷くと、おばさんの表情が優しくなる。


「智君も凄く驚いた顔をしてたよ。でもね、あたしは、それを見て安心したんだ。退院できても一人で暮らしていくとなると色々大変だからね」


このおばさんは本当に彼のことが気に入っていたんだなと分かる。


「その後、どこへ向かったか分かりますか?」


少しでも情報がほしい。


そう願っていた。


「場所までは分からないね。でもお父さんはタクシーの運転手だったみたいだよ。智君を乗せてタクシーを運転していったから」


私はおばさんにお礼を言って、病院を後にした。


多少情報は増えたが、まだまだ分からないことばかりだ。


私はもやもやした気持ちを落ち着けるため、バックの中に入れていたカメラを取り出し、真っ青な空をバックに病院の葉の少なくなった木々の梢を写した。




社に戻った私は仕事で撮った写真のデーターをパソコンに移し、整理した。


最後に先ほど病院で撮った写真で手が止まる。


(これから、どこを調べれば…)


手詰まりだった。


「いい写真だ」


後ろで声がして、振り返る。


「シゲさん…」


ほっとした。


考えが凝り固まっていて、どうしようもないところだったので、そんな何気ない一言でも嬉しかった。


シゲさんは優しい視線のまま、私を見ている。


「あの、話…聞いてもらえますか?」


「ああ、今日の仕事はもう片付いたからね」


私は後で待ち合わせの店に合流する旨を伝えた。そして早々に写真のデーターを振り分けると、その写真が必要な記者へと社内メールを送った。




「すみません、お待たせしちゃって」


シゲさんは奥のテーブルで熱燗を引っ掛けていた。


寒い中の外回りで体を温めたかったのだろうと思う。


完全な個室ではないが、仕切り板が高めなので視線を気にしないで話すことが出来る居酒屋。


私はシゲさんの向かいに座った。ばたばたと注文を済ませ、注文の品がテーブルに乗るまでは雑談で時間をつぶす。


頼んだものがすべてそろった所で、私は今日調べた事、病院での話しをシゲさんに伝えた。


「顔がそっくりなお父さん?」


シゲさんは一瞬考えて、微笑んだ。


「?」


シゲさんも掃除婦のおばさんのように犯人が気に入っていたのだろうか?


「ああ、すまないね」


私の表情を見、笑顔で謝る。


「実は智弘君…あ、うちの社のだが。彼が入社した時、ちょっと驚いたんだよ」


シゲさんが手にしていたオチョコを静かに置いた。


「智弘君の顔は犯人の五辻とそっくりだったからね」


「え?」


驚きで持っていたグラスをテーブルに置く。周りの食器がカシャッと鳴った。


「でも、彼は母親似だよ。お父さんはもっと彫りの深い、がっちりした顔立ちだったからね。」


確かに、智弘の顔はがっちりなんて形容は合わない。


「実は彼が入社した時、犯人の言った言葉が本当だったんじゃないかと、変な考えにとらわれたんだ」


シゲさんはオチョコに残った日本酒を一気に飲み干した。


「犯人は智弘君の親類縁者ではないと調べがついていた。それなのに犯人と智弘君はそっくりだった…」


大きくため息をつく。そしてちょっとだけ間があいて、また口を開いた。


「だから智弘君が行方不明になったと聞いて、その考えが大きくなった。だが、犯人は父親が迎えに来たと云うなら、私の変な妄想は本当に妄想でしかなかったってことだ」


愉快そうに笑って、徳利に手を伸ばす。


「でも、これからどこを調べれば良いか思いつかなくて…」


シゲさんとは逆で私は悩んだままだ。


「個人タクシーを調べてみてはどうかな」


「個人…タクシーですか?なんで個人タクシーなんですか?」


「父親が病院に迎えに来たと言っていたよね。個人タクシーの運転手は私用で自分のタクシーを使う事も多い。だが、会社のタクシーはなかなか私用では使えないもんだよ。退院の日・時間に空車でいるなんて難しいだろうしね」


やっぱり経験の差だろうか。私には全く考えも付かなかったので、感心してしまう。


「個人タクシーか…」


私は趣味と実益をかねていつもバイクに乗っているので、ほとんどタクシーを利用しない。


バイクが好きなのはもちろんだが、バイクの方が小回りもきく。


高校を卒業して、バイクの免許を取ると言い出した時には『危ない!』と家族に猛反対されたが、バイトでためたお金で教習所、試験、バイク代をすべて出したので家族も最後に根負けしたのだ。


「個人タクシーでも組合や協会があって、どこかに加入してると思うから調べてごらん」


シゲさんは黙ったままの私が《調べる方法》に悩んでいると思ったのか、アドバイスをくれた。


「分かりました。調べてみます」


方向性が見えてきた。


私はグラスの中のウーロン茶を飲み干して(バイク通勤だからお酒は飲まないのだ)、テーブルの上の料理に箸をつけた。




「五辻タクシーさんはそちらに加入していますか?」


電話帳に出ている個人タクシーの組合に電話をかける。


タクシー会社名はわからない。けれど、五辻という名前をあてにするしかないので、相手にそう聞いている。


「ここもダメか…」


三団体目もヒットしない。


シゲさんにアドバイスを受けたときには、もっと簡単に見つかるのではと思っていたが、やはりそう簡単にはいくものではないのだろう。


仕事の合間を見付けて連絡しているので効率も悪い。


(次の組合には、取材が終わってから連絡してみよう)


私は機材でずっしりと思いかばんを肩にかけ、駐輪場へと向かった。


「アレは?」


駐輪場から出ようとしたその時、目の前をタクシーが通り過ぎた。


そのタクシーのボディーには『五辻タクシー』の文字。


ちょうど自分が向かう方向と同じだったので、後を追う。


タクシーのナンバープレートを何度も頭の中で繰り返し、忘れないようにする。


そして、タクシーは細い路地へと曲がって行った。


このままでは取材場所と方向が変わってしまうので一瞬悩んだが、そのままタクシーの後を追った。


「?」


私が曲がった時に、タクシーの姿はなかった。


片路通行の狭い道。


他に曲がれる場所もない。


スピードだって出ていなかったし、ここでスピードを上げたとも考えられない。


フルフェイスのメットをはずしてもう一度確認する。


でもそこには人の気配すらもなかった。


私は仕方なく先ほど覚えたナンバーをメモ書きし、取材へと向かった。




「あれは、気のせいだったの?」


あまりにも『五辻タクシー』の事が頭から離れなかったから、幻想でも見たのだろうか?


そこまで精神的に追い詰められてる?


自分でもよく分からなかった。


でも、あの道の状況で車を見失う方がありえないと思った。


メモしたナンバープレート。この番号を調べてみれば、私が見たタクシーがあるのかどうかハッキリするはずだ。


けれど、警察へナンバー照会をしてもらうのも少しためらってしまう。


はっきりと存在するタクシーなのか、自信がなかったからだ。


とりあえず、私はあたりをつけていた残りの個人タクシーの組合に連絡してみることにした。


「あの、そちらに五辻タクシーさんは加入されていますか?」


どうせまた「加入してない」といわれるのだろう、と思っていたが反応が違った。


「どのようなご用件でしょうか?」


そういう返答がくるとは思っていなかったので、次の言葉に戸惑う。


「あの…タクシーの中に落し物をしたのではないかと思いまして」


完全に口からでまかせだ。


「そうですか。それはお困りですね。」


私の言葉を信用したらしく、そのような返事が返ってくる。


「ただ、最近の個人情報保護法の関係で…そのタクシーの特徴などを覚えていらしたら教えていただきたいのですが」


個人情報保護法…仕事でもかなり悩まされているが、ここでもそうなんだな、と思う。


「確か白いボディーに紺色で【五辻タクシー】と書かれていて、ナンバーが…」


私は先ほど見かけたタクシーの話しをした。


「はい、確認できました。では五辻タクシーさんの連絡先をお伝えします」


良かった。あのタクシーは実在したんだ。


しかも見かけることができたおかげで連絡先を聞き出すことができた。


連絡先をメモし終えると、急に胸がドキドキしだす。


私は大きく深呼吸をし、【五辻タクシー】へ電話した。


「車をお願いしたいんですが」


緊張した。


「わかりました。どちらへお迎えにあがればよろしいですか?」


暗い声で返事が返ってくる。


「西売新聞社前までお願いします」


相手の返答がなかなかこない。


少し不安になりかけた時、


「では十五分ほどかかりますが、よろしいですか」


そのような返事が返ってきた。


「お願いします」


電話を切って、もう一度深呼吸をする。


そしてタクシーの運転手とのやり取りを頭の中でシミュレーションしようとした。


だが、話の出だしからどうすれば良いか悩む。


(もっとちゃんと考えてから電話をすればよかった?)とも思うが、ただ考えているだけでは物事が進まないのもよく分かっている。


だから、電話をかけた事は間違いじゃないと自分に言い聞かせる。


とりあえず十五分で相手がこの場に着くのなら、もうロビーに移動しなければ間に合わない。


私は自分の机の上の必要な荷物をまとめて、ロビーへと降りて行った。




ロビーに着くと、シゲさんが社に戻ってきたところだった。


「あれ、響子ちゃん。あがりかい?」


聞かれて頷く。


「この前話したタクシーが見つかったんです。これからそのタクシーに乗る予定で…」


言いかけると、シゲさんは「一人で行く気かい?」と驚いた様子だ。


「タクシーにはちょっと待っててもらって。私も一緒に行くから」


階段を掛け上がり、途中で振り返ると、もう一度「待ってるように」と念を押された。


シゲさんが付いて来てくれるなら心強い。


一人で話をどう切り出そうかさえ悩んでいたので、ほっとした。


シゲさんの足音だと思われるパタパタと急いでいる音。


申し訳ないが、ちょっと笑ってしまった。


もう一度、タクシーの運転手に聞きたいことを頭の中で整理する。


先ほどは上手くまとまらなかったのに、シゲさんが一緒に来てくれると云う安心感から、少しづつだが意見がまとまってくる。


《智弘が会いに来たかどうか》


それを確認する話の流れとして、どうすれば自然か。


余計な事はせずに、単刀直入に聞いてしまった方が良いか。


運転手の人とナリを見て判断したほうが間違いはないかもしれない。


シゲさんの足音が聞こえなくなった。


自分の部の机についたのだろう。


私はロビーから外の様子を見たが、まだタクシーは来ていないようだ。


そろそろ来ても良いのではないかとも思うが、タクシーを無駄に待たせるよりはシゲさんが着てからタイミングよく現れてくれたほうが助かる。


視線を外に向けたまま、私はロビーの椅子に座った。


シゲさんが慌てて降りてきた。


だが、まだタクシーは来ていない。


私たちはロビーの椅子でタクシーを待った。


その間、シゲさんに今日【五辻タクシー】を見かけたこと、そしてシゲさんのアドバイスのおかげでタクシーの組合から連絡先がわかったことなどを話す。


「でも、こんなに早くに探し当てるとは思わんかったよ」


シゲさんは感心したように何度も頷いている。


「シゲさんのアドバイスのおかげです」


本当にそう思う。


シゲさんがアドバイスをくれなければ、あのまま何も出来ずにいただろう。


ふと時計に目をやる。


あれから二十分経った。そろそろ来てもおかしくない。


プップー


軽いクラクション音。


私は時計から外へと視線を移した。


そこには昼間見たタクシーが止まっている。


「じゃあ、行こうか」


シゲさんに声をかけられ、私は頷いて立ち上がった。




「久しぶりだな、五辻」


乗り込み、シゲさんがそう言う。


「…」


運転手は返事をしなかった。


私は二人を交互に見ることしか出来なかった。


「…どちらまで」


やっと口にした運転手の言葉はそれだけだった。


「世田谷の五辻宅まで」


シゲさんは運転手の反応など気にせずそう答える。


「…」


目深に帽子をかぶった頭がちょっと上へ動いた。ルームミラーで私たちの様子を見たのだろう。


そして、静かに車が走り出した。


(運転手は無口なの?)


運転手の表情が見て取れないので、よくは分からない。


(それともシゲさんがいるから気まずいの?)


横にいるシゲさんを見る。


けれど暗くてシゲさんの表情も読み取れない。


私は助手席の前にある運転手の証明書を見た。


確かに【五辻智弘】と書いてある。それに写っている顔も智弘に似ている。横に張り出した耳の形も、愛嬌のある丸い鼻の形も同じだ。


だが、明らかに苦労をしただろう。目の周りだけは私の知っている智弘と違い落ち窪んでいる。そんな写真。


タクシーの他の部分にも目をやる。


見たことのない機器がいくつか目に付く。


車は専門外だが、明らかにタクシーの内装には見られない、デジタルのメーターのようなものがある。


だが、それらのメーターはすべて横棒が並んで赤くチラチラと点滅し、電源が通ってることだけが分かる状態だ。


タクシーはまばらな街頭の光を受けながら、横道へと入っていった。




「二八〇〇円です。」


車が止まると運転手はそれだけ言った。


たいした距離でなかったせいもあって、車内ではずっと会話がないまま、目的地についてしまったのだ。


「話があるんだが…いいかな?」


シゲさんはお金を渡しながら運転手にそう言った。


シゲさんの口調は強く、同意を強要している。


今までそんなシゲさんを見たことがなかったので驚いた。


「…」


運転手はまたもや何も返事をしなかったが、同意したのだろう。


シゲさんが車を降り、私も続いて降りた。運転手はタクシーのエンジンを切って、シゲさんのほうへと歩いてきた。


「覚えているか?」


シゲさんは道路上を見、運転手を見る。


運転手はただ頷いた。


そのシゲさんと運転手のやり取りで、ここが事件現場だったのだろうと私にも分かった。


この運転手が殺人を犯した場所。


智弘の母親が亡くなった場所。


そして、それを見ていた幼い智弘。


なんだかやるせない気持ちになった。


「彼女には息子がいた。お前と同じ名前の…いやお前自身だと言っていたな。あの時は」


運転手はまた静かに頷いた。


「五辻、その子は成人し、私と同じ新聞社に勤めている」


今度は運転手に反応はなかった。


「五辻、その青年はお前に会いに来なかったか?」


運転手は帽子を取り、事件現場であった路上を見つめていた。


冷たい風が吹き抜け、運転手の長い前髪を揺らした。


智弘と同じ顔がはっきりとのぞく。


年をとった智弘の顔だ、と思った。


「客として乗せました」


視線はその路上に向けられたまま、運転手はそう答えた。


「どこまで乗せたんだ!」


シゲさんの語尾が荒くなる。


お母さんだけでなく、智弘まで…そんな心配をしているのがはっきりとわかる。


それを聞いていた私も怖くなった。


警察にお願いしているのに一ヶ月も見つからない智弘。それはこの人が智弘を…


そう思うと体ががくがくと震えた。


「ここまでです……二十年前の…」


「二十年前…?」


突拍子もない運転手の言葉に、私たちはただ呆然と立ち尽くすだけだった。

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