第1話 帝国の依頼
アデルが定期的に訪れることにしている国の一つに、ロートヘルム帝国という国がある。
ロートヘルム帝国は、巨大な国家だった。卓越した軍事力を有し、各地に植民地を持つ。科学が発展し、魔法が積極的に技術として有効活用されており、官僚機構が整備されて能率的かつ合理的に政治運営がなされている。そんな、先進的な国が、ロートヘルム帝国だ。
アデルとして特筆すべきは、万能の魔女『赤リボンのアデル』などと噂されているような自分に、ロートヘルム帝国は、一定の社会的地位を与えている事だった。
今、アデルは、帝都にある中央憲兵司令部を尋ねるところだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ロートヘルム帝国の中央憲兵司令部の拠点は、帝都の一角に存在する。司令部は、かつての宮殿を改装した建物に、設営されていた。
宮殿だった頃の面影が残る壮麗な建造物と広大な庭は、軍服に身を包んだ厳めしい顔付きの男達に警備されており、立ち入り難い雰囲気に溢れていた。その敷地内へ、今、異色の少女が、まるで散歩ついでに立ち寄ったかのように、悠然と立ち入っていく。
その少女こそ、『赤リボンのアデル』。世界を旅する、万能の魔女だ。
彼女が魔法使いであることは一目瞭然だった。闇色のローブとトンガリ帽子を身に着けている。そして、長い金髪と赤い瞳の悪魔的な煌めきは、監視役の憲兵達の目を一瞬で引き寄せた。憲兵達に緊張感が漂った。敷地内に無言で立ち入って来た彼女に、憲兵達が慌てて詰め寄る。
「ここは、関係者以外立ち入り禁止だ。失礼だが、貴女は__」
「アデル……いえ、アーデルハイト・ロートシュライフェよ。あなた達の長官はいる?」
「……どういったご用件で?」
「もしいるなら、私が来たって長官に伝えれば分かるわ。ほら」
憲兵達は、やや困惑した様子で互いの顔を見合い、それから、数名が司令部の建物内へ走っていった。
アデルが憲兵達に囲まれながら司令部の建物前で待たされること暫く、やがて建物内から数名の憲兵達が戻ってきて、アデルを建物内部へ案内することになる。彼女は、長官の執務室の前まで連れていかれた。そして、部屋のドアをノックして、開ける。
執務室内には、一人の男性がいた。50代くらいの、逞しい体格の、整った赤髭が特徴的な、軍服の男性だ。彼こそが、ロートヘルム帝国の中央憲兵司令部長官だった。
彼は、入室して来たアデルをじっと見つめる。左右の端に書類が積み重ねられた机の上に大きな手を置き、椅子に静かに腰を下ろして、落ち着いた表情で彼女を待っていた。
「ご無沙汰してたわね。ええと……ヴァイス長官」
アデルは、長官の名前を思い出しながら、挨拶をした。
「ああ、久しぶりだな、赤リボン殿」
ヴァイス長官は、簡単に返した。
「元気ないわね、あなた。疲れているの?」
「いや、疲れてはいないが、少し緊張している。貴女の事は、上の者や、キルシュタイン博士から良く聞いている。良い事も、悪いことも、な。……貴女と会うのはこれで何度目かだが、やはり、慣れないな……」
アデルは、笑う。
「何? 私が怖いの?」
「そうかもしれない」
「帝国憲兵の長官様ともあろうものが何びびってるのよ。あなた、よくそれで長官になれたわね」
「そうだな。自分でも、ここまで出世出来たことが不思議に思う」
緊張しているなどと言うが、ヴァイス長官は、非常に落ち着いてアデルと受け答えしていた。軍人や大男があまり得意ではないアデルであったが、彼の事は嫌いでは無かった。いかにも軍人らしい風貌を纏った大男の彼が平然と弱々しい言葉を口にするのには、何だか可笑しさを感じる。
「それはともかく、赤リボン殿、今日はいきなりどうしたのだ? 私は、貴女の訪問について上から何も聞かされていないが」
「今日は、ふらっと立ち寄っただけよ。別に、誰の命令を受けているわけでもないわ。しばらくこの国にいるからその挨拶と、何か依頼はないか尋ねに来たの」
「それならまず、宰相閣下の方に挨拶するべきでは」
「まあ、後で挨拶しに行くわよ。でも、私は一応あなたの部下って事になっているから、初めにここに来ても変ではないでしょ。特別憲兵予備役アーデルハイト・ロートシュライフェ、只今戻りました、長官殿」
アデルは、ヴァイス長官の机の前で、おどけて敬礼をした。
アデルは、ロートヘルム帝国から一定の社会的地位を与えられている。実は、彼女は一応、帝国の市民権を持っているのだった。“特別憲兵予備役”などという余人には全く意味不明の極めて特殊な地位を持っている。
特別憲兵予備役とは、アデルのためだけに設けられた、アデルしか持っていない地位だ。そして、そのような地位が設けられている事を知る者は、帝国の要人のごく少数しかいない。その内容というのは、好きなときに任務に参加して、それ以外は自由に行動して良いという、事情を知らぬ者には支離滅裂なものだった。
かかる特殊な役職は、帝国側が、アデルを公務で利用するにおいて融通を利かせるべく与えたものでもある。一方で、アデル側としても、極めて特殊な形態とはいえ、帝国で市民権を取得しておくことは将来何らかの形で有利になると考えている。
ちなみに、”アーデルハイト・ロートシュライフェ”というのは、アデルの帝国市民としての名前だ。
「それで、何か依頼は無いの? 最近だと、この辺で飛竜が暴れ回っているらしいじゃない。帝都も大そう被害を受けたって聞いたわよ。ねえ、私の出番じゃない?」
事件を喜んで探すようなアデルの姿勢に対して、不謹慎だと不快感を示す輩もいるだろうが、ヴァイス長官は、特に気を害した様子はない。ただ、彼は首を横に振った。
「飛竜のことで帝都が困っているのは確かだが、あれの討伐は憲兵の管轄外だ。魔物退治は、陸軍か騎士団の者達が、手柄を競い合うような案件だろう。私が依頼する立場にはない。残念だったな」
「憲兵が横取りすればいいじゃない、頭固いわね」
「管轄外のものには手は出せない。それが組織というものだ、取り分け我が国においては」
「相変わらずね……」
アデルは、苦笑する。帝国人らしい台詞だと思った。彼らの国民性の特徴として、合理的だが少々柔軟性に欠けるという点が挙げられる。
「じゃあ、何か他に依頼はないわけ?」
「いや、ある」
ヴァイス長官は、語気を強めた。
「しかも、飛竜の問題よりもより重大性の高い案件がある。早急に対処しなくてはならない案件が。赤リボン殿、このタイミングで貴女がやって来たことに、正直感謝している。是非これを依頼したい」
「お、じゃあ、それで良いのよ、それで」
アデルとしては、依頼だったら何でも良い。そんなに重大な案件あるのなら、勿体ぶってないで早く教えて欲しかった。
ヴァイス長官は、厳かな表情で、机上に積まれた書類の中からいくつか選び出し、アデルに手渡した。
「分かっていると思うが、その書類を閲覧するにあたって、貴女には重い守秘義務が課せられている」
「軍務だからね、当然よ」
「本当に、そう理解してくれていると助かるんだが……」
「部下を信じろ」
「赤リボン殿が、私を本当に上司だと思ってくれているのならば、それもやぶさかではない」
ヴァイス長官としては、アデルのことをあまり信用しているわけではない。彼女は、そもそも法的地位の名目上はどうあれ帝国市民と事実上言い難いし、それ以上に、軍人としての備えるべき気質が欠けているように思えるのだった。
したがって、ヴァイス長官としては、よほど困難な案件でもなければ、アデルに任せたいとは思わない。
それはそうとして、アデルは、渡された書類に目を通す。報告書の表題は、“帝都連続殺人鬼についての報告”だった。
事件自体は、数週間前から起きたようだった。帝都では、殺人事件が立て続けに起きていた。既に、被害者の総数は約30名。しかも、捜査中の憲兵に殉職者まで出ているようだった。確かに、ただ事ではなさそうだ。
アデルは、被害者のリストを眺めながら目を細めていった。
「家族まとめて殺されているところもあるのね。……幼い男の子まで殺して……勿体ない」
「勿体ない、って言い方はどうかと思うよ」
魔法の帽子のメメが注意するが、アデルは気にすることなく、報告書を読み進めて行く。
事件当初は、被害者の金品が奪われた形跡があったことから強盗目的の犯行と考えられていたし、そもそも同一人物の犯行と考えられていなかった。だが、その犯行態様の特殊さや、被害者にある共通点が見出されてきたことから、その考えが改められるようになった。
被害者は、帝立魔術学院第65期卒業生か、そうでなければ、その家族、知人等の関係者であったのだ。特に被害者の中でも、当期卒業生やその家族は、目を覆いたくなるような悲惨な殺され方をしていた。
それは、帝立魔術学院第65期卒業生を標的にした怨恨による犯行だった。捜査当局は、被害者の共通点を発見すると、直ちに、当期卒業生を取調べた。すると、第一の被害者が出る直前に、謎の失踪をしている当期卒業生がいることが発覚したのだった。
失踪をしたのは、レオ・クラインという男性。失踪前は、帝立魔術大学の用務員に就いていたが、事件前に突然辞職した。関係者への事情聴取によると、気持ち悪いくらい上機嫌で「こんなつまらない仕事やめる」と言い放ってから、職場を去っていったそうだ。それから、彼は元いた住居からもいなくなり、行方が分からなくなった。
捜査当局は、このような不審な失踪をしたレオ・クラインを、容疑者として捜索した。それから、帝都の南区域の貧民街に彼が潜伏している情報を掴むと、数名の憲兵を向かわせた。そして、向かった憲兵達の内、2名が死体となって発見された。おそらくは、レオ・クラインと交戦した結果、死亡したのだった。
連続殺人鬼はこのレオ・クラインでほぼ確定である、と捜査当局は判断した。
「なーんだ、もう犯人分かっているのね。居場所も大体分かっているみたいだし、これは、もう楽勝ね」
「油断しない方が良い、赤リボン殿。我が帝国の憲兵がやられている。相手は、只者ではない……」
「私は、万能の魔女『赤リボンのアデル』よ。この私が負けるわけないでしょ」
「勿論、貴女の力は知っている。だが、敵を侮らない方が良い」
「何、そんなに強いわけ、そいつ? 帝国の魔術学院の卒業生と言えば、魔法使いのエリートだけど……」
ヴァイス長官は、アデルに別の書類を渡した。容疑者レオ・クラインについてまとめられたものだった。
レオ・クライン、現在32歳。帝国の辺境にある農村の出身者。10歳の時、帝立魔術学院に、特待生として入学する。元々魔法使いとは無縁の家系に育ち、魔法学を学んだことは一切無かったが、当時から全国各地で実施されるようになった魔力調査で極めて高い値を出し、魔術学院への特待生としての推薦を得た。魔術学院の特待生は、エリート中のエリートで、将来の成功が約束されているとまで言われている。
そこまで聞くと、彼は、随分と有望な魔法使いの卵だったように思える。しかし、入学後の彼の成績は、芳しくなかった。
アデルは、レオ・クラインの学生時代の成績表を見て、首を傾げる。
「何、こいつ……、とんでもない落ちこぼれじゃない」
レオ・クラインの成績の総合評価の欄には、最底評価が付けられていた。詳しい彼の成績内容を見てみると、特に実技において壊滅的な評価が下されていた。
「これで良く卒業出来たわね……」
「特待生として招き入れたから、学院側としても簡単に退学にはしたくないのだろう。ちゃんと卒業出来るように色々対処したのだろうな」
「そういうものなの?」
「そういうものだ」
ヴァイス長官は、やや苦笑気味に言った。
「で、あなた達憲兵は、この落ちこぼれにやられたってわけね」
「まさにその通りだ。そして、それこそ、この事件の問題だ」
「落ちこぼれにやられるなんて、面子が丸潰れよね」
ヴァイス長官は、首を横に振る。
「面子の問題もあるかもしれないが、問題は、どうやって彼が、帝国憲兵を返り討ちにしたかだ。落ちこぼれであったはずの彼が、何故」
「あなた達が油断していたんじゃないの?」
「いや、油断はなかった。向かわせた部下は皆、特殊な訓練を受けた精鋭達だった。戦闘魔術のエキスパートだ。そして、装備は万全だった。最高級の杖や魔法石を持たせていた。ただの落ちこぼれが敵う相手ではない。つまり、レオ・クラインという男は、もうただの落ちこぼれではない、ということだ」
「じゃあ、何だっていうのよ」
「これを見て欲しい」
ヴァイス長官は、また別の書類をアデルに渡した。
「何これ……?」
渡された書類は、一見、今回の事件には関係の無いものに思えた。
「帝立魔術大学での紛失資料報告書だ」
「事件と何の関係が?」
「その報告書に記載された資料は、当時用務員であったレオ・クラインが運送中に、大学構内で発生した原因不明の爆発に巻き込まれた際、紛失された物だ。しかも、紛失のタイミングは、彼が用務員を辞職する直前だ」
アデルは、紛失資料報告書とやらをまじまじと見る。
「“サマウスの魔導書”……?」
報告書には、そのように記載されていた。
「随分古い魔導書で、貴重な研究資料だった。我が恩師のキルシュタイン博士も一時期研究対象にしていたようだ」
「あのイカレ野郎が研究対象にしていたって事は、それなりにヤバい代物なのかしら?」
魔導書とは、単に文字等が記してある本ではなく、何かしらの魔法的な力を秘めたマジックアイテムだ。中には、危険な物も存在する。
「……さあ、どうだろう。知っていると思うが、博士は、異端魔術について研究していた。その魔導書も、異端魔術の物だった。どうやら、具体的な用法については解明出来なかったようだが」
「だけど、あなた達憲兵は、連続殺人鬼がその魔導書を用いて暴れているって考えているわけね?」
ヴァイス長官は、頷いた。
「……少なくとも、私はそのように疑っている。容疑者の失踪と魔導書の紛失が、無関係とは思えない。落ちこぼれだった彼が、未知なる魔導書を手に入れ、恐ろしい何らかの力を手に入れたのではないかと」
「なるほどね……。でも、何らかの力って?」
「それが分からないから注意して欲しいのだ」
「本当に何も分からないの?」
「残念ながら。分かるのは、帝国憲兵の魔術を上回るもの、としか」
「ふーん……」
アデルは、じっとヴァイス長官を見つめる。これは彼女の勘であるが、彼は、守秘義務の関係なにかは知らないが、全ての情報を彼女に伝えていない気がするのだった。
「まあ、いいわ。長官様は、もう何も心配する事は無い。どんな奴だろうと、この万能の魔女『赤リボンのアデル』がねじ伏せてやるわ」
だが構わず、アデルは、自信満々に言い放つのだった。
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