第5話 剣を抜いて
森の奥へとおびき寄せられた傭兵達に、無数の鮮血蜂が襲い掛かる。赤黒い影が、戦慄する傭兵達の視界を埋める。彼らは、耳に雪崩れ込んできた威嚇的な羽音に鳥肌が立ち、頭が狂いそうになる。
傭兵達は嵌められたのだった。無数の敵が木の陰に身を潜めていたことも知らないで、傭兵達は、獲物を追い駆けるうちに敵地へと入り込んでしまったのだった。
傭兵達は、武器を振るい、毒針を向けて突撃してくる鮮血蜂を必死に追い払おうとする。しかし、夥しい敵の数に、抵抗は虚しく終わっていく。腕や足に次々と噛み付かれ、体に張り付いた鮮血蜂で身動きが取れなくなったところへ、毒針の一撃が飛んでくる。
傭兵達の断末魔の叫びが響き渡る。それまで嬉々と獲物を追い駆けてきた彼らは、一変して、恐怖に顔を歪めた。
「クソッ! 何だ、このあり得ない数は!?」
グリーグは、自分へ襲い掛かってくる鮮血蜂を辛うじて斬り伏せ続けながら、鮮血蜂の群団に怒声を上げた。
彼が言うように、現れた鮮血蜂の数はあり得ない程のものだった。希少とされる鮮血蜂が、百を超えるような大群で現れるなど、今までに聞いたことがない。
鮮血蜂は、決して弱い魔物ではない。むしろ、危険な魔物の一種とされている。手練れの傭兵ならば、多少の群れであれば十分対処は可能であるが、流石に百を超える大群を相手にすることは無理だ。
グリーグは、歯ぎしりする。彼の耳には、他の傭兵の悲痛な叫びが聞こえた。そこには、自分の仲間のものも混じっていた。だが、今の彼に他人を気にする余裕はない。彼は、自分自身のこの絶望的状況を何とか切り抜けなければならない。
グリーグは、視界を埋める鮮血蜂を睨み付ける。雄叫びを上げ、迫り来る羽音に向けて刃を振り下ろしていく。
俺なら出来る。生き延びられる。__グリーグは、自分にそう言い聞かせる。彼には、自身の腕に自信があった。傭兵としての誇りがあった。
しかし、結局、それは彼の傲りであった。
奮闘するグリーグへ、鮮血蜂の一群が一気に押し寄せる。耳を削ぎ落さんとばかりに高い羽音が、彼に覆いかぶさる。彼は剣を振り回し、鮮血蜂を寄せ付けまいと足掻くが、その腕や足に、鮮血蜂が食らい付いていく。
グリーグは、苦悶の表情を浮かべ、身体に嚙り付く鮮血蜂を剣で刺して剥がそうとするものの、剣を握る彼の手に、更に別の鮮血蜂が齧り付く。彼は、痛みに呻き、手に嚙り付いた鮮血蜂と目が合う。無機質で無慈悲な昆虫の眼が、無駄な抵抗をする彼を無言で嘲笑しているようだった。
「このっ……!」
グリーグは、手に嚙り付いた鮮血蜂を地面に叩き付けようと考えた。しかし、その彼の背後から、鋭い一突きが襲い掛かる。飛び掛かった鮮血蜂の毒針が、彼の背中を深々と刺したのだった。
グリーグの背中を刺した鮮血蜂は、素早くグリーグから離れる。彼は、全身に痺れが走り、うつ伏せで地面に伏す。彼は、全身に力が入らず、体が焼けるように熱くなるのを感じる。
毒だった。猛烈な吐き気が、グリーグを襲う。手足の感触が歪み、体が泥の中へ沈むようだった。視界が霞み、平衡感覚が失われ、上下が分からなくなる。
「あっ……あ、がっ……」
間抜けな喘ぎを漏らして倒れているグリーグのもとへ、ゆらりと大きな影が近寄った。鮮血蜂の女王だった。女王は、硬い顎を開き、もはや無様に呼吸をすることしか出来ない彼の頭を口の中へゆっくり収める。
グリーグは、暗闇が覆った視界の中で、ただ恐怖する。自分の頭が何かにひっぱり上げられている。だが、抵抗は出来ない。ただ、為されるがまま、体は弄ばれる。
そして、次の瞬間、鮮血蜂の女王は、グリーグの頭を噛みちぎった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ジローは、上空を見上げながら剣を構えていた。
停まった荷馬車の上空で、十数匹の鮮血蜂達が激しい羽音を立てながら、飛び回っていた。奇妙なのが、ただ飛び回っているだけということだ。鮮血蜂達は、今にも襲い掛かってきそうに羽音を立てながらも、地上へと向かってはこない。鮮血蜂達は、お互いに器用に入り乱れながら踊るように高速の旋回を続けている。
地上で鮮血蜂を見上げる傭兵達は、鮮血蜂の奇妙な行動に警戒していた。敵からの攻撃を誘い出すために、傭兵の一人が試しに上空へ矢を放ってみたが、鮮血蜂は、その挑発に乗ってはこない。まるで与えられた役割を遵守するかの如く、ただ飛び回るという行動に徹している。
鮮血蜂にどれほどの知能があるかは定かではないが、何か企んでいることは明らかだった。何か罠を張っているのかもしれない。したがって、迂闊に手を出すことは避けるべきであった。
しかし一方で、いつまでも、この奇妙な膠着状態を続けるわけにはいかない。敵を早く追い払い、さっさとこの危険な森林を抜け出さなくてはならない。鮮血蜂が何か罠を仕掛けているのかもしれないが、それを恐れて悠長に時間を潰している場合ではない。
ジローは、剣を鞘に収め、道端に転がっていた手の平サイズの小石を発見し、拾いに行った。
「貴様、何をするつもりだ?」
棍棒構えているアルジーナは、眉をひそめ、小石を拾い上げたジローに訊ねた。周りの傭兵達からも、奇異の目が彼に向けられる。
「打って出る。いつまでも睨み合いをしている場合じゃない」
ジローは、握り締めた小石の感触を確かめながら、上空で激しく踊り回る鮮血蜂達を虎視眈々と見つめた。目が回るような速さで飛び回る鮮血蜂は、常人にはなかなか捕捉しきれない。
だが、ジローには捉えることが出来た。彼の動体視力は、入り乱れて飛ぶ鮮血蜂の一匹一匹の動きを、明確に読み取っていた。
裂帛の一声とともに、ジローは、握り締めた小石を鮮血蜂へと投擲する。
空気が裂ける音がした。凄まじい勢いでジローの手から放たれた小石は、一本の線になって上空へ疾駆する。そして、必殺の弾丸と化した小石が、飛び回る鮮血蜂の一匹を貫いた。
胴体を撃ち抜かれた鮮血蜂は、宙で一瞬痙攣した後、ぽとりと地面に落ちて力尽きた。撃ち落された鮮血蜂を、周りの傭兵達が呆気に取られて見つめる。
「……貴様、本当に……」
アルジーナも、呆気に取られていた。正直な話、彼女は、“最強”と嘯いたジローの実力について大いに疑問を抱いていた。実際、彼は、先の戦闘では大した活躍はしてはいなかった。だが、今の彼の技を見て、評価を改めざるを得なかった。
ジローは、周囲の驚嘆の目を無視するかのように、上空の敵を見上げながら再び剣を抜いた。敵の一匹を屠った以上、こちらに手を出して来ない敵の行動に何らかの変化が生じるのではないかと警戒した。
だが、鮮血蜂達は、依然変わりなく羽音を激しく鳴らして踊りを続けている。仲間の一匹が倒されたわけだが、その死に一切頓着することなく、あくまで各々の役割に徹している。意図不明な役割に身を投じている。
ジローは、不気味さを感じた。鮮血蜂達に冷たく見下ろされている気分になった。
ジローは、暫く剣を構えていたが、再び鞘に戻して、地面にあった小石を見つけて拾い上げた。一匹屠っただけで変わらないなら二匹__二匹でだめなら三匹、いや、向こうが掛かってこないならさっさと全滅させてしまおうと考えた。
だが、ジローが第二投をしようとする直前、森の奥から悲鳴が複数名の悲鳴が聞こえてきた。
ジローは、小石を投げるのを止め、悲鳴が聞こえた方に振り向いた。他の傭兵達も、そちらへ注視を向ける。
「何だ、一体……?」
ジローは、妙な胸騒ぎに声を漏らす。
森の奥には、いくつかの傭兵団が現れた獲物を追い駆けて潜り込んでいたはずだ。荷馬車の周りに今いる傭兵隊は、初動にやや遅れてしまったせいで取り残された者達だった。先の戦闘とは違い、今回は荷馬車の上空にそれなりの数の獲物もいるため、それに狙いを付けてここに残ってくれている者もいたのだ。
森の奥へ潜っていった傭兵達は、大量の獲物を狩って来て帰還してくるはずだった。金に目が眩んだ彼らは、そのつもりで意気揚々と鮮血蜂を追い駆けにいったのだった。だから彼らは、満足気に袋に獲物の死骸を詰めて森の奥から姿を現してくるものばかりと思っていた。
しかし、今、森の奥から慌てふためいて飛び出してきた傭兵は、涙と鼻水を憚ることなく垂らし、顔面を死人のように蒼白にして、こう叫んだ。
「逃げろ! 早く馬車を出すんだ!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
狂ったように叫ぶ顔面蒼白の傭兵に続き、数名の傭兵達が森の奥から現れ、同じように喚き散らかす。荷馬車に残っていたジロー他傭兵達は、状況が読めない中、「何があったんだ?」となるべく冷静に訊ねる。荷馬車の中に逃げ隠れて籠っていた商人達も、外の様子がおかしいことに気が付き、恐る恐る顔を出す。
「おい! 馬車を出せ! 早く!」
顔面蒼白の傭兵は、荷馬車から半分顔を出した商人の男を見つけると、血走った目を向け、怒鳴りつけるように指示した。商人の男は、殺気立った傭兵の指示に困惑し、周囲の傭兵達に助けを求めるように視線を回す。
ジローが、再度喚き散らす傭兵に訊ねる。
「おい、だから何があったんだ? 出発すると言っても、他の傭兵は__」
その時、鮮血蜂のけたたましい羽音が響く。上空で飛び回っている鮮血蜂のものではなく、森の奥から羽音は雪崩れ込んで来た。
ジローは、驚きに目を見張る。
蠢き出した森の奥から、鮮血蜂の群れが溢れるように飛び出してきた。視界が赤黒いに埋め尽くされる。数十匹の群れ程度ではなく__百は超えるであろう夥しい数の群れが、突如出現したのだ。そして、敵は、毒針を向けて傭兵達へと襲い掛かる。
傭兵達は、唖然となって一瞬口を開けて固まったが、すぐさま正気を取り戻して、武器を握り締める。勇敢に立ち向かおうとする傭兵達であったが、直ぐにその雄心は砕けることになる。
鮮血蜂達による殺戮が始まった。
傭兵達は、必死に武器を振り回すが、敵の数の暴力に押され、その体に毒針を打ち込まれ、手足を噛み千切られ、悲鳴を上げ、悶絶しながら息絶えていく。恐怖に逃げ出す傭兵もいたが、鮮血蜂達は逃亡者を仮借無く追い詰め、毒針の餌食にしていく。
鮮血蜂は、傭兵達以外にも襲い掛かる。鮮血蜂は、荷馬車の馬も襲った。馬は、悲痛に嘶き、足を踏み鳴らして暴れ回るも、毒針から毒を注入されると目を回して泡を吹き倒れる。鮮血蜂は、荷馬車の中に隠れ潜んでいた商人達も見つけて襲い掛かる。商人達は、荷馬車に積んでいた大事な木箱を鮮血蜂へ放り投げて抵抗を試みるも、それで鮮血蜂が怯むわけもなく、容赦ない鮮血蜂に体を食いちぎられていったのだった。
阿鼻叫喚に包まれた森の中で、アルジーナは、自分の事で精一杯だった。
無限に湧いて出るかのように思えてくる鮮血蜂の群れに対して、アルジーナが出来る事は、自分に襲い掛かって来た鮮血蜂を一匹一匹棍棒で追い払うことだけであった。自身の前後左右、そして、頭上__それだけに全神経を集中させる。
「くっ……! 数が多すぎる!」
アルジーナは、汗を垂らし、思わず独り叫ぶ。
四方八方から鮮血蜂が飛び掛かってくる。アルジーナは、半霊としての身体能力を限界まで酷使して、幕を為すように襲い掛かってくる毒針の僅かな間隙を縫って避け、隙を突いて棍棒による殴打を繰り出していく。だが、彼女の棍棒による殴打は、鮮血蜂を怯ませる程度で、仕留めるまでにはいかない。彼女に、そこまで力を込めて棍棒を振るう余裕は無い。
アルジーナは、腰に下げた聖騎士の剣の存在を意識し始める。__この剣を使えれば、この状況も打開出来るのだろうか、という考えが過る。もし、使えれば、の話だが。
鮮血蜂の群れに翻弄され、悪戦苦闘しているアルジーナの頭上に、凄まじい羽音とともに大きな影が覆いかぶさった。彼女は、余裕が無い中で頭上に現れたそれを一瞥すると、凍り付くような危険を感じて、素早く地面を蹴って距離を取った。
アルジーナの眼前に現れたのは、巨大な鮮血蜂だった。
それは、鮮血蜂の女王だった。人間の大男程の大きさはある、アルジーナの身体を上回る巨体の鮮血蜂だ。その巨体が、真紅と黒の縞模様の身体を、より威嚇的に強調している。羽音の大きさと悍ましさも、通常の鮮血蜂の何倍以上だ。
鮮血蜂の女王は、アルジーナに眼光を向けている。無機質な昆虫の瞳が、アルジーナに寒気を誘う。
アルジーナは、咄嗟に聖騎士の剣の柄に手が伸びたが、慌てて手を離した。こんな虫ども、棍棒で十分だ、と強がりを自分に言い聞かせる。
鮮血蜂の女王が、体を震わせ、金切り声のような羽音を響かせる。それが、女王の号令だった。周囲を渦巻く鮮血蜂は、一斉に電流が迸ったかのように動きを止め、毒針をアルジーナに向けた。
来る。__アルジーナの棍棒を握る手が恐怖で震える。
更に女王蜂が、金切り声のような羽音を立てる。それを合図に、鮮血蜂達は、全毒針を向けて突進してくる。
アルジーナは、強く口を結び、目を見開く。瞬きもせず全力で回避行動を続ける彼女の手足、胴体、頭のすれすれを、鮮血蜂達が疾風のように過ぎ去っていく。傍から見れば、身体を一本の糸の如く軽やかにしならせて、飛翔してくる毒針を避ける続けるアルジーナは、優雅に敵の攻撃を躱しているかのようにも映るが、その表情は苦しそうであった。
鮮血蜂達は、全方位から高速で間断無くアルジーナに突っ込んでいく。無数の毒針の閃きの線が、複雑に入り乱れる。恐ろしいのが、鮮血蜂達がそれぞれの方向から次々とアルジーナ目掛けて飛び抜けながらも、仲間同士で衝突することは一切ないことだ。
驚くべき鮮血蜂の統率の取れた動きだった。鮮血蜂は、女王の完璧な傀儡であった。主の意のままに、一糸乱れぬ動きを披露し、女王の手足同然の働きをこなす。アルジーナは、鮮血蜂の群団としての脅威を思い知り、戦慄する。半霊としての身体能力がなければとっくに体中に毒針を打ち込まれていただろう。
いや、半霊の身体能力を持ってしても、回避し続けるのは限界があった。
回避を続けるアルジーナの足首に、噛み付くものがあった。足元に注意を払いきれていなかった彼女は、鮮血蜂が忍び寄り足首に噛み付くのを許してしまった。彼女は、足首の痛みによろめき、僅かな隙を作ってしまう。
その僅かな隙が致命的となる。よろめき隙を見せたアルジーナの左右の腕に、さらに鮮血蜂達が齧り付いた。彼女は、左右の腕に嚙り付いている真紅と黒の縞模様の魔物に、顔が青ざめる。
そして、恐怖と苦悶の表情を浮かべるアルジーナへと、暴風のように猛然と迫って来たのが、それまで彼女の姿を傲然と睥睨していた女王蜂だった。
女王蜂は、その巨体からは想像できない俊敏な動きで体を捻り、長く鋭い毒針を振るった。毒針は、アルジーナの右手に握った棍棒を器用に弾き飛ばした。棍棒は、彼女の手から離れて明後日の方向へ消えていく。
「あっ……!?」
武器を喪失したアルジーナは、恐怖に声を漏らす。
そして、鮮血蜂の女王と目が合う。無機質で、無情で、人を殺す眼だ。
アルジーナは、死を予感した。
「ああああああっ!」
アルジーナは、半狂乱になって、腰に下げた聖騎士の剣の柄を握り締めた。そして、腕に重たい鮮血蜂が纏わり付く中、勢いよく剣を抜いた。__抜いてしまった。
その瞬間、アルジーナに異変が起こった。
悪夢のような幻聴と幻覚が彼女を襲う。
__暗闇の奥から、無数の目が覗く。
狂気の叫びと、鮮血の迸り。血と目。切り落とされた首の目と目と目が、彼女を睨み付ける。あの時、斬り殺したはずの亡者達が、狂気の破顔を向けて彼女の目の前に蘇る。
「……うっ……!」
アルジーナの体は揺さぶられる。全身が痙攣し、視界が歪む。そして、脳が掻き混ぜられるような感覚と猛烈な吐き気が彼女を苛み、彼女は堪らず握り締めた剣を落とし、蹲った。
それは、アルジーナを襲う正体不明の発作だった。ある悪夢的な出来事以来、剣を抜くと必ずそれは彼女に襲い掛かってくるようになった。彼女は剣を振らないのではなく、振れないのだ。
そして、鮮血蜂にとって、アルジーナの事情など知ったことではない。痙攣して蹲ったアルジーナの背中に、鮮血蜂達は好機とばかりに次々と伸し掛かるように嚙り付いて行く。
「がっ、あっ……!?」
アルジーナは、痛みに意識が飛びそうになる。体は麻痺して、上手く動かせない。もはや
鮮血蜂の弄ばれるがままとなった。
アルジーナは、自分の敗北を悟った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




