第5話 もう一つの依頼
「赤リボン殿、実は、もう一つ、依頼があるのだが……」
ヴァイス長官は、報告書を読み直しているアデルに、そう切り出した。アデルは、報告書から顔を上げる。
「もう一つの依頼?」
「そうだ。……とは言っても、その殺人鬼に関連したものではあるのだが」
ヴァイス長官は、また別の書類を取り出した。そして、悩まし気に赤髭を撫でる。
「本当は、この書類を貴女に渡して良いものか、悩ましいのだが……。繰り返すが、貴女には重い守秘義務が課せられて__」
「おいおい、勿体ぶってないで渡しなさいよ。あなたの部下を信じろ。ほら、拝見させて」
「……とても部下の言葉遣いとは思えないが」
ヴァイス長官は、逡巡を見せながら、手にした書類をアデルに渡した。アデルは、書類に目を通す。
書類に記載されていたのは、とある研究所の事についてだった。
「“メ―リアン魔法研究所”?」
「研究員はたったの6名の小さな研究所。3年程前に設立され、帝国に認可されている。所長は、ヨーゼフ・メ―リアン。その男は、我々憲兵の間ではそれなりに有名な魔法研究者で、若き天才にして、マッドサイエンティスト、そして、件の殺人鬼の被害者だ。彼の研究所のメンバーは、皆殺しになっている。彼もまた、帝立魔術学院65期卒業生だった」
「そいつが殺されて、何か問題が起こったの?」
ヴァイス長官は、頷き、アデルに、渡した書類を読み進めるよう目で促す。
「メ―リアン魔法研究所は、非常に問題のある実験をしていた。非人道的かつ、グロス教会の“禁忌”にも、魔法結社の“禁術”にも抵触する実験を」
「……そう言った輩を取締まるのがあなた達憲兵の仕事だったわね」
「その通りだ」
「ちゃんと監視してなかったの? こいつ、かなり好き勝手やってるじゃない」
渡された書類によれば、メ―リアン魔法研究所は、設立当初から、取締対象になるような研究を行っているようだった。
「監視はしていた」
「でも怠っていた」
アデルは、からかうような笑みを向ける。だが、ヴァイス長官は、「いいや」と、アデルの言葉を否定した。
「ちゃんと監視をしていた。メ―リアンらの研究内容は把握していた」
「じゃあ……、あえて見逃していたの?」
「そういう事だ」
ヴァイス長官は、やや複雑な表情を浮かべる。
「帝国は、たとえ非人道的で、禁忌や禁術に抵触するような実験であっても、それが国にとって有益なものを齎すのであれば、諸手を挙げて歓迎する。我ら憲兵は、研究者達の取締りの役割を与えられてはいるが、その役割を馬鹿正直に全うすることは期待されていない。上層部が我々に期待している仕事は、教会や魔法結社に対して、取締りを適切に行っている振りを見せることだ」
「なるほどね」
「もっとも、全く無視しているというわけじゃない。あまりにも酷いものについては、多少動いたりすることもあるのだが……」
アデルは、そのよう帝国と憲兵の方針について咎めようとは思わなかったし、むしろ、その狡猾さに感心するくらいであった。だが、ヴァイス長官本人は、組織のそのような方針について、不服とまではいかないにしろ、あまり良いとは考えていない様子だった。
「さて、問題というのは、この研究所にあった実験体の一つが行方不明になっている事だ。知られてまずい実験の痕跡の塊が、研究所から姿を消していたのだ」
「あらあら」
「メ―リアン魔法研究所は、あくまで公的機関でなないが、帝国が資金援助等で大きく関与をしている。何より、我々憲兵が、監視・監督している。彼らの罪は、我々の罪同然だ。その許させざる実験が世間に明るみになれば、我々の監督責任が問われるのは間違いないし、最悪の場合は、我ら憲兵のひいては帝国上層部の闇が、露呈することになりかねない。教会や魔法結社を含めた各方面から、非難の嵐が来るだろうな」
「じゃあ、一刻も早く、その実験体とやらを見つけないとね」
「その実験体の処分を、貴女に頼みたいのだ」
「なるほど、それがもう一つ依頼ってわけね」
アデルは、渡された書類をめくっていくと、問題の行方不明になった実験体について書かれたページに辿り着く。
その実験体には、名前があった。“エマ”という名前だ。人間の女性みたいな名前を付けられているのは、その実験体が人間の女性だからだ。しかも、具体的な生年月日は不詳であるものの、10歳前後の少女らしいのだ。密かに人身売買で入手し、研究所に監禁していたようだ。彼女を使用した実験内容というのは、魔法による人体改造で、被験者は命も関わる危険に晒される。
「これは、確かに、マッドサイエンティストだね」と、一緒に書類を見ていたメメが呟く。
「私も、何度かあの研究所に調査で直接赴いたことがある。その時、その実験体の少女を見たのだが……、酷い有り様だった。あのような実験を平然と行える彼ら研究者が信じられなかった。……いや、それはともかく、その依頼について、承諾してくれるだろうか、赤リボン殿?」
「質問があるわ」
「何だ?」
アデルは、書類から目を離して、尋ねる。
「この実験体の居場所って、見当付いているの?」
ヴァイス長官は、頷いて、答える。
「察しているかと思うのだが……、件の連続殺人鬼レオ・クラインと一緒にいる可能性が高い」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
__フェルス・ランゲは、体が大きく、クラスのガキ大将的な存在だった。レオに主に暴力を振るっていたのが彼だった。レオの体中には、彼による過激な暴力の傷跡が幾つも残っている。ただし、本人は悪い事をしている自覚はほとんどなく、ひ弱な落ちこぼれの根性を叩き直している、といったように自己の行為を正当化しているようであった。
フェルスは、魔術学院を卒業後、軍に入った。魔術学院の卒業生は、軍で重宝されており、彼は、出世コースを順調に歩み続けた。また、現在結婚していて、子どもに長女と次男がいる。9歳と7歳の子どもだ。
レオは、家族4人が集まっている時を見計らって、フェルスの自宅にお邪魔した。玄関の扉を木っ端みじんにして、悲鳴を上げた夫人を黒い触手で拘束し、続いて、二人の子ども、フェルスを順に捕らえていった。フェルスは、家族を守ろうと、得意の魔法で抵抗したが、謎の力を手に入れたレオに歯が立たない。
フェルスは、家族4人で地獄を味わうことになった。彼は、長女と次男、そして、妻が生きたまま身体を細切れにされるのを見せつけられた。当初は怒号を撒き散らしていた彼も、同じように細切れにされ始めてからは、威勢も弱まっていき、やがて子どものように泣き喚くようになった。「そんなみっともなく泣いて、とても帝国軍人とは思えないな、フェルス」とレオの侮辱してやっても、彼は、反論することなく、痛みに痙攣し、喘ぎ続けるだけであった。一家の地獄は、半日に渡って続いた。
__クシェル・シェーファーは、美男子で、クラスの人気者だった。フェルスやダニエルと仲が良く、レオをいじめていた中心人物の一人だ。彼は、レオのことを特に毛嫌いしており、「気持ち悪い赤髪」とよく罵っていた。レオが、彼に何か言い返すものなら、周りの生徒全員が敵となった。クシェルとレオの喧嘩で、レオに味方しようと考える生徒は一人もいない。
クシェルは、魔術学院を卒業後、魔法学の家庭教師をして稼いでいた。それなりに評判の良い教師だった。つい最近までは独身のままで、色々な女性と遊び回っていたようであったが、1年前に当時の交際相手と結婚している。
レオが、クシェルの自宅に強引にお邪魔した時、彼は、寝室で妻と裸でお楽しみの最中だった。全裸のクシェルは、寝室に入ってきたレオに対して、暴言を吐いた後、部屋の隅に置かれていた杖を取り、殺す気で攻撃魔法を放った。しかし、謎の黒い霧の前で、魔法は打ち消され、クシェルは、夫婦揃って黒い触手に拘束されることになった。
レオは、身動きが取れないクシェルの身体に、小さな切り傷を無数に作っていった。クシェルは、身体の傷が百を超えたあたりから、声を上げて発狂し、失禁した。レオは、そんな彼に、刃物を渡し、「それで、お前の女を殺せ」と、彼の妻を殺すように命じた。一時的に黒い触手から解放された彼は、死の恐怖に怯え、ただ命令のままに、顔を引きつらせながら、身動きが取れない妻の身体を刃物で刺して、殺した。
しかし、命令を完遂したクシェルが、レオから解放されることはなく、また拘束されて、傷を付けられる羽目になる。やがて全身血塗れになった彼が、「殺してくれ」と泣いて懇願するようになっても、レオは、笑いながら、夜が明けるまで彼を虐め続けた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
メ―リアン魔法研究所は、帝都の市街地の外れに存在している。鬱蒼と生い茂る草木の中に、隠れるようにしてぽつんと建つ寂れた屋敷が、その魔法研究所の施設だった。
その日、その時、ヨーゼフ・メ―リアンは、研究所の事務室で、同士である研究員にとある書面を見せつけられ、不愉快そうに眉を曲げていた。
「所長、これは、非常にまずいですよ」
その研究員の男は、所長であるヨーゼフに重々しく告げた。ヨーゼフは、書面を眺めながら唸る。
「くだらん」と、ヨーゼフは、書面を放り投げる。
「いや、まずいですよ」と、研究員の男は、書面を拾う。
ヨーゼフが見せつけられた書面は、帝国中央憲兵による中止勧告だった。内容は、現在メ―リアン魔法研究所が行っている研究・実験が、“禁忌”や“禁術”に抵触するおそれがあるため、直ちに中止せよ、というものだった。勧告に従わないのなら、本格的に法的措置を検討することになる、とも述べられていた。
「ふざけているぞ、あいつら。腐れ憲兵ども。我々の研究を当初から把握していたのに、それをどうして今、白々と禁忌や禁術に抵触するなどとほざくか。我ら研究者を密かに守る事が奴らの使命だろう」
ヨーゼフは、憤りを滲ませて言った。
「おそらくは、教会や魔法結社の関係者に我々の研究が勘付かれ始めたのでしょう。書面にも、“貴殿らの研究を訝しむ者が現れ始めた”と書いています。彼ら憲兵は、その事をこの書面を通して教えてくれているんですよ。まだ、勧告の段階です、ここで我々が自主的に解散すれば、後は彼らが上手く誤魔化してくれます。我々を守ってくれます。確かに悔しいとは思いますが、ここは、一旦身を引いた方が良いかと」
そのように研究員の男は諭す。
「全くふざけている!」
ヨーゼフは、怒声を響かせた。
「所長、このままでは我々は、牢獄行きですよ。いや、それより悲惨な目に遭うかもしれません。いずれにしても、そうなったら、これから、研究を一切出来なくなります。ここで大人しく身を引けば、次があります」
「研究者がそんな弱腰でどうする!」
「冷静になって下さい、所長。ここは、我慢です」
「いや、我慢できん!」
ヨーゼフは、研究員が持っていた書面を奪い、改めて見直して、舌打ちをする。
「ヴァイスの腐れ野郎……」
中央憲兵司令部長官の名前を、憎悪を込めて口にする。
「もう、我慢ならん。この勧告について、魔術大学や知り合いの政府高官に相談してみるぞ! あの腐れ長官やその憲兵どもなど信用出来ん!」
ヨーゼフは、ヴァイス長官に対して、かねてから不信感を募らせていた。
研究者達の間では、現在の中央憲兵司令部長官が、研究者達の違法な研究や実験を黙殺するという政府の裏の方針について否定的な考えを抱いている、と噂されている。そして、ヨーゼフ自身も、実際に彼に会ってみて、噂通りの印象を受けた。
ヴァイス長官が、従来の方針の転換を明言する等、その腹心を打ち明けたことはないものの、彼がメ―リアン魔法研究所に直接視察に来た際、その言動には怪訝なものが見受けられた。
研究内容の外部漏洩防止措置について細かく調査することは良いにしても、彼が研究内容の違法性の程度の重大性についてわざわざ改めて警告したことに、まずヨーゼフは眉を顰めた。さらに、具体的な実験方法の問題点を指摘してその修正を求めてきたときには、“越権行為ではないか”と、口論になったくらいだ。
建前から言えば、憲兵が研究者の実験方法について口出しすることは、まさに取締行為の一環として、越権行為ではない。だが、従前は極めて重大な問題が見つからない限り、憲兵がそのような行為をすることは無かった。違法な研究を上手く見逃すことが、憲兵に期待される仕事のはずだった。
特に、実験体の少女を目にした時のヴァイス長官の反応には、不穏なものがあった。ヴァイス長官が実験体の少女を見た瞬間、彼が一段と表情を厳しくしたことを、ヨーゼフは覚えている。そして、あろうことか、彼は、その実験体の使用について非人道的だと述べたのだ。
ヨーゼフとしては、憲兵風情が非人道的云々の話をするのは、極めて不適切だと考えている。憲兵の職責として、実験の違法性を指摘することは許されるとしても、それより踏み込んだ人道的問題点を言及するのは、憲兵の職務から外れるものだ、と考える。
ヴァイス長官は、明らかに実験体の少女に対して憐憫の情を向けていた。ヨーゼフに言わせてみれば、それは、仕事につまらない感情を挟むことだった。
ヴァイス長官が、露骨に不当な権限行使をすることはないが、その行動の節々に、彼のつまらない感情が見え隠れするのだ。メ―リアン魔法研究所への憲兵の訪問は頻繁になされ、その実験内容の報告もしつこいくらい求められる。特に、例の実験体の様子については、より詳細に。
そういう訳で、ヨーゼフは、ヴァイス長官ひいては中央憲兵に対して、不信感を募らせていた。
今回突き付けられた中止勧告についても、ヴァイス長官のつまらない感情が混じったものではないかと疑ってしまう。“貴殿らの研究を訝しむ者が現れ始めた”との情報が、全く虚偽ということは流石にないだろうが、勧告に正当性を持たせるために、あえて大袈裟に伝えている可能性がある。
「こんなところで研究を止めてたまるか! とりあえず、憲兵どもには、適当なこと言って誤魔化して__」
ヨーゼフが研究員の男に書面を突き返した__その次の瞬間、事務室の扉が突如爆発する。
「なっ……!?」
部屋に轟音が突き抜け、粉塵がなだれ込む。鼓膜が揺さぶられ、視界が粉塵で濁る。ヨーゼフは、不覚に空気を吸ってしまい、勢いよく咳き込んだ。
「……っ!? ごほっ……ごほっ! な、何だ!?」
濁る視界の中、部屋に充満した粉塵を斬り裂くようにして、黒い触手が旋風のように部屋を駆け抜ける。研究員の男が、悲鳴を上げ、鮮血が飛び散る。研究員の男の目の前にいたヨーゼフにも、当然その血が降りかかった。
一体何が起きているのか理解できないヨーゼフは、粉塵が晴れて視界を取り戻した後、眼前に血溜まりと、細切れにされた人体らしき肉塊を目にして、硬直する。そして、その肉塊が、先ほどまで自分と話していた研究員の男の死体であることに気付き、唖然となった。
「久しぶりだな、ヨーゼフ」
ヨーゼフに話し掛ける声があった。彼は、はっとして、顔を上げた。
いつの間にか、粉々になった扉の残骸の上に、暗い赤髪の男がいた。その背後には、黒い霧が不気味に蠢いている。
「……誰だ?」
「おいおい、俺を忘れたのか、ヨーゼフ。俺だよ、俺」
「……お前は……」
ヨーゼフは、目を細める。
「レオだよ。レオ・クラインだ。魔術学院の落ちこぼれのレオだよ」
その男__レオ・クラインは、愉快そうに名乗った。
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