第6話 不満と火種
過去の映像は消える。
「おええええええ!!」
魔法が終わるなり、アデルは倒れ、吐きそうになった。
「大丈夫、アデル?」とメメが心配そうに声を掛ける。
「うぅ……、疲れたわ……。高度な魔法を使い過ぎた。……あと、少し飲み過ぎた」
アデルの魔法が万能とはいえ、使う魔法によって彼女に掛かる身体的・肉体的負担は異なる。使用する魔法が高度であればあるほど、すなわち、複雑で大きな魔力を要する魔法ほど、術者に掛かる負担が大きくなるのは、他の魔法使いと同様である。
「メイド! ……メイド!! 水!」
アデルは大声で部屋の外にいるメイドを呼び寄せ、水を持ってこさせる。水を飲み、一息つくと、やおらジローの様子を窺う。
「しっかし、人の直感って、当たることもあるのね。あなたが信じていた通り、父上さんは随分ご立派な愛国者だったみたいね。__そして、あなたに似てとんでもない奴だったわね」
アデルと共に、ジローは20年前の事件を見た。子どもの好奇心で、件の指輪を手にし、大惨事を引き起こしたエリザベート王女。そして、エリザベート王女の代わりに罪を被ることを決意したジローの父親ジル。
ジローに示された過去の真実は、父親の無実を信じる彼の期待に沿うものだったはずだ。しかし、ジローは浮かない顔をしていた。アデルは、不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの? そんな顔して」
「いや、その……まさか、エリザベート様が……」
「エリザベート王女って、今はこの国の女王様よね。町の人に聞いたけど、たいそう国民に人気があるそうじゃないの」
相当落ち着きのない子どもだったエリザベート王女が、今や国民に評判の良いエリザベート女王となっている。
王族としての気品に溢れ、安定した治世を保つ賢王。加えて、20年前に起きた悪魔の指輪の事件について、被害者として憐憫を向けられ、さらには、運よく生き延びたことにより神性を帯びた存在として見られるきらいさえもあった。エリザベート女王について、アデルが町の人から聞いた話では、そのように語られていた。
ジローは、混乱しているようだった。彼は、感情が纏まらない中、言葉を続ける。
「その……父上が、無実であったことを知れたのは嬉しい……。やはり、私の信じる父上に間違いはなかった。……しかし、まさかエリザベート様が……」
「何よ。思いっきり喜びなさいよ。図らずも、あなたが見たい過去を見せてあげられたわ。__全く、感動的ね。また、善い行いをしてしまった……」
などと出鱈目なことを言って笑うアデルに対して、ジローの顔色は暗い。
「……。エリザベート様は、ならず者だった私を、憲兵に拾ってくれたお方。敬愛し、忠誠を誓ってきた。そのエリザベート様が、あの事件を……」
そんな調子のジローに、アデルは思わず舌打ちをする。
「ともあれ、今見せた映像が、過去の真実よ。受け入れて満足しなさい」
「……。……そうですね。ありがとうございました、アデル殿」
口ではそう言うもの、ジローはとてもではないが満足そうな顔をしていなかった。ジローは、何かエリザベート女王に対して特別な思いでもあるのだろうか。
何にせよ、アデルの仕事は終わった。
「もう寝たいし、私は失礼するわよ。じゃあね」
アデルはそう言って、思いつめた顔をしたジローを応接間に残したまま、部屋を去っていった。
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「アデルにしては、ちょっと珍しい取引をしたね。正直、君に特に利益があるわけじゃなかったろう。例の指輪の情報収集にはなったんだろうけどさ」
応接間を出るなり、メメがアデルに話しかけてきた。
「単なる私の気まぐれよ。人間って時々つまらない興味に駆られるものよ。
ほら、蝶々の片方の羽をもいで放してあげたらどんなふうに無様に空へ飛ぼうとするのかとか、乞食の目の前でお金をばら撒いてあげたらどんなふうに惨めにお金を拾い始めるのかとか、__そんな類のものよ」
「その例えはよくわかないけど、今回君がジローとの取引をしたのは、実は、彼の身の上話を聞いて、かわいそうだと思ったからじゃないか?」
そのメメの言葉に、アデルがやや眉を曲げる。
「確かに、かわいそうな頭の奴だったわね」
「いや、そうじゃなくて……」
「人の心が読めるんじゃなかったの、あなた」
「君の頭の上に乗っているから、君の心の中が見えないんだよね」
帽子のメメにも視界というものがある。メメの視界は、帽子の本体の前面だけであり、アデルに被られている時は、アデルの姿を視界に捕捉できない。そして、メメは、視界に捕捉している人に対してしか、その心を読むことはできない。
「長年一緒にいるんだから、分かるでしょ。私がそんなつまらない感情を抱く奴じゃないって」
「アデルの潜在意識には、人としての良心が実は残っていて、それが“気まぐれ”という形で表れているのかもしれない」
「それ、あんたが度々言っている仮説だけど、なんなの?」
「希望に満ちた仮説だと思わないか」
「気色悪いからやめて」
嫌悪感を露わにして、アデルはメメを叩いた。
「ところで、アデルはこのまま寝ちゃうの?」
「そのつもりだけど。どうして?」
アデルは魔法行使による疲労と、飲酒による酔いで、相当眠く、すぐにでもベッドに横になりたい気分だった。
「あのジローとかいう男、自分の全てを君に捧げるとか言っていたじゃないか。せっかくだから利用してみれば?」
「私は、彼に何も期待していないわよ。繰り返すけど、あの取引は単なる気まぐれよ。あいつから何か貰おうなんて思っていないわ。あいつは、国で最強の戦士だ、なんて大そう自分の魅力を語ってくれたみたいだけど」
「ほら、彼、それなりにハンサムで、体格も良いじゃん」
メメの言いたいことが理解できず、アデルは「だから何?」と首を傾げる。
「夜のお相手に良いかな、と思って」
「変態帽子野郎」
アデルは、強くメメを握り締めた。
そして、とんでもない火種があることを気づかず、呑気にも寝床へ就くのだった。
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