第11話 最終試験
……レオ・クラインは、復讐を止めることにした。
レオは、エマを連れて帝都を離れ、辺境の農村に移り住んだ。周囲の誰も、レオの過去を知る者はいなかった。
新たに移り住んだ地で、レオは、村の用心棒をして生計を立てることになった。レオの魔法の力を見込んだ村民が、彼に村の護衛を頼んだのだった。村に襲い掛かる賊や獣、更には魔物を追い払う仕事をやり続けた。
大した防衛力が無かったその村は、様々な外敵の脅威に晒された。時には、あの飛竜の襲来を受けたことがあった。その村の危機を幾度なく救ったのがレオだった。
レオは、村の勇者になっていた。よそ者扱いを受けていたレオは、次第に、村民達に受け入れられるようになった。村民の誰もがレオを信頼し、そして、慕うようになった。
そして、気が付けば、レオがその村に移り住んでから、何年も時が流れた。
エマは、いつの間にか大きく成長していた。背も伸び、体つきも大人の女性に近づき、それなりに思慮分別を持ち始めた。レオは、まるで自分の本当の娘の成長を見ているような気持ちになった。
いつからか、エマは、家事をやるようになった。やがて、レオよりも、料理が出来るようになった。今までは、レオが一方的にエマの世話をしていたのが、互いに助け合うようになった。いや、むしろ、家事の面については、レオの方がエマに助けられている状態になった。
エマは、相変わらず、レオの事を愛し続けた。彼女にとって、レオという存在は、愛おしい兄のような存在でもあり、頼るべき父親のような存在でもあり、そして、自分を救ってくれた勇者であった。
レオとエマの人生は、そのまま平穏に流れていった。
何処にも自分の居場所を見つけられなかったレオは、いつの間にか、自分の居場所を見つけていた。自分の幸福を手に入れていた……
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
レオは、夢から覚めて、ベッドから上半身を起こした。レオの傍ら__ベッドの同じ毛布の中には、幼いエマの体があった。エマは、まだ眠っている。
レオは、エマと同じベッドの中で寝るようになっていた。それは、エマからのお願いだった。一緒の方が、エマは安心して寝れるからだそうだ。レオは、何だかんだで、そのお願いに応えているのだった。
<目を覚ましたか、相棒。良い夢を見たもんだな……>
起きて早々に、サマウスが朝の挨拶をしてきた。サマウスの声には、皮肉っぽさが混じっていた。
「良い夢……? どういう事だ?」
<お前がさっき見ていた、そのガキと此処を離れて、どこぞの小さな村で幸せに過ごす夢だよ。お前は、その村の勇者になっていたな>
レオは、驚いて目を丸くする。サマウスは、レオの先ほどまで見ていた夢の内容を、言い当てていた。
「サマウス……、何で、俺の見ていた夢の事を……」
<俺はお前の心の中に潜んでいる。俺と相棒は一心同体だ>
レオの体の中で、黒い何かがうねった。レオは、思わず寒気を覚える。
<俺にはお前の心の中が丸見えだぞ。お前の怒り、悲しみ、喜び、全て伝わってくる。そして、お前の見ている夢も、同じように共有している>
サマウスは、意地悪く笑う。
<その前は、そのガキと買い物をする夢を見たな。帝都の人の多い大通りで、二人楽しそうに買い物している夢を。連続殺人鬼として憲兵に狙われているお前には、もはや叶うはずのない、まさに夢だな。
さらにその前なんか、お前……、学生時代に、何故かそのガキがクラスメイトとして登場する夢だったな。 お前には、友達はいなかったはずだったが、その夢の中にはちゃんといた。そして、楽しい学生生活を送っていたな。全く、笑えるぜ、相棒。本当にそのガキの事が気に入っているんだな>
レオは、赤面した。絶対に誰にも知られたく夢の内容を言い聞かされ、恥ずかしさのあまり悶え死にそうだった。
「かっ……勝手に人の夢を覗くな……!」
<すまねえが、どうしても分かっちまうんだ。俺たちは、一心同体だからな>
「……どうにかしろ!」
<自分の心を読まれるのは嫌か?>
「当たり前だ!」
レオは、怒鳴るように言った。サマウスは、それに対して溜息で返す。
<なあ、相棒、俺はお前に嫌がらせをしたいわけじゃないんだ。俺はこう見えて礼儀正しい悪魔だから、今まではお前が嫌がると思って、俺がお前の心の中についてなるべく言及しなかった。だが、状況は変わった>
「何が変わったって言うんだ?」
レオは、苛立ちながら訊いた。
<それは、お前自身が一番分かっていることだろう>
「何?」
<……そのガキに感謝されて嬉しかったか、相棒?>
サマウスのその問い掛けに、レオはどきりとした。
<初めはそのガキを殺そうとしていたな。だが、お前は、そのガキに同情してしまった。いじめられていた過去の自分と重ねてな。だから、殺さなかった。そして、その間抜けな気まぐれのせいで、お前の心の中につまらない感情が芽生えるきっかけを作ってしまった>
黙るレオに構わず、サマウスは続ける。
<初めて他人から好意を向けられて嬉しかったか?>
「……」
<他人を救ったことに喜びを覚えたか?>
「……」
<お前は、あのガキにとっての正義の勇者であり続けたいか? ……この前は、街を襲った飛竜から住民を守ってやったな。新聞では、“帝都を救った謎の勇者”とか書かれたりして。街の奴らはきっとその謎の勇者に感謝しているぞ。その勇者は自分だと、世間に伝えてやりたいか?>
「……」
サマウスは、レオの心の中の答えが分かっていながら、次々に問いを投げかける。
<つまり、お前は、いまさら善人にでもなりたいのか?>
サマウスは、たっぷりの嫌みを込めて問うた。
「俺は……」
<どうした?>
「……。俺は、変わっちゃいけないのか……?」
レオは、躊躇しながら呟いた。その言葉は、レオが胸の内にある迷いを吐露したものだった。
<どういう意味だ、相棒?>
サマウスは、レオの言葉の意味を知っておきながら、あえて尋ねる。レオは、辛そうに顔を伏せ、暫く沈黙すると、怯えるように震え声で、
「……もう、殺人鬼を止めたい」
と、言った。
レオの中で、黒い何かが強くうねり、彼の身体を揺さぶった。
レオは、たじろぐ。まるで、サマウスの両手に肩を鷲掴みにされたような感覚があった。そして、俯いている顔を、大きな目で覗き込まれるような感覚もあった。恐怖がレオを襲った。
<なあ、相棒……>
果たして、次に何を言われるのか。レオは、呼吸を止めた。
<お前はもう手遅れだ>
その言葉は、レオに残酷に響いた。
「……手遅れだと?」
<そうだ。手遅れだ>
「俺は……」
<いいか、お前はもう、どうあがいても、善人にはなれない。正義の勇者にはなれない。お前は、人を何人も殺した。それも、酷い殺し方をした。悪魔の俺でも驚くような極悪非道さを見せてくれた。そのお前がいまさら、変わりたい、って言うのか?>
「だけど……」
サマウスは、何か言おうとしたレオを、冷たい声で制した。
<お前は、決して善人にはなれない。レオ・クラインは、そういう人間だ。そういう運命だ。……いいか、相棒、もしお前が善人であれば、俺の力を手にした時、その力を復讐には使わなかった。善人なら、その強大な力を、真っ先に他者を救う為に使っていたはずだ>
「それは……」
<最初、魔導書を手にしたお前には、無限の選択肢と可能性があった。その力を、万人の救済の為に使うことが出来た。それで、国の勇者にでもなれた。今とは別のやり方で、お前を虐げてきた奴らを見返すことだって出来た。皆から感謝されながら、幸福に生きる人生もあり得た。だが、お前はそうしなかった。その未来を選ばなかった>
「それは……っ!」
レオは、堪らず反論する。その声は、若干涙ぐんでいた。
「それは……、サマウス、お前が復讐を唆したからだ!」
その反論に、サマウスが嘲笑う。
<俺のせいにするのか? __最低だな、お前>
その言葉が、レオの心に突き刺さる。今まで彼を肯定し続けていたサマウスが、初めてレオを明確に罵る言葉を口にしたのだ。
「事実じゃないか!」
<確かにそうだ。俺は、お前に復讐を唆した。だが、それが何だって言うんだ? 俺は、ただ唆しただけだ。決めたのは、あくまでお前の意志だ。魔導書の力をどう使うかは、お前の自由だったはずだ>
「それは……違う」
<何がだ?>
「俺の復讐心が、俺の選択肢を奪っていたんだ……」
<だから、それが何だって言うんだ? その復讐心は紛れもなくお前の心だ。そして、お前は、その自分自身の心に従った。それは、お前の意志だ。弁明の余地はない>
「いいや、違う! 俺は__」
<いいか、相棒>
サマウスは、レオの言葉を遮る。
<俺は、人間を三種類に分類する。__善人と、悪人と、……そして、自分の事を善人だと思っている間抜け、の三種類だ>
そして、サマウスの唐突な話が始まった。
<俺は、善人と悪人どちらともに敬意を払う。彼らは、正反対だが、共に完成された自我と貫徹された意志を持った、尊敬すべき人格者達だ。だが、善人でも悪人でもない間抜け共には、全くうんざりさせられる。そして、悲しいことに、世の大半の人間が、自分の事を善人だと思っている間抜け共だ。……相棒、俺は、お前にそんな間抜け野郎にはなって欲しくない>
「つまり……善人か悪人になれってことか?」
<間抜けが。お前にとって、その二つの内の片方は、選択肢としてもう潰れている>
サマウスは、厳しく言い放った。
<気付いていたか、相棒? お前をいじめていた奴らは皆、善人でも悪人でもなかった>
「何?」
<奴らは、過去にお前を嬉々といたぶりながらも、己の事を善人だと思い込んでいる間抜け共だった。自分の事を、真っ当な大人だと思い込んでいる。お前をいじめた事については、何らかの理由で正当化しているか、あるいは、いじめた事実を気にしていないか、すっかり忘れてしまっている>
レオは、唸る。思い返して見ると、サマウスの指摘には、頷けるものがあった。
<お前は、奴らと同じ人間になりたいのか?>
「っ!? ……俺は、……違う」
<だが、このままじゃ、お前は奴らと同じになる。同じ間抜け共の仲間入りだ>
「俺は違う!」
レオは、声を荒げる。
サマウスの言葉は、レオを惑わし、復讐へと唆すための悪魔の囁きだ。レオは、サマウスの意図を理解していた。その悪魔の囁きに耳を貸すべきでないことも、分かっていた。
だが、サマウスの言葉は、レオの心に突き刺さった。これ以上無い、屈辱的な言葉だった。冷静さを失う程に、屈辱的だった。あんな奴らと、一緒にされるのは。
<ならば、違うって事を証明して見せろ。その時初めて、俺はお前を認め、『リボン』を授与出来る>
「リボン?」
<お前はまだ所詮、魔導書を使っているに過ぎない。それは、悪魔のとしての本当の俺の力ではない。悪魔は、本当に見込んだ人間に対して、『リボン』を授与する>
机の上に置いてあるサマウスの魔導書から、独りでに黒い霧が立ち上がる。黒い霧は、蠢き、凝縮して漆黒の大蛇を形作る。現れた漆黒の大蛇は、鎌首をもたげ、レオを睥睨した。
<レオ、確かにお前は強い。だが、今のお前では、ただ強い魔法使いに過ぎない。この国を、そして、世界を相手にするには力が不足しすぎている>
「俺は、飛竜を単独で倒したんだぞ」
<そんなことで満足しているのか? そんな事出来る奴は、この世に腐る程いる。お前より全然強い奴が、世界にはいる。
いいか、レオ、お前は今や、この国や世界の敵だ。そして、このままの力じゃ、これからの敵には勝てない。少し世間の注目を集めただけの連続殺人鬼としてくたばることになる。それでお前は終わりたいのか?>
レオは、そんなの嫌に決まっている、と言わんばかりに、漆黒の大蛇を睨み返した。
<お前には、『リボン』の力が必要だ。本当の悪魔の力が。そうしてお前は、この世界を支配する絶大な力を手に入れる。ただの殺人鬼じゃない、“魔王”と呼ばれる存在になる>
「魔王……」
おどろおどろしい単語が出て来た事に、レオは、唾を飲む。
<相棒、俺はお前に期待している。だが、まだ『リボン』を授与するわけにはいかない。お前はまだ、試験期間中なんだよ。本当に『リボン』を授与するに値する人間かどうか、見極めなければならない。『リボン』は、悪魔の名誉を掛けて授与される。つまらん人間に授けるのは、悪魔としての沽券に関わる>
漆黒の大蛇は、レオの顔の近くまで伸びた。レオは、思わず身を引く。
<試験期間も、もう終わりだ。今すぐ証明して見せろ、レオ・クライン。この俺が『リボン』を授与するに値する人間かどうか>
「証明って、何を……」
<そのガキを殺せ>
「は?」
<今すぐ、そのガキを殺せ。それが、お前の最終試験だ>
漆黒の大蛇は鼻先で、レオの傍らで寝ているエマを指して、冷酷に告げた。
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