第11話 幼女の異変
その日の昼間、明るいレンガ造りのノークの町の家屋に、数匹のフクロウ達が停まっていた。フクロウ達は、眼下の町の通りを駆ける一人の魔女を見つける。
闇色のトンガリ帽子を被った長い金髪の魔女が、淡い紫色の髪の子どもを背負い、慌ただしく身に纏ったローブを靡かせ、全力で走っている。__『赤リボンのアデル』だった。そして、その背にいるのは深い眠りの中にあるコルだった。
アデルは、マグの魔法薬店に辿り着くと、勢いよく扉を開け、怒鳴るように店主を呼び付けると、昏睡状態のコルを見せる。そして、息も吐かないくらい早口で、コルが昏睡状態に至った経緯を具体的かつ詳細にマグに語った後、その診断を求める。
その後、マグもコルの症状が全く把握できていない中で、いくつかの魔術や魔法薬を試したが、結局、いずれも功を奏さず、残念ながら杖を置くことになる。マグの口からは、現状では原因不明、としか言えなかった。あくまで、現状では。
そこで、マグは、コルの体を解析魔法で調査する事を提案した。だが、アデルはその提案に、躊躇を示す。
コルの体に解析魔法を掛けることは、彼女の正体を明らかにするために以前から考えていた事だったが、それには危険が伴う。コルの体には干渉者に対して攻撃魔法を自動的に発動する術式が組み込まれているため、本気で解析を行うならばそれに対抗する必要があるが、そうなると場合によっては、コルの体に危害を加えてしまう可能性がある。最悪、コルを死なせてしまう危険もある。したがって、アデルにとって、マグのその提案は最終手段だった。そして、まだその最終手段を採るべき状況では無い、とアデルは考えた。
アデルは、マグのその提案を断り、一度宿に戻ってコルの様子を見る事にした。もしかしたら、暫くすればコルは目を覚ますかもしれない、そう考えた。そう思いたかった。
宿に戻ったアデルは、ベッドの上にコルを置いて、静かに見守る。アデルは、微動だにしないコルが目を覚ますのを、椅子に座ってじっと待った。直ぐにでもコルの目覚めに気が付けるように、自分の呼吸の音すら殺すようにして待っていた。そんなアデルに声を掛けるのも憚られて、メメも無言だった。
沈黙の中、アデルは待ち続ける。長い時間待ち続け、いつの間にか窓の外が夕闇に包まれ、やがて、夜が訪れる。アデルは、その間もただひたすらに待ち続ける。まるで、時間の経過に気が付いていないようだった。
深夜になり、それでもアデルは待ち続ける。さらに時間は流れ、夜が明け始める。そんな朝に近づいてきた頃、流石にアデルも疲れてきたのか、椅子に座ったまま眠りに落ちてしまう。
だが、眠りに落ちた後、アデルはまた直ぐに目を覚ます事になる。
椅子の上で項垂れて眠りに落ちたアデルの耳に、微かにベッドのシーツが擦れる音が聞こえる。アデルは、うたた寝から覚め、音がしたベッドの方に慌てて目を向ける。
アデルの視線の先、コルが目を覚まし、ベッドから上半身を起こしていた。
「コル……!」
アデルが呼び掛けると、コルは、肩を震わせ、ベッドのシーツを掴んだまま、怯えるように振り向いた。
アデルは、椅子から立ち上がり、コルの前に屈み、その手を握る。
「良かったわ、目を覚まして……。急に倒れるから驚いちゃったじゃないの」
安堵の声を漏らすアデルに対して、コルは、握られた手とアデルの顔を交互に見ながら、不安げな表情を見せる。
「お姉さんは……」
「コル……?」
そのコルの第一声に、アデルは強い違和感を覚え、首を傾げた。
「お姉さんは、誰……?」
それから、虚ろな瞳を向けて、コルがそう訊ねるのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ここの服屋覚えている? あなたが今着ている服を買ってあげたんだけど」
アデルは、ノークの町のとある服屋の前で、傍らにいるコルに訊ねる。その服屋は、アデルがコルに、男の子が着てもおかしくないような半ズボンとカッターシャツを買って上げた店だ。
しかし、コルは首を横に振り、「覚えていない……」と力なく答えるのだった。
「全く、どうなっているのかしら……」
アデルは、溜息混じりにそう呟いた。
今アデルは、コルと一緒にノークの町の思い出の場所を巡っていた。もしかしたら、ここ数日の事を思い出してくれるのではないかと、期待して。
しかし、コルは何も覚えていなかった。アデルと何回か通った町の道も、初めて通るといった表情で歩くのだった。
__目を覚ましたコルは、記憶を失っていた。アデルとの思い出、ここ数日間の記憶、つまり、目覚める以前の記憶を全く失っていた。最初は寝ぼけているのかと思ったが、そうではなかった。彼女が唯一憶えているのは、自分の名前が“コル”である、ということだけだった。
記憶を失ったコルに対して、アデルは困惑しながら、様々な質問をして、記憶喚起を試みた。名前以外に覚えている事はないのか。“アデル”という名前、“メメ”や“マグ”という名前、財布を落とした事、服を買ってもらった事、髪を切った事、ノークの町を歩き回った事、広場でボール遊びした事、星空を見た事__何でも良いから、ここ数日間で微かにでも覚えている事はないか、訊ねた。
しかし、コルは、何も覚えていなかった。ぼんやりと生気が抜けたように首を横に振り、「覚えていない」と繰り返すのみだった。
それから、アデルは、焦るようにして、コルと一緒にノークの町を歩き回った。思い出の場所に触れることで、コルの心の奥底に眠るアデルとの記憶が蘇る事を願った。しかし、なかなか、そうはならなかった。
「訳が分からないわ。一体、この子何だって言うの……」
アデルは、思い出の服屋から踵を返して、再びコルを連れて歩き出す。アデルは、腕を組み、早歩きで町の通りを進みながら、次に行く場所を考える。彼女は、原因不明のコルの異変に、若干苛立っている様子だった。
「……お姉さん、次は何処に行くの?」
アデルに付いて歩いて行くコルが、ぼんやりとした声で訊ねる。その声に、アデルは立ち止まって、コルに振り返る。
アデルは、改めてコルを見つめる。淡い紫色の髪と瞳、自分に似た顔の少女__昨日まではアデルに笑顔を向けてくれていたコルと同じ姿だ。しかし、姿は同じである筈なのに、まるで別人になったみたいだった。無邪気に輝いていた瞳は、生気が抜けたように虚ろで、嬉しそうに“アデル”と名を呼んでくれていた声にも覇気がない。
「“お姉さん”じゃないわ、“アデル”よ」
「……? “アデル”……?」
「いや、いいわ」
アデルは、不快感を露に、棘のある声でそう返した。今のコルは、アデルの知っているコルではなかった。コルの姿形をした、人形同然だった。記憶が無く、そして、生気が失せた今のコルと話しても、むかむかするだけあった。
アデルは、唇を噛む。早くコルを元通りにしなくてはならなかった。自分との思い出が詰まった、あのコルを取り戻さなくてはならなかった。
「マグのところに行ってみればどうかな?」
アデルの頭上からメメが提案した。
「その子の記憶喪失は、普通じゃない。きっと、その子の体に組み込まれている術式が関係している。だから、ここはもう、マグに頼むしかないと思う。その子の体の解析をしてもらおう」
「けれど、それは……」
アデルは、口籠る。
「心配なのも当然だ。けれど、そうしないと、問題が解決していかない。その子の体の解析を引き延ばしてもう何日も過ぎているけど、結局その子の正体は謎のままだし、今まさにこんな状態になっている。急かすようで悪いけれど、今が決断時なんじゃないのかな」
「それは、確かにそうだけれど……」
コルの体の解析にはリスクが伴う。マグ曰く、コルの身体が無事のままである保証はない。だからこそ、それは最終手段であった。しかし、メメの言うように、その最終手段を恐れていては、何も分からないままだ。
アデル自身、メメの言う事は尤もだと思った。自分は過剰に躊躇してしまっている、という自覚があった。ぐずぐずしていないで、早くコルの解析に踏み切るべきだという事を理解していた。だが、それでも彼女は、踏み切れないでいた。
<……ヴァ、ガギィ、ォ……、ガァア、グァ……!>
その時、立ち止まったまま思い悩むアデルに、突如、悍ましい声が響く。
驚いたアデルは、上空を見上げ、そこにあの黒い影を見つける。
「あれは……!?」
アデル達の上空で旋回する不気味な影。唸り声を微かに漏らしながら、黒い煙のような体を蛇のようにくねらせるそれは、悪霊だった。
先日、コルの魔法で消し飛ばしたと思っていたあの黒い影の悪霊が、再びアデル達の前に姿を現したのだった。
<……ガァゲェ……、ィブェ……!>
そして、悪霊は、アデル達に猛然と襲い掛かって来くるのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
まさかの悪霊の再出現に対して、アデルの行動は素早かった。
アデルは、呆けるように立ち竦むコルの手を引いて走りながら、いつも頼りにしている相棒の名前を呼ぶ。
「来て、『ノノ』ッ!」
アデルの声に呼応して、虚空から一条の光が伸びて、颯爽とアデル達を地上から攫う。主の呼び掛けに、魔法の箒ノノが現れたのだ。アデルは、コルの体を覆い隠すように抱きかかえながら、箒の柄を両手で握り締める。
アデル達を乗せたノノは、旋風を巻いて町の上空を飛翔する。そして、その背後を黒い影の悪霊が、疾風の如く追い駆ける。
背後から悪霊が迫ってきている事を確認したアデルは、舌打ちをする。そして、前方から受ける強風で口が開けづらい中、懐に抱えているコルに訊ねる。
「コル、あの黒いのどうにか出来ない!? 前、やっつけていたでしょ! あなたの魔法よ!」
あの悪霊が恐ろしい速さを持っている事は、以前襲われた時に分かっている。逃げ切る事は困難だ。ならば、迎え撃って、撃退する必要がある。そして、コルには、あの悪霊を撃退させる魔法があった。前回、前々回の襲来の時も、悪霊を追い払ったのはコルの放った紫色の雷だ。
しかし、コルは「魔法……?」と首を傾げる。どうやら、魔法の事も記憶から消えてしまっているらしい。
アデルは、眉間に皺を寄せる。コルの魔法は頼りに出来そうにない。また、今自分も、『赤リボンの呪い』のせいで魔法を使うことが出来ない。アデルの魔法の行使回数が回復するのは、今夜の12時を回ってからだ。
アデルは、改めて昨夜の自分を恨んだ。こうなる事を避けるために、魔法の行使は慎重に行っていたというのに。
<……ガァゲェ……、ィブェ……!>
すぐ後ろに、悪霊が迫る。背筋が凍るような悍ましい声に、アデルの額に冷や汗が浮かぶ。
アデルは、覚悟を決めて、力一杯にコルを抱きしめ、箒の柄を握り締め、そして、叫ぶ。
「ノノ! 全速力! __マグの店へ!」
主の命令を受け、ノノが派手に光の粒子を振り撒く。次の瞬間、ノノが命令通り魔法の箒としての全速力を発揮する事になる。
ノノが空気を割いて翔ける。それにしがみ付くアデル達に、恐ろしい程の風圧が伸し掛かる。少しでも気を抜けば吹き飛ばされてしまう風圧の中、アデルは目を瞑り、歯を食いしばって全力で耐える。
全速力ノノは、流れ星の如く、瞬く間に主に命じられた場所へと飛翔した。アデル達を乗せた魔法の箒が、マグの魔法薬店の扉を豪快に突き破り、木片と塵を撒き散らして、店内へと入り込んでいった。
「なっ……何……!?」
店のカウンターの奥で本や資料の整理をしていたマグが、振り向いて、突然扉を破って現れた飛翔体に驚く。そして、埃が舞う中、アデルの姿を見つける。アデルは、髪を酷く乱し、コルを抱きかかえて床に倒れていた。
マグは、緊急事態を察し、素早く杖を取ると、白いローブを颯爽と翻してカウンターの奥から出る。
「……マグ! 来ている!」
アデルは、起き上がり、息を切らしながらも叫んだ。
「来ている、って何が?」
「あの黒いのが! 悪霊が! 来ている!」
アデルが、突き破られた扉の外を必死に指差す。
<……ガァゲェ……、ィブェ……!>
そこへ、あの悍ましい声が響き渡る。
アデルが指を差した先、扉の前で黒い影が渦巻く。負の感情に満ちたその影が、呻き声を漏らしながら、扉を潜ってアデル達へと迫り来る。
その黒い悪霊の害意を感じ取ったマグが、短く呪文を詠唱し、杖を振る。彼女の杖の先から雷が迸り、悪霊の黒い体を貫いた。
<ギッ……ギギギギギギッ!>
マグの攻撃を受けた悪霊は、鼓膜を劈くような高い叫び声を上げる。黒煙のようなその体を激しく痙攣させ、苦しみ悶える。
そして、
<……アッ! ……ア、……ゲェ……グ……!>
痙攣するその黒い体の中から、手が伸びる。小さく滑らかな手だった。アデル達に向けて差し伸ばされた手だ。震えながら手の平を広げたそれは、まるで、その手を取って欲しいと乞うかのように見えた。
「……? ちょっと__」
アデルは、その悪霊の行動に疑問を覚え、少し様子を見ようとする。しかし、既にマグが次の攻撃魔法の詠唱を完成させて、杖を振るうところだった。振るわれたマグの杖の先から、一段と大きな雷が迸り、悪霊の黒い体を切り裂いた。
<イギャギャギャギャギャギャギギギギギギギギギギギギ……!>
悪霊は、伸ばした小さな手を黒い体の中へと引っ込めて、店の中をのた打ち回る。悲痛な叫び声を喚き散らしながら、その黒い体を店の壁や天井に激しくぶつける。
マグが悪霊を鋭く睨み付け、止めの一撃を放とうと詠唱を始める。だが、悪霊は、己の危機を感じ取ったのか、マグに三発目の攻撃を受ける前に、素早く店の扉の外に逃げて行ったのだった。
「……追い返せたみたいね」
三発目の攻撃魔法を準備していたマグは、詠唱を止めて、杖を下ろす。
「あれが、前アデルの言っていた、コルを付け狙う悪霊? もう倒したって聞いていたけど」
「……私も良く分からないわ。倒したはずだった。……けど、さっきの奴と、前の奴も同じ雰囲気の悪霊だった」
「じゃあ、倒し切れていなかったのよ」
「……そうなのかしら」
アデルは、てっきり、前の襲来の際にあの悪霊を完全に消し去ったと思っていた。しかし、再出現したところを見ると、どうやらそうではないみたいだ。
「ともあれ、助かったわ。ありがとう、マグ」
「おかげさまで、店の中が滅茶苦茶だけどね」
「それは、申し訳ないわね」
マグは、散らかった店の中を見渡して溜息を吐いた。扉は木っ端みじんになり、悪霊が暴れ回った所為でその残骸が部屋中に散らばっている。「掃除しなきゃいけないわね」とマグは気怠そう呟いて、扉の修理や部屋の掃除に役立つ魔導書を探しに、カウンターの奥にある本棚の前へ行く。
「マグ、掃除とか手伝いましょうか?」とアデルは、魔導書を探している最中のマグに声を掛けるも、「いえ、大丈夫よ」とマグは、首を横に振る。
「あと、掃除が終わってからで良いだけど」
アデルは、続けて話を振る。
「コルについて、話したいことがあるの。さっきの悪霊とは別に、また困ったことが起きたんだけど……」
「ん? また何か起きたの? ……と言うか、目を覚ましたのね、その子」
「ええ、そうなのよ。目を覚ましたかと思えばまた、ちょっとね……」
「……分かったわ、後で聞く。色々起きて大変ね」
アデルは、やや皮肉交じりのマグの言葉に、疲れた様子で頷く。
全く、マグの言う通りだった。記憶喪失の事といい、あの悪霊の事といい、コルには分からないことだらけで、苦労させられる。
アデルは、ちらりと傍らに佇むコルに目を遣る。コルは、生気の抜けた虚ろな目で、アデルを不思議そうに見返すだけだった。
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