第7話 女王の襲来
翌日、アデルはまたしてもメイドの慌ただしい声でベッドから起こされることになる。
「ご主人様! 起きてください! 大変です!」
「……何よ、こんな朝早く……」
「いえ、もう10時近いですが……」
昨夜の疲労のせいで、アデルは思いの外に深く寝てしまっていた。
気怠そうにベッドから抜け出すと、メイドから水を貰い、ゆっくりと着替えをし始める。
「で、何、そんなに慌てて。また、憲兵が来たの? だったら、勝手に上げちゃって良__」
「いえ、そのっ!」
メイドの様子は、昨日の憲兵の来訪の時より一層、焦燥感に溢れていた。息を切らして、額に汗をかき、ひどく髪を乱している。この寝室まで全力疾走をしてきたようであった。
「女王陛下が、お見えになっています! エントランスです!」
「は? 女王?」
アデルは、着替えを済ました後、直ちにエントランスへ向かった。
エントランスに着くと、そこには大勢の来客がいた。槍を携えた数十名の兵士らしき男達が立ち並び、その先頭に高貴なドレスを纏った美女がいた。栗色の髪と瞳、気品溢れる佇まい、そして、その頭に飾られた王冠。その人こそが、エリザベート女王、噂に聞く賢王。
アデルには、何故突然、ルソル王国の女王が自分のもとに来たのか見当が付かなかった。ただ、何か、嫌な予感がした。
「ごきげんよう、女王陛下。私の屋敷に何の用で?」
アデルは、階段の上から挨拶をする。一国の女王に対して、やや失礼な対応であったが、アデルは警戒して距離を置いていたのだった。
エリザベート女王の背後には、整然と列をなし沈黙を保つ屈強な兵士達が控え、彼らはアデルに鋭い視線を向け続けている。兵士達の槍がぎらつき、油断ならない空気が漂う。その重い空気の中、エリザベート女王は口を開く。
「初めまして。私は、このルソル王国の女王、エリザベートと申します。貴女が、最近巷で噂になっている魔女ですね、『赤リボンのアデル』さん?」
エリザベートは、ちらりとアデルの胸の赤リボンを見る。
「ええ、そうよ。私があの有名な『赤リボンのアデル』。万能の魔女よ。__で、そんな大そうな護衛まで付けて、いったい私に何のようなのよ?」
「あなたを捕らえに来ました」
エリザベート女王は、鋭く言い放った。その場に緊張感が走る。
「捕らえる? えぇ、どうして?」
アデルは飄々と振る舞いつつも、いつでも魔法を行使できるように心の準備をする。兵士達は、今にも突撃してきそうに、槍の柄を強く握っている。
「貴方が、我が国の憲兵に奇妙な呪術を掛けたからですよ。ジローという名の憲兵を覚えていますよね。貴女が行ったことは、この国に危険を齎す行為。したがって、貴女の身柄を拘束します」
「は? 呪術……? ねえ、何があったのよ?」
アデルには、呪術を用いた覚えはない。故に、エリザベート女王側の事情が読めなかった。
「今朝のことです。私が朝食を摂っていたところ、彼が突然やってきたのです。そして、訳の分からない事を言いながら、私につめ寄ってきたのです」
「訳の分からない事って?」
「その……」
エリザベート女王は、一瞬口籠る。
「20年前の出来事について、私を糾弾してきたのです! 呪術を掛けた貴女は、よくご存じでしょう。彼に見せた幻を」
「……なるほど」
エリザベート女王の言葉の歯切れは悪い。だが、アデルは、事情が読めてきた。きっと、過去の真実を知ったジローが、あの後、エリザベート女王のもとに行き、彼女を問い詰めたのだろう。しかも、その際に、アデルのことも話したようだ。
ジローをあの後、あのまま放置してしまったことが悔やまれる。よく考えれば、真実を知った彼が厄介な騒動を起こすことは、予測できたのに。あの場で、何か釘を刺しておけば良かったと、アデルは頭を抱えた。
「で、ジローは今どこに?」
「牢に閉じ込めています。ずっと、貴女に見せられた幻のことを喚いていましたよ。国家魔術師に貴女から掛けられた呪術を解呪してもらうまで、牢で静かにしてもらうつもりです」
「呪術、幻ねえ。……ちょっと、笑っちゃいそうなんだけど? __まあ、でも、大体そちらの事情は分かったわ。わざわざ、女王陛下自らが出向くほど重大な事態というわけね」
ジローは、アデルの魔法で目にした過去の真実を、エリザベート女王に伝えた。そして、その真実は、女王の威信を揺るがす重大な事実。
彼女は、真実を隠匿するため、彼を牢に追いやり、その重大な真実を知るもう一人のアデルを取り押さえに来たというわけだ。また、ジローの語った真実は、魔女の呪術よって見せられた幻ということにして、上手く誤魔化すつもりなのだろう。
「エリザベート女王、私は、あなたと事を構えるつもりはないわ。あの馬鹿な憲兵が騒いだことは私の意図するところじゃないし、私はあなたとこの国に都合の悪くなることをしようとは思わない。あなたを困らしても何のメリットもないもの。
とりあえず、その物騒な兵隊さん達を下げてもらえるかしら? 少し話し合いましょうよ」
「いいえ。貴女は、危険です。直ちに捕らえます」
エリザベート女王は、アデルとの話し合いを断固として拒否する。
その頑な態度に、アデルは溜息を漏らす。
「おてんば娘が、随分立派な女王様になったものね。他人に教育費を払って貰った気分はどんなかしら? あなたが立派な女王様になるよう教育するために、妹さんは命を支払い、国の英雄は命と名誉を支払ったわね。__あなたなら、もっと賢い選択ができると思っていたけど」
「挑発してどうするの、アデル」と呆れるメメ。
そして、アデルの言葉に、エリザベート女王は顔を赤くする。
「……っ!? このっ! 親衛隊!」
エリザベート女王の命令で、背後に控えていた兵士達が一斉に動き出す。槍を握り締め、アデルのもとへ、階段を駆け上がり押し寄せてくる。
アデルは、階段の上から、勢いよく飛び降りる。
「『ノノ』! 来て!」
迫り来る兵士達の上空を闇色のローブがはためく。そして、アデルの一声に呼応し、突如虚空から燦然と彗星のように出現した一筋の光が、彼女の足元に滑り込む。その光は、眩い輝く尾を引きながら、そのまま彼女を、兵士達の槍の届かないエントランスの宙まで運んだ。
「全く……、所詮は元おてんば娘ね。冷静さが欠けているわ」
安全な位置までアデル逃したその光は、徐々に輝きを落ち着かせていき、その正体が露になる。それは、一本の箒。そして、ただの箒ではない。アデルが、『ノノ』と命名している魔法の箒だ。
ノノは、アデルが入手した最も使い勝手が良いマジックアイテムの内の一つだ。箒でありながら意思を持ち、主の呼びかけに応じてどこからでも出現し、空を飛ぶことができる。召喚や飛行に魔力を消費することはなく、ただの声で命じればよいため、アデルでも無制限に使用できた。
「で、これからどうするの、アデル? ルソル王国の戦士は相当精鋭だって聞くよ。やり合うのは推奨しないな」
「だからって、逃げるのも難しそうよ」
既にエントランスの全方面を、槍で武装した兵士達が囲っている。部屋のあらゆる出入り口で、兵士達が槍を構え、脱出の邪魔をしている。無理やり抜け出そうとすれば、槍の餌食になるのは確実だ。
これは、それなりに厄介な状況になってしまったみたいだ。
「ほんと、あの馬鹿男、イラつくわぁ……。つまらん気まぐれなんて起こすものじゃないわね」
「運が悪かったんだよ。日頃の行いのせいだね」
「ほんと、この馬鹿帽子……」
アデルの苛立ちを煽るように、彼女の眼下の兵士達が怒号を浴びせてくる。兵士達の手にした槍では宙に浮くアデルには届かない。
すると、ある兵士が槍を握り締めたまま身体を反らしてから、槍をアデル目掛けて放り投げてきた。放たれた槍は、まるで矢の如くアデルのもとまで疾駆し、そのローブを掠め、天井に突き刺さった。
アデルは驚きに身を縮めた。
「やばっ!? 殺す気!? ノノ! 避けて!」
他の兵士達もそれに倣って、アデル目掛けて次々と槍を投げ飛ばしていく。その一本、一本が人を殺められる速度で、アデルに襲い掛かっていく。
アデルから命令を受けたノノは、主を乗せ、襲い掛かる槍を巧みにかわしていく。アデルの飛行の跡を追うように、次々と天井に槍が突き刺さって行く。
「ぐぐっ! これは、魔法を使うしか……!」
逃げ場のないエントランスの上空では、このままいけば投げられてくる槍に捕らえられてしまう。時間の余裕はない。
魔法の使用可能回数は、今夜の12時を回るまで、あと1回だ。行使可能回数が回復するまで、まだ半日以上かかる。魔法は、できる限り温存しておきたかった。アデルは安全のため、魔法が使えない空白の時間帯を極力作りたくなかったのだった。
しかし、今この危機的状況こそ、魔法を使用するときか。
だが、その時、轟音が響き、エントランスが揺れる。
「アデル殿ぉ!!」
アデルの名を叫ぶ男性の声と共に、エントランスの側面の壁が豪快に弾け飛ぶ。床に散らばった石塊を踏み歩き、粉塵を被りながら、颯爽とその男は現れた。
その場にいた者達、特にエリザベート女王、に動揺が走る。
「貴方は……!」と、エリザベートの口が震える。
「ご無事ですか、アデル殿!」
石造りの壁を素手で破り抜き、殺気立った目つきをしながら現れた男は、ジローだった。
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