第3話 復讐の悪魔
復讐の悪魔だと、その声は言った。
<代償と引き換えに願望を叶える、それが古今東西、悪魔の役割ってもんだ。これまたぴったりの奴と会っちまった>
サマウスと名乗るその悪魔の声は、げらげらと笑う。レオは、話に付いていけずに、戸惑う。
「お前は、俺の願望を叶えるって言うのか……?」
レオは、とりあえず手に取った魔導書に向けて話し掛ける。どうやらその魔導書に、サマウスという悪魔が宿っているようなので。
<そうだ、相棒>
「どんな願望を叶えてくれるって言うんだ?」
<言ったろ。俺は、復讐の悪魔だって>
「復讐……。一体、何の……」
サマウスは、「ふん」と鼻を鳴らした声を出す。
<お前が半分とぼけていることが、俺には分かるぞ。俺は、お前の心に渦巻く復讐心を感じ取っている。それも、並々ならぬ程のものを>
目には見えないが、自分の体内で黒い何かが蠢くのを感じる。レオは、自身の体で蠢くものの正体に気が付き始めて、寒気を感じた。
レオは、ごくりと唾を飲む
「……復讐って、何をする気だ」
<それもさっき言ったろ。殺戮と破壊だ。ムカつく奴を血に染め、気に入らねえ物をめちゃくちゃにする、それが、俺の得意分野だ>
「お前が、俺の代わりに復讐をやってくれるのか?」
<いいや、それは違う>
サマウスは、レオの問いを強く否定した。
<お前自身が復讐をするんだ。お前が、自分の手で。__俺は、道具だ。今や、こんななりの魔導書に過ぎん。俺はただ、お前の復讐の手助けをするだけだ>
「俺自身が……」
<お前なら出来る。どんなものでも、殺し、壊せる。……正直、驚いているくらいだ、お前の魔術師としての力には。俺と組めば、最強の魔術師になれるぞ。俺と組むべきだ、相棒>
レオは、首を横に振る。
「俺は……落ちこぼれだ。魔術の才能なんてない。……お前が、優秀な魔術師のパートナーを期待しているなら、組むべき相手は俺ではない」
唇を噛みしめて、そう自嘲した。落ちこぼれだと認める言葉を吐くことが、どれだけ辛いことか。
<そんなはずはない。紛れもなく、お前には魔術師としての才能がある。流石は、ルダ族の末裔だ。それも、規格外の魔力を感じる>
「魔力が高いのは知っている。……でも、それだけだ。俺は全く、上手く魔法を使いこなせない。俺は、魔術学院の落ちこぼれだった」
<ハハ、そいつは、面白いな>
サマウスは、笑った。レオは、それが嘲笑だと思った。
<いや、お前と似たような境遇の奴が他にもいたんだ。今の笑いは、お前を嘲ったわけじゃない>
「似た境遇……?」
<そいつは、魔力がとんでもなく高くて、それで特待生として魔術学院に入学したが、魔法が上手く使えず、落ちこぼれ扱いされていた。そして、そいつも、お前と同じルダ族の末裔だった>
「特待生……、落ちこぼれ……」
確かに、自分と似ていた。
<帝国やその他多くの国々の魔術師が一般的に用いている魔法と、ルダ族の魔法は、全く魔術系統を異にしている。魔術師は、いくら魔力があっても、自分に適合した術式のものでしか十分に実力を発揮出来ない。そして、帝国人が用いているような魔術は、ルダ族が扱えるようなものじゃない。ルダ族は、魔力の癖が強いからな>
「つまり、学院で教えられた魔術は、俺には合っていなかったってこと?」
<その通りだ。特にお前は、ルダ族の血を濃く受け継いでいるから、学院で教えられているような魔術は、全然ダメなはずだ。いくらお前が、努力しようと、まともに扱えるものじゃない。お前は、サイズの合わない靴を履いて、走らされていたんだよ>
レオは、サマウスから聞かされた事実に、愕然となった。
<学院には、お前の才能を理解して開花させられることは出来なかったんだろう。ルダ族の魔術は、帝国にとってみれば、異端中の異端だ。無理もない>
「そう、だったのか……」
レオは、複雑な気持ちになった。彼は、授業で教えられた魔術が扱えるように、血の滲むような努力をしてきた。だがそれは、見当違いな努力だったのだ。
<ルダ族が一般的な魔術を扱えないと同じように、一般の魔術師もルダ族の魔術を扱うことは出来ない。一般人には俺の魔導書は全く扱えないし、俺の声も聞こえない。だが、お前は、この魔導書が読めるし、俺の声が聞こえる>
黒い何かが、体内を巡る。レオは、両肩をがっしり鷲掴みされたような感覚に揺さぶられた。
<だから、俺たちは最高のパートナーだ。そして、これからお前の人生は大きく変わる>
レオは、唸る。サマウスの言葉に、心惹かれる自分がいた。一方で、その言葉を信じきれない自分がいた。
「……そんなに簡単に、変わるだろうか?」
レオは、これまでの人生で、卑屈な人間になっていた。暴力と暴言を受け、屈辱と苦痛に苛まれ続け、自分自身に絶望していた。
<ああ。簡単に変われるさ>
「……そうだろうか……、俺は、だって__」
落ちこぼれだ、とレオが言いかけた言葉を、サマウスは遮る。
<お前は、落ちこぼれじゃないさ。今ここで、変わろうとする意志さえあればな。……いいか、レオ、お前は、何も知らなかっただけだ。ただ、知らなかっただけだ。本当の自分のことを、そして、本当の生き方を、何も知らなかった>
「本当の、生き方……」
<俺が、お前を導いてやる。俺は、お前が知るべきこと、全て知っている。それを全てお前に教えてやる>
レオは、震える。体が黒い何かに侵食されているような感覚があった。危険な臭いがした。だが、恐怖は感じない。不思議な高揚感があった。
「代償と引き換えに願望を叶える……、それが悪魔って言ったな」
<ああ、そうだ>
「俺は、何か代償を支払うのか?」
<代償はある。しかし、それは、お前にとってはどうでも良いものだ>
「それは、何だ?」
レオは、震え声で尋ねる。
<一つは、お前のこれまでのクソみたいな生活だ。今の職も、地位も、全て捨てろ。__そして、もう一つは、人間としてのひどくつまらない感情だ>
「つまらない感情?」
<人間共は、その感情について、“良心”と名付けている>
レオの手にしている魔導書から、突如黒い霧が立ち込める。黒い霧は、徐々に、彼の身体を包み始める。彼は、怯えることなく、その黒い霧に身を委ねていた。
<今までのクソみたいな自分を捨てる覚悟があるか、相棒。あるなら、魔導書を開け。そして、俺の力を受け入れろ>
レオは、言われるまま、魔導書を開いた。
その瞬間、体内に凄まじい何かが流れ込んでくるのを感じた。痛く、でも、心地良い。体は火照り、視界が明るくなる。すると、特に何も考えず、勝手に手が動いた。
<まずお前は、自分の持っている真の力を知るべきだ。手始めに、この忌々しい大学を吹き飛ばしてやろうぜ>
レオは、開いた魔導書のページに目を落とす。ページには、やはり見たこともないような文字が羅列していた。それはおそらく、ルダ族が魔術で用いていた古代の文字だ。だが、彼は、不思議とそれを読み取ることが出来た。いや、読み取る、というより、感じ取ると言った方が正しい。
「大学を、吹き飛ばす……」
レオは、虚ろな声で呟く。彼の瞳には、魔法の光が灯っていた。彼を包んでいた黒い霧が、生き物のように蠢き始める。
そして、魔法が放たれた。
レオは、大学を吹き飛ばすつもりは全くなかった。ただほんのちょっと、魔導書の力を試したかっただけだった。彼は、小さく息を吐くような具合で、魔法を放ったに過ぎない。
だが、彼の放った魔法は、凄まじい爆発を生んだ。鼓膜を破るような轟音が鳴り響き、学風が廊下一面の床と壁を剥がした。魔法を放った彼自身も、外へ吹き飛ばされて、中庭の草の上を転がった。
突然の爆発に、大学構内は大騒ぎとなった。レオは、中庭の草の上でうずくまりながら、人の騒めく声を聞いた。そして、胸に抱えたサマウスの魔導書を握り締めて、薄く笑った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ダニエル・フェックスは、順風満帆な人生を送ってきた。
彼は、裕福な家庭に生まれ育ち、何不自由無い環境の中で、幼い頃から魔法学の勉強に励んでいた。帝立魔術学院の入学試験では、非常に高い成績で合格し、特待生として招き入れられた。魔術学院に在学中も、座学・実技ともに優秀な成績を示し続け、帝立魔術大学への推薦を獲得した。大学入学後も優等生であり続け、順調に学位を修得した。
その後、帝立魔術大学の教員の一員となり、学生時代に専攻していた魔法工学の分野で、早くも研究成果を出すと、若きホープとして期待されるようになる。また、学生の頃に知り合って恋仲となった婚約者と結婚を果たし、息子を授かった。息子は、今年で6歳になり、父親の自分に憧れて、魔法学の勉強をし始めた。
ダニエルは、立派な社会的地位と、幸せな家庭を手にしていた。彼の人生は、どこまでも輝かしいものだと思われた。
その日、ダニエルは、自宅の屋敷に帰った後、自身の書斎に入り、机の上に大学の研究室から持ってきた資料を広げた。自宅でも、仕事の続きをするつもりだった。ここ最近、数日後に控えた学会の関係で多忙を極めていた。
だが、仕事が辛いとは思わない。自分の仕事に、やりがいと誇りを持っていた。そして、そんな自分に憧れて息子のダミアンは、魔法学の勉強を始めたのだ。父親として、非常に嬉しいことだった。
ダニエルは、椅子に座って、仕事の続きに取り掛かかろうとする。だが、その時、何処からか轟音が鳴り響き、屋敷が揺れる。続いて女性の悲鳴が聞こえる。妻の悲鳴だ。
ダニエルは、椅子から立ち上がって、書斎を出た。やや早歩きで、妻の悲鳴が聞こえた方へと廊下を進む。そして、廊下の角を曲がった先で見たものに、足を止めた。
「なっ……何だ……!?」
廊下の先が、黒い霧に覆われていた。極小の黒い粒が密集して蠢いている、謎の何かが、突如として自宅の廊下に出現していた。
その黒い霧は、動かない。ダニエルも、警戒して動かない。そうしているうちに、黒い霧の中から、不気味な笑い声が聞こえてきた。
「だ、誰だ!」
ダニエルは、怯えながらその黒い霧に問い掛ける。
「俺だよ、ダニエル」
黒い霧の中から、ぬっと人が現れた。黒いローブを着た、暗い赤髪の男だ。ダニエルは、一瞬、その男が誰か分からなかった。
「お前は……?」
「レオだ。……何だよ、ダニエル、俺が分からないのか?」
「レオ!?」
良く見てみれば、その男は、レオ・クラインだった。彼は大学で用務員をしているため、度々顔を見かけることがあるはずなのに、ダニエルは、彼が彼だと分からなかった。
レオの雰囲気がおかしかった。いつもは塞ぎ込んだ表情で顔を伏せている彼が、顔を上げて、気持ち悪いくらい上機嫌に口元を釣り上げて、目を爛々と輝かせている。まるで、別人だった。
「良い夜だな、ダニエル」
そして、鋭く生き生きとした声で、レオは挨拶した。いつもは澱んだ声でしか話さない彼のその声に、ダニエルは、違和感を覚える。そういえば、彼に、“ダニエル”と名前を呼ばれたことが今まで無かった。
「……お前、何の用だよ……、勝手に上がって……。それに、その後ろの黒いのは何だ?」
「こいつが気になるか?」
すると、レオの背後にある黒い霧が、ダニエルに挨拶するように生き物のように蠢く。その不気味さに、ダニエルの背筋が凍った。
ダニエルは、身構えた。何か、とてつもなくヤバいものを感じた。
「なあ、ダニエル、見せたいものがある。この中に何があると思う?」
「……? 何って……」
「何があると思う?」
レオは笑いを浮かべる。すると、黒い霧が蠢き、中から何かが勢いよく吐き出される。吐き出されたそれは、赤い飛沫を振り撒きながらごろごろと廊下を転がり、レオとダニエルの中間あたりで止まる。
ダニエルは、驚いて、黒い霧から飛び出て来たそれを凝視する。
それは、女性の生首だった。その表情は口を開け、白目を剥き、苦悶に歪んでいる。首元の切り口からは、今も血が滴っていた。
「あっ……、あ……」
ダニエルは、その生首の女性のことを良く知っていた。彼は、信じられないといった様子で、絶望感で表情が歪み始める。
「ああああああっ!」
それは、妻の生首だった。ついさっき帰宅した自分を穏やかな笑顔で迎え入れてくれた最愛の女性の、死体の一部。
「レオ、お前っ! 妻に何をしたっ!?」
「殺した」
「ああああああ!」
ダニエルは、慟哭に身体を震わせながら、懐から杖を取り出した。そして、喉が張り裂けるような声で呪文を詠唱し、杖を振るった。
ダニエルの杖の先から、魔法の雷がレオに向かって走る。それは、殺す気で放った魔法だった。だが、その雷は、標的のレオに届く直前に、突如彼の足元から飛び出てきた黒い霧に阻まれる。
「何っ!?」
殺す気で放った魔法が防がれ、ダニエルは驚愕する。優秀な魔法使いである自分の本気の魔法が、こうもいとも容易く防がれるとは、思わなかった。
「ダニエル、見せたいものは他にもあるんだ」
「何だと……!?」
レオは、背後の黒い霧の中へ片手を突っ込む。そして、引っ張りだしたものを、彼の足元に放り出した。それは、全身を黒い触手のようなもので簀巻きにされ、顔を涙と鼻水で濡らした、幼い男の子だった。
「ダミアン!?」
ダニエルは、思わず叫んだ。それは、息子のダミアンだった。




