第10話 抹殺命令
狭い小屋の中で、エマは、くるりと身を回し、纏ったドレスを花弁のようにふわりと広げた。姿見鏡の前で、無邪気に笑顔を輝かせる彼女は、妖精のように可憐だった。
レオは、部屋の隅のソファベッドに腰かけて、エマがはしゃぐ姿を眺めていた。
エマが今着ているドレスは、レオが買ってやったものだ。他にも何着かドレスを買ってある。どれも質のよい布地を用いて、丁寧に仕立て上げられている洗練されたドレスで、それなりに値が張った。正直、レオにとって、今までの人生で最も高い買い物をした。
「レオ、見て見て!」
「さっきからずっと見てる。ずっと鏡の前でそうして、いい加減飽きないのか?」
小一時間程度、エマは、ずっと姿見鏡の前で、ドレスを着飾った自分の姿を見ていた。そして、そのドレス姿をレオに見せつけ、感想を求めた。レオは、「似合っているぞ」とか、「可愛いぞ」とか、ありきたりで適当な感想を述べ、エマは、その感想に満面の笑みを浮かべて喜ぶ。そういったやり取りが、延々と続いた。
エマは、買ったドレスを次々に着ていって、同じように鏡の前で楽しんだ。着替えに全く飽きてくれない少女を見て、レオは、買うのはせめて2着ぐらいにしておくべきだったと思った。
「ありがとう、レオ! 一生大事にするね!」
「……多分すぐに着れなくなるぞ。子どもは成長が早いからな。すぐ捨てることになる」
冷めたレオの言い草に、エマは、悲しそうな顔をした。
「嫌っ! 一生着るの!」
「それは無理だ」
レオに突き付けられた現実的な言葉に、エマは泣きそうになる。レオは、子どもの扱いが慣れていなかった。
「無理でも着るの! レオが、せっかく買ってくれたのに……」
「着れなくなったらまた新しいやつを買ってやる。着れなくなくても、その服に飽きて新しいやつが欲しくなったら、また買ってやる」
「えっ!? 本当!?」
「ああ、本当だ」
「やったあ!」
すると、エマは、レオに思いっきり飛びついた。レオは、子どもの大袈裟な愛情表現に戸惑う。やはり、子どもの扱いは慣れなかった。
「本当にありがとう、レオ!」
「いいんだ。お金には余裕がある。他にも欲しいものがあれば買ってやっても良いぞ」
レオは、何だか照れて、つい余計な事まで口走ってしまった。レオは、そんな自分自身を馬鹿馬鹿しく思う。
だが、お金に余裕があるのは本当だ。復讐相手から、たっぷりと金品を奪っているからだ。残酷な事に、エマには、そのレオのお金の出所を知る由もない。
「じゃあ、またケーキが食べたい!」
何も知らないエマは、無邪気にも、レオに欲しいものを言うのだった。
「ケーキか……、エマ、美味しそうに食べてたもんな」
レオは、気まぐれで買ってきたケーキを、エマが吸い付くように食べていたのを思い出す。確か、買ってきたケーキの8割程度は、エマが食べてしまった。
「じゃあ、また買って来るか」
「ありがとう、レオ!」
「確か学院付近の通りに美味しいって評判のケーキ屋があったな……」
レオは、学生だった頃に聞いた話をふと思い出す。帝立魔術学院付近には老舗のケーキ屋があった。学生の間でそれなりに評判の店だった。レオも、店の外観なら見た事がある。その店の中で、友達同士で楽しそうにケーキを選んでいる学生の姿も見たことがあった。
「一緒に付いてきたいか、エマ?」
「うん、行く!」
レオ自身は、甘い物にそれほど興味が無いし、一緒に店に入るような友達もいなかったため、自分には無縁の店だと思っていた。しかし、まさか、今更あのケーキ屋に行こうなどという気になるとは、思いもよらなかった。
<おい、相棒、いいのか?>
サマウスの声だ。レオは、顔を上げる。
<魔術学院付近て言えば、帝都の中央だろ。お前を付け狙っている憲兵どもがうじゃうじゃいるぞ、連続殺人鬼レオ・クライン。忘れてねえだろうな?>
サマウスは、刺々しく忠告した。
レオは、完全に忘れていた。サマウスの忠告に、思わず唸り声を上げた。
「……レオ?」
「いや、その……エマ……」
エマは、心配そうにレオの顔を覗き込む。エマは、レオの表情の変化を敏感に察知していた。
「やっぱり、別のケーキ屋にしよう……、それでいいか?」
「私は別に良いけど……」
「……そうか」
レオの声は、どこか悲しげだった。エマは、その理由が分からず、首を傾げるのだった。
その後レオは、いつものように夕食を二人分用意し、エマと一緒に食べた。何時間も鏡の前ではしゃいで疲れていたエマは、食後に直ぐに眠気に襲われ、ベッドに横になり、数分もしない内に眠りに就いた。
エマも寝た事だし少し早いが、レオも寝ようと思い、毛布を準備してから、蝋燭の灯りを消しそうとした。
<なあ、相棒、最近どうしたんだ?>
蝋燭の灯りを消そうとする直前に、サマウスが声を掛けてきた。レオは、灯りを消すのを止める。
「どうしたって、何が?」
<復讐の方はどうしたんだよ? ここ数日、全然人を殺してねえぞ>
サマウスは、レオを詰るように言った。サマウスの言うように、レオは、ここ数日誰も殺していない。ただ毎日を、小屋の中で、エマと平穏に暮らしていた。
「ここ最近、憲兵の動きが活発になっている。面倒を避けるために迂闊には動けない。それに65期の奴ら、姿を暗まし始めやがった。きっと、俺の犯行目的がばれているんだ。だから暫くは様子見をするつもりだ」
<獲物が隠れたなら探せばいい。隠れていそうな場所を手当たり次第襲えば良い>
「そんなに焦る必要はない。じっくり奴らを追い詰めれば良いさ」
<それがお前の言い訳か?>
サマウスの言い方には、やはり棘があった。
「言い訳も何も……、それが俺の大人しくしている理由だ」
<ああ、そうか。だと良いんだがな……>
「……何が言いたい?」
<さあな>
「言いたいことがあるなら言えよ」
<もう寝るところだったんだろ、相棒。おやすみ>
「おい……」
サマウスは、冷たく突き放すように言った。そして、それから黙ってしまった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
中央憲兵司令部の執務室で、アデルとヴァイス長官の会話は続いていた。
「このエマって実験体が、連続殺人鬼と一緒にいるってこと?」
アデルは、書類を手にしたまま、ヴァイス長官に聞き返した。
「そうだ」
と、ヴァイス長官は頷いた。
「単に、独りで逃げ出しただけじゃないの? 研究員は皆殺しに遭っているんだから、逃げ出せる状況にあった、とかじゃないの?」
「逃げ出したというのはその通りだろう。しかし、独りで逃げたのではなく、レオ・クラインと共に研究所を脱出したのだ。実験体を監禁していた扉は、強力な魔法によって閉ざされていたが、それが見事に切り落とされていた。おそらくは、レオ・クラインの仕業だ」
「扉をこじ開けた殺人鬼は、監禁されていた実験体をそこから連れ出した、って言いたいわけ?」
「その通りだ」
アデルは、その推測に疑問を持った。
「聞くところによれば、殺人鬼と実験体が接触したのは事実と言えそうね。……だけど、接触したうえで、その後に殺人鬼が実験体をどうしたかなんて分からないと思うわよ。二人が一緒に行動していることの何か根拠はあるの?」
「実験体は憔悴状態にあった。それにまだ幼い。単独での行動範囲はそこまで広くないはずだ。だが、我々憲兵が総力を尽くして付近を捜索しても発見されなかった」
「つまり、単独では行動していないって言いたいわけね」
「そうだ」
アデルは、納得出来ずに首を捻る。
「そもそも殺されているんじゃないの? この殺人鬼だったら、何でもかんでも殺しちゃいそうじゃない?」
「ならば遺体が見つかるはずだ。だが、周辺にそれらしきものはなかった」
「死体を残さず人を殺す魔法だってあるわよ」
アデルは、死体を残さないように出来る魔法を色々知っているし、現に使った事もあった。
「あるいは、その可能性もある」
そう言うものの、ヴァイス長官には、自説を曲げる気配は無かった。
「だが、やはり、殺人鬼が実験体を連れ去っている可能性もある」
「そもそも連れ去ってどうするつもりなのよ? 召使いにでもするつもり? あるいは、性玩具にでも? ……児童性愛についてはちょっと理解出来なくもないけど」
「性玩具て……」と、メメは、アデルの発想に苦笑する。
「連れ去った動機については断定できない。色々考えられるところだろう」
「色々って何よ?」
「色々は色々だ」
アデルは、眉を曲げる。どうも、はぐらかされているような気もした。
「ヴァイス長官、その実験体が殺人鬼と一緒にいるかどうかは、私が依頼を遂行するうえで重要なことなのよ。確かに、私の万能の魔法に掛かれば、現在の実験体の生死や居場所をつきとめる事なんてわけないわ。
だけど、知っていると思うけど、私の魔法には厄介な呪いによる回数制限があるの。もしも、あなた予測に反してその実験体が殺人鬼と一緒にいない場合、その実験体を探すために貴重な魔法をまた別に使う羽目になるわけよ」
ヴァイス長官の推測の正否についてアデルが問い詰める理由は、それだった。仮にヴァイス長官の推測が外れた場合、アデルは、任務達成のために、少なくとも2回は魔法を使う事になる。
「その事は承知している」
「じゃあ、あなたの推測が外れた場合、どうするつもり?」
「その場合は、やはり、貴女にまた別に魔法を使って実験体を捜索してもらうことになる」
「じゃあ、報酬は通常の2倍相当のものを期待していいの? あなたは、殺人鬼の依頼のちょっとしたおまけ程度にしか考えていないようだけど」
そして、肝心なのが、その報酬の認識についてだ。
アデルは、睨み付けるようにしてヴァイス長官の返答を待つ。返答次第では、依頼は断るつもりだった。
「そんなに睨み付けないでくれ、赤リボン殿。それぞれの依頼は全く別の案件として計算して上に報告する。心配する必要はない」
ヴァイス長官は、そう断言する。
「じゃあ、確認するけど、仮にあなたの推測が的中していて、件の連続殺人鬼と実験体が一緒にいた場合、私は幸運にも、一回の魔法使用で2つの依頼達成分の報酬が貰えることもあり得る、ってことで良いかしら?」
「そういう理解で合っている」
「なるほど」
そうであるなら、アデルとしては、何も問題は無かった。魔法の行使回数に余裕が無い状況なら、2回以上魔法を使うおそれのある依頼は安請け合い出来ないが、幸いにも、今週のアデルはまだ一度も魔法を使っていない。
「分かったわ。その実験体についての依頼も引き受けるわ。殺人鬼とまとめて抹殺してきてあげる」
「……」
「……どうかしたの?」
「いや……」
ヴァイス長官の顔が、一瞬だけ陰りを見せた。そして、ほんの僅かの沈黙があった。それから彼は、誤魔化すように頭を振った。
「依頼を受任して貰えて助かる。……とにかく、実験体の事は任せた。適切に処分してくれ」
それからヴァイス長官は、一段と重々しい口調でそのように命令を下した。
アデルとしては、やはり、ヴァイス長官の態度が妙に気掛かりではあった。だが、『赤リボンのアデル』として、やるべきことは明確だ。
こうして、アデルは、レオ・クライン及びエマの抹殺の依頼を受任したのだった。
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