第11話 衝突する三人
明るいレンガ造りのノークの町を、ジローとアルジーナは並んで歩いている。アルジーナは、多少ぎこちなさが残るジローの身体を支えるように、彼の身体に少しばかりくっついて歩調を合わせている。
「すまないな、アルジーナ。私のわがままに付き合ってもらって」
「いや、気にするな。私も改めてお前と二人で挨拶しに行きたいと思っていたところだ」
二人が向かっているのは、マグの魔法薬店だった。体を動かせるようになったジローは、まずは命の恩人であるマグにお礼を言いに行きたいと考えたのだった。彼は、毒の影響でまだぎこちない体に鞭打って宿屋の外に出て、アルジーナにその魔法使いの店へ案内してもらっていた。
「__ところで、アルジーナは、魔法使いのことはどう思っているんだ? その……君は、グロス教徒なんだろう。魔法使いを忌み嫌っているはずだ。この町にいて平気なのか?」
ジローは、横を歩いているアルジーナに、ふと気になっている事を訊ねた。
ノークの町は、魔法使いの町。この町は、魔法使いと魔術的な物で溢れかえっている。明るいレンガ造りの瀟洒な町の通りには、ローブとトンガリ帽子といった魔法使い然とした恰好で歩く人々の姿があり、魔法使いが営んでいる店の面妖なデザインの看板がぶら下がり、各種様々なマジックアイテムが店先に堂々と陳列されていたりする。国と地域、あるいは時代によっては取り締まりの対象となるような人や物が、ここでは町の風景を飾っている。
そして何より、この町には、半霊であるアルジーナには嫌と言うほど感じ取れる、魔法使いの魔力で溢れている。彼女が邪悪と嫌悪していていた魔法使いの臭いが、町の空気の中で絶えず渦巻いている。
アルジーナは、ジローの問いを失笑で返す。
「正直、私にも、私の今の神経がどうなっているのか分からない。__この着ているローブも、魔法使いのものだ。それでも、私はこれを着ている」
アルジーナは、何とも言えない表情で、マグに貰った白いローブをはたはたと振った。
「魔法使いは、邪悪な存在。私は、グロス教徒だから、そう教えられてきた。その事は今でも変わらない。変わらないはずだ」
「しかし、これから私達が会いに行く君の友人は魔法使いだ。君は、彼女の事をどう思っているんだ?」
「友人か……」
アルジーナの思い耽るような呟きに、ジローは首を傾げる。
「友人ではないのか、マグ殿は?」
「……友人。確かに、友人だ。しかし……それ以上は、分からない。私は、彼女に感謝しているし、そうだな、友情も感じている。だけどそれ以上は__」
それ以上は、考えたくない。と、アルジーナは思った。__自分がグロス教徒である事と、魔法使いの友人を持つ事の整合性が、彼女の中で上手く説明できないのだ。考えようとすると、これまでの自分を根底から否定しかねないような危機感に襲われる。
「……大丈夫か、アルジーナ?」
ジローは、顔を苦しそうに伏せて考え込み始めたアルジーナに、心配そうに声を掛ける。
「大丈夫だ。……すまない、まだ整理がついていないんだ。正直、混乱している」
「いや、私の方こそ変な質問をして悪かった。君を混乱させるつもりはなかった……」
頭を下げて謝ろうとしたジローを、アルジーナは止める。
「謝る必要はない、ジロー。これは確かに、私が向き合わなければならない問いだ。グロス教徒として、答えを出さなければならない、避けてはならない問いだ」
「答えは出そうか……?」
真剣みを帯びたジローの問いに、アルジーナは静かに首を振り、白いローブを握り締め、面を上げる。
「それすらも分からない。ただ__」
「ただ?」
「分かっていることもある。きっと私は、以前の私ではなくなっている、ということに」
その事は、アルジーナ自身認めざるを得なかった。彼女は、グロス教徒として__神の敬虔な僕として、大事なものを失ってきた。そして一方で、人間として__アルジーナという少女として、大事なものを見つけた。
アルジーナは、自分が口にした真実に、足元がふらつき、冷たい恐怖を感じる。けれど、一方で、不思議と昂揚を感じた。その昂揚は、何故かジローの顔を見つめるとより強まっていく。
「アルジーナ……?」
「なっ、なんでもない!」
ジローの顔を黙って見つめていたアルジーナは、慌てて顔を逸らした。彼女は、少し火照った顔の汗を拭った。
__その時、ジローが突然足を止めた。
ジローにくっつくように歩いていたアルジーナも、それに合わせて足を止める。
「どうしたんだ、ジロー?」
アルジーナが訊ねるが、彼女の声が聞こえていないかのように、ジローは固まって前方を凝視している。アルジーナも、ジローの視線の先を見る。
町の広場の前、その魔女はいた。
闇色のローブとトンガリ帽子の金髪の魔女。魔力が溢れる魔法使いの町の中で、彼女の煌めきは悪魔的に際立っていた。アルジーナは、ジローと同じように固まり、驚愕に目を見開く。それは、見覚えのある背中と、気配だった。
半霊であるアルジーナは、意識を研ぎ澄ませて、その魔女の魔力を読み取る。__やはり、間違いない。その魔女こそは、アルジーナが追い続けてきた宿敵だった。
「アデル殿!」
弾けるような大きな声を出したのは、ジローだった。名前を呼ばれたその魔女は、驚いてこちらに振り向く。
そして、アルジーナはついに、その魔女と対面することになる。赤い瞳と、赤いリボンのその魔女__『赤リボンのアデル』に。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
男の声に振り返ったアデルは、振り返った先に黒髪の青年と銀髪の少女の二人組を見つける。それぞれ、どこか見覚えのある顔だった。
「あなた達は……」
アデルは、記憶を探りながらその二人組を見つめる。
「ずっと捜していましたよ、アデル殿! やっと出会えた! 本当に長い旅だった! これで貴女への忠誠を尽くすことができる!」
「……げっ。そうだ、あなた、確か、ジロー……」
そうやって声を弾ませる黒髪の大男の名前は、ジロー。以前、ルソル王国という国でアデルが気まぐれを起こして助けてしまった青年だ。アデルとの取引において自分の全てを捧げると躊躇なく申し出てきたとんでもない男だ。アデルが彼の願いを叶えてやった後、彼は迷惑にも彼女に忠誠を尽くす云々と言いだし、旅に付いて行こうした。
「そうです! ジローです! 貴女に救っていただいたジローです! 貴女に忠誠を尽くすと約束したジローです!」
アデルは、何となくジローの事を思い出してきて、顔をしかめる。そして、今度はその連れの銀髪少女に目をやる。
銀髪少女は、アデルを睨み付けている。その刃のように鋭い銀色の瞳には、激しい憎悪を宿している。彼女は腰をやや屈め、白いローブの内にちらついている剣の柄に手を置いている。
アデルは、その銀髪の少女にも見覚えがあった。確かに、どこかで会ったような気がしていた。
人間離れした銀色の瞳と髪。刃のように冷たく鋭い空気を纏った少女。そして、珍しい魔力を帯びている。__特別な霊的存在。__半霊。
「あなたは、確か__」
名前を思い出しかけたアデルに、銀髪少女が腰から剣を抜き疾風のように迫った。白いローブが憤然とはためき、剣の刃が殺伐と閃く。
「__っ!? 『ノノ』!」
殺気を俊敏に感じ取ったアデルは、魔法の箒ノノの名を呼ぶ。喉の奥から迸らせるように叫んだその名に呼応して、一条の光が突如虚空から出現してアデルの元に颯然と駆けつける。
刃の閃きと一条の光は、ほぼ同時にアデルの元で交叉する。
そして、ぼとり、と赤い血が地面に落ちる。魔法の箒ノノによって上空へ掬い上げられたアデルの太腿から血が垂れている。
アデルは、傷口を手で抑え、痛みに顔を歪めた。幸いな事に、刃は太腿を掠っただけで傷口は浅かったが、痛い事には変わりない。アデルは、傷口を抑えた手が真っ赤に汚れているのを確認すると、忌まわしげに目を細めた。
「思い出したわよ。生きていたのね、あなた」
アデルは、箒の上から怒りを露にして、剣を振り下ろしたアルジーナを見下ろす。
アデルは、徐々にこの銀髪少女の事についても思い出してきた。アデルが旅の途中で立ち寄ったトラバという都市で、遭遇したグロス教会の聖騎士だ。銀星聖騎士団という過激な派閥に属していた、“半霊”の少女だ。
魔法使いを徹底的に弾圧するという銀星聖騎士団の方針の下、アルジーナはアデルに刃を向けて襲い掛かり、アデルはそれを返り討ちにした事があった。具体的には、銀星聖騎士団が実質的に支配していたトラバの都市に呪いを振り撒き、市民や聖騎士を狂人へと変貌させ、都市を悪夢的な大混乱に陥れ、そして壊滅させた。
「そう、アルジーナ……。半霊のアルジーナだったわね。この犬女。また会うなんてね」
記憶が次々と蘇る。アデルは、妙によくこのアルジーナの事を覚えていた。都市に振り撒いた呪いを解く代わりに犬の真似を要求したことまで覚えている。アデルにとっては痛快な思い出で、アルジーナにとっては忌まわしい思い出だ。
アデルの赤い瞳とアルジーナの銀色の瞳がぶつかり合う。鮮血がアデルの太腿から雫となって零れ落ちて、アルジーナの目の前の地面で弾ける。アデルの血を吸い取ったアルジーナの聖騎士の剣が、微かに動いた。__来る、とアデルは思った。
__しかし、
「うっ……!? あっ……!」
その時、アルジーナが急に剣を落として、うずくまった。嘔吐するように息を荒げ、激しく体を痙攣させている。アデルは、アルジーナの突然の異変にきょとんとなる。
「ぐっ……! こんな、時にも……、クソッ……!」
アルジーナは、涙を流し、地面を睨み付けた。
剣を握ると現れる謎の症状。あの日の悪夢の幻聴と幻覚がアルジーナを襲い、身体が異常な反応を示す。アルジーナの身体は、彼女が剣を握る事を許してくれない。
だが、さっきは一瞬とはいえ、剣を振ることが出来た。ほんの僅かの間、アルジーナの身体は、彼女に眼前の宿敵を討つために剣を握らせてくれた。ならば、もう一度彼女は挑む。どんなに体と心が擦り切れようとも、追い続けてきた宿敵を殺し切ってみせると、歯を食いしばる。
視界が掠れるアルジーナは、再び剣に震える手を伸ばし、その柄を握る。
幻聴と幻覚が彼女を襲う。__狂気の叫び、そして、血と目。あの時切り殺した亡者達の目と目と目と目と目と目と目と目と目と目と目と目と目と目と目と目と目と目__
「……っ!」
アルジーナは、思わず口元を片手で覆った。身体の内臓が焼け付くように熱くなり、強烈な吐き気がこみ上げてくる。汗が吹き出し、意識が飛びかける。
「止めろ! アルジーナッ!」
何者かの手がアルジーナの握っていた剣を奪う。ジローの手だった。うずくまるアルジーナのもとに駆け付けたジローは、殺意を緩めない彼女から慌てて剣を取り上げたのだった。
「どうしたんだ、アルジーナ!? アデル殿を急に攻撃なんかして! それに、君は剣を握れないんじゃなかったのか。今も、とても苦しそうだ……」
「……あ、……あの女が……」
汗まみれで顔面蒼白のアルジーナは、苦しそうに呼吸を継ぎながら、上空でこちらを見下ろしてくる宿敵の魔女を睨み付ける。
「あの女が、私が捜してきた魔女……『赤リボンのアデル』だ!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「せっかくの心地良いワインの酔いも覚めちゃったわ。本当、不愉快なんだけど……」
アデルは、箒の上からアルジーナを見下ろす。その目は怒りを湛えており、足からは赤い血が滲み出て地面に垂れて続けている。
アルジーナも、うずくまりながらもアデルに怒りの目を向けている。長い間抱えていた憎悪が、その瞳には宿っている。乱れ震えた呼吸が、飢えた獣のようだった。
ジローは、アデルを庇うようにアルジーナの前に立ちはだかっている。彼は、アルジーナの突然の行動に狼狽しながらも、自身が忠誠を誓ったアデルを守るべく、アルジーナから剣を取り上げていた。
「剣を、返せ……! 私の剣をっ!」
アルジーナは、怒りの視線をアデルから外さないまま、乱れた息を整えることもせず、ジローに怒りを込めて言う。
ジローは、首を横に振り、言い返す。
「それは出来ない、アルジーナ」
「ジロー……!」
「君とアデル殿の間に何があったのかは知らない。だが、私は彼女に忠誠を誓っている。『赤リボンのアデル』に。__私が捜していた魔女というのも彼女なんだ」
ジローは、運命の皮肉さを感じながら、アルジーナに明かす。
「したがって、私は、アデル殿を守らなくてはならない。君が彼女を傷付けるというなら、私は君を止めなくてはならない」
「その女は……!」
アルジーナの銀色の瞳に、鋭い光が宿る。かつての彼女__聖騎士の頃の鋭い光を宿した瞳だった。
「邪悪な悪魔の手下だ! 断罪されるべき罪深き魔女だ! この私が、この手で斬らなければならない! 私の聖なる刃で!」
語気を強め、アルジーナは立ち上がる。ジローは、警戒して一歩下がり、アルジーナから取り上げた聖騎士の剣を隠すように抱えた。
「止めろ、アルジーナ……。止めてくれ。君はもう聖騎士じゃないんだろ。君が教会の代わりにアデル殿を斬る必要はない。一度落ち着いて、話をしよう」
アルジーナは、ジローの提案に目を細める。
「私はその魔女を討たなくてはならない。それは絶対だ。グロス教徒として、絶対に、果たさなくてはならないんだ。__分かるか? それが、今まで私が生き続けてきたたった一つの意味なんだよ。私の全てに掛けて、それは絶対なんだよ、ジロー。お前なら、分かってくれるだろう……。だから、その剣を私に返すんだ」
アルジーナは、ふらつきながらジローに手を伸ばす。彼女の細い手が、剣を抱えるジローの腕に触れそうになる。
「止めろ、アルジーナ!」
ジローは、アルジーナの手を強く弾いた。そして、厳しく眉をひそめ、冷たい声で宣言する。
「それ以上近付けば、私は、君のことを敵とみなさなければならない」
アルジーナは、その言葉に驚いてジローの顔を見上げる。銀色の瞳が、困惑で揺れている。
「私の生き続けてきた意味なんだよ、ジロー……。あの時、お前は……、自分自身の命よりも私を優先してくれた……。今は、違うのか……?」
「私は、アデル殿に忠誠を誓っている__」
ジローは、はっきりと言わなければならなかった。
「アデル殿を守ることは私自身の命よりも大事なことだ。だから……」
ジローの言葉で、アルジーナの表情に亀裂が走る。彼女は眉間に皺をよせ、目は血走り、鬼の形相を呈した。鋭く光る銀色の瞳が、刃を宿しているようだった。
「あくまで、私の邪魔をすると言うのだな、ジロー? 言っておくが、私は、あの魔女を討つためなら、お前ごと斬り倒すことも厭わないぞ」
アルジーナは、ローブの内側を探り、ナイフを取り出す。そのナイフは、先日この町で護身用として購入しておいたもので、刃渡りが短いものの、人を殺せる武器であることには変わりはない。アルジーナは、そのナイフをわざとらしくジローに見せつけた。
「そんな華奢なナイフで何をするつもりだ」
「殺せるものなら何でもいい。このナイフであの魔女を討つ。邪魔をするなら、お前にもこのナイフの刃を向けることになる」
「君に勝算はない。私の強さを知っているだろう? こんな事は止めるんだ、アルジーナ。私は、出来る限り戦いたくない」
「今の病み上がりのお前の体で私に勝つつもりか? 私を侮るなよ」
「アルジーナ……」
ジローとアルジーナは、厳しく視線を交わし合う。お互いがお互いの胸に隠している悲しみに気付いていた。それでも、ジローは引くことはできない。アルジーナも引くことができない。
ジローとアルジーナは、静かに視線を交わし合い続ける。お互いがお互いの戦意を感じ取っていた。いつ刃が閃いてもおかしくない状況だ。だが、ジローは動かない。アルジーナも動かない。
二人に重い沈黙が伸し掛かっていた。
「ぐずぐずしていないで、さっさと殺しなさい、ジロー」
アデルは、苛立ちげに二人の間に割って入った。彼女の足先からは血がぽつ、ぽつと垂れ続けており、それに合わせて彼女に怒りが積もっていっていた。
「アデル殿……私は……」
ジローは、アルジーナへの警戒を緩めないまま、アデルを一瞥した。
「あなた、私に忠誠を誓っているんだったわよね?」
「……ええ、そうです。私は、アデル殿に忠誠を尽くすため、ここにいます」
ジローは、そう答えざるを得なかった。
ならば、とアデルは、無慈悲な命令を下す。
「なら、そこの女を殺しなさい。これは命令よ。__全く、感動的ね。お望み通り、あなたに忠誠を尽くさせてあげるわ、ジロー」
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