第5話 事件の真相
それは、20年前の出来事。
ルソル王国には、二人の幼き王女がいた。第一王女のエリザベートと、その妹の第二王女イザベルだ。二人とも、歴代の女王に似た栗色の髪と瞳を持ち、端正な顔立ちをしていた。そして、ドレスを着飾れば、王家の女性に相応しい、まさに可憐な一輪の花のようであった。
しかし、そのような可憐な容貌と反して、その姉妹は城内で有名なおてんば娘であった。無邪気で、落ち着きがなく、何より好奇心旺盛であった。城内では常に走り回り、城の至る所を探索し、あらゆる人にいたずらを仕掛け、乳母から注意されてもそれを止めることはなかった。ときには王城を抜け出し、大変な騒ぎになったことすらあった。
そして、その日の冒険が、姉妹たちの運命を大きく狂わせることになる。
「ねえイザベル、これ何だと思う?」
エリザベートが誇らしげにイザベルに見せつけたのは、白銀の鍵。一切曇りの無いその鍵は、傷が付かないように魔術的処置を施された特別なものだった。
「え、それって……」
「そう、これは間違いないわ。こんな綺麗な鍵みたことない。これは、あの地下室の鍵よ! お母様のベッドの裏に隠してあったの!」
王女姉妹は、城内の至る場所を探索してきたが、気にはなっていても決して入る事が出来ない場所があった。それが、悪魔の力を封印した指輪を保管している地下室だった。
ルソル王国ではあまりにも有名な例の指輪と、それを王家が代々管理しているという話は、幼い王女姉妹も知っていた。好奇心旺盛な彼女達は、以前にも例の地下室への侵入を試みたが、扉に鍵が掛けられていて入ることはできなかった。
聞けば、その地下室の鍵は代々女王が受け継いでいるらしく、エリザベート達は、鍵を持っている母親に地下室の中を見せてもらいたいと頼むが、断られ、それどころか強く叱られてしまったことがあった。しかし、彼女達は諦めが悪く、地下室の鍵を探し続けていたのだった。
「流石お姉様! お手柄!」
「ふふん、一生ついてきなさい!」
妹からの称賛に調子に乗るエリザベートは、イザベルを引き連れ、意気揚々と無邪気に、例の地下室へと向かう。
例の地下室の周りには一応見張り役の兵士が付いている。しかし、その監視は極めて緩いものだった。地下室からそれなりに離れた地点に監視役が一人立っているだけで、しかも、休憩時間になると誰も見張っていない隙間の時間が生じる。
例の地下室は悪魔の指輪が保管されているということで、兵士の間で不気味がられ、近づくことが避けられていた。加えて、地下室の扉は、女王が代々継承している秘密の鍵により施錠され、さらに地下室内部にはもう一つ扉が用意されており、その扉には王家の血統を持つ人間のみが開けることができるように魔法が掛けられている。
監視役を任される兵士としては、例の指輪がそのように厳重管理されているのだから、自分たちは多少手を抜いて監視をしていても良いだろう、といういい加減な意識を持っていたのだった。
エリザベートは、地下室の周りの監視のいい加減さを知っていた。監視役の休憩時間も把握しており、監視の隙間をついて、すんなり例の地下室の扉の前まで辿り着く。
エリザベートは背伸びをし、白銀の鍵を扉の鍵穴に差し込み、解錠する。姉妹達は、はしゃぎながら扉を押し開け、禁断の地下室内へ足を踏み入れる。そして、地下室の奥にはもう一つ扉があった。暗い地下室の中、その扉には淡い光を放ち回転し続ける魔法陣が描かれていた。
姉妹達は好奇心のまま、その光の魔法陣に手を触れる。
「わっ__」
魔法陣は一度強く輝き、次の瞬間、扉がひとりでに開く。その扉には魔法による強力な封印がされていたものの、王家の血統を持つ王女姉妹の入室を阻むことはなかった。
そして、扉の先に姉妹達が見たのは、小さな台座に置かれた、小さな指輪。古来よりそこに存在し続けたその指輪には、一切汚れの無い白銀の表面に、細かく複雑な文様が刻まれている。それこそ、ルソル王国で言い伝えられている、例の指輪だ。
「お姉様、あれがもしかして……!」
「あの指輪よ!」
伝説の指輪に興奮するエリザベートは、ただ好奇心に背中を押されるまま、指輪に飛びつき、そして__
「きれい……」
その白銀の美しさに見惚れ、自身の指に指輪をはめた。
それが、悲劇の始まりだった。
「……っ!」
指輪をはめたエリザベートの身体に、激痛が走る。あまりの痛みに、足元から地面の感覚が失せ、床に座り込む。そして、全身が金縛りにあい、身体の自由が利かなくなった。
「お姉様!?」
急に座り込むエリザベートに心配したイザベルが、近寄ろうとする。その瞬間、エリザベートのはめる白銀の指輪が赤く煌々と輝き、彼女の身体から赤い稲妻が、まるで威嚇するかのように、幾筋も周囲に鋭く伸びる。
イザベルは、思わず後退りする。
「なんなの……これ!?」
エリザベートが困惑の声を漏らす。
そして、エリザベートから膨大な魔力が溢れる。地下室内に横溢する魔力は、空気を澱ませ、泥のような重みを帯びさせる。エリザベートとイザベルは、吸い込んだ空気に吐き気を催す。
溢れ出た魔力の影響は地下室内に止まらない。際限なく溢れる魔力は、地下室から拡散し、澱んだ空気は王城を包み、さらに王都の空まで広がり、異変を生じさせる。
青かった空には赤い波紋がたゆたい、空を見上げた王都の人々の恐怖を煽った。その不吉で異様な空の有り様は、まるで伝説にある悪魔の顕現の兆しであった。
ある者は空を見上げたまま硬直し、ある者は建物の中へ逃げ隠れ、ある者は膝を付き手を合わせ神に祈った。
そのような外の様子は知らず、エリザベートは自分のことで必死だった。指輪をはめたせいで自分の身体から魔力が溢れているのは分かっていた。しかし、指輪を外そうにも全身が金縛りにあっていて、上手く外せそうにもない。
身体のいたる関節に鉄錆が纏わり付いているような感覚の中、エリザベートは精一杯の力を振り絞って、イザベルに向けて手を伸ばし、助けを求める。
「お願い……、助けて……!」
次の瞬間、エリザベートの伸ばした手の先から、彼女の意思とは関係なく、赤い稲妻が放出される。赤い稲妻は、蛇が獲物に食らい付くように、イザベルの右腕まで走り、引きちぎった。
「いっ……!? いやああああああ!」
イザベルの右腕が鮮血を撒き散らしながら床に落ちる。
身体の一部の欠損に、混乱し青ざめるイザベルは、恐怖の悲鳴を上げながらその場から走り去ろうとする。
「ま、待って! イザベ__」
呼び止めようとしたエリザベートの指先から、さらに赤い稲妻が走る。逃走を許さないとばかりに、疾走する赤い稲妻はイザベルの左足に巻き付き、引きちぎる。片足を喪失したイザベルは、うつ伏せで床に倒れる。
それでも逃げようとするイザベルは、嗚咽を漏らし、息を荒げながら、地下室の出口を求めて、身体を這わせる。そんな彼女に更なる赤い稲妻が襲い掛かり、残った手足を引き裂き、ついには、胴体を切断した。
「イザベル……!」
血だまりに顔を埋めながら、イザベルの動きがぴたりと止んだ。
「ああああああああああああ!」
眼前で無残に死に逝く妹の姿が信じられない。
エリザベートは叫び、それに呼応するように赤い稲妻が暴れ回った。地下室内の床や壁が稲妻に削られ、石の破片が散乱した。
そして暫く経った頃、赤い稲妻が落ち着き、エリザベートを苛んでいた金縛りも解け、白銀の指輪がするりと彼女の指から抜け落ちた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
茫然自失となったエリザベートと、無残な死体となったイザベルだけが残った地下室に、三人の兵士達が駆け込んだ。
「これは……!?」
地下室内に入った兵士達は、その惨状に言葉を失った。
身体をばらばらにされた第二王女イザベルの死体。無数の傷跡がある床と壁、散乱した無数の石片。そして、第一王女エリザベートと、その足元に転がっている白銀の指輪。
「エリザベート様……何が……」
兵士の一人が尋ねるも、エリザベートは虚ろな目を向けるだけで、何も答えない。
しかし部屋の状況から、事情は察することができた。これは__
「まさか、指輪を……。あの、悪魔の指輪を……!」
第一王女エリザベートが、禁断の指輪を使い、この惨状を齎した、と。
すると急に、三人のうちの黒髪の兵士が、他の兵士に大声で命じて地下室の扉を閉めさせた。そして、重々しい声でこう言った。
「これは……、何とかして隠匿しなくてはならない……!」
そう切り出した黒髪の兵士の名はジル。彼は、ルソル王国の大英雄として讃えられていた人物だった。
ジルが思うに、事はあまりにも重大だった。それこそ、今後の王政を揺るがしかねない程のものだ。悪魔の指輪を守護する使命こそが、王家の威信を支え、王政の正統性の基盤になっている。
その王家の者が、たとえまだ幼い王女がしたこととはいえ、指輪の力をみだりに使うという王家の使命に反したことをしたのだ。子どもの悪戯で済む話ではない。このことが世間に知られれば、王家の威信は失墜する。
「隠匿すると言っても……ジル殿、既に外ではそれなりの騒ぎになっています。王都の多くの者があの赤い波紋の空を見ています」
「それに、イザベル様はこの有り様……。王女が亡くなったとなれば隠すのは容易ではないかと」
他の兵士が言うことはもっともだ。事態は既に収拾のつかいことになっている。ジルもそのことは理解していた。
「しかし、このままでは……。王家の者が、指輪の力を暴走させたと知れ渡れば、王家の信望は大きく揺らぐ。特にエリザベート様はいずれ女王となるお方。これは、なんとしてでも隠匿しなくてはいけない!」
ジルは焦っていた。もたもたしている時間はない。もう暫くすれば、他にも兵士がこの現場に駆けつけてくるだろう。早く行動を起こさなくては、多くの者にこのことが知れ渡り、隠匿することが難しくなる。
宮廷内部には、少なからず王政に批判的な勢力が隠れ潜んでいるとも聞く。そして、残念ながらジルは、宮廷の組織内部の事情にそこまで精通しているわけではなかった。彼には、今回の不祥事を相談すべき相手、相談してもよい相手の検討がつかなかった。
ここで、ジルは一つ、考え付いた。
「……私が身代わりになる」
ジルのその言葉に、他の兵士が驚く。
「えっ!? ジル殿、それは……」
「この事件、私が犯人ということにする」
もっと賢明な方法があったかもしれない。もっと他に頼るべき人間がいたのかもしれない。しかし、確実な秘密性が求められ、素早い決断を迫られる中、ジルに考えられたのは自分を犠牲にすることだった。
「私が国家転覆のため、悪魔の指輪の力を使おうとした。王女姉妹を脅迫し、地下室の扉を開けさせ、悪魔の指輪を手に入れ、用済みとなったイザベル様を殺害し、次いでエリザベート様を手に掛けようとしたところ、お前たち二人が駆け付け、首尾よく私を捕らえることに成功した__これで上手く話を合わせるんだ」
「話がめちゃくちゃです、ジル殿!」
「ボロがでるかどうかはお前たちに掛かっている。いいか、お前たちは二人でここに駆け付け、指輪を手にした私を取り押さえた。これだけを喋れ」
ジルがその場で考えた事件のあらすじには、いくつか不可解な点もあるだろう。しかし、この作り話を突き通していく他ない。重要なのは、この場にいる当事者の間で話の矛盾が生じないことだ。
「ジル殿、分かっているのですか……今回の事件の罪を被るということは……」
「ああ、分かっている。大逆罪で、私は死刑に処されることになるだろう。……覚悟はできている。戦場で剣をとった時から、この命は国のために捧げると決めていた」
大英雄ジルは、戦場において決断が素早く、自己犠牲的行動を厭わないことで有名だった。そのような彼の気質が、このような場でも発揮されたのだった。
「貴方が罪を被るとなれば、大英雄ジルがそれまで戦場で積み重ねてきた名誉も地に堕ちることになります! それでよいのですか!?」
「構わない。戦場で一度たりとも自分の名誉のため戦ったことはない。全てはわが祖国のためだ。自分の名誉などは惜しくない。……だだ、そうだな、家族には迷惑を掛けてしまうな。妻に、そして、私を慕ってくれるジローには申し訳なく思う……」
それからジルは、虚ろなエリザベートの前に膝を落とし、見据える。
「エリザベート様、このような事態となり、妹様を亡くされ、さぞかしお辛い気持ちでしょう。しかし、私は貴女様にはっきりと申し上げなくてはならない事があります」
ジルは、エリザベートの肩を強く掴む。
「貴女様は、大変な罪を犯しました。本来は、貴女様自身の流血によって贖われるべき罪です。しかし、貴女様は、この国に必要な存在だ。将来、この国を導く重要なお方だ。
私は、エリザベート王女が、良き女王となることを信じております。いつか王冠を戴き、善政を敷いて、民を導く光となる貴女様の姿を、楽しみにしております。それが、貴女様の贖罪です」
大英雄は、幼き王女に王国の未来を託す。おてんば娘として悪評の立つ王女が、自分が命を捧げた価値のあったと思える、立派な女王になることを願って。
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