第8話 形勢逆転
「……。あなたのせいで大変な目にあっているわよ」
恨みを込めて、アデルは突如駆け付けたジローを見下ろす。
「すいません! アデル殿は、私がお守りします!」
「あなた、馬鹿やって牢に入れられていたんじゃなかったの?」
「アデル殿のため、抜け出してきました!」
「……あなたって、やっぱり相当とんでもないわね」
アデルの窮地に馳せ参じたジローは、周囲の兵士に向かって拳を掲げる。
ジローの登場に狼狽えるエリザベート女王は、彼を捕縛するように兵士達に命令した。兵士達の槍の矛先が、ジローへと向けられる。
「来い! アデル殿を傷付けさせん!」
ジローの挑発に応じ、兵士の一人が彼のもとへと突撃する。ジローは、兵士の槍を紙一重で躱し、胸元まで一気につめ寄ると、顎を殴り上げた。その一連の動作は、ほんの一瞬。疾風のような動きだった。
殴られた兵士は、気を失って倒れる。その後も、兵士達は怯むことなく、ジローへ攻撃を試みるが、先の兵士と同様に、殴り返され、次々に地に伏していく。まるで、旋風に弾き飛ばされていくようであった。
ジローが、自身を“この国で最強の戦士だ”と豪語したのも頷ける。石造りの壁を素手で破壊する程の怪力、多勢の兵士達を一方的に翻弄する俊敏さは、圧倒的な戦闘力だった。
そして、兵士達の意識は、完全にアデルからジローに移っていた。
「兵士達の注意が逸れている。アデル、今のうちに逃げ出そう」
「……」
メメの呼びかけを無視して、ジローと兵士達の戦闘を眺めつつ、アデルは沈黙する。
「アデル?」
「__いや、思いついたことがあるわ」
アデルの指先に魔法の光が灯る。
「アデル、何をするつもりだい?」
「取引をするわ」
アデルから、膨大な魔力が放出される。身体を揺さぶり、足を地面から引き剥がすような強い波動がエントランスを巡る。ジローとの戦闘に没頭していた兵士達は、再びアデルに注意を向き直した。視界を白く潰すほどの眩い光が、アデルの指先からあふれ出す。
そして、アデルの魔法が発動する。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
静寂が訪れた。ジローと兵士達の戦闘で騒がしかったエントランスが、一変した。
「……何、これ……」
静寂の中、まず声を発したのがエリザベート女王。困惑した声だった。
「これは……」
次に声を発したのが、ジロー。同じく、困惑している。
彼らは周囲を見渡す。先ほど自分達が居た場所は、アデルの屋敷のエントランス。そして、今いる場所も、同じエントランス。しかし、まるで別の場所にいるようであった。
兵士達が止まっていた。地に伏している者は勿論、槍を手にして戦闘中であった者も、呼吸一つしないで、表情も固定し、今にも動き出しそうな姿勢を保ったまま微塵も動かない。
それは、まるで、絵画の中にいるよう。自分達以外が静止した世界に、エリザベート女王と、ジローはいた。
「時と止めたの」
アデルが、箒を片手に、悠然と階段を下りてくる。その指先には、魔法の光が灯り続けている。
「この時間が止まった世界で動けるのは、私と、ジローと、あなたしかいないわよ」
エリザベート女王は、驚きに目を見張る。
「時を止めた……!? そんなことが……」
「まあ、時間に干渉することなんて、私にとっては造作もないことよ」
アデルは、何でもないように涼しげに言う。
だが、時間を操る魔法がいかに恐ろしいものであるか、魔術に多少なりとも知識があるエリザベート女王は理解していた。時間に干渉する魔術は、極めて難易度が高い魔術の一つだ。それを、これ程までの完璧な完成度で、容易く扱う魔法使いは、世界に数人もいないだろう。
それに、先ほどアデルから放出された規格外の魔力の波動__世界を塗り潰すような圧倒的な力を、エリザベート女王も感じ取っていた。
「貴女、本当に、あの……」
エリザベート女王は確信する。
目の前にいる少女こそ、あの『赤リボンのアデル』。万能の魔女と畏敬される伝説の少女。その魔法は一つの国を壊滅させる程に強力と言われ、実際に彼女によって根絶した民族もあると聞く。その荒唐無稽とさえ思われる噂が、彼女の魔法を目の当たりにして、真実味を帯びた。
そして、エリザベート女王は恐怖する。アデルの赤い瞳に、全身に寒気を走らせる悪魔的な煌めきを見る。
「さて、女王陛下、私達だけになったところで、ようやくまともに話し合いができるわね。もう馬鹿みたいな嘘は抜きよ。私は、20年前の真実を知っているの。
そこにいるジローも交えてじっくりお話しようじゃないの。彼も、あなたに言いたいことがあるみたいだし」
ジローは、改めてエリザベート女王に問い質すべきことに気付いて、彼女に詰め寄った。
「そうです、エリザベート様! いったい、どういうことですか!? 貴女は、私をずっと騙していらっしゃったんですか! そして、どうして今まで私に__」
「落ち着きなさいよ」
物凄い剣幕でエリザベート女王に詰め寄ったジローを、その間に割り入ってアデルが宥める。エリザベート女王は、顔を青ざめさせて後退りをしていた。
「まあ、確かに酷い女よね。あれだけの大惨事を引き起こしといて、自分は被害者のふりしていい気分だもの。この女が輝かしく女王様やっている間、ジローは極悪人の息子として惨めな人生を送っていたのにね。
エリザベート女王陛下、あなた、あんな事をしておきながら、今までよくものうのうと生きてこられたわね。人としての良心が悪魔的に欠如しているのではないかしら?」
言いたい放題のアデルに、エリザベート女王も黙っていなかった。
「わたっ、私は!」
アデルの人を馬鹿にした言葉に堪えられないとばかりに、エリザベート女王は息を荒げて反論する。
「私は、被害者であり続けなければならなかったのです! 王家の威信を守るため、それ以外の選択はなかったのです! 貴女に私の何が分かるというの!」
「そんなこと言って、被害者として皆から憐れんでもらえることが心地よかったんじゃないの? そして、その立場を失うのが怖かっただけじゃないの?」
「あ、貴女……っ!」
エリザベート女王は激昂し、アデルに掴みかかろうとする。アデルは、エリザベート女王の迫り来る手をひょいっと躱す。そして、エリザベート女王は、勢い余って転び、地面に額を打った。
「落ち着きなさいよ」
息を切らしながら立ち上がるエリザベート女王に、アデルが冷たく微笑む。
「私は、あなたを断罪しに来たわけでも、いじめに来たわけでもない。__私はね、取引がしたいのよ、女王陛下。あなたの知性と理性を信じてね」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆