第16話 ぴょんぴょんする箒
アデルは、マグの魔法薬店にやって来た。そして、いきなり、店内にいたマグを呼び付けると、見てもらいたいものがあると言い出す。
「どうしたの、アデル……?」と、マグは、首を傾げる。アデルは先ほど、“最後の悪あがき”をすると言い残して、店を出ていったばかりだ。今日はもう、店に来ないものとばかり思っていた。
「取り敢えず、これを見て」
アデルは、そう言うと、「『ノノ』、出てきなさい」と口にする。魔法の箒『ノノ』を呼んだのだ。その主の声に呼応して、アデルの傍らから光の粒子が渦巻き、虚空から一本の箒が出現する。
そして、現れた魔法の箒『ノノ』は、アデルの周りをぴょんぴょん跳ね始める。マグは、そのノノの動きに怪訝となり、目を細めた。
「御覧の通りよ、マグ」
「御覧の通りって……?」
「ノノがおかしくなった」
と、アデルが言うと、
「おかしくないよ、アデル! むー」
ノノが、喋った。
マグは、口をぽかんと開けて驚く。魔法の箒『ノノ』には、喋るような個性は付与されていないはずだからだ。いや、それより、そのノノの声は__
「え……、もしかして……」
「マグ! 私だよ! 私!」
ノノは、ぴょんぴょんと跳ねながら、マグに近付く。
「……コルなの……?」
マグが訊ねると、アデルは、困ったように腕を組んで頷いた。
それから、アデルは、今に至るまで事情を全て話す。
キルシュタイン博士に出くわした事。彼から、コルの正体と、彼の行っている恐るべき実験を聞かされた事。『コル』の体が燃やし尽くされた事や、悪霊と化したコルが、アデル達の前に現れた事。キルシュタイン博士が、悪霊のコルを撃滅しようとした事。悪霊のコルが、アデルに迫ってきた事。__そして、その末に、悪霊のコルが消え、魔法の箒『ノノ』に異変が生じた事。
そういった、驚くべく真実と、先ほど起きた出来事を話した。
「……なるほど。どうやら、『ノノ』に、コルの魂が混じってしまったようね」
全ての話を聞き終わったマグは、そう告げた。
「少し前にも言ったと思うけど、マジックアイテム『ノノ』の避けがたい性質として、そこに別の霊が入り込んで、ノノに個性を生じさせてしまうおそれがある。そして、今、悪霊だったコルが『ノノ』に接触したことによって、元々『ノノ』を形成していた霊と混じり合って一体となっているみたい」
「一体になっている?」
「悪霊と化して自我を喪失しかけていたコルは、『ノノ』という自身の魂を安定させられる依り代を見つけた。そして、元々の『ノノ』の霊と混じり合い、再び整った自我を取り戻している。見たところ、二つの魂が整然とかつ強固に混じり合っているようだけど、『ノノ』を形成していた霊が無個性だったことと、コルの霊がとても強い意思を持っていたからでしょうね」
アデルは、マグの説明が少し分かりづらく、首を傾げる。アデルは、気になっている点を、端的に訊く。
「……結局のところ、今のこのノノは、コルってこと?」
「正直、魂の同一性には、微妙な解釈の余地があるわ。……例えば、無色透明な空気しか入っていないグラスに、ワインを注いだとする。ワインは、グラスの中で空気と混じり合う。空気は無色透明だけど、何も無いってわけじゃない。じゃあ、そのグラスに入ったワインを、注がれる前のワインと同一のものと考えるかどうかね」
「んー……そうねえ……」
マグの提示した例え話に、アデルは、ますます難しい顔をする。
「まあ、色々と捉え方はあるんでしょうけど、そのノノは、コルになっている、っていう理解で良いんじゃないかしら? __少なくとも、通常の魂の融合の場合よりは、難しく考えなくても良いと思うわ」
「……通常の魂の融合の場合? 魂って、そんなに混じり合うことってあるの?」
「……ふふっ」
「え、何?」
マグが零した小さな笑い声に、アデルは、困惑する。アデルにとって、妙に気味の悪い笑い声だった。
「いえ、ごめんなさい……。ちょっと、意地悪な気持ちになったの。許してね」
「許すも何も、意味が分からないんだけど……」
マグは、頭を振って、笑い声を引っ込める。
「魂の融合は、普通に起こり得ることよ。ほとんどのものは、それぞれの魂同士が交わす魔術的な契約によって起こされる。
魂についての事は、魔法学においても、一つ分野を設けて研究されているものよ。勉強不足ね、アデル。あらゆる知識を得ておく事は、長く生きる者の権利でもあり、責務でもあるんじゃないかしら?」
結局、マグは、笑った理由をはぐらかすのだった。アデルの頭上の魔法の帽子メメは、そんなマグの事を、黙って見ていた。
「そんなことより……」
マグは、真剣みを帯びた表情を見せ、
「さっきの短い間に、本当に色々あったみたいね」
と、独り呟くように言った後、先ほどからアデルの周りをぴょんぴょんと跳ねている魔法の箒に、目を向ける。
「アデルは、その『ノノ』をどうするつもり?」
「どうするって……」
「『ノノ』にコルの霊が入ったことによって、見て分かる通り、個性が生じてしまっている。ただ従順に主の命令に従うだけの無個性な『ノノ』でなくなってしまっている。確かに、個性を持ったとしても、主の命令には魔術的な強制力がある程度働く。マジックアイテム『ノノ』は、そういうふうに設計している。けれども、『ノノ』に入っているコルの個性が、主の命令に逆らって、本来的な機能が果たせなくなる可能性はある。数日前、『ノノ』の修繕を頼んできた時の状態みたいにね」
「……だから、『ノノ』からコルの魂を消すべき、ってこと?」
「そういう事も出来るわ。アデルがそれを望めば、の話だけど。つまりは、アデルが本来の『ノノ』の機能を望むか、それとも、コルの魂を消したくないと思うか、そのどちらかね」「それは……」
アデルは、告げられた選択肢に迷い、無言となる。
魔法の箒『ノノ』は、アデルの旅における、重要なマジックアイテムだ。ノノは、便利な移動手段でもあるし、危機的状況の脱出手段でもある。実際、アデルは、何度かノノに救われてきた。そのノノが、従来通りに機能しないというのは問題だ。
しかし、一方で、アデルには、コルの魂を消す事について躊躇があった。せっかく繋ぎ止める事ができたコルの魂に、やはり思うところがあった。
「アデル! 心配しないで! 私、いっぱい役に立つよ! ものすごく役に立つ!」
すると、魔法の箒ノノとなったコルが、ぴょんぴょん跳ねて、言い切った。
「それに、こんな事もできるんだから!」
魔法の箒が、突如、光の粒子を渦巻いて弾ける。そして、渦巻く光の粒子を振り払い、魔法使いのローブがはためき、小さな子どもが現れる。サイズの合わない大きな魔法使いのローブを纏った、淡い紫色の短い髪の子どもだ。アデルとよく似た顔の、男の子みたいな服を着た少女だ。
そう、それは、コルの姿だった。アデルが自分好みにコーディネイトした、コルの姿だった。魔法の箒『ノノ』は、一瞬で、箒の姿からその姿に変身したのだった。
アデルとマグは、魔法の箒の変身を見せつけられ、ぽかんと口を開ける。
「……驚いたわね。これは、『ノノ』を作製した私自身にとっても、予想外の新機能だわ」
そのマグの言葉に、コルが「ふふん!」誇らしそうに胸を反らす。
それからコルは、再び光の粒子を渦巻いて弾けると、箒の姿に戻った。
「どう、アデル! 私、すごいでしょ! 少し疲れるからずっと人間の姿にはなれないけど、ちょっとがんばれば、あんなふうに変身できるの」
「凄いと言えば、凄いけど……、それが何か役に立つの……?」
「えー……役に立つよ。人間の姿なら、食べ物を食べたりできるよ」
「……あなたにとって役に立つかじゃなくて、私にとって何の役に立つのかっていう話なんだけど……」
「えー……役に立つよ。アデルと一緒にお食事できるよ。楽しいよ、アデル。私、ものすごく役に立てる!」
「それ、役に立つって言え……。……。……まあ、もう、いいわ」
アデルは、諦めた様子で、肩を竦める。
「で、結局、アデルはどうするの? 『ノノ』に新しい機能が追加されちゃったみたいだけど、これからの旅に邪魔になるって言うんだったら、取り除いてあげても良いわよ」
マグが、意地悪な笑みを浮かべながら、訊ねた。
「……ひとまずは、様子見でもするわ」
「様子見するの好きね、アデル」
「うるさい、マグ。とにかく、様子見をする。で、やっぱり支障があるようだったら、再度検討する」
アデルは、半ばムキになったように答えるのだった。
「……というか、コル。そもそも、あなたは、私の旅に付いてくる気はあるの? いや、付いてくる気がないって言われると、困るんだけどね……」
「もちろん!」
魔法の箒は、元気よくぴょんと跳ねた。
「私、アデルの旅に付いて行く! アデルを乗せて、どこまでも連れて行ってあげる! これからは、私がアデルを守ってあげるの!」
そのコルの言葉に、アデルの頭上のメメが、「ふふ、頼もしいじゃないか、アデル」と笑った。対して、アデルは、神妙な面持ちになり、魔法の箒に対して指を立てる。
「なら、言っておくべきことがあるの、コル」
魔法の箒に、赤い瞳の真剣な眼差しが向けられる。
「コル……、あなたは、たった今から“コル”じゃないわ」
「……どういうこと、アデル?」
「あなたは、これから、私の重要な旅のパートナーである魔法の箒『ノノ』。あのイカレ博士が名付けた実験器具みたいな名前は捨ててもらう。“コル”っていう名前を捨ててもらう」
「名前を捨てる……?」
「そう。だから、私は、あなたの事を“コル”じゃなくて、“ノノ”って呼ぶわ。それで良いかしら?」
アデルの厳しい口調の言葉に対して、少しの沈黙の間があった。表情が見えない魔法の箒のコルだが、彼女から戸惑いの気配が感じられた。
けれども、コルは、頷いて答える。
「わかったよ、アデル」
コルは、__魔法の箒ノノは、過去の自分と区切りを付けるため、アデルのパートナーとなるための覚悟の言葉を口にする。
「私、ノノになる。アデルの旅のパートナーになる。……ずっと、アデルの傍にいたいから。名前を捨てても、箒になっても、どんな私になっても、アデルと一緒にいられるのは、嬉しいから」
魔法の箒ノノは、ぴょんと跳ねる。
「だから、これからよろしくね、アデル!」
「ええ、よろしくね、ノノ」
アデルは、頷き、新しくなったパートナーを受け入れるのだった。
ところで__
「ところで、マグ__」
「ん、何かしら、アデル?」
「結局、あなたの言っていた、コルによる悪影響って何だったのかしら?」
と、アデルは切り出した。
「その正体は何? その原因は何? 私、そこまで錬金術に造詣が深いわけじゃないから教えてもらいたいんだけど、他人の精神に影響を及ぼすような能力や作用がホムンクルスにあったりするわけ?」
すると、マグは、ローブの奥でくすりと笑う。
「まさか……。ホムンクルスにそんな特性はないわ」
「『コル』は、私の髪の毛を使ったホムンクルス。そういう特殊な事情がある。ホムンクルスの製作過程で他人の体の一部を用いた場合、その体の一部を用いられた人と、造り上がったホムンクルスが接触することによって、何か特殊な反応が現れたりは……?」
「そんなものは無いわね」
錬金術のエキスパートでもあるマグは、アデルの仮説を否定する。
「コルがあなたに与えていた影響は、少なくとも錬金術とは関係の無いものよ」
「じゃあ、何だって言うのよ。教えてよ、賢者マグ様」
「……その呼ばれ方は、好きじゃないわ。__それは兎も角、私も、確かな事は分からないけど、コルの見た目に理由があるんじゃないのかしら」
「コルの見た目? 私に似ているあの美形のこと?」
マグは、こくりと頷く。
「そう、あなたに似ているあの美形こと。それに、小さな男の子っぽいあの見た目。きっと、あなたの心に強く刺さったんじゃないかしら。大袈裟な言い方をすれば……、あなたの魂に響いた、とでも言いましょうか」
「……マグ、それ、真面目に言っている?」
「ごめんなさい、冗談で言っている」
「もう……」
アデルは、呆れて口の端を曲げる。何だか、マグに上手いことはぐらかされている気がした。
「それに、気になっていたんだけど、マグ。……あなた、いつからコルの正体に気が付いていた?」
「今さっき、あなたに真実を聞かされるまで分からなかったわ」
「それ、本当?」
「ええ、本当よ。……どうして? ずっとそう言ってきたでしょ」
「……」
マグは、澄ました様子で、白いローブの奥で微笑んでいる。何か、白々しさを感じる微笑みだった。アデルは、やはり、マグに上手いことはぐらかされているような気分だった。
「何を不審がっているのか分からないけど、私はいつだってアデルの味方よ。私は、いつだって真剣にアデルに助言や忠告を与えているの。少しでも、あなたの助けになるように。……私の言っている事、信用できない?」
「……信用していないわけじゃないけど。けれど……」
マグの言葉には、裏がある気がした。何か重要な事を隠しているような気がした。今回の件に限らず、マグは、アデルに対して、何か隠し事を秘めているような気がするのだ。
「……まあ、いいわ。何だか釈然としないけど」
アデルは、諦めたように溜息を吐く。どうせ、マグを問い詰めても、いつものように上手くはぐらかされる事だろう。
「また何かあれば相談しに来るわね、マグ」
「勿論、また何かあったら相談に乗るわ。結局、コルによる悪影響については不明な点が残るものね。今後、コルの魂が入った『ノノ』を持ち歩いて、何か影響が出るようだったら、また知らせて」
「そうね、いつだって真剣に相談に乗って下さる賢者マグ様を、頼りにしているわ」
アデルは、皮肉たっぷりに言ってやった。マグは、それに対して、静かな微笑みで返す。
「ええ、頼りにして。あと、それと__」
マグは、少し視線を上げて、アデルの頭上の魔法の帽子メメを見て、
「メメ、何かあったら、任せたわよ」
と、告げておくのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
コルについての事の顛末をマグに伝え終え、店を出た後、アデルは、宿に戻る事にする。
「マグは、何を隠していたのかしらね……」
アデルは、町の通りを歩きながら、呟くように魔法の帽子メメに訊ねた。しかし、メメからは、返答が返ってこない。
「ちょっと、訊いているんだけど、メメ?」
「……え、僕に訊いているのかい?」
「そうよ、あなたに訊いているのよ、人の心を読むスペシャリストさん」
「ごめん、独り言かと思った」
「もう、しっかりしてよ。……いや、それよりも__」
アデルは、改めて、他者の心を読む能力を持つ魔法の帽子に訊ねる。
「マグ、何か隠していなかった? 今回の『コル』の件で何か」
「……考え過ぎじゃないかな、アデル。彼女の言葉をそのまま信用して上げようよ。それに、もう良いじゃないか。コルの事は、一件落着したんだし」
「本当に一件落着したのかしら? 何だか分からないことも残っているし」
「コルが君の精神に及ぼした影響のことかい? それについては、今後僕がしっかり君を見守っていくよ。マグにも“任せた”って言われたしね」
「なんで、こんな帽子野郎に任せられると思ったのかしらね、マグの奴は……」
「僕は、自他ともに認める、君の教育者だよ」
「私が認めていない」
「またまた」
「認めてない」
アデルは、強い口調で否定した。
「それで、メメ、話を戻すけど、やっぱりあの娘、何か変だったわよね?」
「あの娘?」
「マグのことよ。話の文脈的に、他に誰がいるって言うのよ」
「ごめん、ぼんやりしてた」
「……おいおい、何なのよ、帽子野郎」
アデルは、メメが質問への答えを誤魔化そうとしている事に気が付き始めて、苛立ちを覚えていった。
メメは、アデルの苛立った声に怖けず、露骨な誤魔化しを続ける。
「もういいじゃないか、アデル。これからの事を考えようよ。新しい仲間も入ったことだしさ。新しい僕らの仲間……、新しくなった僕らの仲間と言った方が良いかな? __いるんだろう、コル……、いや、ノノ?」
メメがその名を口にした瞬間、
「いるよ!」
アデルの傍らから突如光の渦が巻いて、ぴょんと元気に跳ねて、魔法の箒『ノノ』が現れる。
「ちょっと、ノノ……勝手に出てこないでよ……」
アデルが、現れたノノに、うんざりとした視線を向ける。
「えー、別にいいじゃん、アデル。私もお喋りしたい!」
「箒に実体化するとそれだけで魔力を消耗するんでしょ。いざあなたを使う時に、飛べないんじゃ困るんだけど?」
「私、がんばるよ! ものすごく、がんばる! だから、だいじょうぶ!」
「本当?」
「ほんとう!」
「……いや、心配になってきたわ」
アデルは、額を押さえる。癪だが、これは確かに、メメが言う通り、これからの事をもっと考えた方が良さそうであった。
「良い、ノノ? 極力、私があなたを呼ばない限り__」
アデルが、ノノにこれからの事について注意しようとした時、
「楽しそうですな、赤リボン殿」
声が掛かった。低い男の声だ。アデルは、嫌悪感を覚えるその声に、後ろを振り返った。
振り返った先に、やはり、あの男が忽然と現れ、立っていた。フクロウの仮面を被り、黒衣の上に灰色のマント羽織った、長身の男の姿があった。
「キルシュタイン博士……」
アデルは、厳しい表情で、その男の名を口にした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




