第6話 軍神が如く
アルジーナは、死ねない理由があった。
彼女には、討たねばならない魔女がいた。その為に生き続け、その為に旅を続けている。
『赤リボンのアデル』を討つ__それだけが、今の彼女に残されたたった一つの生きる理由であった。
“トラバ事件”以降、アルジーナの人生は、大きく狂っていった。
トラバ事件__トラバの町で突如起こった謎の騒乱。都市全域でトラバ市民や駐在していた銀星聖騎士団団員が殺し合いを始めたもので、この大規模な騒乱は、結果的に、都市に壊滅的な影響を与えるほど死傷者を出した。この事件は、グロス教会関係者を震撼させ、教会の大きなスキャンダルとなった。
そして、アルジーナの全く思いもよらないことに、彼女達トラバ支部の団員は、事件の首謀者としてでっち上げられることになった。銀星聖騎士団本部あるいはグロス教本山の内部でどのような調査がなされ、どのような事実関係に基づいて判断されたのか、どのような政治判断や思惑やらがあったのか、その詳細は明かされないものの、騎士団は彼女達を教会に対する反逆者として処刑すること決定した。事件の真相を知っていたアルジーナは、懸命に事実を伝えようとし続けていたが、理不尽にも、結果として聞き入れられることはなかった。
処刑が決まったアルジーナは、聖騎士団に捕られそうになったが、運よく逃れる事に成功した。聖騎士団から追われる身となった彼女だったが、最初は自身の潔白を証明するため奔走した。しかし、信頼していた同僚の聖騎士や父母に助けを求めるも拒まれ、危険を冒して本部に乗り込み騎士団の総長に直訴までした事もあったが、銀星聖騎士団の決定は覆ることはなかった。
結局、アルジーナは、聖騎士の地位を失い、反逆者として銀星騎士団から逃亡することになった。
聖騎士としての使命は、アルジーナの全てだった。聖騎士でなくなった彼女には、もはや生きる意味が無くなった__わけではなかった。
聖騎士でなくなっても、彼女にはやるべきことがあった。グロス教徒として、果たさなくてはならない使命があった。
__そう、彼女には使命があった。使命があるはずだった。使命がなくてはならなかった。
その使命こそが、『赤リボンのアデル』を討つことだった。グロス教徒の教えに反する邪悪な魔女を、アルジーナの人生を狂わせた元凶を、必ず討たなくてはならなかった。
だから、アルジーナは、まだ死ぬわけにはいかなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
蹲り痙攣するアルジーナの身体に食らい付いて行く鮮血蜂達。彼女は目を閉じ、痛みに呻き声を漏らす。鮮血蜂の女王は、その様子を嘲笑うかのように見下ろしている。
そこへ、銀色の旋風が奔った。
突如訪れた圧倒的な風圧に、それまでの空気が拭い去られた。
そして、銀色の旋風の後、鮮血蜂の女王の誇らしげな巨体が他愛も無く二つに切断され、アルジーナの身体に噛み付いていた鮮血蜂達は一匹残らず八つ裂きになって剥がされた。鮮血蜂の引き裂かれた翅や手足が、塵芥のように周囲へ舞い散った。
噛み付いていた鮮血蜂が剥がされ、急に身体が軽くなったアルジーナは、呻きながら面を上げて、朧げな目で周囲を見渡そうとする。彼女の前に、誰かのマントが翻った。
「大丈夫か、アルジーナ!?」
マント越しに呼び掛けてきたのは、ジローだった。彼は、蹲るアルジーナの身体を庇うようにして両足を大きく広げ、片手に剣を握り締めている。精悍な彼の眼は、未だ周囲を飛び回っている鮮血蜂の群れに対して光っている。
「……貴様、一体……」
アルジーナは、状況に頭が追い付いていない。周囲に散らばった鮮血蜂の残骸を見て、命拾いした事までは理解出来たが、たった今ジローが一体何をしたのか理解しきれないでいた。
アルジーナは、吐き気と痛みに苛まれる上半身を起こして、改めて周囲を見渡した。
女王蜂が真っ二つになった死骸となって横たわっている。その周辺や上空を鮮血蜂達が、慌ただしく羽音を立てて、無秩序に複雑な交叉を描いて飛び回っている。怒り狂っているというより、戸惑っているようにアルジーナの眼には映った。司令塔の女王蜂の喪失により、鮮血蜂の統率が乱れているのか、と彼女は推測した。
だが、鮮血蜂の殺意は変わらない。アルジーナとジロー目掛けて、十数匹の鮮血蜂の群れが襲い掛かって来た。
再び、銀色の旋風が巻き起こる。ジローが剣を振ったのだ。あまりの剣戟の速さに彼が剣を何振りしたのか分からない。彼の影に隠れているアルジーナは、皮膚が痺れるような風圧を全身で感じる。瞠目した彼女の眼前で、刃は迅雷の如く迸り、接近してきた鮮血蜂は悉く切り落とされる。
軍神がいた。力の化身がいた。アルジーナは、ようやくジローの真の実力を目の当たりにしたのだった。
「そこでじっとしていろ、アルジーナ」
ジローは、剣を振り続けながらアルジーナに一声掛けた。その声には余裕が無く、焦燥感に満ちている。言外に、彼女に動かれては守り切れる自信が無い、と伝えているようだった。__つまりは、動かれては邪魔だと。
「なっ……!? わ、私も……!」
アルジーナにも戦士としての矜持がある。大人しく戦いを眺めていることなど出来るはずはない。先ほど晒した無様な醜態について、名誉挽回をしなくてはならなかった。
アルジーナは、再び聖騎士の剣を握り、立ち上がろうとする。
しかし、彼女が剣を握り締めた瞬間、例の異変が生じた。視界が歪み、吐き気が彼女を襲う。立ち上がりかけた彼女は、思わず膝を地面に落とした。
「ぐっ……、この……!」
アルジーナは、歯を食いしばり、自身の体に訪れた謎の症状に立ち向かう。身体が激しくよじれる感覚に、汗が吹き出す。だが、負けるわけにはいかない。こんなの分からない症状に屈するわけにはいない。
アルジーナは、遂に、剣を握り締め立ち上がる。だが、それが彼女の限界だった。彼女が敵に向かって面を上げようとした瞬間、強烈な眩暈が彼女を襲い、意識が暗闇に堕ちていった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ノークの町の“マグの魔法薬店”の扉の脇には、店主がいること示すために、一本の箒が立て掛けている。
一見少し寂れた外装のその店は、知る人ぞ知る大魔法使いが営む魔法薬店であった。
アデルは、扉をノックし、店の中に入っていた。
店内はこぢんまりとしており、薄暗く埃っぽい。カウンターの奥には、色取り取りの液体が容れられている小瓶と、それらに囲まれて黙然と読書に耽っていた一人の少女が椅子に座っていた。
頭から全身を白く厚みのあるローブで覆ったその少女は、今日は水色の髪と灰色の瞳をしていた。確か、以前アデルが会った時は、髪は橙色で瞳は金色だった。彼女は、自身の髪と瞳の色を魔法で頻繁に変えているのだった。
「久しぶりね、マグ」
来店したアデルが呼び掛けると、白色ローブの少女__マグは、驚いたように面を上げ、本を畳んだ。
マグ__“賢者”の異名を持つ大魔法使いだ。アデルの古い知人でもある。一応ノークの町を拠点としているが、種々の用で世界各地を旅する事も多い。今は、ちょうどノークの町
にいるようだが。
「あら、久しぶりね。アデル、それに、メメ」
マグは、立ち上がり、椅子の上に本を置くと、カウンターまで駆け寄ってきた。
「店にいるみたいだから挨拶でもと思ってね」とアデル。
「元気にしていたかい、マグ」と闇色のトンガリ帽子のメメ。
「あなた達がこの町に来た時以来ね。ほら、あなた、妙な決闘騒ぎを起こしたじゃない」
「ええ、そんな事もあったわね。……というか、あの騒動についてあなたが色々と後処理をしてくれたみたいじゃない。ゼクスの奴に聞いたわよ。それで、一言お礼の言葉でも、と思ってね」
すると、マグはローブの奥の顔を輝かせた。
「ふふ、それは嬉しいわね」
と、あどけなく笑う。
「ほら、“ルデア”も久しぶりにあなたに会えて喜んでいるわよ」
そして、マグは、カウンターの片隅に置かれている人形にそっと手を置きながら言った。彼女が“ルデア”と呼んだ人形は、豪奢なドレスを着た金髪に赤い瞳の少女の人形だった。彼女は、その人形に愛おしそうな視線を向けていた。
アデルは、苦笑せざるを得なかった。その“ルデア”と名付けられている人形については、アデルが大いに絡む事情があるわけであるが、とにかくマグは、その人形に対して、恋人か何かのように心酔していたのだった。
アデルは、人形ルデアから目を逸らして白々しく咳払いをする。
「私、暫くこの町に滞在することになったのよね。国王陛下からの任務でね」
「任務? 一体何の?」
マグは、人形を撫でながら訊ねた。
「魔物退治よ。ほら、今年の異常な魔力の影響で魔物達が活性化しているみたいじゃない。とりあえず、被害が深刻な場所を中心に対処していくってわけよ」
「なるほど、確かに酷いものね。特にこの辺は。西方に大きな森林があるんだけど、そこに魔物が出現していて、交通が遮断されてしまっているのよ。おかげで魔法薬の材料が何種類か不足しているのよね。困っちゃうわ」
マグの透き通った水色の髪の隙間から覗いた灰色の瞳に、悲しげな雰囲気があった。ふとアデルは、彼女の暗い気分に合わせて髪と瞳の色が寒色系に変えられているのだろうか、と思った。逆に気分が明るい時は、暖色系に髪と瞳を染めていたりして。
「あなたも依頼されたりしないの? 確か、あなた、肩書だけではあるけど国王の顧問魔術師だったわよね。それに、“賢者”様でしょ。賢者マグ殿」
アデルは、少しからかうようにマグの異名を口にする。マグは、自身のその異名をあまり気に入っていないため、眉間に皺を寄せて「その呼び方は止めて欲しいのだけど」と返した。
「今のところは何も依頼は無いわね。頼まれても、魔物退治なんて野蛮な事あまりしたくないけれどね。……でも、これだけ深刻な状況になってくると、流石に頼まれれば断ることは出来ないかしら」
マグは、悩まし気に顎に手を置く。
「深刻って、どれくらい深刻なんだ」とメメが訊ねる。
「この辺の魔物被害で言えば、西の森林の奥へ進んでいった人は悉く行方不明になっているわ。それに、森の入り口付近で鮮血蜂の群れに遭遇した人もいるみたいなの」
「鮮血蜂って、確か、あの珍しい魔物よね。大きな赤色の蜂」
アデルは、頭を捻り、魔物についての知識を思い出す。彼女も魔法使いとして、ある程度は魔物の知識に精通していた。鮮血蜂の体の一部は、魔法薬の材料にも用いられる。しかも、それなりに高価な材料だったはずだ。
普段であればレアな魔物である鮮血蜂の出現に目を輝かせるところであるが、今は状況が異なる。鮮血蜂は、この恐ろしい異常事態を示す忌まわしき存在だ。
「そう。あの滅多に目に掛かれない魔物が群れで現れているの。とんでもない異常事態ね。あの森は今きっと、とんでもない魔物の巣窟になっているわ。その所為で、誰も森を抜けられないの。誰かが何とかしなくちゃいけないのは確かね」
「森を抜けられない? 誰も?」
アデルの問いに、マグは強く頷いて答える。
「ええ、誰も森を抜けられた人はいないわ」
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