第13話 エピローグ
場所はマグの魔法薬店。薄暗く埃っぽい部屋の中に、彼女らはいた。
彼女ら__アデル、ジロー、アルジーナ、そして、マグは、契約締結の場としてこの場所に集っている。
カウンターの奥の机の上に一枚の羊皮紙が広げられ、その周りを彼女らは囲っている。羊皮紙には黒インクのペンで魔法陣が描かれ、そして細々とした奇怪な文字列がびっしり書き込まれている。それは、呪術の魔法陣と悪魔の文字で作成された魔法の契約書であった。
その魔法の契約書には、魔法使いには解読できる言語で、先ほどアデル達が取り決めた契約内容が正確に記載されている。その契約書にはマグによって魔力が通されており、そこにアデル、ジロー、アルジーナがそれぞれ血の印を刻んでいく。
契約の各当事者が血の印を刻んだことによって、契約書に記された術式が起動する。アデル、ジロー、アルジーナの胸元に突如として魔法の光が灯り、その光が体に吸い込まれていくように消えて行った。
「契約は成立よ。お疲れ様」
マグは、出来上がった契約書を確認して、頷く。
「これで、私には呪術が掛かったのか……」
アルジーナは、自身の胸元に一瞬出現した光に若干戸惑っている様子だ。彼女は、今まで魔術を用いた契約を交わした経験が無かった。交わしたことがないどころか、魔術というものを忌み嫌ってすらいた。
そんなアルジーナが割とすんなり魔術の契約に応じてくれたのは、やはり、契約の仲介にマグがいたことが理由だった。
「それにしても、まさかあなた達が揃ってここに来るなんてね。奇妙な繋がりよね」
マグが失笑気味に言う。
「それは、こちらの台詞だ。マグといい、ジローといい、どうしてこの魔女と繋がっているんだ……。まさか、マグの店に案内されるとは思わなかったぞ」
アルジーナが、愚痴を零すように言う。
__アルジーナは苦渋の決断をした。彼女は、三者間で魔法の契約をするというアデルの提案を受け入れた。
それから、アルジーナは、契約締結のため、アデルに連れられてマグの店にまでやって来た。アデル自身は魔法の行使回数に制限があるため、魔法の契約書の作成を他の魔法使いに頼むことにし、その適任人の選ばれたのがアデルの知り合いでもあるマグだった。マグであれば、魔法使いとして申し分ない知識と能力があり、なにより、魔法の契約書の作成くらいであれば無償で引き受けてくれるだろうと、アデルが思ったからである。
そして、マグの魔法薬店で4人は集い、各々の顔を見合わせて驚くことになった。
まずマグは、アデルの足の切り傷に気が付いて、急いでその傷を魔法で治癒した。それから彼女は、アデルからこれまでの事情の説明を受け、契約書作成を依頼された。
マグとしては依頼を断る理由も無く、むしろ事情を聴いた彼女は積極的に依頼を受け、魔法の契約書を作成することになったのだった__
「何にせよ、契約は成立したわ。これで一安心ね。……じゃあ、私はもう帰るわね」
アデルは、帽子を被ってローブを翻す。
「もう帰っちゃうの、アデル……? ほら、ルデアが寂しがっている」
そそくさと立ち去ろうとするアデルに対して、マグが、例の如く金髪の人形を撫でながら、桃色の瞳を向ける。アデルは、やや嫌そうに口を曲げる。
「ついきっきも来て、飲んだばかりでしょ。__それに、そこの犬女とあまり一緒にいたくないの。お互いにね」
アデルは、アルジーナを指差した。
「『赤リボンのアデル』、貴様……! その“犬女”と言うのを止めろ!」
「え、何で?」
「とにかく止めろ!」
「犬女!」
「止めろ!」
不快な呼び方に、アルジーナは、紅潮して怒鳴った。
メメは、「止めてあげなよ」と囁くが、アデルは構わず続ける。
「でも、犬女は犬女でしょ、犬女。私は事実に基づいた呼び方をしている」
「何が事実だ!」
「覚えていないの? あなたの迫真の犬真似を」
「覚えていないわけないだろう! あの時の屈辱……!」
「なら分かるでしょ。あなたは犬女よ」
「私は犬ではない!」
ジローは、二人のやり取りを困った様子で眺めていた。彼は、二人の過去の因縁のことを知らない。
「犬ではないけど、犬の真似をした犬女よ」
「だからその犬女というのを止めろ!」
「じゃあ、小便女」
「……っ!? それは事実に基づかいないだろ!」
「あら、そうだったかしら……?」
「これ以上ジローの前でふざけた事を言うのは止めろ! この魔女め!」
髪が逆立たせるように怒るアルジーナは、思わずナイフを掴んだ。しかし、その瞬間、アルジーナの胸元が輝き、彼女の体に抗いようのない痺れが走り、彼女は顔を引きつらせてナイフを手から落とした。アルジーナのアデルに対する殺傷の意思を感知し、彼女の体内に刻み込まれた呪術が発動したのだった。
アデルは、ナイフを落としたアルジーナの姿に、満足気に頷く。
「呪術は完璧ね。流石、“賢者”マグだわ」
「……くっ! 今、強く後悔している……。貴様の提案に乗ったことを。貴様を叩き斬ることが出来なくなったことを!」
アルジーナは、落としたナイフをゆっくり拾いながら、怒りに震えた声で言った。
「後悔ですって? あなたは、この私に感謝するべきじゃないの? もはや救済してあげたと言っても過言じゃない」
「何だと!?」
「あなたの心の中はお見通しよ」
アデルは、薄笑いを浮かべる。
「あなたは私との取引を通じて、自分が大切なものだと思っていたものが実は下らないものであること、そして、本当に大切にしているものが何なのか気付けたはずよ」
「何を知ったように……!」
「あら、違うって言うの?」
アルジーナは、小さく唸った。アデルの恩着せがましい言い方には反感を覚えるが、この忌まわしい魔女の指摘には否定できないところがあった。
アデルの発言には、根拠があった。他者の心を読める能力がある魔法の帽子メメから、アルジーナの心の内の事を聞かされていた。先ほどの交渉においても、アデルは存分にメメからの情報を利用していた。
「まあ、私にはあなたが救われようがどうなろうが興味ないことだけどね」
アデルは、アルジーナの鋭い視線を背に受けながら、扉に手を掛ける。
「じゃあ、私はこれでお暇させてもらうわ。__ジロー、そこの犬女のことをよろしくね。くれぐれもこれ以上私を追いかけて来ないように。これは主としての命令よ」
「はい、アデル殿。正直を言えば、直接あなたを護衛出来ないのは残念と言えば残念なのですが……」
「残念がられても困るのだけど」
アデルは、未だにジローについては理解も共感も出来なかった。アデルは、アルジーナがどうしてこの男の事を気に入ったのか、疑問に思ってしまう。
「とにかく、頼んだわよ、ジロー。__そこの犬女のこと、せいぜい幸せにして上げなさい」
アデルは、からかう調子でそう言い残して、その場を立ち去った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アデルが立ち去った店内に、アルジーナ、ジロー、そして、マグが残っている。
「私が知らない間に色々あったみたいだけど、こういうふうに収まって本当に良かったと思うわ」
マグが独り言のように呟いた。アルジーナは、肯定するでも否定するでもなく、黙ってマグの方を振り向く。
「だって、そうじゃないと皆が不幸だもの。アルジーナも、ジローも、それに、私としても」
マグは、金髪人形を撫でながら、アルジーナに微笑んだ。
「私もそう思います、マグ殿。本当に上手くまとまって良かったと思っています」
ジローは、マグに賛同する。
しかし一方で、彼はアルジーナをちらりと見て、やや不安そうに訊ねる。
「__だが、アルジーナは、結局、どう思っているんだ? 君とアデル殿との間にどんな諍いがあったのかは知らないが、こうなった事に、後悔はないのか?」
「それは……」
ジローは問い掛け、アルジーナは答えようとして口籠った。
ジローの投げかけた問いは、彼が思っている以上にアルジーナには難しい問いだった。アルジーナが今回下した決断は、正直に言えば深く考えてなされたものでない。決断を迫られたあの時、理解不能な熱に押されて、直感的に下した決断だった。
アルジーナは、再度自身の胸の内を探ってみる。__もしかしたら、自分は後悔しているのかもしれない。けれど、あの提案に乗らなければ、もっと後悔していたかもしれない、とも思うのだった。
「考えたくない」
表情に影を落としたアルジーナがそう言って黙った。彼女が絞り出したその一言には、妙な重みがあった。ジローは、その言葉の重みを感じ取り、同じように黙ってしまった。
「考えたくないなら、考えない方が幸せよ」
二人の沈黙に、マグが口を挟んだ。
マグは軽い調子でそう言ったが、その瞳は奇妙な真剣さを帯びていた。その瞳には、アルジーナの事を見つめているようで、全く別のものを見つめているような、深淵の暗みがあった。
「考えても、結局つまらないことを気にしすぎるだけだもの。……少なくとも、私はそうだったわ。……ねえ、ルデア」
それからマグは、撫でていた金髪人形の赤い瞳を覗き込み、微笑み掛けた。それは、恋人に陶酔するような危険で蠱惑的な微笑みだった。いつものマグの奇行が、今日は特に酷い気がした。
そう言えば、マグが憑りつかれたように愛でている人形の“ルデア”という名前について、アルジーナは前からある疑問を持っていたのだが、結局その事について訊けていない。……というか、その人形の話題自体、何か訊いてはいけないような不気味な雰囲気があったため、訊くのを躊躇していた。
「これは、勝手な推測だけど__」
アルジーナが、思い切ってその人形の事について訊ねようとしたとき、ちょうどマグが口を開いた。
「推測と言うか、ただの私の勘なのだけど、アルジーナ」
「……?」
「私達は、似ていると思うのよ」
「……そう、なのか……?」
そう言われても、アルジーナとしてはマグとの共通点が思い当たらず、曖昧に首を傾げるだけだった。
「自分の大切なものって変わるものじゃない? 人生長く生きていれば……、いえ、長く生きていなくても、ね」
マグの唐突な話に、アルジーナは相槌を打つことも出来なかった。
「けれど、実は、本質は何も変わっていなかったりするのよね。そうじゃない、アルジーナ? 変わらない大切なものってあるわよね」
「え、いや、その……」
アルジーナは、マグから同意を求められて困惑した。彼女の言っていることが、全く理解できない。マグの言葉は、どうも取り留めも無い上、彼女自身どこか悦に入って喋っていた。
「……すまないけど、マグ、言っている事が抽象的で私には分からない」
「あら、そう? ごめんなさい。あなたなら、何だか分かるような気がして」
そんな期待されても、アルジーナとしては困るだけだった。
「……変わらない大切ものがある、というのは何となく分かるような気がする……かもしれない……」
アルジーナは、マグの言葉の意味が把握しきれない中、歯切れ悪く答えた。マグは、アルジーナが困惑していることを見て取り、可笑しそうに笑う。
「何だ、マグ。何が可笑しい?」
「いえ、あなたってやっぱり、意外と優しいわね。私の戯言に付き合ってくれて」
何だか馬鹿にされているような気分になって、アルジーナは眉を曲げてむっとなる。
「私をからかっているのか?」
「そうじゃないわ。嬉しいのよ。あなたが私の言葉を理解しようと努めていることが」
「……。……で、結局、お前の言う変わらない大切ものって何だ?」
やはり馬鹿にされているような気分のまま、アルジーナは一応訊ねた。
「そうねえ……上手い言い方が見つからないけど……」
などと、マグは、焦らすように顎に手を当てて、言葉を探る素振りを見せ、
「__誰かを愛し、誰かに愛されること……かしら」
アルジーナとジロー、二人を見つめながらそう言った。
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次の話は3週間後ほどに上げる予定です。




