第10話 確かめたいこと
気怠い重みから解放されるように、眠りから覚める。アデルは、目をゆっくりと開き、ゆっくりと息を吸った。顔には、窓からの強い日差しが当たっていた。アデルは、昨日の魔法の行使の負担もあってか、随分と長い眠りに落ちていた。もう直ぐ、昼も近い時刻だ。
ベッドから上半身を起こしたアデルは、椅子の上で寝息を立てているコルを発見する。淡い紫色の髪の毛が、可愛らしく項垂れている。コルは、椅子の上で背中を丸め、心地良さように目を閉じていた。そのコルの腕に抱かれている魔法の帽子メメは、アデルの遅い起床に気が付いて、「やあ、起きたかい」と彼女に声を掛ける。
コルは、メメと会話して時間を過ごしながら、朝になってもなかなか起きてくれないアデルの目覚めを待っていた。そして、あまりにも長い間アデルが目覚めないため、退屈のせいでいつの間にかコルが眠ってしまったのだった。
アデルが眠っているコルに声を掛けながらその小さな肩をそっと揺らすと、コルは、直ぐに目を覚ました。そして、時間外れの朝の挨拶を交わすと、アデルは、早々に身支度を始める。
今日は、マグの魔法薬店に行く予定があったのだった。昨晩、コルがマグから魔法を教えてもらう約束をしていた。コルは、魔法を教えてもらう事を楽しみにしていた。
そして、コルの用事とは別に、アデルは、昨夜の騒動の件で、マグにはお礼を言いに行くべきだと考えていた。
アデルは、身支度をしながら、昨夜の騒動の事を改めて思い返す。全く、溜息を吐きたくなった。
自分のしでかしたことは、ちゃんと覚えている。愚かな願いのために貴重な魔法を行使した事。その後、自警団と揉め、危険な駆け引きをした事。呪いの制約を無視して、4回目の魔法を行使しようとした事。それらの事実は、ちゃんと覚えている。
しかし、覚えていないのは、何故、そして、どういった気持ちに突き動かされて、昨夜のような行動を採ってしまったかである。昨夜のあの時の感触は、もう思い出せない。分かるのは、今の冷静な自分であったら、間違いなく、あのような不合理極まりない愚行をしないという事だ。
アデルは、溜息を吐きたくなる。おかげさまで、明日までの間、自分は魔法を使うことが出来ない状況になった。
__そう、あんなこと、普段の自分なら、あり得ないことだった。
「アデル、昨日はありがとう。お星さま、すごくきれいだった」
髪を手櫛で整えているアデルの横に、おずおずとコルがやって来て、控えめな声でお礼を告げる。
「とっても嬉しかった。けれど、もう、あんなにむちゃなことしなくて良いの。アデル、とても苦しそうだったから……」
幼いコルなりに、気を遣った喋り方だった。
アデルは、何だか苦笑が漏れて、
「心配しなくても良いわ。もうあんなことしないから。昨夜の事は、もう忘れて」
と返した。
アデルは、もう忘れたかった。昨夜のあの自分は、自分ではなかったのだから。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ノークの町の通りを、楽しげにコルは歩いていた。淡い紫色の髪を揺らし、サイズの合わない大きなローブの袖を振っている。アデルは、そんなコルの後ろを、その背中を見守るように歩いている。
二人は今、マグの魔法薬店に向かう最中だ。
「元気が良いわね、コル」
アデルが声を掛けると、コルは嬉しそうに振り返る。
「うん! だって、マグが魔法を教えてくれるんだもん。楽しみだよ」
「あなた、そんなに魔法に興味があったの? 魔法って言っても色々種類や系統があるけど、マグにどんな魔法を教わるつもり? あの娘なら、何でも教えられると思うけど」
「風の魔法を教わりたいの」
「風魔法?」
コルのピンポイントな答えに、アデルは首を傾げる。
風魔法__と言えば、空を飛んだり、あるいは、風の刃を放ったりするものが、真っ先に思い浮かばれる。そう言えば、昨夜の騒動の際に自警団が風魔法を使っていた。アデルは、思い出したくない昨夜の事を思い出して、やや顔をしかめる。
「どうして風魔法を?」
「ボール遊びが出来るようになりたいの」
「ボール遊び……? ああ、もしかして、この町の子ども達がやっているやつね。なるほど」
コルが答えた理由に、アデルはひとり納得した。おそらくは、広場でボール遊びしていた男の子達が羨ましかったのだろう、と。アデルとコルは、男の子達のボール遊びに混ざったことがあったが、その時、コルは何も出来ないでいた。コルは、風魔法も使う事も出来なければ、アデルのようにボールを捌ける体術も持っていない。あの時、コルは、非常に悔しい思いをしたのだろう。
「風魔法が使えるようになって、あの男の子達を見返したいってわけね」
「うん、それもあるけど……」
「……?」
「私、男の子になりたいの」
コルのその返答に、アデルは、数秒沈黙することになった。コルの言葉の意味を咀嚼しようとするも、やはり理解しきれず、アデルは、困惑した表情で聞き返す。
「……何て?」
「男の子になりたいの」
「男の子になりたい? ごめんなさい、どういう意味なの? ボール遊びと何の関係が……?」
聞き間違えではない事を確認したアデルだったが、やはり、コルの言っている意味が分からない。
「男の子達はみんな、ボールで遊んでいた。風でボールを飛ばしていた。だから、男の子ならボール遊びは得意にならないといけないの。……違うの、アデル?」
「いや、違うわね……」
アデルは、思わず苦笑いを漏らした。どうやらコルは、男の子達がボールを上手に飛ばし合っている姿を見て、ボール遊びが得意な事が、男の子としての必要条件だと感じたようだった。何とも、子どもらしい稚拙な思考だと思った。
「別に、男の子だからボール遊びが得意なわけでも、ボール遊びが得意だから男の子っていうわけでもないのよ。全然関係ないわ」
「……そうなの?」
「そうなのよ」
「うーん、そうなの……」
コルは、腕を組んで、難しそうに考える顔をする。
「というか、あなた、男の子になりたいの?」
アデルは、そもそもの疑問をコルに訊ねる。すると、コルは、まるで思いもよらない質問がされたかのように、不思議そうにアデルを見上げる。
「うん、なりたいの。男の子になりたいの」
「え、何で?」
「だって、アデルがそう望むから」
何気なく言ったコルのその言葉に、アデルは思わず足を止め、目をぱちくりさせる。
「……私が? 私がそう望んだ?」
コルも、足を止め、頷く。
「アデル、前言っていたよね。私が本当に男の子だったら良かったのに、って」
「それは……、確かに、言った覚えがあるような……」
アデル自身、明確に覚えてはいないが、以前、そんなような事をコルの前で漏らしたような気がした。少なくとも、そう思っている事は__コルが男の子だったら良かったと思っている事は、その通りだった。アデルが、コルの髪や服を変えさせたのも、そういう意図があってのことだ。
「だから、私、男の子になりたいの。アデルに、私の事を好きになってもらえるように」
コルは、屈託ない笑顔でそう言った。
アデルは、再び目をぱちくりさせる。子どもの突拍子もない発言には、全く唖然とさせられる。
「子どもって、とんでもない事を言うわね……」
「……? 私、何か変なこと言ったかな?」
コルは、無邪気に首を傾げた。首を傾げたいのはアデルの方だった。アデルは、そんなコルに訝しげに訊ねる。
「どうして、私に好きになってもらいたいの?」
「好きな人には、自分の事も好きになってもらいたいよ?」
「……。……あなた、私の事が好きなの?」
「好きだよ。アデルのこと、大好き」
コルは、はっきりとそう告げた。
アデルの頭上の魔法の帽子メメは、「愛されているねえ」とからかった。それに対して、アデルは、訝しげな表情を崩さない。何故だか、胸の内がもやもやしていた。
「私の事が好きなんて、あなた変わっているわね」
「……そうかなあ?」
「私があなたに何でも好きな物を買ってあげているから? 何でも望みを叶えて上げているから?」
と、アデルは、少し意地悪な口調で詰める。
「うーん……それもあるかも」
「コル、それって、好きなんじゃなくて、都合が良いって言うのよ? 覚えておいた方が良いわ」
「“都合が良い”……? 良く分からないけど……」
幼いコルには、アデルの言っている事が上手く理解出来ていなかったが、直感的に、それは違うと感じた。だから、コルは、改めて告げる。
「私、アデルと一緒にいられると楽しいの。だから、好きなの」
また同じように、屈託のない笑顔を向ける。
アデルの、胸の内のもやもや感が増す。納得がいかない彼女は、頭上のメメを叩いて訊ねようとする。メメは、他者の心を読むことが出来る魔法の帽子だからだ。
「メメ、この子の__」
「いや、君……」
メメは、アデルの質問を遮って、呆れた声を漏らす。
「コルの言葉の真意が知りたいのかい、アデル? 何をムキになっているのか分からないけど、その子の今の言葉を素直に解釈するのが正解だ。そんな事、わざわざ僕に訊ねなくても分かる事じゃないのかい?」
「癪に障る言い方は止めろ。納得できないから、わざわざ帽子野郎に訊いてやっているんじゃないの!」
アデルは、眉間に皺を寄せて声を荒げた。アデルの棘のある声に、コルは身を竦ませ、メメは黙る。アデル自身も、思わず声を荒げてしまった自分自身に驚いた。今日の彼女は、普段よりほんの少し気が立っているようだった。
そして、気まずい沈黙が流れた後、
「……私、最近どうにかしているわ」
アデルは、重たい溜息を吐いて、疲れた様子で口を開く。
「昨夜の事もそうだけど、どうも調子がおかしくなっている。気持ち悪いの。もやもやするの。__メメ、あなたなら、このもやもやを説明できるのかしら? 人の心を読めるあなたなら……」
アデルが、メメに対してそのように説明を求めるのは珍しい事だった。いつものアデルなら、自身の心をメメに説明されるのを好まないはずだった。
「いつも君の頭上にいるから、君の心は能力では読めているわけじゃないけど__」
だから、メメは、真剣な声色で答えようとする。
「君がもやもやするのは、今までにない感情を抱き始めているからじゃないかな?」
「今までにない感情……」
「僭越ながら、帽子野郎の僕から言わせてもらうけど、それは君にとって良い変化だと思うんだ」
「変化……、私は、やっぱり何か変わってきているっていうの……?」
アデルは、メメの言葉を静かに反芻する。いつもなら相棒の帽子の言葉を適当に聞き流している彼女にとって、やはり、珍しい事であった。
「アデルは、私と一緒にいると具合が悪くなるの……?」
すると、顔を伏せて考え込むアデルに、コルが不安げに訊ねた。
アデルは、面を上げ、コルの怯えたような瞳に気が付く。
「ねえ、教えて欲しいの、アデル。アデルは、私と一緒にいても楽しくないの……?」
アデルは、そのコルの言葉に、強く首を横に振る。
「私自身、このもやもやが何なのか分かっていないけど……」
正直、分からない事だらけだ。この気持ちの正体は何なのか。どうして、こんな気持ちになるのか。これが果たして、自分にとって良い変化なのか。それとも、何かが狂い始めているのか。この気持ちは、引き離すべきものなのか。
分からない。けれど、アデルは、コルに歩み寄る。歩み寄って、その小さな頭にそっと手を乗せる。
不安げなコルの表情が和らぐ。コルの頭に乗せられたその手には、温かみがあった。
アデルは、改めてコルの顔を見つめる。
「けれど、同じよ、コル」
「……同じ?」
「ええ、同じよ。私達、同じなのは顔だけじゃないみたい」
アデルは、柔らかく笑った。笑っていた。
「私も、あなた一緒にいられると楽しいみたい」
アデルのその言葉に、コルの表情にも笑みが広がる。
そのコルの笑顔に、アデルの心の内のもやもやは増す。今までにない感覚だ。それは、彼女を不安にさせ、気持ちが悪いとも感じさせた。けれども、この不思議な感覚を、手放したくないとも思ってしまう。
だから__
「だから、そうね……コル、これからも__」
__これからも、一緒にいましょう。そう告げようとした。
そう、約束しようとした。
だが、その時、コルに異変が起きる。アデルの約束の言葉を遮るように、それは起こる。
アデルの柔らかな手が触れるコルの頭__そこから、突如、紫色の閃光が迸った。
「痛っ……!?」
痺れるような痛みに驚いて、アデルは、手を引っ込める。そして、身を縮めて数歩後退りをして、謎の光を放ったコルに目を向ける。
コルは、倒れた。体の軸が抜かれたようにふらついた後、鈍い音を立てて両膝を地面に落とし、左右の腕をだらんとしたまま、吸い込まれるように頬を地面にくっ付ける。そして、サイズの合わないローブの中に身を閉じるように、そのまま動かなくなる。
「コル……?」
アデルは、手の痛みも忘れて、動かなくコルに呼び掛ける。しかし、コルは、反応しない。
アデルは、焦ってコルに近づき、地面にくっ付けたコルの顔を起こす。コルは、深い眠りに就いているように、あるいは、生命を抜かれた人形になったかのように、目を閉じ、微動だにしない。
「コル!」
アデルは、再びコルの名を呼ぶ。
だが結局、その呼びかけでコルが目を覚ますことはなかった。
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